04 王都ローマリア近郊:レスター孤児院の村
■コックリの視点
見上げる青空に流れる綿雲が、俺たちの上に影を落とす。
涼しい影だ。
土の香りを乗せた畑の風がなだらかな丘を駆け上り、整然と並んだ畑の作物を揺らしながら反対側の斜面へと駆け下りていく。きっとシスの目には、風の精シルフの姿が見えるんだろうな……
俺と手をつなぎながら、シスは気持ちよさそうに風に当たっている。
「気持ちいい風ね、コックリ」
「んー……」 俺は答えようとして思わず息を飲んだ 「そ……うだな……」
息を飲んだのは……シスに見惚れてしまったからだ……
シスは長い耳を隠すために頭までストールを巻いているものの……美しい金色の前髪と可愛らしい額が見え……長いまつげが切れ長の目をより一層大きく見せている。艶やかでふっくらとしたピンク色の唇が何とも言えず可愛いくて……磁器を思わせる白い素肌が本当に美しい……
何て美しいんだろうか……
本当に、何て美しいんだろうか……
何でこんなに美しい女性が、俺を好きになったのかな……?
千年生きる彼女は……本当に俺で良かったのかな……
「コックリ?」
「ん?」
「どうしたの? 怖い顔してたよ?」
「ああゴメン。また考え事」
「もう」
「ふふ、行こう? 皆に何て紹介しよう、くっくっく」
「ダッ! ダメだからね!?」
シスは「押しかけムリエル」を警戒しているようだ。
俺たちはなだらかな斜面を眺めながら、石垣の道を歩んでいく。丘の上には防風用にポプラやドングリの樹がたくさん茂り、風に揺れて涼しそうだ。揺れる樹々の間には石造りの家々がたたずみ、アーチを描いた馬蹄形の窓ガラスがカタカタと震えているのが見える。
「コックリ、ちょっとだけ坂の村なのかしら?」
「おー、そうだな。ちょっとだけな」
「うふふ、アラルフィや人魚の国みたいね」
樹々の間から見える家々は、丘の形に逆らわずなだらかな傾斜を見せている。
ポプラやドングリの樹もその傾斜にあわせて生えていて、上に行くほど高く大きく見えるけれど本当は同じくらいの大きさの樹だ。そして家々の真ん中の最も高い場所に、教会の尖塔が頭一つ抜けて鎮座している。
「何人くらい住んでいるのかしら?」
「そうだな……五十世帯くらいのはずだから、二~三百人くらいかな」
「皆、家族みたいよね」
「おー、そうだな」
と話しながら進むと、防風用の木立が石垣の外側に増えていき、前方を隠す。よしよし近づいてきたな。樹がエメラルド色の光を道にたくさん落として綺麗だ。エメラルドの洪水だ。
踏み固められた道が平たい円形の石を敷き詰めた石畳に変わり、エリーゼの足音が甲高くなる。石畳にエメラルドの洪水が美しく輝き始めたその時、木立の間に石造りの家々が見えてきた。
「はわあぁぁ……可愛い……!」
シスは俺の手をキュッと握った。
木立を抜けると、石畳の道を両側から挟むような石造りの家々が出迎えてくれた。二階建てで、屋根がオレンジ色のこじんまりとした家々だ。扉や窓がアーチ状に組まれた可愛らしい家で、出窓からツタ植物が盛大に垂れている。
「うん、変わらないな……」
一年や二年で村の風景は変わらんよな……
だからこそホッとする。出ていっても変わらずに待っていてくれているのだから。時が止まったような石造りの家々が、俺を待っていて……出迎えてくれた。
家々は二階建ての石造りの建屋で、巨石を四角く削って丁寧に丁寧に積み重ねて作られている。微妙に石の大きさが違うのが、家々に独特の表情を作っている。また、石の色も微妙に違う。薄いグレーや濃いグレー、茶色や白っぽい石組みで、それもまた独特の表情を作ることに一役買っているようだ。
丘のわずかな部分に建てられているため、必然的に二階建てが多くなる。
