手袋と靴
昼になると、橋を直していた村人たちに、パンの上に焼いた肉をのせたものが振る舞われた。
俺やエルたちもそのお相伴に預かった。なかなかこれがうまい。
「こっちの世界のパンって、おいしいな」
と言うとセノが笑顔で言った。
「焼きたてですから。タカ様の世界にもパンがあるのですね」
「あるよ。パンもハムもある」
「そうですか。実はパンやハムはその昔、異なる世界から来た農夫が作り方を教えたという説があるのです。タカ様の世界から来た農夫だったのかもしれませんね」
「なるほどねえ」
文化の交流が歴史の表舞台に出ないところでひっそり行われているらしい。
「二つの世界は意外と縁が深いのかもしれないです」
そう解説するセノを見ていて昨日の暗い顔が思い出された。
「そういえば、セノ。昨日調べ物をしたときに何か見つけたのか?」
セノの表情が固まる。
「いえ、……」
「ちょっと気になる感じだったから。もしかして、俺のことでエンチャントの力のほかに何かわかったのかと思ったんだけど」
「そ、そんなことないですよ。気のせいです」
いや、明らかに動揺しているぞ。
「あー、あれだよね」
セノの隣のテノが話に加わる。
「姉さん?」
「多重エンチャントをした魔法使いたちの共通点でしょー?」
「知っていたんですか?」
「当然だよ。私、あんたの姉だよー」
双子だけどね。と、心の中で突っ込みつつ、テノに尋ねる。
「テノ、共通点ってなんなんだ?」
「うん、それはね」
「姉さん。私から言います」
セノは姉を制すると、周囲を気にするようにして俺に顔を近づけてきた。つられてエルとメアも近づいてくる。
小声でセノが言う。
「多重エンチャントをした魔法使いが現れた三回とも、そのあとすぐ、このエストワード国が滅んでいるのです」
「国が滅ぶ?」
「はい。国王の失踪などが起きたのです。それで国が混乱した隙に乗じて隣国アーシアに攻め込まれ、征服されました。そのため、一部の文献では多重エンチャントをした魔法使いを『亡国の魔法使い』と呼んでいるくらいです」
「ということは、俺が亡国の魔法使い?」
「亡国かあ、亡国ねえ」
「それはない」
メアが静かに断言した。
「でも、でも。伝説級の力だよ。亡国するかもよ」
相変わらずエルは軽い。メアはそれにむきになって反論する。
「タカ様は優しい。いい人。ひどいことしない」
優しいと言われて、何か心に引っかかりを感じた。俺はそんな人間ではないのではないか、という後ろ暗い感覚がある。
そんな俺にかまわず、セノが言う。
「私も昨日、タカ様がエンチャントしながら気絶したときにそう思いました。この人は決して国を亡ぼすような人ではないって」
「それはそうだね。わざとひどいことはしないよね」
エルが同調した。
「それは、わざとじゃなかったら、滅ぼすってことかなー?」
「姉さん!」
ちゃちゃを入れるテノをセノがにらむ。「とにかくそういうわけで、昨日は悩んでいたのですが、タカ様を行動を見て、『ああ、この人なら大丈夫だ』と納得がいきましたので、思い悩むのはやめようと心を決めたのです」
「えーと。そうだったか。ありがとう」
何をどう言ったものかわからなかったが、とりあえずは信頼してもらえてありがたい。
「いえ。すみません。ご心配をおかけしまして」
「いやいや、当然の反応だよ。俺も国を亡ぼすことのないように、気をつけるよ」
「あたしたちも気をつけよう。監視よ、監視」
「監視の必要はないと思いますけど、気をつけます」
「私たちが見てないとねー」
「私がいるから、大丈夫」
エル、セノ、テノ、メアとそれぞれの意見を言う。しかし、メアのその自信はどこからくるのか。まあ、信頼されているってことかな。
遠くで誰かの声がした。それを合図に周りの人たちが作業現場に戻っていく。昼休みが終わったらしかった。
昼休みの後「なにをしようか」と話していると、ミカノさんとエルのお母さん、ルオルさんというらしい、がやってきて、テノとセノの姉妹とエルを連れて行ってしまった。
「悪いけど、今はいろいろと手が足りなくてね。子供たちにもやってもらうことがあるんだよ」
ということらしい。メアに
「お前は手伝いとかはいいのか?」
と尋ねたが、
「診療所は姉さま一人で平気。タカ様と一緒にいる」
とのことだった。
