戦場
俺は手にしていた手袋をズボンのポケットにねじ込もうとした。しかし、ポケット中は子供たちからもらった石でいっぱいになっている。
近くの岩に腰を下ろして手袋を置いた。隣にメアが座る。俺は剣のさやを左手につかみながら、右手でポケットから石を一つ取り出した。透明な金色に輝く石だ。これもエンチャントできるのだろうか。カシェさんは確か、力をこめられると言っていた。やってみるか。俺は力を流し込んでみた。
透き通った金色が輝いたかと思うとすっと指の間で形をなくした。光となって左手の指の隙間、剣のさやにはりつく。光が消えると、さやに始めからはめ込まれていたかのように金色の石がくっついていた。
あっけにとられて石を覗き込んだ瞬間だった。
大きな破裂音がしてさやを持つ手に衝撃がはしった。そして、すぐに後ろのほうで重い打撃音が響く。
「な、なんだ?」
「タカ様。剣が」
メアに言われて初めて、剣がさやから抜けて消え失せたのに気づいた。振り返ってみると岩山の高いところに剣が刺さっている。ただし、刺さっているのは刃のほうではない。柄のほうだ。刃をこちらにむけて刺さっている。
それはさやから飛び出して真っ直ぐに岩に向かった、と考えるのが自然に思われる角度であった。
「どういうことだ?」
「わからない。剣が飛んでいった」
メアは剣の動きを見ていたらしい。
「どうした。なんだ、今の音は?」
カシェさんが飛び出してきた。
「剣が飛んでいきました」
指をさすとあきれた顔で刺さっている剣を見上げた。
「ちょっと、見せてみろ」
俺からさやを奪う。
「石をエンチャントしたんだな」
目ざとく、はまり込んでいる石を見つけて言った。
「はい。その途端、音がして剣が飛んで……」
「なるほど」
カシェさんはしゃがみこんで石を一つ拾った。さやの口を岩山の方に向けて石を中に落とす。破裂音がした。なにかがさやから飛び出す。ビシッという音が響いた。さやが向いている先の岩肌にひびが入っていた。
「ほう、これは」
カシェさんはそうつぶやいて、また一つ石を拾ってさやの中に落とした。また破裂音が起こった。今度は俺にもはっきり見えた。さやの口から石が飛び、岩にめりこんでひびを作る。
「中に入ったものを弾き出す機能がついてしまったようだな」
「そのようですね」
「タカ様、すごい」
メアが感心したという顔で言ってくれるが、正直なところ反応に困る。これじゃ剣をしまうことができない。というか、その剣は手の届かない高いところに刺さっている。俺の跳ねる靴で思い切り飛んでも無理だろうという高さだ。
「他にも試してみてはどうだ?」
「他にもと言われても」
靴の例があるから、うかつにその話には乗れない。
「待っていろ。何かないか探してくる」
カシェさんは工房に駆け込んで行った。忙しい人だ。
「タカ様、これは?」
メアが自分の手袋を差し出す。確かに、これなら試しても問題なさそうだ。
俺はポケットから一つ石を取り出した。青く透き通った石だ。右手に石、左手に手袋を持ってエンチャントを行う。石は手袋の甲にはりついた。驚いたことには左右の手袋、両方に分かれて同じような位置についている。
「出来たぞ」
「はい」
メアは嬉しそうに手袋を受け取って手にはめる。
「おい。それは」
カシェさんの声が響いた。振り向くと布を持ったカシェさんが駆け寄ってくる。
「君、まさか手袋をエンチャントしたんじゃないだろうな。危険だぞ」
言われて俺ははっとした。袋状のものに中身を弾き出す機能がつくのだとしたら、それに指を入れるなんて危険極まりない。
慌ててメアを止めようしたが、すでにメアはすっかり手袋をはめ終わっていた。
「どうした?」
きょとんとしている。
「なんともないのか?」
「大丈夫」
