帰るべき場所へ
謁見の間を出るとメアは俺の頬にキスをして言った。
「客間に戻っていてください」
そうして腕を離して行ってしまう。女官の案内で部屋に戻った俺はソファに体を投げ出した。なんだかずいぶんと疲れた。ぼうっと天井を見上げながら、胸についた勲章をいじる。女王と結婚するというのは全国民の衆目にさらされるということだ、ということを初めて実感した気分だ。人の目にさらされるというのはそれだけで大変なことだと思う。婚約するなんてちょっと早計だっただろうか。でも、メアと結婚したいという気持ちはしっかりとある。
ノックの音が響いた。慌てて立ち上がる。
「どうぞ」
と答えるとドアが開いた。
「失礼します」と入ってきたのはリュダさんだった。後ろからカシェさん、ミーネさん、エル、テノ、セノがついてくる。
「え、皆さん」
戸惑う俺にリュダさんが口上を述べる。
「アーデント伯、このたびはおめでとうございます」
カシェさんとミーネさんが「おめでとうございます」と唱和するが、エルたちはそれに倣わなかった。
「タカ様、これはどういうこと、どういうこと?」
「一晩の間になにがあったのかなー?」
「タカ様、ひどいです」
三人で迫ってくる。
「こら、やめんかお前たち」とリュダさんが止めるが聞かない。
「皆さん、お揃いですね?」
声のほうを見ると薄紫色のドレスに着替えたメアが立っていた。また、秘密の通路を使ったらしい。
「これは陛下」
リュダさんたちが頭を下げた。エルたちも今度ばかりはそれに倣う。
「ここは内々の場所です。『陛下』はおやめください」
「しかし、陛下」リュダさんが反論しようとする。
「そうしないと、私も『リュダ様』とお呼びしますよ」
「恐れ多いことです」
リュダさんが首を横に振る。メアがエルたちのほうを向く。
「さて、エル、テノ、セノ。あなたたちには抜け駆けするようなことをして申し訳ありませんでした」
「ほんとだよー。トリア様」
「ちょっと、姉さん!」
テノがちっともかしこまらないで返事をするのをセノが止める。
「いいのです」
メアが笑った。「みなさんとは今までと同じようにおつきあいしたいのです」
「トリア様?」
エルが尋ねる。
「メアでいいですよ」
「メア?」
「はい」
「メア!」
エルがメアに抱き付いた。「どういうことなの? どういうこと?」
「エル、テノ、セノ。こんなこと言って気分を害さないでほしいのですけど、王宮に入って私のそば近くにいてくださいませんか? 私はこの王宮で気の置けない話の出来る相手が少ないのです」
「いいけど、メア。それだとあたしたち、タカ様が戻ってきたときに親しくなっちゃうかもよ」
エルの言葉にメアは笑顔でうなずいた。
「それでかまいません。この王宮にタカ様のハーレムを作ってしまいましょう」
「メア、それ本気?」
「それで、いいのー?」
「メア様いいんですか?」
三人がメアに尋ねる。メアが「はい」と答える。
「陛下、それはいかにも……」
リュダさんが止めに入ろうとするがメアに「『陛下』ではなく、メアですよ」と言われて言い直す。
「メア様。アーデント伯のハーレムなど王宮に作られては国民がアーデント伯に反感を抱きます」
「大丈夫ですよ」メアはいたずらっぽく笑った。「こっそりやりますから」
「しかし、……」
「リュダ。私は侍従長にいろいろ聞いたのです。過去の王宮で王や女王の夫が秘密の愛人を持っていなかったのか。その答えはイエスでした。過去の侍従長の記録では最大で十数人の愛人を持った女王の夫もいました。しかし、表立った歴史の記録には残っていません。王宮の奥のことにとどめておけば、大丈夫なのです」
「メア様、そんなこと……」
「リュダ。実は私、あなたにも王宮に入って欲しいと思っているのですよ」
「え、私ですか?」
意外な言葉にリュダさんが慌てる。俺の顔を見た。俺は首を横に振った。俺はさっきから完全に蚊帳の外だ。
「これはタカ様はご存じない、私の独断です」
メアが噛んで含めるように言う。「私には大局的見地から助言してくれる視野の広い相談相手が必要です。それをリュダにお願いしたいと思っています。もちろん、タカ様と親しくなっても全く問題ありません」
「メア様。何をおっしゃっておられるのですか」
ミーネさんがメアに詰め寄る。しかし、メアは動じない。
「ミーネ。あなたにも王宮に入ってもらいます。私の担当医となってください。カシェもですよ。カシェは数字に強いようですから、そういう方面の相談相手になってください。そして二人とも、タカ様と親しくなるのはご自由に」
「わかりました、メア様」
カシェさんが答えた。
「カシェ?」
「カシェさん?」
リュダさんとミーネさんがカシェさんを信じられないものを見るようにする。カシェさんは言った。
「私はこの優しくて勇敢な英雄さんが嫌いじゃない。そして女王となったメア様をお助けしたいと思う。筋の悪い話じゃないと思うけどね」
「それは、まあ。私も大きな働きをしたアーデント伯に御恩をお返ししたい気持ちはある」