それですることもないので、メアと二人で橋の修理をしているところへなんとなく歩いていった。小さな子供たちが作業している母親たちのそばをうろうろとしている。危ないなと思ってみていると、案の定母親たちに叱られてこちらへ逃げてきた。
そのうちの男の子の一人が俺を見つけて、駆け寄ってきた。
「英雄さん?」
と尋ねてくる。
「そうだよ。でも、俺には名前があるんだ。タカというんだよ」
そう言うと、集まってきた子供たちが一斉に「タカ」「タカ」と呼び始めた。
その中に「これ」と言って何かを見せてくる子がいた。透明で金色に光る、大豆ほどの大きさの石だった。
「お、いいなあ」とほめると「わたしも」「ぼくも」とほかの子も競って石を見せてくる。青や赤や緑と、色とりどりの透明の石たちだ。
「へえ、すごいな。どれも綺麗だね」というと、「あげる」と一人の女の子が言って俺の手に石を押しつけてきた。
「いいのかい?」
「わたし、たくさんもっているから」
と、小さな手のひらに五つの石を握っているのを見せてくれる。
「ありがとう」
礼を言うと、それに触発されたのか、周りの子たちも「ぼくもあげる」「わたしのも」と次々に石を持った手を伸ばしてきた。
そういうわけで、両手いっぱいに石をもらって「みんな、優しいな。ありがとうな」というと子供たちはそれに満足したのか、広場のほうへと坂を駆け上っていった。
石を半分メアに持ってもらって、ポケットにしまっていると
「英雄さんは子供に人望があるんだね」
と後ろから声がかかった。
振り向くと長身で整った顔立ちの栗色の髪の女性が立っていた。宝塚の男役みたいな人だ。そんな人が汚いまえかけをして空の手押し車を押している。
「あの?」と聞くと
「私は、鍛冶屋のカシェだよ」
と名乗る。
「俺は……」
「知っているよ。英雄で魔法使いの戸田山隆文君だろう。私も昨日エンチャントしてもらったんだよ」
「そうでしたか」
そう言われても数が多すぎて、思い出せない。なにせ百三十二人だ。
「その石を君が持つのは意味があると思うよ」
カシェさんは気になることを言った。
「どういうことですか?」
「その石は魔物たちが落としたものだ。魔物はその石で動かされているといわれている。それで、その石には魔法の力を込めることができるんだ。だから、君の力にも何かのかたちで役に立つはずさ」
何とも驚きである。
「石にそんな力があるんですか?」
「そうとも。君もその石の一つを身に着けているじゃないか」
そういって俺の首飾りを指さした。
ああ、そうなんだ。この首飾りの青い石って、この手に持っている石の仲間だったのか。
「君は運がいいよ。その石は本来は滅多に手に入るものじゃない貴重なものだ。普段は魔物とは出会うこと自体が珍しいからね。でも、昨日の戦いで大量の魔物を倒して村の周りには何千という石が散らばった。草原に出れば、この手押し車がいっぱいになるくらい石を集められるだろうさ」
変な人だ。魔物に村を襲われたことを運がいいと言っている。
「どうだい。君、手伝わないか?」
「え、石を集めるんですか?」
カシェさんは笑った。
「いや。私は石を集める気はないな。魔法が使えないからね。そうじゃなくて、鉄を集めるんだよ」
「鉄ですか?」
「そうだ。鍛冶屋だからね。昨日の戦いで動くよろいたちを大量に倒しただろう。あの残骸を集めて溶かして、材料にしようというわけさ」
魔物の残骸を材料にしようとは、またすごいことを考える人がいたものだ。まあ、俺も動くよろいの残骸を活用してメアを助けたから、人のことを言えないけど。
「手伝います」
ちょうど暇だったところだ。俺はその話に乗った。メアのほうを見ると、メアも大きくうなずいた。一緒に作業するつもりのようである。
カシェさんは橋の手前に手押し車を置いて、飛び石伝いに川を渡った。橋はまだ修理中でそっちを渡るわけにはいかない。
俺とメアも後について渡った。
川の向こうには壮絶な光景が広がっていた。動くよろいやファイヤーエレメンタル、その他の無数の魔物たちの残骸が見渡すかぎりを埋め尽くしている。魔物たちの死骸は、そのほとんどが石が砕けたようになっていて生々しさはないが、何せ数が多い。
圧倒されているとカシェさんが笑った。
「驚いてどうする。君の力の結果だぞ」