確かになにも起こる様子がない。俺はホッと胸をなでおろした。
「ちょっと見せてみろ」
カシェさんがメアの手をつかんでしげしげと見る。それから言った。「ちょっと、そこの岩をたたいてみてくれ」
「はい」
メアは言われたとおりにそばの岩を平手でたたいた。しかし、何も起こらない。
「エンチャントしたからと言って機能がつくとは限らないということか?」
「かもしれません」
カシェさんの自問するような言葉に俺は同意した。
「そうでなければ、すぐにはわからないもっと別な機能がついたかだな」
カシェさんは首を振りながら俺に持ってきた布を差し出した。ジャケットだった。
「これは?」
「おやじの遺したジャケットだ。君にちょうどサイズがあうはずだ。石をエンチャントして着てみてくれ」
「わかりました」
着るのは俺なんだ、とちょっと気になったが、まあジャケットを着るくらいなら問題ないだろうと思い直した。いざとなれば脱げばいい。
ジャケットを左手に、右手でポケットから石をつまみ出す。赤い石だった。エンチャントをする。石はジャケットの左胸にはりついた。
恐る恐るジャケットに腕をとおす。
何もおこらない。
岩をたたいたり拳を突き出してみたりしたが、特に変わったことはない。
「これも駄目か。むつかしいものだな」
「そうですね」
俺はジャケットを脱いでカシェさんに返そうとした。カシェさんがそれを押し返す。
「別の石もエンチャントしてみてくれ。多重エンチャントだ」
そういう多重エンチャントもありなんだろうか。疑問に思いながらポケットを探る。今度は緑色の石だ。
エンチャントすると赤い石の隣に緑色の石がはりついた。着てみる。しかし、なにも起こらない。
「これも駄目みたいです」
「もう一つだ。もう一つ、別の石をエンチャントしてみてくれ」
言われてポケットから石を取り出す。金色の石だった。エンチャントしてジャケットを着る。これも特に何も起こらない。
「無理なんですかね」
俺は何気なく右手を挙げた。頭をかこうとしたのだ。
次の瞬間、俺の体は空中にあった。
俺は慌てた。はるか下に工房が遠ざかる。いや、村の全景が見える。俺の体は岩山よりも高いところに浮いていて、なおも上昇している。
おもわず、両腕を横に広げた。羽ばたこうというわけではないが、そういう格好になった。その途端、体は右へすごい勢いで進みだした。村があっという間に小さくなる。
腕をひっこめると動きは止まった。どうやら、右腕のむきで進む方向を決められるようである。
とりあえずは降りたかった。ゆっくり右腕を下に向ける。すっと体が沈みこんだ。地面が迫ってくる。と、思ったらふわりと着地した。俺はほっと息をついた。宙に浮いている間、いつ落ちるのかと気が気じゃなかったのだ。
右腕を下に向けたまま、手近な岩に腰を下ろす。
見回すと草木の一本も生えていない、山の尾根のようである。人家も道も、人の生活の気配すらない。どうもとんでもなく遠いところに来てしまったようだ。知らない世界でさらに知らない場所に一人きりなんて、心細いにもほどがある。メアたちのそばに戻りたくてたまらない。しかし、ここはまともな道もなさそうな山の中だ。帰るには空をまた飛んでいくほかはない。
また空に上がるということには抵抗があった。空を飛べたのはジャケットにエンチャントした金色の石の力だろうから、ジャケットを脱がない限り落下しないだろうとは思うが、しかしいつ効果が切れるかもしれない。ジャケットだって破れるかもしれない。そう思うと腕が縮こまる。
といってこのままここにいるわけにもいかない。しばらくためらったが、あるかぎりの勇気をかき集めると俺は意を決して立ち上がった。飛ぶしかない。
でも、まずは練習だ。
