死神と契約書 番外編①―愛のカタチ―
ここは俺が入院している病院の屋上。
赤く染まっていく空を眺めながら物思いに耽っていた。
―半年です―
それが医者から宣告された俺の余命だった。
俺には二か月前まで婚約者がいた。でも、こんな状態で結婚するわけにもいかず婚約は解消した。
それでも、彼女は俺の前から居なくなるわけでもなく、それどころか毎日世話を焼きに来てくれる。気持ちは嬉しかったが、もう何もしてあげれない自分が情けなくて仕方なかった。「もう来なくていい」と言えない自分もそこにはいた。
ギィっと小さな音を立てて、背中のドアが開くのがわかった。
「また、ここに来てたのね」
「あぁ」
「風も冷たくなってきたし身体に悪いよ」
「今日は調子がいいから大丈夫」
婚約していた彼女が俺を気遣いここまで探しに来てくれたらしい。探すと言っても、行動パターンが限れているからそこまで手間ではなかっただろうが、こうやって今も一緒にいてくれようとする。彼女は最期まで看取ってくれるつもりなのだろう。きっと婚約解消した今でも一緒にいることを決めた時点で、そこまでの覚悟を持ったのだろう。
「もう少ししたら戻るよ」
隣に立った彼女にそう言うと、彼女は、「わかった。あんまり無理しないでね」と、戻っていった。
そして、俺は再び空を見てふうっと息を吐いた。
一日でも長く生きることが彼女にしてあげられる唯一のことなのだろうか。しかし、長く生きられない俺と一緒にいることは、いなくなった時の悲しみを増やすだけじゃないのか。そんなことを考えていると、背中のドアが開く音が再び聞こえた。さっきからあまり時間は経っていないように感じたが、心配した彼女がまた見に来たのだろう。
「もう戻るよ」
俺は背中を向けたままそう言った。しかし、その言葉に返事がなかった。彼女じゃなかったかなと少し気まずい気持ちで、俺は振り向いた。
やはり、そこにはいたのは彼女ではなかった。
「すみません、人違いでした」
と、俺はそこに立っていた女性に詫びを入れた。
この女性よく見ると少し変わった格好をしていることに気づいた。少し病院には似つかわしくない黒いドレス。長くて黒い髪に、白い肌、眼はやや切れ目で、鼻はスッと通っており、口角は少し上を向いている。まだ少しだけあどけなさが残るように見えたが、きっと美人とはこういう人のことを言うのだろう。
人違いした気まずさもあったが、そろそろ戻らないとほんとに心配させてしまうというと思い、部屋に戻ることにした。
黒のドレスの女性に軽く会釈だけしてすれ違おうとした瞬間、黒いドレスの彼女が言った。
「あなた長く生きられない。その残りの寿命を対価に願いを叶えてあげるわ」
彼女の言葉を理解するまで少し時間がかかったが、理解した瞬間、少し声を出して笑っていた。とても冗談を言うような女性には見えなかったことが、笑いに拍車をかけた。
「ごめん、笑うつもりはなかったんだ。でも、急にそんなこと言われるとは思わなかったから」
そんな俺の言葉に表情を変えることなく、女性は言った。
「私は死神だ。もし願いがあるなら聞こう」
自分を死神と名乗る人間を普通なら信じることはないだろう。でも、彼女の目を見ていると、それが真実にしか思えなくなっていた。
「願いなら何でもいいのかい?」
「寿命そのものを引き延ばすこと以外ならな」
「つまり、この病気を治してくれっていうのはダメってことか」
「あと、願いの大きさによっては寿命を全部貰うことになる」
「・・・。」
俺の願いはひとつだった。彼女に幸せになってほしい。自分がいない世界でも、悲しみに暮れることなく幸せになってほしい。
俺のエゴかもしれない。でも、それしか今の俺にできることはなさそうだった。
「俺には婚約者だった彼女がいたんだ。その彼女から俺の記憶を消すことはできるかい?」
「可能だ…だが、その寿命全部貰うことになる」
「それが叶うなら安いもんさ」
「わかった。契約成立だ」
その言葉が聞こえ終わると同時くらいに目の前が真っ白になっていくのを感じた。ひょっとすると俺の選択肢は間違っていたのかもしれない。でも、俺が彼女にしてあげられる最期のこと。
「今日までありがとう…さようなら幸せに…」
どれだけ時間が経ったかわからない真っ白な世界の中で、死神の女性が見せてくれた映像。
そこには幸せそうに笑う彼女がいた。
「さあ、いこうか」の言葉という言葉に、「あぁ、いこう」と答える、少しだけ満足気な自分がそこにはいた。