09 王都ローマリア近郊:午前中の出来事1
■コックリの視点
カンッカンッカンッ!
乾いた音が、広場にこだまする。金槌を打つ音だ。俺は今、修道院の居住スペースの方の屋根に上って雨漏りの補修をしている。何もせず礼拝堂とかでボーっとしているのもつまらないし、農作業を手伝うか……と思ったものの、子供達ではできていない建屋のメンテナンスをしておいてやろうと思って……。昨晩屋根に上った時、傷んでいるのに気が付いてたんだ。
うーむ、しかし陽射しが強くて首筋がジリジリと熱い。
素焼きの屋根瓦から照り返しの陽射しと熱気がムワムワ来て、おぉーう、屋根にカゲロウが見える。額から流れ出た汗が頬を伝って屋根瓦に落ちると、途端に蒸発し始めて……イヤイヤ、熱すぎだろう。ひと休みするか……
修道院の屋根のてっぺんに腰かける……熱っ! やっぱ立とう。
ああ高いなあ。どこまでも遠くが見えるよ。起伏のある緑色の大地が三百六十度に広がって、雲がこんなに近い……昨日も今日も変わらず、緑色の大地に落ちた雲の影がいくつもいくつも動いて行く。子供の頃、辛いことがあるとここに来て、空を、雲を、村を、起伏の大地を眺めたなあ……。雲がどこから流れてきて、何を見てきたのか……人々の生活をどう感じているのか……想像しては、辛い気持ちを忘れようとしていたなぁ……
ああ、家々の屋根にも雲の影が動く……
変わらないなあ……
村の家々の屋根は明るい印象を与えるオレンジ色の赤瓦だ。明るい太陽の光を反射してまるで草原の丘に開いた花畑のようだ。綺麗なんだが……この赤瓦こそが、この村の財政状態を示している。この村は豊かな方ではない。
赤瓦は耐久性が低いから、安価で手に入る。
それゆえに赤瓦の屋根が多い村は豊かな方ではない。耐久性が高くて高価な瓦は黒瓦だ。赤瓦も黒瓦も同じ土からできているが、焼く温度が異なるため価格が異なる。耐久性の高い黒瓦は高温で何時間も焼かなくてはならないため、燃料代がかかりその分割高になるんだ。
ボーッっと見ていると、昨日のことが思い出される。シスの笑顔、子供たちの笑顔。シスと、シスを囲んだ皆の暖かな光景。ふふ、連れてきて良かった。
しかし……気になることが結構あるな……
小さいことだが……
マークがシスを避けていること。
シスターに感じた違和感。
さらには、俺が暮らした時よりも食事や衣服が悪くなっていることも気になるな。
小さなものなんだが……
小さいからといって見過ごしてはいけない場合がある。城の土台など小さな綻びから大きな崩壊につながることもある。この小さな違和感が大きな問題につながらなければそれでいいんだが……
やはり少し調べてみるか……
そして可能なら俺が何とかして……とその時。
「や、やめてください!」
階下でシスの声が響く。
ん!? 何だ!? 落ちないように、慎重に歩いていく。屋根の庇から顔を出して声のする方を探してみると……礼拝堂の入り口で修道服を着たシスが数人の村人たちに囲まれていた。おいおい……ここでも絡まれているのか。彼女がエルフの里を出て初めて訪れた人間の町でも囲まれていたっけ……
「へへ、まあまあまあ〜」
ああ、あれは女癖の悪いジェフリーおじさんにローランおじさん、酒癖の悪いモルダーおじさんか……ほかにも既婚者のおじさんたちが何人かいるな。皆、悪い人じゃないんだが……シスはほうきを握りしめたまま壁に追い詰められていた。
「そ、掃除があるんです、邪魔をしないでください」
「へへ、そう言わずにさ。ホラ、後で俺たちが手伝ってやるからさ。一緒に行こうや〜」
「そうそう、村を案内してやるよ〜」
「新しい修道僧さんなら村をよく知っておいて、皆と仲良くしておいた方がいいからさ」
「わ、私、修道僧じゃ……」
「へへ、凄いべっぴんさんだな~」
「きゃっ」
ジェフリーおじさんがシスの腕をつかんだ。
シスは青い顔で手を引き離そうともがく。恐怖で表情が硬くなって……くそ、悪い人じゃないとはいえ……何か腹立つ、今行くぞ! 俺が屋根のヘリを走ると、ガチャガチャと乾いた音が響いた。
「い、嫌! 離して!」
「へへ、そう言わずにさ」
「ああ~、修道僧にしておくのがもったいない」
「何でこんなに美人なのに、世をはかなんで修道僧なんかになったんだ?」
「わ、私、修道僧じゃっ」
「へっへっへ」
俺は屋根から修道院を囲むように植えられている樹の一つへ飛び移った。とう!