そろそろと右腕を上にあげる。あっという間に地面が遠ざかった。腕をひっこめる。動きが止まった。そのまま腕を下すとまた足が地面につく。問題ない。
俺はこの練習を三回繰り返した。
だんだん空にも慣れてきて飛んでいることに余裕が出来たときだった。
視界の端を何かが横切った。
はっとしてそちらを見たが、何かは遠くに見えている三俣の山の向こうの雲の中に消えてしまった。しかしかなり大きな生物のようだった。山の大きさと比較してもはっきりとそれがわかる。
怖いと思ったが、同時にそれが何か知りたいと思った。
怖いもの見たさというものかもしれない。俺は腕を三俣の山のほうに突き出した。
三俣の山の上にはすぐについた。腕をひっこめると山の真上で止まれた。この山も山頂に木はなく、石ころと丈の低い草が生えているだけだ。山の周りは厚い雲が垂れ込めていて下のほうは見えない。
さっきの巨大生物は雲の下だろうか。そこまで下りてみようかと思ったが、しかしいきなり鉢合わせるのはごめんだ。
見回していると、少し先の雲の裂け目に渓谷がのぞいていて人らしきものが動いているのを見つけた。何かの光も見える。人がいるというのが、今の俺にはすごく勇気づけられる。話をしたいと思った。ただし、いきなり近づくと怪しまれるかもしれない。そっと近づくことにした。慎重に雲の上を飛行する。
しかし、行ってみると、そこは戦場だった。
人だとおもったのはあの石の巨人だった。石の巨人は十体ほどいる。動くよろいやナメクジの化け物も見える。それらの魔物と、銀に輝く鎧を着けた人間の集団が戦っていた。
もっと近くで見たくて俺は近くの山の岩陰に降りた。
眼下に見えるのは、岩だらけで木が一本も生えていないかなり広い谷間だ。
人間たちの鎧の胸にはどれも白地に青の模様が描かれている。兵士なのだろう。それが横に二十人並び、五列で一つの部隊を作っている。数えるとそんな部隊が十五あった。ということは千五百人である。それぞれが整然と統率され、魔物と戦っている。
兵士たちは強かった。各指揮官の号令で部隊ごと入れ替わりながら、数では上回る相手を着実に打ち倒していく。石の巨人も集団の力で足止めしたところに雷のような魔法が走ってがれきの山に変えてしまった。
リュダさんが「正規兵を侮ってはいけない」と言っていたことを思い出す。たしかに強い。これなら何倍の数の魔物が相手でも負けることはないだろう。
これなら安心して見ていられる。戦いが終わったら、なんとか話しかけてみよう。村のことを助けてもらうのはどうだろう。と思ったところで、妙な事に気が付いた。魔物たちの後方に別の人間の集団がいるのだ。魔物を挟み撃ちにしているのかと思ったが、どうも様子が違う。魔物と戦う風ではない。鎧の胸に描かれている模様も違った。黒地に白の幾何学模様だ。なにか魔物の劣勢に焦っているようにも見える。どういうことだろう。
戸惑っていると、その黒と白の模様の兵士の一人が後ろを向いて手を挙げた。ほかの黒白の兵士たちもそれに続いてこぶしを突き上げる。それは援軍の到着を告げるかのようだった。
そしてあらわれたのだ。雲を割って巨大な生物が。
広げたコウモリのような羽が渓谷を覆うくらいに大きく、黒く堅そうなヘビに似た皮膚を持ち、ひらべったい大きな口に牙をのぞかせ、四本の角を持ち、背中に無数のとげを立てて、長い尾を振りまわしながら、太い二本の後足で地響きをたてて戦場の真ん中に降り立つ。何体もの魔物がつぶれて砕け散る。その生き物は前足を振り立てて口を開いた。耳の鼓膜がさけそうな咆哮が響く。
さっき視界の端でとらえた巨大生物に間違いなかった。映画でよく見るドラゴンに似ている。しかし、今までに見たどんな映画のドラゴンより大きい。羽を広げた大きさはドーム球場くらいはある。
