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11 王都ローマリア近郊:鐘楼の塔

 

 ■コックリの視点


 雨が降りしきる中、俺は鐘楼の尖塔に上って雨の大地を眺めている。

 起伏のある大地には、余すところなく雨が降り落ちる。ああでも、雨が強く激しく落ちる場所、弱く静かに落ちる場所があるし、雲の明るさが違うな……強く降る場所は暗くて、静かに降る場所は心なしか明るい……



 明るい場所は、もうそろそろ雨が上がるのかもしれない……



 鐘楼には屋根があるとはいえ、横殴りの雨が俺に当たる。

 ああ冷たいな……でも、今は濡れていたい気分だ……



 鐘楼の石壁に手を触れると、指がひっかかる。

 何だろうと見てみると、そこには棒人間のようなイタズラ書きが刻まれていた。ああこの絵は俺が八歳くらいの時、刻んだ絵だ。くくっ下手くそな絵だ……



「コックリ……」



 下からシスの声がして……梯子の(鐘楼は梯子で上って来る)出入り口で、シスが顔を出して心配そうに俺を見ていた。ああウィンブルを頭にまとったシスも、本当に可愛いな……というか



「え……修道服で上ってきたの? ゆったりとしたスカートだよな」

「ん……下に誰もいないし……」 シスはオズオズと質問してきた 「……そばに……行きたいな……行って……いいかなぁ」

「ふふ、ああいいよ……」



 俺が微笑むと、シスも笑顔になった。

 シスが梯子から鐘楼の間に上って来たので、俺は彼女が落ちないよう手を貸した。ああ、風がシスのウィンブルやスカートをはためかせて……と思ったら、突然風が止んだ。あれ?



「うふふ、この鐘楼の周りだけ、風の精霊の動きを抑えたの」



 おお本当だ。

 修道院を取り囲むように植えられた樹木も、オレンジ色の屋根から飛び出たポプラやブナの樹々は激しく揺れ動いているのに、この場所だけ風が凪いでいる……はぁ~さすがエルフ……



 シスは俺の横に立つと、三百六十度雨の降る大地を眺めて感嘆のため息をついた。



「はわぁ~……凄い……凄い景色……」

「ああ……」

「コックリ……子供の頃も、ここによく上ったの?」

「ああ。でも屋根の方が多かったな……寝そべって空が見れるし」

「うふふ、そっか……」 シスは切れ長の目を細めた。 「オレンジ色の屋根。テラテラして綺麗……」

「ふふ」



 俺は思わずシスに見惚れた。

 彼女は気づいていないけれど、俺はよくシスに見惚れている。でも向こうに気づかれると照れ臭いので、ほんの数秒を心がけている。俺は彼女が俺の視線に気づく前に、彼女の表情を目に焼き付けて視線をはずす。



 シスは俺の思いに気づかず、話し始めた。



「コックリ……さっきはどうしたの?」

「んー……」

「聞いちゃ……マズイかな……」

「いや、全然……」

「お金の話……?」

「うん、お金の話……」 どこから話そう。俺は考えをまとめた。 「修道院は『 清貧 』の中で生活していくもんだが……だからといって『 お金が全く必要ない 』というわけじゃないのは分かるよね」

「うん、分かる」

「イザという時のためにも最低限のお金は必要でね」

「うん。嵐や干ばつ、不作の時があるもんね」

「ああ、その通り。物々交換だけじゃ手に入らないものもあるからお金は必要で……。この国には色々な修道院があるが、どの修道院も属している修道会から最低限のお金を得ている」

「属している修道会……」

「ああ。修道会は王国か法王庁か、どちらかの傘下に属しているから、どちらかから最低限の補助が出ている」

「最低限の補助が……」



 騎士修道会は王国の傘下にあり、病療修道会は法王庁の傘下にある。

 騎士修道会は王国を護るための騎士を養成する場なので、王国から資金提供がある。病療修道院は生まれながらに病を持つ者や死を迎えるだけの者、魔法で治さない方が良い者が暮らす場所で、博愛主義から法王庁が資金提供している。そして孤児修道会もまた、法王庁の管轄だ。