ガサガサガサガサッ!
樹に飛び移った俺は、わざとガサガサと大きな音をたてて降りる。
「「ななな、何だ!?」」
おじさんたちが何事かと樹に顔を向けるなか、俺は枝葉を落としながら地面に降り立った。
スタッ!
「皆さん、お久しぶりです」
「コ、コークリット!」「何だコークリットか! ビックリさせんなよ」「神殿騎士になったってのに、相変わらずの悪ガキだな!」
「コ、コックリ!」
シスは俺の姿を見止めてホッとしたのか、泣きべそ混じりの表情になった。
「ん? お嬢さん、コークリットを知ってるのか?」
「おじさん、知ってるも何も彼女を連れてきたのは俺で……彼女は一緒に旅をしているパートナーなんです」
「何!? そうなのか!?」
「ええ。それにただのパートナーではなく……俺の大切な婚約者です」
「「「こ!?」」」
この言葉にはシスまで驚いていた。
まあ、その方がおじさんたちも諦めがつくだろうからな。驚いたジェフリーおじさんは掴んだシスの手を緩めたようで、シスは手を振りほどいて俺のところへ駆け寄ってきた。シスは俺の後ろに隠れると、いつぞやの時と同様カイガラムシのように、俺にピッタリとくっついた。
「ゆえあって、修道服を着ていますが……彼女は修道僧ではありません」
「こ、婚約者」「何だよ……そうなのかよ」「修道服着てるから、てっきり代わりの修道僧かと思ったのに」「ええ〜じゃあ、すぐに旅立つのか……」「何だよ……」
「え?」
俺は、彼らの言葉の一部に激しい違和感を覚えた。
小さいものだが、激しい違和感を覚えた。その小さな違和感が激しく大きいものに感じた。
「代わりの修道僧って……どういう意味ですか?」
激しい違和感を覚えたのは、それだ。
代わりの修道僧かと思った……?
代わりの修道僧……?
なぜそんな表現になる? 新しく支援に訪れた修道僧……ではなく、代わりの修道僧……? 代わり、といってしまったら、シスターと交代で来た……ということになる。
「ん? ああ、以前法王庁から教団関係者が来てたからな……そろそろシスターも歳だし、交代の依頼かなってな……」
「……教団関係者が」
教団関係者が何のために……?
考え込む俺を尻目に、おじさんたちは「あーあ」と言いながら広場から去っていく。俺はその姿を見るとはなしに見つめていた。目でその姿を眺めながら、頭の中では別のことを考えていた。
教団関係者が来ていた……?
何のために……?
交代……いや、そんなことはない……ハズ……
考え込む俺は、ふと……背中に……当たるものに……
すごい弾力の、二つの大きな柔肉が……あれ?
「ぐすっ、ふうぅ~コックリ~……怖かったよ~、ぐすっ」
シスが俺の背に張り付きながら、泣きべそをかいていた。
俺の背にピッタリと張り付いているから……大きな大きな柔らかい果実が……俺の背に押し付けられて……うおお!
「シ、シス。あのおじさんたちも悪気があって、詰め寄ってきた訳じゃないから……な?」
「うん~分かってる~。でも怖かったよ~」
シスはそのまま俺の胸の方に手を回してきた。
ここぞとばかりに抱きついて来るから、とてつもなく柔らかい張りのある二つのモンスターが……オイオイ~! わざとかこれ。シスを抱きたくても抱けない俺を寸止め状態でいじめるという……オイオイ~! 俺は下腹部に血液が集まるのを感じた。くそ、この前の意地悪返しか?
