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13 王都ローマリア近郊:礼拝堂

 

 ■コックリの視点



 シトシトシトシト……

 雨がだいぶ治まってきたな。黄色い花が咲く鉢植えの葉に雨水がたまって、水玉がフルフルと揺れ動くとポチャンと石畳に落ちた。石畳は人々が歩くことで微妙なおうとつができて、いろいろな形の水たまりを形成している。雨水も貴重な水源の一つだから、家々の脇に置いてある水瓶のふたが開けられてデコボコした壁を伝った雨水が、うまく水瓶に流れ込んでいる。



 俺はジャックと修道院の外にあるトイレで用を足した後、修道院の出入り口に立って近くの植え込みを見ていた。植え込みは教会を囲むようにして立つ樹とともに教会をグルリと囲んでいる。そういえば、何度か屋根から足を踏み外してこの植え込みに落ちて助けられたな……そうだ、クッションになってくれたんだよ、ありがとうな。おお、植え込みの葉には大きなマイマイがいて、ゆっくりとゆっくりと影に隠れるように進んでいく。よくよく見れば、そこかしこにたくさんいるな。フランシス王国のブルーゴルニュ地方ではエスカルゴ料理があったな。何度か食べたが、あれは美味かった。



 ああ、空を見あげるとだいぶ明るくなってきている。

 煙るような雲がモヤモヤと動いているけれどだいぶ薄くなって、ところによっては薄らと水色の空が見える。もうそろそろ……雨が止む……



 さて……ヴェネリアの商人に、(ふみ)を書くか……

 類似の薬で安く入手できないかって……

 シスターの執務室を借りようと教会堂へと入った時、祭壇の前でマークが祈りをささげていた。



「おお、マーク」 と声をかけるとマークが振り返った。

「コークリット兄さん、外にいたんですか?」

「ああ。マリアはどうだった?」

「はい、今のところ大丈夫です」

「そうか、良かったな」 ああ、今俺とマークが二人だけだからシスのことを話しやすい。「少し話さないか」

「はい喜んで!」



 マークは嬉しそうに返事した。

 マークとは一緒に暮らしたことはないが、俺を兄のように慕ってくれているようだ。神殿騎士として活躍する俺が誇らしいのだという。ああ、俺も皆に恥ずかしい思いをさせないよう、頑張るぜ。



 俺とマークは誰もいない教会堂の長椅子に腰かけた。

 堂内はシンとしていて、気持ちの良い空気を感じる。雨が降っているからか、石造りの建物全体が冷やされて、空気もまたヒンヤリと冷やされたのかもしれない。変わらない独特の音の籠もり具合。讃美歌や入祭歌、ミサの祈りの言葉が堂内に反響して包み込まれるような音になるのは、これらのお蔭なんだろう。シスがミサ好きなのは音から来るんじゃないかな……



 さて、どうやってシスを避けている理由を聞き出すかな……



「植え込みにマイマイがいっぱいいたんだが、食べていいのかな?」

「え? 食べられるんですか?」

「んー……食べる地方もあるみたいだ。あとは食べられる種類とかもある」

「へえ~」

「でも調理に手間がかかるらしいな」

「へえ~」



 マイマイは何でも食べるから、体の中に何が入っているか分からない。もしかしたら何かの動物の排泄物を食べていて、それがマイマイの体の中に入っているかもしれない。だから数日間かけて排泄物を完全に出した後、臭みを取ったり、内臓を取ったりとか、手間暇かけて調理するようだ。



「シスなら美味く調理してくれるんじゃないかな」

「……」



 俺がシスの話をしたら、マークの表情が硬くなった。



「マーク。シスのこと……苦手かな?」

「そ……」 マークはビクッとした。 「そんな……ことは……」

「俺ですらマークがシスを避けてるって気がついているんだ……シスも気づいてて……気にしてる」

「……」 マークは唇を噛んだ。「苦手じゃないです」

「じゃあ……嫌いなの?」

「……嫌いでもないです」

「じゃあ……妖精だから?」

「……違います」

「じゃあ避けている理由は……?」

「……」 マークは一呼吸おいてから話した。 「兄さんの……恋人だから……」

「はい?」 俺の恋人だから? 何だそれ? 「どういうことだ?」

「マリアは……兄さんが大好きなんだ。だから……兄さんに恋人がいると知ったら! マリアが悲しむ!」

「なんだって!?」



 そんな理由!? そんな理由で!?