ともすれば圧迫感を与えそうなものだが、意外にそれを感じさせない。それは恐らく緑のおかげだ。家々の前には大小様々な鉢植えがあって、そこから鮮やかな緑の樹々が茂っている。赤や黄色の花を咲かせた素敵な鉢植えだ。さらに二階の出窓からツタ植物が垂れて、緑の滝になっていたり……。それが石壁が両側から迫るような圧迫感を消していて、エルフのシスにとっては堪らないんだろうな……キラキラした目で見ているよ、可愛いな。
ちなみに丘の中腹にある家と頂上にある家々では、家の形が異なる。
頂上の家々は、限りある土地に建てられているため、間口の狭い二階建てが多いのに対し、中腹の家は土地が広いから平屋で広々している。
俺は、石壁の出っ張りに手を当ててシミジミ言った。
「この壁の出っ張りを使って、よくよじ登ってたなー」
「壁をよじ登っちゃダメだし」
シスは屈託のない笑顔で笑っていた。
平たく丸い石が敷き詰められた石畳の道には、ところどころ土が剥き出しになっていて、ポプラやドングリの樹が生えている。出来る限り樹々を残して村を作ったのだ。
シスは目を輝かせて村を見つめて……
「うふふ、コックリ……子供の頃、この石畳を走り回ったの?」
「んー? ああ、走ってたなー」
「うふふ、あの樹の周りをグルグル回ったり?」
「おー、そうかもな」
シスは俺が走り回っていたであろう姿を想像してか、目尻を下げていた。大きい切れ長の目が垂れ目なって、本当に可愛い。緑が茂る路地は、平たい石が敷き詰められていて、雨の日なんかは特に滑りやすかったなー……
俺たちはエリーゼを引きながら、独特な石造りの家並みの中を歩いていく。エリーゼの蹄の音だけが路地に響いていく。路地は狭いから音が反響している。
「人がいないな……作業時間かな……」
「…………」
シスの表情が硬いな……緊張しているのか。
硬い表情のシスもまた美しいな……まるで精緻な彫刻のような美しさで……
今は村中で放牧や糸つむぎをしているのかもな、人の気配がないや。……と思っていたら、角の小路から女の子が出て来て向こう側へと去っていく。おー、あの後姿は……
「アイーシャ!」
俺に呼び止められたアイーシャという少女は、びっくりした様子で後ろを振り返った。ああ、声が大きかったか。アイーシャは薄い金髪のフワフワ天然パーマの女の子で、確か九歳か十歳になるはずだ。アイーシャは俺の姿を認めて、ぱっと明るい笑顔になった。
「コークリット兄さん!」
アイーシャは手に桶を抱えたまま俺に走り寄ってきた。青い目に、ちょっとソバカスがある可愛らしい少女だ。
「おー、アイーシャ。一年ちょっと見ないうちに大きくなったなー」
「えへへ、そうでしょう?」
「可愛くなったな!」
「元から可愛かったでしょ?」
「ぶはは、そうかそうか」
女は、何歳だろうが女だよなー。
「皆、元気か?」
「うん……あ、でもマリアが変わらずかな……」
「ああ、そうか」
「兄さん……変わった……?」
「え? いや全然?」
「そう? 兄さん、今回は何でまた?」
「おー、法王庁に行こうとしていたんだが、その前に皆に紹介したいひとがいてな……そうだアイーシャ、紹介するよ。こちらはシスティーナ。俺のパートナーで恋……」
「え? こち……ら?」
「え? あれ?」
あれ!? シスがいない!
さっきまで手をつないで横にいたのに!? あれ!? と思ったら、ジョーおじさんの時とは違って俺の背中に完全にピッタリと張り付くように隠れてる! コバンザメみたいだ! いやカイガラムシか!?
「お、おいシス! 顔を見せろよ!」
「うぅ~~~っっ!!!」
シスは俺のサーコートを握りしめた上に顔を埋め、背中にガッチリと張り付いて……震えている。ガクガク震えている!