「そして、お金を得る手段がもう一つあって……それぞれの修道院の特徴が出ているんだ」

「それぞれの修道院の特徴……?」

「ああ」 俺は猫のように伸びをしてから言った 。「病療修道院は薬を売ったり、騎士修道会は近隣の都市国家に武力を提供したり……そして孤児修道院は……」

「孤児修道院は……?」

「…………孤児修道院は、子供を提供するとお金になる」

「え……?」

「…………孤児修道院は、孤児に教育を施し労働を学ばせて、働き手を必要とする農家や商家、職人のギルドに送り出す。その対価として、お金を受けとるんだ」

「た……対価……」シスは顔が青くなった。ああシスの気持ちは分かるよ。「そ、そうなんだ……」

「子供を売買しているように見えるかもしれないな……。だが、次々に現れる孤児たちの未来のためには、お金が必要なんだ」

「次の孤児たちの未来……」



 そのお金がなければ孤児修道院は運営できず、孤児たちが生きていくことはできなくなる。

 現実は厳しい。

 どんなに美しい理想も……

 素晴らしい理念も……

 現実の壁には……だから……



「俺が十歳の年、ひどい干ばつがあってね……作物は枯れ果てるし村もお金がないし……冬、餓死者を出すんじゃないかと危ぶまれた年があった」

「う……うん……」



 突然話が変わったので、シスはいぶかしげに俺を見た。

 あの年は本当にひどかった。雨が降らず、農作物がどんどん枯れ果てて……見渡す限りの緑の牧草地帯が、一面の茶色い土がむき出しの荒れ地へと変わった。家畜がバタバタと倒れて……本当にひどい有様だった……



「だから俺とアリアは……聖学院へ入ることを決めた……」



 聖学院とは王国と法王庁が共同で運営する修道院で、特殊な聖職者を養成する施設だ。聖魔法を使いこなして国と人々を守る司祭や神殿騎士、守護騎士を養成する施設だ。守護騎士とは神殿騎士同様、聖剣技を使いこなす騎士で、もっぱら王都を護る近衛騎士のことだ。怪異捜査をすることはないので神殿騎士よりは多いものの、やはり成り手は少ない。



「どうして干ばつの危機で、コックリとアリアさんは『 聖学院に入ろう 』ってなったの?」

「……入れれば、王国と法王庁から多額の褒賞金が出る……」

「!!」



 国と人々を聖魔法で守護する。

 とても重要な役割だ。国策であり聖霊の教えでもある。だからこそ、養成する聖学院に入れれば多額の褒賞金が貰える。それは農家や商家に送り出して受けとる対価の比ではない。



「……希望したのは俺たちだけでなく、俺の兄姉もいた。だが希望すれば誰でも入れる訳じゃなくて……基準を満たしていないとダメでね」

「基準……?」

「魔法の根元たる『 霊力 』が基準を満たしていないとダメでね……霊力の大きさ、濃さ、属性が満たされていないと入ることはできない」



 霊力の『 大きさ 』は行使できる奇跡の多さにつながり、『 濃さ 』は奇跡の力の強さや威力につながり、『 属性 』は善悪とともに攻撃魔法か防御魔法か、癒しの魔法かの、魔法の性質につながっている。霊力が大きくても霊力が薄ければ強い魔法にはならないし、濃くても小さければ多くの魔法は使えない。霊力が大きくて濃さが足りていても、属性が邪悪だったら魔法を教えるわけにもいかない。



 狭き門だ。

 兄姉とともに相談して決めた……誰かが選ばれれば、孤児院も、村の皆も助かるって……



「俺とアリアは基準を満たしていることが分かって……でも……」



 当時シスターは反対していた。まだ幼い、まだ早いって……

 あまりにもシスターが反対するもんだから、村長や村の有力者にも説得してもらった。村長たちは、今のままでは食べる物もなく子供たちの成長にもよくないが、聖学院に行ければ食事も心配なくなれば教育ももっと高いものを受けられるって言って説得していた……。村長たちも俺とアリアが聖学院に行けば、報奨金で助かるから、八方おさまりが良い対策だった。