「いえ。実感がなかったもので」苦笑いで答える。
「そういうものか。まあ、いい。作業を始めよう」
「はい」
「手を切るといけないから、これを使うといい。ちょうど二人分ある」
カシェさんはそう言って、俺たちに手袋を貸してくれた。
「用意がいいですね」
「誰かに手伝ってもらおうと思っていたからね。まあ、英雄さんが手伝ってくれるとは思わなかったけれど」
さっそく、よろいの上半身を抱え上げると川を渡って行った。
俺もよろいを持てるだけ持ってそれに続く。結構重い。飛び石で足を滑らせないようにしながら、バランスをとるのは一苦労だ。何とか渡って、手押し車に放り込む。
五回ほど往復しただけで腕が痛くなってきた。しかし、カシェさんもメアも続けているのに、投げ出すわけにもいかない。特にメアは俺につき合っているだけなのだ。
俺は鉄の塊を気合いをいれて抱えた。
力が指先から放出される感覚がした。エンチャントしてしまったようだ。
その途端、よろいが重さを感じないほど軽くなった。持ち上げる力の加減が狂って、手にしていたものをあたりにばらまいてしまう。
「どうした?」
メアがきょとんとしてみている。
「いや、よくわからないんだが」
そばに落ちていた別の動くよろいの残骸を持ち上げてみた。
軽々と片手で上がる。
「おお。タカ様、力持ちになった」
メアが拍手した。
これはどういうことだろう。エンチャントした感覚の後にこうなったということはエンチャントが関係あるに違いない。しかし、よろいをエンチャントしたわけではない。今持っているよろいはエンチャントした時には触れていなかった。となれば、エンチャントしてしまったのは、手袋ということになる。エンチャントした手袋をつけると、力持ちになれるということだろうか。
俺は手袋をはずしてみた。素手で鉄の塊を持ち上げてみる。重い。
間違いない。これは手袋の力だ。ほかでも試してみるべきだろう。
「メア、ちょっと来てくれ」
「なに、タカ様」
「手を出して」
「はい」
メアが両手をそろえて差し出した。俺はその手に触れようとしてはっとした。メアが妙に緊張している。そっと後ろを振り返ってみると、カシェさんや橋の修理をしていた女性たちが手を止めてこっちを見ている。
そうだ。ここでは女性の手を取ると交際を申し込んだことになるんだった。
俺は慌てて言い直す。
「ごめん。間違えた。手袋を貸してくれ」
「あ、はい」
ちょっと気の抜けた顔でメアがうなずいた。
やっぱりこれはがっかりさせてしまったのかなと、手袋をはずそうとしているメアを見た。どうして俺をそんなに気に入ってくれているのだろうか。銀色の長い髪を風になびかせたメアはとても魅力的だ。ハーレムなんていわずにメアとだけでもつきあってみてはどうだろう。年齢制限の件はデニさんの話では形式的なもののようだし、つきあうだけなら問題はないはずだ。
でも、と思う。ここは別世界だ。空に輝く二重太陽がそれをつげている。俺はいつまでこの世界にいられるだろうか。元の世界はどうなっているだろう。やはりいつかは帰らなくてはならない気がする。そうであれば、この世界からいなくなる俺がメアとつきあっていいものだろうか。つきあって時期が来たら捨てて帰ってしまうなんて、無責任というものだ。
「タカ様?」
メアが手袋を差し出して、じっとこちらを見ている。
「ああ、わるい」
慌てて手袋を受け取った。とりあえずこのことは保留だ。俺は気持ちを入れ替えた。息を整えて、手袋を握りしめる。力を流し込んだ。
「これを使ってみてくれ」
エンチャントした手袋を渡す。
「はい」
メアが手袋をはめた。近くにあった岩に手をかける。軽々と持ちあげた。
「ほう。これはすごいな」
横にカシェさんが立っていた。
「これはエンチャントの力かい?」
「そのようです」
「まだまだ君の力は先があるようだな。他にも試してみてはどうだ?」
「他ですか」
武器をエンチャントして攻撃力を高め、服をエンチャントして防御力を高め、そして手袋で力をアップさせた。あとは何だろう。そうだ、靴がある。
俺はうずくまって、自分の靴に触れた。力を流し込む。
「どうした?」
「靴をエンチャントしてみました」
立ち上がってカシェさんに答える。「いきます」
足をそろえて軽く跳ねてみた。
