観賞魚を覗く時、
「僕が好きなものは観賞魚です。観賞魚の魅力について語ろうと思うと数時間を要するので、ここでは省略します。では、ここで何を話すのかといえば、この夏休みに体験した不思議な出来事についてです」
クラスメイトの前、教壇に立って僕はそんなことを発表していた。
HRにて、自分の好きなものについて発表するという授業の最中なのだ。
発表の通り、僕は観賞魚が好きだ。好きになった理由は色々とあるが、一番の原因は家の近くに水族館があったからだろう。小さい頃は、ちょっとしたことがあると水族館に行き、様々な魚を眺めては悩みの解消に努めていた。
魚が自由気ままに泳いでいる姿を見ると、僕の抱える悩みなんて水泡のようにどこかへと消えていく。それくらいに魚は優雅で美しく、僕を魅了するものだった。特に、その姿で魅せてくれる観賞魚が大好きなのだ。
水の申し子。水の中を自由に動き回るその姿に僕はある種の憧れを抱いていた。しかし、そんな僕は全く以って動き回ることが、つまり外が嫌いだ。家の中でのんびり、意味もなく、魚を眺めている方が僕の性に合っている。
だからそんな僕が、夏休みが終わるまであと一週間となったそんな日にプールに行こうと思ったのは、純然たる気まぐれだった。
嗚呼、夏休みもあと一週間か。そういえば全く運動をしていないな。でも、だからと言って動きたい訳でもないし。とはいえ運動不足は解消しておかないと九月から大変だろうな。じゃあ、汗の気にならないことをしよう。だとしたらプールとかかな。
そんな浅はかな思考は、当然ながら失敗に終わってしまう。少し考えてみれば分かるのだが、プールまでの経路は当然夏の日差しに晒されている。猛暑は過ぎたとはいえ、それでもまだまだ、途方もなく暑いのだ。
どうせ三日坊主ならぬ一日坊主で終わるのだろうと思いつつ、死んだ魚のようにプカプカと水面に浮いていた。浮くというのも中々に疲れるものでしばらく浮いてからプールを上がった。
プールサイドに座って、のんびりと水面を眺める。ここに魚がいたら、どれほど楽しげに泳ぐのだろうかと考えている間に、僕はどうやら一人の少女に魅了されていたらしい。らしいとまるで他人事のように言うのは、他人事のようにそうなっていたからだ。
いつから見ていたのか、僕自身にも分からない。気が付けば僕は彼女を見ていた。綺麗とか美しいとかそういうものではない。彼女があまりにも楽しそうに、嬉しそうに、水の中を舞っていたからだ。まるで観賞魚のように。
ずっと、ずっと、彼女は水の中で踊り続ける。とても鮮やかに、とても静かに。まるで観賞魚のように。
ぼぅっと、僕は彼女を見つめていた。嗚呼、彼女はとてつもなく水が好きなのだなと思った。それを強く感じられたのは泳いでいる間ではなく、プールから、水から離れる時だ。数時間泳ぎ続けていては流石に彼女も疲れてしまうらしい。名残惜しそうに、辛そうに、まるで半身から引き剥がされるかのような、悲痛そうな表情でプールサイドに上がっていったのだ。しばらくの間休憩をするらしく、彼女はキャップを取って綺麗な黒髪を露わにする。黒髪から滴り落ちる雫は、どこか嬉しげだった。彼女は水を愛している。それと同時に、彼女は水に愛されていた。
だから、観賞魚の大好きな僕が、そんな彼女に見惚れてしまっても、好きになってしまっても、まぁ、仕方がないことなのだろう。
一日で終わると思っていたプールにも結局僕は足繁しく通った。しかし、本来の目的である運動不足解消の為ではなく、彼女を眺める為という一歩間違えればストーカに分類されてしまいそうな、そんな下心のある目的だった。
当然、発表ではそんな下心は口に出さない。彼女がとても楽しそうに泳ぐ姿を見て運動嫌いな僕も少しだけ泳ぎたくなりました。そんな風にいいようにまとめて発表を終えた。
発表を終えれば、後はのんびりと授業の終わりを待つだけだ。
「私の好きなものは、とても有り触れたもので、だけどとても大切なものです」
その日、最後の発表は僕の後ろの席の少女。黒髪眼鏡の大人しい印象の少女。
彼女は発表の始まりから終わりまで、ずっと、ずっと僕を見つめていた。まるで、観賞魚を見つめる僕のように、プールサイドにいた彼女を僕が見つめていた時のように。
彼女は発表を続ける。この世に在り過ぎる、しかしとてつもなく貴重で生命の源とさえ呼ばれているような、そんなものを。
魚といえば、生魚を苦手としている人は食において少し損をしているのではと思う今日このごろ。