 結局、俺とアリアが「聖学院に行きたい」と言ってシスターは渋々うなずいていたが……



「俺とアリアが聖学院に入ると……多額の褒賞金が孤児院に入った……だから、その年の干ばつも乗り越えられて、村の人々も生き残れて……俺もアリアもホッとしたことを覚えてる……」

「そうだったんだ……」

「でもシスターは今でも……『 お金のために俺とアリアが自ら身を売った 』って……そう思っているみたいだ……」

「……」



 干ばつがなければ……

 お金があれば……

 確かに、俺もアリアも十歳にして聖学院へ行こうとは思わなかった。皆を助けたいと思って……聖学院に入ったのは確かだ……。結果的には、身を売ったのかもしれない……



 でも俺は、最近よく思っていることがある。



 運命だったんだ……

 俺の元に、使命が運ばれて来ただけだ……



 自分自身が将来何をすべきか、修道院を出た後何をすべきか、農家へ行くのか商家へ行くのか、職人になるのか決め始めなくてはいけない時にたまたま干ばつがあって、それまで考えもしなかった聖学院の話があった……

 そして俺は、人よりも霊力が大きく、濃さも充分で、属性も善良だった。

 しかも体も大きく頑健だった……



 運命だったんだ……



「そういう運命だったんだと思う。俺とアリアが聖学院に行くことになったのは」

「…………」

「でも……シスターにはそれが……楔になってしまったんだな」

「そう……なんだ……」



 シスは何か考え込んでいた。

 どうしたのかな、何か気になることがあったかな? シスは一緒にいると何とも癒されるほがらかな女性なんだが……なかなかどうして、彼女ならではの視点が鋭い。細いアゴに手をあてて、真剣に考え込んでいる。ああ、こんな表情のシスも可愛いな。いつもほがらかな印象しかないしな。



「コックリは……他にやりたいこと、あった?」

「ん?」

「本当は聖学院に行かずに、他の何かをしたかった……?」

「どうだろうな……特にやりたいことはなかったしな……十歳だったし。その当時の俺たちはどうやって生き残るか手一杯で……。でも俺は……元々神殿騎士に……アヴァン=ヘルシング殿に憧れていたから……聖学院へ行くのは嫌じゃなかったよ……」

「そう……良かった……」

「うん」



 シスはさっきより表情が緩んでいた。



「まあ、俺の昔話よりも、今の話をしよう」

「あ、うん」

「どうするか……修道院の運営は……」

「…………」

「どうするかな……一番良い対策は、マリアを病療修道院に入所させることだが……シスターが……な……」

「コックリ……」

「うん?」

「話を戻していい?」

「うん?」 俺はシスを見た。何だろう? 「いいよ。何かな?」

「うん。十歳当時のコックリは……皆を助けたい一心で聖学院へ入って、神殿騎士になったと思うんだけどね……」

「うん」

「今振り返って……それで良かったって……思えてる?」

「!?」

「エルフの私は長命だから……何をやるにしても時間が有り余っていろいろ挑戦できるけど……。人間は……コックリは違うから……満ち足りて、充実して、目一杯生き抜いてもらいたいの……」

「……」



 俺は沈黙した。

 すぐに答えられなかった。



 今……俺はこれで良かったのか……



 目一杯生きてほしい……

 実にシスらしい。俺のことを想ってくれているシスらしい意見だ。確かに、長命で若い時間が長いエルフからすれば、人間の、俺の寿命など十分の一以下……若い時間はさらに短い。



 俺は考え込んだ……



 そんな俺を見て、シスは慌てて付け足した。



「ゴゴ、ゴメン! 変なこと聞いちゃって! やや、やっぱりいいや!」

「いや……いや。良い……実に良い質問だと思う……」

「そ、そう?」

「…………考えてみる。考えてみるよ…………」



 考えることが増えた。

 この修道院の運営をどうするか……

 マリアの件をどうするか……このままか、病療修道院へ任せるか……

 このままならお金をどうするか……

 病療修道院へ入所させるなら、シスターをどう説得するか……

 マークがシスを避け気味なのはなぜか……



 俺はこれで良かったのか……




あと3~4話予定です。

もう少々お付き合いくださいませ

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