06
学校に行くと真衣はクラスメイトの顔を見て嫌な気分になった。自分がどれだけ幸せなのか誰も考えたことがないだろう。みんな当たり前のように親に愛されて生きてきたのだ。真衣が今どんな想いでいるかなど気が付かない。体がぐったりとしその場にうずくまるのを必死に耐えた。
「真衣、おはよ」
横から肩を叩かれた。その子は家柄がよく両親も立派な仕事をしていて裕福に育ってきた子だった。もちろんその子もにっこりと笑っていた。不幸など一度も考えたことなどない子どもの笑顔。真衣の頭の中で抑えていた感情が一気に爆発した。
「話しかけないでよっ」
真衣は思い切りその子の胸をどついた。「きゃあっ」と言ってその子は簡単に床に倒れた。周りにいたクラスメイトは呆然といった様子で真衣と倒れた子を見つめた。誰も真衣がこんなことをする子だと思っていなかった。
「え……?真衣ちゃん……?」
誰かが声を出すと突然みんなが騒ぎ出した。真衣の周りをぐるりと囲み、何度も同じ言葉を言う。
「何があったの?」
「どうしたの?真衣」
しかし真衣にもどうしてこんなことをしてしまったのかわからなかった。何も答える言葉が見つからない。
「どうしたんですか?」
後ろから担任教師の声が聞こえた。ぎくりとし真衣は逃げようと思った。しかしそれよりも前に教師は真衣の肩を掴んでいた。
「何があったんですか?」
真衣は何も答えなかった。答えが見つからない。どうしてこんなことをしてしまったんだろうか。
「何よ。ただおはようって言っただけなのに。私に何の恨みがあるのよ」
胸を撫でながら倒れた子が怒鳴った。真衣は泣きたくなった。
「ちょっとこっちに来なさい」
そう言われて真衣は担任教師に引きずられるようにして職員室に行った。
「どうしてあんなことをしたの?」
教師は真衣を椅子に座らせ厳しい目で質問した。真衣は俯きながら小さな声で答えた。
「ちょっといらいらしてて……」
「いらいら?」
教師は首を傾げた。真衣を痛めつけるような顔をした。
「どうしていらいらするの?」
この質問の答えはすぐに見つかった。真衣はもう一度小さく答えた。
「受験勉強です。毎日勉強してて、疲れちゃって……」
「そうなの?」
教師は探るような目つきで真衣を見た。
「北原さん、勉強が好きなんでしょ?毎日家に帰ってからでも勉強してるそうじゃない。志望校にも充分受かるくらい成績がいいでしょ。もう勉強しなくてもいいのに勉強したいって思ってる。それなのに疲れるってどういうこと?」
真衣は何も言えず口を閉ざした。どうやってこの場を乗り切ればいいのだろうか。
教師はそっと目をそらし、面倒くさそうにため息を吐いた。
「もういいです。とにかくあの子にはきちんと謝りなさい。わかりましたね」
そう言って話を終わらせようと立ち上がった教師に、また真衣の感情が爆発した。
「何ですか、その言い方」
「え……?」
ドアを開けようとしていた教師が振り返った。不思議そうな顔をしている。
「何も知らないくせに……」
真衣は教師を睨みつけた。その眼光が鋭かったようで教師はあわてた。
「な……なんですか?」
声が震えている。突然真衣の態度が変わって驚いているようだ。
「私の気持ちなんかわからないくせに……。私がどれほど苦しんでるか知らないくせに……」
強く言い放つと教師は顔を白くさせた。
「北原さんの気持ち……?」
真衣は教師の前に向かって歩いた。「来ないで」と教師は後ずさった。
「何があったのか話して。どうしてそんなに怒っているの?」
「うるさいっ」
真衣は叫んだ。恐怖のあまり教師はその場に座り込んだ。
もうどうなってもいいと真衣は思っていた。高校受験のことも学校にいる人たちからどんな目で見られるかということも、もう構わなかった。この思いを静まらせるには、両親が本当のことを話してくれるしかない。
「早退します」
落ち着いた口調で真衣が言うと、教師は体を震わせながら小さく頷いた。
「失礼しました」
早口でそう言うと大きな音をたてて真衣はドアを閉めた。