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 町から遠く離れた丘にある小屋に、僕は住んでいる。

 僕の日課は、井戸から水を汲むことと薪を割ることだ。それ以外のことは、祖母の役目だ。

 この丘には僕と祖母以外の人間がいない。他にいると言えば、野兎や野狐といった、あまり人間に懐かない動物たちだけだ。だから、水と薪が僕の唯一の友人と言って良かった。

 たまに、町から物資を持ってきてくれる運び屋の男以外、僕は外の人間を知らない。運び屋の男は『灰色の人間』と呼ばれているらしい。色については全く分からないが、彼らが素っ気なく、汚らしいことは理解できた。

 運び屋の男は、いつも違う。けれど、決まって汗と油と土が混じった酷い臭いがした。汗を多く吸い、土埃にまみれた服を着ているからだろう。

 祖母は、『灰色の人間』を蔑んだ目で見る。「下等な人間」と彼らに罵声を飛ばすこともある。

 僕も彼らはあまり好きではない。けれど、「下等」だと思うほどではない。

 一度、井戸から汲んだ水を水筒に入れ、運び屋の男に飲ませたことがある。その日は良い天気で、とても扱った。小屋に来た運び屋の男は、いつもより酷い臭いがした。

 もしかすると、僕は『灰色の人間』の酷い臭いを紛らわすために、水でもぶちかけてやろうと思ったのかもしれない。けれど、男の疲れきった顔を見たとき、「飲んでください」と水筒を渡していた。

 ――……かたじけない。心優しい『青い人間』の子供――

 運び屋の男は少し驚いたが、小さく頭を下げて、水筒を受け取った。そのまま、振り返らずに、丘から去っていった。

 そのあと、僕は祖母にきつくしかられた。「下等な『灰色の人間』に貴重な井戸水をやるなんて、馬鹿のすることだ」と祖母は唾を飛ばした。

 僕は物語の中でしか、町の人間を知らない。だから、祖母の言う「色」がどれほど重要なものなのか、分からない。けれど、礼を言うことのできる人間は、果たして下等だろうか。

 それを祖母に言うことはなかった。きっと、分からないだろう。色の見える祖母たちと、見えない僕では、おそらく見ている世界が違うのだ。

 僕は色を見ることができない。けれど、それほど素晴らしいものではないだろうと確信している。

 この国の、「色」に振り回される人間たちを見ると、そう感じてならない。

 間違っているのは彼らだ。

 

 

 半月に一度、運び屋の男は僕と祖母の住む丘の小屋に物資を運んでくる。その度に、僕は祖母に内緒で、『灰色の人間』に水筒を持たせる。

 彼らは決まって驚く。そして、礼を言ってくれる。

 僕は必ず彼らに質問をする。

「水は何色ですか?」

 彼らは、少し考えて、答えを返してくれる。

 ある『灰色の人間』の男は、「青色だ」と答えた。また、別の男は「水色だ」と答えた。「空の色だ」と答える者もいた。

 けれど、ある『灰色の人間』はこう答えた。あれは運び屋としては珍しい、細い女の『灰色の人間』だった。彼女からは、汗や土の臭いに混じって、少しだけ甘い香りがした。

 ――水に色はありません――

 その答えは、僕を混乱させた。僕はそのときまで、どんなものにも色はあるのだと思っていた。だから、林檎や薪のように、当然、水にも色があるものだと信じていた。

 水には色がない。

『灰色の人間』の女の言葉を、井戸で水を汲む度に思い出す。

 僕は水を、重みと感触と味でしか知らない。井戸に桶を落とすと、重くなって帰ってくる。触れると、ひんやりと冷たい。口に含むと、かすかに甘い味がする。

 水は確かに存在する。けれど、色がない。それは、一体どういうことなのだろうか。

 色がないのに、存在するとは、どういうことなのだろうか。

 分からない。その場で、『灰色の人間』の女に聞いてみたが、彼女は曖昧な笑みを返すだけだった。

 ――私も分かりません。次会うとき、お互いに答えを出し合ってみましょう――

 けれど、僕はまだ彼女に会えずにいる。また、会うわけにもいかない。僕は自信の結論が、まだ出ていない。色を知らない僕が答えを出せるのか分からないが、考えること以外、僕はこの丘ですることがない。

 あの『灰色の人間』の女に会ったのは、ずっと前だ。五年ほど前だったように思える。それから、僕は暇があれば、水の色について考えていた。

 答えはなかなかでない。ただ、少しだけ分かったことがある。

 僕は水のような存在だ。

『灰色の人間』たちは、僕や祖母を『青い人間』と呼ぶ。けれど、僕自身、その色を確かめることはできない。この国の人間は自分の「色」を自覚してこそ、人間として認められるらしい。

 しかし、僕はその「色」を知ることができない。『青い人間』だと呼ばれても、僕はそれを自覚することができない。そんな僕は、人間ですらない。

 だから、僕は水だ。

 だから、水は僕だ。

 水がどうして色を持たないまま存在できるのか。それが分かったとき、僕は自分自身を知ることになるかもしれない。

 そう思うと、少しだけ心が弾んだ。

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