01 王都ローマリア近郊:穀倉地帯
週1~2回ペースで掲載します
その風景を見て最初に想い描くものは、絵画だろうか。
白い綿雲がいくつも浮かぶ、濃い青空。
延々と続く、深緑に染まったポプラの並木道。
並木の下に咲き乱れる色とりどりの小さな花々。
花々に留まり蜜をなめる美しい蝶。
それが絵画でないことを示すものは、並木道の外を流れる小さな水路のせせらぎの音と、花々から漂う優しい香り、そして街道を歩む旅人たちの動く姿だろうか。
絵画の風景を切り取ったかのような街道を、旅人たちはゆっくりと進む。
ポプラ並木の木陰を通る旅人たちは、涼しさで頬が緩み、水路のせせらぎに心を癒され、清々しい表情で旅路を行く。
その旅人たちの中に二人の男女の姿があった。一人は逆三角形の体をした堂々たる体躯の騎士。もう一人は栗毛の馬に腰かけた美しい娘だ。二人は延々と続くポプラ並木の街道を歩んでいる。
■コックリの視点
俺の名はコークリット。親しい者は俺をコックリと呼ぶ。
現在、世界で七名存在する法王庁の神殿騎士の一人で、聖霊からの啓示に従い、世界各地を旅している。年齢は二十一歳で、髪は明るい栗色、瞳の色は琥珀色、わずかにアゴ髭を伸ばしているのは、毎朝剃るのが面倒だからだ。俺は鎧の上にサーコートを着こみ、腰にはサーベルを刺している。身長は二メートルを切るくらいで、逆三角形の背中が特徴かな? そのせいか、俺が想いを寄せる娘には初対面でオーガー(巨人の一つ)と間違えられたっけ……オーガーは鎧も服も着てないだろうに。俺はその娘が腰かける栗毛の馬を引きながら街道を歩んでいる。
「うふふコックリ……のどかな景色ねぇ。私……好き、大好き」
その娘が翡翠色の瞳をキラキラさせて景色を見ている。
娘は精緻な刺繍が施されたレースのストールを首から頭にかけて巻き、耳元を隠している。ストールからは緩くウェーブする金髪がわずかに見えるが、それが非常に残念だ。ストールで隠れていなければ、絹のように細くつややかなその髪は、陽の光を浴びて金色に輝いて見えるはずなのに……。
娘の名はシスティーナ、森の妖精エルフで俺の大切なパートナー……恋人と言っていいのかな。
彼女は切れ長の目に翡翠色の瞳、プックリとしたピンク色の唇に雪のような白い肌の、とてもとても美しい女性だ。真面目な表情の時は大人っぽい美しい女性なのだが、今のように何かに見惚れたり喜んだり、怒ったり表情が出ると、途端に幼いような触れてみたくなるような……ものすごく可愛らしい少女になる。驚くべきことに、俺を好きになってくれて……俺が生きた記憶を心と体に刻み付けたいと言ってくれて……四百年暮らした森を出て、俺の傍に居てくれている。
俺は今、王都ローマリアへ向かい歩を進めている。
そこには神殿騎士の本拠地、法王庁ヴァチカニアがあり、俺はそこで調べ物をしたいと思っているのだ。このポプラ並木のはるか先にローマリアが存在するが、まだまだ先だ。
「はわあぁ~……素敵……本当に素敵……」
シスは並木の外に広がる麦畑の光景に、切れ長の大きな目を細める。
彼女の視線の先には、光り輝くような小麦畑が延々と広がり、夏の風に吹かれて穂が波打っている。この広大な麦畑は、ローマリアの食糧庫と言われる大穀倉地帯だ。
麦畑ははるか遠くに霞む山の方まで、延々と続いていて……麦畑のところどころに道しるべのような樹木が生え、絵画の風景となって広がっている。ポツンポツンと植えられた大きな大きなブナの樹の下には、とんがり屋根の可愛らしい家々が点在している。
「はわあぁ~……あそこに住んでいる人たちは、いったいどんな生活をしているのかしら……どんな風に人と出逢って、どんな風に結ばれていくのかしら……」
この世界にはいろいろな人々がいて、それぞれに自分たちの暮らしがある……そこには平凡な変わらない生活もあれば、ドラマチックなものもある……彼女はそれを想像して、心がときめいているようだ。うう~む、俺にはよく分からないがそういう楽しみがあるんだな。
くく、鼻歌を歌ってるよ……すごくご機嫌だ。
透き通るような声だから鼻歌でさえ癒されるな……。鼻歌を歌いながら馬の背に揺られる彼女を俺は目を細めて見つめていた。
……と俺の視線に気が付いたシスが、はっとした。
「あ……は、鼻歌出てた!?」
「出てたな」
「い、嫌だった!?」
「ん? 嫌って……どうして?」
「だ、だって私の方見てたし……!」