「シス。ちょ、ちょっとシスターに話をしたくって……もういいかな?」
俺の胸に回されたシスの白い手に、自分の手を重ねる。
小さくて華奢な手だ。白く透き通るような肌で、スベスベした感触が俺の肌に吸い付いてくる……ああ気持ちのいい肌だ……俺が光る海でシスに何時間も行為をしていたのは、この肌の感触を楽しんでいたかったからでもある。彼女の全身の肌が、俺に吸い付くようで離れ難かった。
「もうちょっと……もうちょっとだけ……」
シスは小声で囁く。
顔を俺の背に当てて喋るから、彼女の熱い吐息が服越しに背中に来て……くおお。
「俺……熱い屋根で作業してて……大汗かいてるから……」
「大丈夫……コックリの汗……好き……」
どんな趣味だ! ぐおお、そんなこと言われたら……
そろそろヤバイ……! 本当にヤバイ……! 俺の中にある男の本能が……制御の限界に来てる。シスを……四百年の寿命の中で、俺だけしか男を知らないシスの心と体を……俺の全てで埋め尽くしたい衝動が……彼女の心と体に、俺の存在を刻み付けたい衝動が……
「シス……シス、頼むよ……」
「うん……うん分かった……ゴメンなさい。ありがと……」
シスはそういうと、俺から離れた。ふう、助かった。俺は服についた枝葉をゆっくりと払いながら、本能を抑える努力をする。治まれ……治まれ……俺の本能……鎮まれ……
しばらくすると、何とか治まった。ふうぅ……
「よし……シス……ちょっとシスターのところに行ってくるな」
「うん……あ、私も行っていい……?」
「ん?」
「えへへ……朝ごはんを作るとき、シスターと色々話して……コックリの子供の頃のことをね……うふふ、もっと聞きたくて……」
シスは嬉しそうな顔で笑った。
オイオイ~、どんな話をしてたんだ……ちょっと不安になるな。子供の頃は本当にヤンチャだったから、恥ずかしいんだけど。
「んー……そういう話が出来るかは分からんけど、いいよ」
俺としては、ちょっと面白くはないけど、まあいいか……
礼拝堂に入って、整然と並ぶ長椅子の中を進む。
誰もいないそこは、清々しい午前の光りに包まれて明るく輝いて見える。透き通るような白い輝き……綺麗だ……
さて……色々と気になることはたくさんあるが……
どうやって聞き出すか……
シスターが素直に教えてくれるだろうか……
シスターは秘密主義で……神殿騎士となった俺にでも、なかなか心のうちを教えてくれない……
今の俺なら……色々力になれるのに……
なぜ、俺を頼ってくれないんだろう……
「コックリ……どうしたの……?」
「え?」
「怖い顔してた」
「あ……そうか? ゴメンゴメン……」
そうか、今から怖い顔してりゃ、ますます向こうが警戒するな。ああ、やはりシスがいて良かったかも。彼女との世間話で色々探りをいれて、流れの中でつかんでいくか……
俺はシスターの執務室の前で立ち止まった。一回深呼吸して……コンコンコン
「シスター、俺です。コークリットです」ドア越しに声をかける。「入っていいですか?」
が、反応がない。
あれ? 俺とシスは顔を見合わせた。
「お出掛けかしら?」
「んん、建家から出た気配はなかったような」
俺は何気なくドアを開けた。
部屋を見ると……シスターは、いた。机に向かって居眠りをしていた。あれ……珍しい……
「コックリ、シスターお疲れなのかしら?」
「ん……そう……かもな」
そう答えつつも、俺は……違和感を覚えてシスターの方へと向かった。シスターは書き物をしていたようで、手にペンを持っている。俺は何気なくそのノートを見てみると……数字がたくさん……
「……な!?」
これは……!
俺はシスターからノートを取ると、食い入るように眺めた。そんな……そんな馬鹿な! そんな!
いや……そう言うことか……!
だから……
「きゃあ! コ、コックリ!」
「何!?」
シスは居眠りするシスターに上着をかけようとして……
シスターが椅子から床に崩れ落ちそうになっているところを、すんでで支えていた。
「シスター!?」
シスターは……居眠りじゃない!
居眠りじゃない!
気絶してるんだ!