 マークを見ると……真剣な表情だ。他者から見ると些細なものだと思えるものが、当事者にとっては本当に大きな問題だと悩むことがある……俺もシスの残りの人生のことを考えて、悩んで悩んで抱くのを躊躇していたからな。



 ああ、本当にマークはマリアのことを大切に想っているんだな……

 だから小さなことでも、マリアの心に負担がかからないようにして……



 何ていいお兄ちゃんだろうか……

 ああ、シスターはそんなマークのことを理解していて、マリアを病療修道院へ入所させようとは思わなかったのかもしれない。



「兄さん、マリアを兄さんのお嫁さんにしてやってよ!」

「なんだって?」

「そうすればマリアが苦しくなったとき、すぐに魔法で助けられるでしょ!?」マークは真剣な表情で言った。

「すぐ助けられるかもしれない……けれど、俺は神殿騎士。ひとところにはいられない……」

「じゃあ神殿騎士やめてよ!」 マークはそう言った後、ハッとした。「……ごめんなさい」



 教会堂の中に沈黙が訪れた。

 マークは下を向いて黙って……おそらく無理を言ってしまい反省しているんだろう……本当に昔の俺よりデキが良いと思う。

 


「兄さん、僕知ってるんだ……」

「……何を……?」

「シスターが倒れた理由……」

「……」

「マリアの薬代のために、食べるものまで割いて……だからでしょ?」

「……」 俺は……答えられなかった。

「兄さん……さっき『 将来何がしたい? 』って聞いたよね」

「ああ……」

「兄さんは……いいよ。兄さんは誰よりも力強くて、頭も良くって、魔法を使える才能もあって……神殿騎士になれるくらい全てを持ってて……何でもできるよ」

「……」 俺は……答えられなかった。

「あんなに綺麗な妖精でさえも魅了させてしまうくらい、全てを持ってるよ」

「……」 俺は……答えられない。

「でも、僕もマリアも……何もないよ」

「……」

「マリアは……何もないどころか……皆に迷惑をかけて……」

「……」



 俺は答えられなかった。

 かけるべき言葉が見つからなかった。



「聖霊は残酷で不公平だ……何でマリアをあんな風な体に生まれさせたんだ」

「……」

「どうして僕を兄さんみたいに生まれさせてくれなかったんだ」

「……」

「兄さんみたいに生まれたら、僕がマリアを助けられたのに……」

「……」

「これが僕とマリアの運命なら……どうしようもないじゃないか!」

「!!」



 俺はその言葉に息を飲んだ。

 胸がドキリとした。



 ずっと頭に霞がかかったように、モヤモヤとしていた悩み……

 胸の中を占めていた、拭おうにも拭えない心の霞……



 シスに言われた言葉が、何とも説明しづらいおかしな心持ちにさせていたんだが……マークの言葉で、それがはっきりと分かった気がした。



 これが運命なら、どうしようもない……

 これが運命なら、どうしようもない……

 これが運命なら、どうしようもない……



 そういうことだったのか……



「マーク……」

「……はい」

「まだだと思うんだ……」

「……え?」

「これが運命なら、どうしようもないって……まだだと思うんだ……」

「……まだ?」

「ああ、マーク……俺は……あることにずっと悩んでいた」

「……あること?」

「それが今のマークの言葉で……すべて理解できたし、納得できた……」

「……」

「その悩みは、マークやマリアが抱える悩みでもあるようだ」

「僕やマリアの……?」 マークは興味をひかれたようだ。

「ああ……聞いてくれるか?」

「はい」



 俺は話し始めた。



「人は、生まれる前から……あらかじめ『 器 』が与えられていると思うんだ」

「あらかじめ……与えられた……器……」

「ああ……。その器とは、肉体であり精神である『 心身 』という器だ……」

「心身……」

「体の大きい器だったり、小さい器だったり、背が高い器だったり、低い器だったり、心が広い器だったり、狭い器だったり……いろいろな大きさや形の器があって、あらかじめ与えられて生まれてくると思うんだ……」