「だ、大丈夫だって!」
受け入れてもらえるか分からないから、もの凄く怖がってるんだ。
大丈夫だって! ああ彼女の震えが俺に伝わってくる。くっそ、抱きしめてやれば落ち着くだろうが、鎧が邪魔で腕が届かない! 体を左右に振っても、完全にピッタリとくっついて……。アイーシャがポカーンとしている。
「大丈夫だから!」
「うぅ~~~~っっっ!!!」
シスは俺の背に顔を埋めたまま頭を振る。
「大丈夫だよ、受け入れてくれるって!」
俺はシスを背中に張り付かせながら半回転して、アイーシャに背を向けた。アイーシャからは、俺と俺の背に張り付くシスが見えたようで……
「へっ!!?」
と、頓狂な声を上げるアイーシャ。
彼女の目には、俺とシスは随分と間抜けな姿に映ったろうな……。それからずっと語り種になったよ。カエルのカップルだって。
「じゃあこうだ!」
荒療治だ!
俺は壁に向かって走ると、ジャンプ一番、ヤモリのように壁の出っ張りにしがみつき、ワシャワシャと壁を登る。鎧を着ていてもこの身体能力よっ! もちろんシスはついてこれない。
「はあぁっ! ヒドイ! ヒドイよコックリ!! ヒドイ!」
ひどくないだろ!?
シスは壁の下で俺を見上げて叫んだ。大きな目に溢れんばかりの涙をいっぱいに溜めている……うわっ可愛いなっ! 大きな翡翠色の瞳が涙で倍に見えて、まさに宝石のように輝いているよ。あぁ~いっぱいに溜めた涙がフルフルして水晶のようだ……。俺は二階の窓付近からアイーシャに叫んだ。
「アイーシャ! この女性はシスティーナ! 俺の恋人だ!」
「ええええっ!!?」「はわあぁっ!!」
アイーシャはダッシュでシスの前に回り込んだ! シスの両腕をガッチリとつかんで顔を見て……!
「はああぁっっ! はああぁっっ! はあああああぁっ!!」 涙目の可愛らしいシスを見て……! アイーシャは感激を抑えられない輝くような笑顔になった! 凄い呼吸が荒い! 「かかか! 可愛いいいい!! 可愛いいいい!! はああぁ!!」
「はわあぁ!」
ここら辺は、アリアと同じだよな!
――――――――――
アイーシャはシスと手をつないで俺の前を歩いている。
アイーシャはシスを見ながら、ニコニコしながら歩いている……俺に桶を持たせてな。この扱い、ここらへんもアリアと同じだよなー。アリアとはそんなに長く過ごしていないはずなんだけどな……
シスはすでに頭のストールを外して長い耳を露出している。
シスがエルフだと知ったアイーシャは、さらに感激して、大喜びでシスに抱きついていた。まあ、普通の村人だったら生涯妖精と接する機会なんてないからなあ……
シスは、弟や妹たちが自分を受け入れてくれるか心配していたから……アイーシャ一人だけだが、自分を受け入れてくれたその行動が嬉しかったようで、凄くニコニコして歩いている。
良かったな。怖がる必要なんてないんだよ。
シスとアイーシャが談笑しながら歩く姿を、俺はほほえましく思っていた。
「システィーナお姉様、コークリット兄さんのどこが良かったんですか?」
「え、ええ!? も、もうそんなこと聞いてくるの?」
「はい! こんなに華奢で繊細な美しい妖精が、あんなオーガーみたいな男とくっつくなんて! どこが良かったんですか!?」
「悪かったなっ、オーガーみたいでよっ!」
前言撤回だ。オーガーみたいでも、そこが良いって言う女性もいるんだ! 今のところシスだけだがよ!
何だか釈然としないまま植物が生い茂る路地を進んでいくと、唐突に開けた場所に出た。
そこが村の中心だ。
「システィーナお姉様、ここが私たちの暮らす修道院です」
「わあぁ~、素敵……」
村の中央には、二階建ての教会があった。古めかしい、屋根部分が大きい石造りの教会だ。
村の家々同様、大きさが微妙に異なる石を積み重ねて造られた教会の周りには、青々と茂る樹木が植えられ優しい木陰を作っている。
一年半ぶりの我が家だ……
「ここで俺は育ったんだ。レスター孤児修道院」