「ん? ああー……」
「な、何?」
「ん? 何でも?」
「な、何なの~? 教えて~?」
「あー、教えるほどのもんでもないから」
と言って俺はエリーゼ(馬の名前)の首をさすりながら歩むと、シスは「もう! もう!」と言いながらプンプン怒り始めた。牛か? 牛なのか? まあ、胸だけ見れば乳牛ホルスタインだが……。そう彼女は果樹属性のエルフだから、果実が実るように胸が豊かに実っていてとてもうれしいんだけれど……あまりの迫力に、たまに怖いと思うこともある。
俺は横目でチラッとシスを見ると、眉間にしわを寄せ、きめ細かな白い頬をプゥッと膨らませて、俺を睨みつけていた。くくく、可愛すぎて怖くない……本当に可愛いすぎて怖くない……。これで本当に怒ってんのかな? 怒ってるんだよな……。じゃあ喜ばせるか……。
「シス」
「ムゥー」
俺が話し始めると、ご機嫌とりだと思ったのか彼女はあさっての方向を見てツンとした。頬を膨らませたままツンとした。くくく……俺は優しく語りかける。
「そういえば言ってなかったけれど、シスに合わせたい人たちがいるんだ……」
「ムゥー」
「俺が世話になった大切な人たちなんだ……」
「ムゥー」
「その大切な人たちに……シスを紹介したくて……」
「ムゥー」
「どう紹介しようか……悩んでいたんだけれど……」
「ムゥー」
「さっき……決まってね……」
彼女は俺をチラッと見た。あさっての方向に顔を向けながら、チラッと見た。
「……ムゥー」
「シスは……俺の……」
「ン…………ムゥー」
「シスは…………俺の…………」
「ム…………ゴクリ…………ムゥー」
その時、俺は声を張り上げて言った!
「『 最愛の押しかけムリエルです!! 』と!!」
「はわあぁっ!!?」 シスは馬から落ちそうになって、間一髪エリーゼの首にしがみついた。 「はわわわっっ!!?? ムムム、ムリエル……おおお、押しかけ!? 押しかけムリエル!? はわわわっっ!!??」
シスはあわあわして、顔が赤くなっている。汗がいっぱい飛んでいる感じだ。彼女が驚き慌てふためくのは仕方がない。
ムリエルとは『 妻 』のことだからだ。俺は爆笑した。
「ぷっはっはっは」
「ああぁっ! ああもう! ああもう! またからかってええぇっ!」
「ははは、いや、からかったわけじゃない」
「もう! もう、知らない! 知らないっ!」
「ゴメンゴメン……でもさ……よく考えると……そうだろ?」
妖精は若いまま長命で、一度愛したひとへの想いをずっと抱えて生きていく者が多い。心が肉体を持ったような存在なので、一度心を決めてしまうと……そうなってしまうらしい。
属性によって異なるようだが、シスはそういう属性らしく……
彼女は俺を選んでくれて……
自らの意志で、四百年暮らしたエルフの里を出て……
ずっとついてきてくれて……
ずっと俺を支えてくれている……
シスは真っ赤な顔で必死に呼吸を抑えながら話した。
「ふぅうう~……そ、そうだけど~……お、ぉおお押しかけムリエルだけど~……」
「だろ?」
「ふううぅ~……そ、そうだけど~……」
「日常でも怪異の時でも、シスは陰に日向に支えてくれてるし……」
「ふうぅ~……ふうぅう~……」
「さらに、シスの心にも体にも……俺が……だし?」
「ふういうぅ~……そうだよぅ~……そうだよぅ~……」
「だからどうかな!? 『 押しかけムリエル 』って!!」
「ういぅうい~~~~~~~~~~~~~~……っっ!!」
シスは真っ赤に染まった顔を、小さな手で押さえつけて必死に何かに耐えている。柔らかで、茹で玉子のようにつややかで形のいい頬がブニッとなって……ああ、頬に当てた手を縦横斜め、縦横無尽に無茶苦茶に動かし始めた。
「~~~~っっ!!」
声にならない声を上げて必死に何かと戦ってる……何と戦ってるんだろう……? シスは赤い顔のまま涙目で言った。
「ふううぅ~……こ、困る~……困るよ~……」
「何が?」
「ふぅぃう~……その通りだから~……恥ずかしい~……恥ずかしいよ~、心が~……おぉぉ……おかしくなっちゃうよ~……」
「しかし俺にとって、最愛のムリエルであることに変わりはない……皆に宣言したい……! シスは! 俺のシスティーナだと!!」
「はわわわわあああぁぁぁっっ!!!」
シスは……過去に見たことがないほど赤くなっていた。
赤さを越えて赤黒くなってきたか……? だ、大丈夫かな?