「うん………」

「マリアの器は……残念ながら少し欠けた状態で与えられたんだと思うんだ」

「……うん……」

「与えられたものだから……マークが言うように、どうしようもない……そう思う……」

「うん……」

「それを『 運命 』というのかもしれない……」

「うん……」

「でも、与えられたものだから……その与えられた器の形とか、大小とか……それが重要じゃないと思うんだ」

「器の形や大小は……重要じゃない……?」

「ああ。運のように与えられた器が『 優劣 』を決めるもんじゃないと思うんだ……」

「うん……うん……」

「重要なのは……優劣があるのは……その後だ……」

「その後……?」

「器の形や大小を理解して、『 何を修める 』のか『 どれだけ満たす 』のかだと思うんだ」

「何を修め……どれだけ満たす……」

「運によって与えられた器に満足して、その器に少ししか修めない者もいるかもしれない。運によって与えられた器に満足して、その器に半分も満たさない者もいるかもしれない……」



 俺は立ち上がると祭壇に置かれていた銀の器を手に取った。

 それは聖霊に供物を捧げるための器だ。



「この器は銀でできて大きい……高価で、なんでも入る大きな器だ。これだけ大きければ、なんでも収め(修め)られる。パンだって果物だって、お酒だって……なんでも収められる」

「うん……兄さんみたいだ……」

「ああ……俺は運が良かったのかもしれない。これだけ大きな器ならいろいろな種類のパンを、いろいろな種類の果物をいくつでも収められるし、積みようによっては山のように満たすことができる……でも逆に、大きな器に満足して、無駄に収めて結果的に少しだけしか満たさないかもしれない……」

「うん……」

「俺たちはこの器と同じなんだ」

「うん……」

「でも、この銀の器と俺たちの心身という器には、決定的な違いがある……もちろん生物かどうか、なんてもんじゃない。決定的な違いだ」

「うん……」

「それは『 意志 』だ。意志を持っているかどうかだ」

「意志……」

「俺は、俺に与えられた器を理解して、『 人を助けたい 』と思った……」

「うん……うん……」

「だから自分の意志で、聖学院に行き、自分の意志で神殿騎士になることを決め、鍛練に鍛練を重ねた」

「うん……うん……」

「運によって与えられた大きな器に、自らの意志によって無駄なく魔法と剣技と知識を修め、修練による修練で満たし『 神殿騎士 』になったんだ……」

「うん……うん……」

「…………マリアの器は、少し欠けていたのかもしれない。でも……どうすることもできないとは……まだ言えないんじゃないかと思うんだ。欠けていても、その器の形を理解して何を修めるか、どれだけ満たすのか……マリアが自分の意志で、何を修め、どれだけ満たすのか……それが重要なんだと思うんだ」

「…………自分の意志で……何を……成すかだね?」

「ああ」



 マークは「運命だからどうしようもない」と言っていたが……そうじゃないと思うんだ。



 マリアには選択肢は少ないと思う……でもその中でも、何かができると思うんだ。

 己の器を理解して、自分の意志で何かを修め、満たすことが……



 マークがマリアのために司祭になりたいと言ったとき、俺は胸がスッとした。

 それはおそらく、マークが自分の意志でマリアを……誰かを助けたいと思った心が、昔の俺に重なったからだと思う。自分の意志で、『 助けたい 』と思った心が、俺に重なったからだと思う。



 シス……俺が皆を助けるために聖学院に行ったことを気にしていたな。

 その選択が、今の俺にとって良かったのか……気にしていたな。満ち足りて、充実して、目一杯生き抜いてほしいって……



 心配いらないよ。

 俺は大きな器で生まれたことは運命だったかもしれない。

 けれど、神殿騎士になって人を助けたいと思ったのは自分の意志……運命に流されて仕方なくなったんじゃなく、自分の意志でなった……

 そして、人々を怪異から救えている……

 人だけじゃない……シスが暮らしていたエルフの里も……亡者に荒らされた人魚の国も……怪異から救えた。



 シス……俺は自信を持って言えるよ。



 俺はこれで良かったって……




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