と、すごい勢いで周りの景色が下に動く。俺はカシェさんの背丈よりも高く空に上がっていた。そして真っ直ぐ下に落ちる。両足で地面についた。ひざを曲げて衝撃に対応しようとしたが、その必要はなかった。まったく衝撃がない。
「すごいじゃないか」
カシェさんが肩をたたく。
「タカ様、すごい。私も」
メアが岩を放り出してよってきた。
「メアのもエンチャントしてあげるよ」
しかし、そう言ってメアのほうに足をふみだした俺は、とんでもないことになってしまった。踏み出した足がはねて体が浮き上がり、そのまま背中から落ちたのだ。
「タカ様!」
「君、大丈夫か?」
二人が慌てて声をかける。
「大丈夫です」
痛みはなかった。服の防御力のおかげらしい。俺はゆっくりと起き上った。
「どうしたんだ、いったい?」
「靴が跳ねまして。バランスを失いました」
空に響くような声でカシェさんがハハハと笑った。俺はひっくり返ったのが恥ずかしくてちょっと背中を丸めて頭をかく。
「なるほど、跳ねる靴は普通に歩くのも一苦労というわけだな。これはうかつにエンチャントできないな。メア、靴にしてもらうのはやめておいたほうがいい」
「はい、カシェさま」
メアが素直にうなずく。
「英雄さん。とりあえず、私の手袋をエンチャントしてくれるかい?」
「わかりました」
カシェさんから手袋を受け取ってエンチャントする。
「できました」
「ありがとう。よし。続きを集めるぞ」
カシェさんはそう言ってから付け加えた。「英雄さんは、しばらく歩き方の練習をしていたまえ」
歩くのには確かに練習が必要だった。ちょっと地面を足がたたくだけで数十センチ跳ねるのだ。試しに力一杯地面を両足で踏み切ると、体は遥かな宙を舞った。遠くに見える林の一番高い梢よりも高く上がり、その先の岩だらけの谷間が見える。空を飛ぶ気分だ。そして足から地面に降りる。足が地についたかと思うとまた体が浮き上がった。着地の際に地面をたたいてしまったためのようだ。それで膝を使ってはねないように着地しようとしたが、これがなかなかうまくいかない。俺はしばらくゴムボールのように弾んでいるしかなかった。
ようやくまともに歩けるようになったころには、カシェさんの手押し車によろいが山積みになって、カシェさんは帰ろうとしていた。
「英雄さん。ちょっと来てくれ」
カシェさんに呼ばれて手押し車のそばにいく。
「どうしたんですか?」
「荷物を積みすぎて坂を上がれんのだ。腕の力がいくら強くなっていても足が踏ん張れなくては無理だった。君、押してみてくれないか?」
「わかりました」
俺は手押し車の持ち手を持つと慎重に足を踏み出した。車が動く。腕にも脚にも重さを感じない。エンチャントの成果だろう。二歩、三歩と進むと車は坂を軽々と上がった。
「これはいい。英雄さん、私の工房まで頼むよ」
そう言われて俺は、カシェさんの後について坂を上った。メアが横をついて歩く。
カシェさんの工房は診療所のさらに上の、村のはずれの岩山の下にあった。
「よし、そこに停めてくれ。ありがとう」
石造りの建物前に手押し車をおくと、カシェさんが俺に礼を言った。
「ちょっと、待っててくれ」
そう言って工房に入っていったカシェさんはすぐに一振りの剣をもって戻ってきた。
「君、自分の剣がないのだろう。これを持っていくといい。私の自信作だ」
「そんな、いいんですか?」
「かまわないさ。君はこの村を守ってくれた英雄だからね」
「ありがとうございます」
俺は受け取った剣をさやから抜いてみた。真っ直ぐのびた刀身は銀に輝き、顔が映るほど磨かれている。
「立派なものですね」
「当然だ。自信作だといったろう?」
そう言うとカシェさんは手押し車から鉄の塊を一つつかんで工房へと運びはじめた。
「手伝います」
俺が剣をさやに納めて声をかけるとカシェさんは笑った。
「いや、いいよ。君がうっかり跳ね回ってしまうと工房のなかが大変なことになりそうだからね。あとは私一人で十分だ。君たちは戻りたまえ」
ここはお礼を言って素直に帰るところだろうか。
「いろいろとありがとうございました」
「いや。礼を言うのはこちらだよ。ありがとう」
「あの、手袋」
俺は手袋をはずして渡そうとした。
「いや、その手袋はあげるよ。力が必要になることがあるだろうからね」
カシェさんは工房の中に入っていった。