……俺は代替案を提案した。
「最愛の嫁は?」
「はあぅっ!」
「最愛の家内は!?」
「んはぅっ!」
全部同じだけどな、くくく。シスの大きな目がグルグルグルグル回り始めたので、俺はさすがにもうやめておこうと思った。
「じゃあ、ひとまず……恋人ってことで……いいかな?」
「ぅ……ぅん……ぅん」
シスは顔を真っ赤にしたままうつむいた。ストールから湯気が出てる。ああ樹木の良い香りだ……彼女の髪からは森林の香りがするから、熱せられることで香りが広がっているんだな。普段はキスするくらい近づかないと分からないんだけどな。
くくく、まあ最初から恋人として紹介する予定だったけどな。さっきまで頬を膨らませて怒っていたけど完全に吹き飛んだな。くくく、ごまかせたな!
すると彼女はストールを巻いたまま、フードを目深にかぶった。
んん……どうしたのかな? むぅ……からかいすぎたかな。
フードを目深にかぶられたら影ができて中の顔が見えなくなるのが普通だが、俺は霊力によって五感を強化しているので、影ができていても容易に彼女の顔を、表情を見ることができる。彼女は俺がバッチリ見えているということを知らないから、フードの下で安心して今の心を表情として見せているはずだ。
俺は笑いをかみ殺しながら、シスがどんな表情か見てみようとして……
呼吸も忘れて見惚れてしまった……
彼女は……とてもとても、美しい表情だったからだ……
彼女の心を現した表情……
その表情……
どこまでも優しくて……慈愛に満ちた表情……
幸せに満ちた、穏やかな表情……
大きな愛情に溢れた、心温まる表情……
俺が……最愛の女性と……言ったからか……?
彼女はただ……ただただ幸せを……悦びを感じている表情だった……
からかうような口調で言ってしまったが……
シスが幸せを感じてくれているならうれしかった。
彼女の心に響いてくれているなら、うれしかった。
俺の残りの寿命分、楽しい想い出に包ませてあげたかったから……
俺が怪異で命を落とさずに生きられたとして、残りの寿命が三十年くらいだろう。
その三十年の間に、彼女にたくさんの想いを刻み付けておきたい。
俺が死んだあと、彼女が淋しくないように……
彼女が生きるであろう長い時間を、楽しい想い出でいっぱいにしておきたいんだ……
俺は彼女が落ち着くまで、そっとしたまま静かに街道を歩いていく。
「おー、刈り入れだ」
麦畑を見ると、広範囲にわたって刈り入れられ、大きな団子状の干し草ができている地帯に突入した。刈り入れられた世界に、農作業をいそしむ農民たちの姿がポツンポツンとアクセントを与えている。冬に植えて夏に収穫する冬小麦の刈り入れ時だから、大変そうだな。孤児で修道院で育った俺も、刈り入れ時だけ農家の応援に行ったっけな……。懐かしいな。
ふと気が付くと、俺の鎧の肩当部分にシスの小さな手が置かれていた。何かなと思ってシスの方を向くと、彼女は慌てて手を引っ込めてフードの下で視線を泳がせている……
ん? 触れていたかったら触れてていいよ? 俺も嬉しいし……
俺が彼女を抱いてから、彼女は俺に気づかれないように体のどこかに触れてくることが多くなった。俺の腰だったり、二の腕だったり……。でも、とても恥ずかしいらしくて……今のように俺に触れても鎧のどこかだし、俺に気づかれるとすぐに手を引っ込めるし……性格なのかな?
俺が前を向いて歩きはじめると、再び恐る恐るシスティーナの白い手が、俺の肩にそっと置かれた。俺は気づかないふりをして、歩いていく。肩鎧越しに、システィーナの体温を感じる。
四百年変わらずに生きてきたのだ……そうそう変わらないよな。
そんな変わらないシスが……俺は大好きだ……
ずっとそのままで、俺の傍にいてくれな……