魔物と戦っていた兵士たちには動揺が走った。隊列が乱れる。各隊の指揮官らしき人々が規律を守らせようと大声を上げた。兵士たちはなんとかその場に踏みとどまる。
ドラゴンが羽ばたいた。風にあおられ、魔物相手には優勢に戦っていた青と白の模様の兵士たちがばたばたと倒れる。
しかし彼らは勇敢だった。すぐに体勢を立て直した一隊がドラゴンの足元に襲いかかった。別の隊が弓をドラゴンの顔に向けて放つ。さらには何本もの雷のような魔法がドラゴンの体を直撃する。
けれど、ドラゴンは全くそんな攻撃を気にする様子がなかった。いや、気にする必要がないのだ。痛みどころか痒みすら感じていないようだ。
口を開いた。口の中が光って、赤い光の球が飛ぶ。球は弓を構えていた一隊を飲み込んで炸裂した。炎が上がる。炎の中に何人もの人間が倒れているのが見える。一瞬で百人の部隊が壊滅したのだ。
ドラゴンは羽ばたいて宙に上がった。ドラゴンの足元にいた部隊が猛烈な砂埃の中に倒れる。そしてまたあの耳をつんざくような叫び声がした。ドラゴンが次々に赤い光の球を吐く。青と白の模様の兵たちが全くなすすべもなく弾き飛ばされ炎に飲まれていった。残りの兵士たちもそれを見て算を乱して逃げ始めたが、ドラゴンは攻撃の手を緩めない。
それは悪夢のような光景だった。長く感じられたが、多分ほんの数分の出来事だったろう。青と白の模様の兵士たちは、谷間の折れたところを曲がって逃げ切ったほんのわずかを残して全滅した。
黒と白の模様の兵士たちが歓声を上げる。ドラゴンは悠然と向きを変えて、出てきた雲の中に戻って行った。
俺は動けなかった。
誰に味方していいのかわからなかったし、そもそも武器も持っていない。だから戦いようもなかった、というのは言い訳である。正直言って恐ろしかった。ドラゴンの大きさと強さの前に、岩陰で身動き一つできなかったのだ。
しばらくその場に身をひそめて、魔物たちと黒白模様の兵士たちが谷を進撃していくのを見送ってから、こっそりと空に上がった。
どこの雲の下に入ったのか、ドラゴンの姿は見えない。あたりをうかがいながら三俣の山を目指す。
三俣の山の一番高い山頂についた。大丈夫、誰にもみつかっていない。と思った時だった。あの凄まじい叫び声が響いた。
はっとして下を見ると雲を割ってドラゴンが現れた。巨大な口を開ける。赤い光の球が見えた。飛んでくる。よけなくてはと思うが、体がすくんで動けない。こんな異世界で誰にも知られることもなく死ぬのかという思いが頭をよぎった。
光の球は俺を飲み込んだ。
と、球はそのまま通り過ぎて行った。
どうやらなにかの力で守られたらしい。俺は胸をなでおろした。また赤い球が飛んできたが、これも何事もなく俺を通り抜ける。
ドラゴンは怒りの咆哮を上げた。大きく羽ばたいて雲を吹き飛ばす。が、上がってはこない。どうやら低い雲よりも上を飛ぶことができないようだ。
山が振動した。ドラゴンが斜面に太い後ろ足を下したのだ。前足も斜面につけてよじ登り始める。なんとしても俺を排除したいらしい。
俺は空に上がった。ドラゴンが光の球を吐くが、俺には全く影響しない。
どうしたものかとちょっと迷ったが、このまま逃げるのが一番だろうと決めた。いくら敵の攻撃が無効になっているといっても、相手は巨大でこちらは丸腰だ。
俺は高度を保ったまま、さっきの尾根を目指した。遠ざかるドラゴンが山の上でこちらを向いて吠える。
尾根の上空についた。ドラゴンはあきらめたかのように三俣の山を離れて雲海の中に沈んでいった。
見回すと、遠くに村が見えている。その姿を見るだけで、ほっとした。
だが、油断はできない。このまままっすぐ帰って、ドラゴンに村の方向を教えてしまったりしては一大事だ。俺は方角を確かめると、地上すれすれまで下りて、山肌に身を隠しながら飛ぶことにした。