「私もメア様の命の恩人へお尽くしする覚悟はあります」
リュダさんとミーネさんがうなずく。
「なら、迷うことはないのじゃないか?」
言われた二人は顔を見合わせた。「そうだな」「そうですね」と納得する。そして、メアのほうを向いて声をそろえた。
「お話、お受けします」
「よかった」
メアが満足そうにする。
「しかし、メア様。なぜ将来の夫を独占なさらないのですか?」
カシェさんが聞いた。メアが明るい声で答える。
「先ほど申しましたように、タカ様は間もなく元の世界に一度お帰りになります。そして数年後、私と結婚するために帰ってくるというお約束です。しかし、召喚魔法は記録によれば召喚されるものが異世界に旅立ちたいと願っていないとうまくいかないそうです。ですから、タカ様がこの世界に帰ってきたいと思うようなものを用意したいと思ったのです。タカ様はハーレムがお好きのようですから立派なハーレムを用意すれば、きっと間違いないと思います」
リュダさんたちが俺の顔を困ったものだというふうにして見る。
いや、そんな顔されても俺がそう言ったわけじゃないんですけど。確かにこういう展開になってみてすごく喜んでいるよ。でも、たぶん俺はメア一人だけのためでもこの世界に戻りたいと願うと思うんだ。まあ、それが七人に増えたら確かに何が何でも戻ってこようと思うだろうけど。
などと頭の中で言い訳を考えたがいえるわけもなく、へらへらと笑っているうちに、話は進んでいた。
「……というわけで、これからも内々では『アーデント伯』ではなく、『タカ様』でお願いします。それでは、ハーレムの一員となるという証に、皆さん、タカ様とキスをしてください」
「え?」俺は驚いた。
「え、じゃないですよ、タカ様。しっかり全員のキスを記憶して帰ってくださいね。そのソファに座ってください」
と、メアにソファに座らせられる。
「じゃ、ハーレムの二番手の私からねー」
テノが近づいてきた。「きっと私の魔法でここに帰るんだよー」と俺にキスをする。
「でしたら、次は私ですね」
セノが顔を近づける。「待ってます」とキス。
「あたしかあ」
エルが戸惑い気味に俺に顔を寄せる。「帰ってきてね」とキスした。
「次は私が行こう」
カシェさんがかがみこんできた。「必ず帰ってくるんだぞ」と唇を合わせる。
「仕方ないな」
リュダさんが俺の肩に手を置いた。「帰ってこい。礼をさせてくれ」と唇を重ねる。
「私ですね」
ミーネさんがにっこり笑いながら言った。「メア様を悲しませたら承知しませんからね」
そうして短いキスをする。
ミーネさんが退くとメアが俺にキスをした。そして言う。
「これが妻のキスです。忘れないでくださいね」
それから首をかしげた。「もう四、五人ほどハーレムに加えるべきでしょうか。デニが提案した時は全部で十一人でしたし」
俺は手を振って制した。
「いや、もう充分だ。必ず帰ってくる」
「そうですか? きっと帰って来てくださいね」
そう言ってメアは俺の手を握った。
その日の午後、俺はイシュガルの村にメアを伴って飛んだ。
メベイン侍従長は「王侯が空を飛ぶなど前例がございません」と反対したのだが、メアが押し切ったのだ。その代わりに親衛隊二十人をつけるという条件をのんだ。その二十人分のジャケットのエンチャントはもちろん俺がした。石はエルが持ってきてくれたのを使った。前夜メアがエルに石をもってくるように頼んでいたらしい。
村の広場に降りると、村人たちや訪れてきていたトウク地方各所の人々が総出で出迎えてくれた。一足先に帰っていたリュダさんが出迎えの挨拶をし、メアが謝罪と犠牲者たちへの哀悼の意を表した。救援と復興の先遣隊が間もなく到着することも告げられた。
その場に黒騎士隊の早馬が駆けつけて吉報をもたらした。停戦が成立したというニュースだった。銃を持った黒騎士隊本体の救援が間に合い、アーシア軍を押し返して国境で睨み合っていたところに、昨日の晩に和平交渉を任せたアシュラクさんが到着して停戦の約束を取り付けたらしい。死傷者の情報もメアには耳打ちされたようだが、俺には教えてくれなかった。これから帰る人間には知らないほうがいい情報だということだろう。
そう。俺は元の世界に帰るためにここに来たのだ。
テノが、召喚した場所と同じところから同じ時刻に帰したほうがうまくいくらしいというので、あの洞窟にこれから行くところだ。
刻限が近づき、大勢の人々に伴われて俺たちは歩き出した。ドラゴンの死体や魔物たちの残骸がころがる草原を一歩一歩踏みしめ、林を抜けて岩場に出る。
途中デニさんやミカノさんが声をかけてくれたが、どちらも俺の身分が上がったことに遠慮してよそよそしかった。エルたちも人目を気にして声をかけて来ない。寂しいことだ。爵位なんてもらうんじゃなかったと思うが、しかし爵位がないとメアの結婚相手として認めてもらえないらしい。仕方のないことなのだろう。
そこへいくと小さな子供は遠慮がなくてよかった。「タカ」「タカ」と寄ってくる。
赤い髪のメルもそばに来て「あたしが結婚してあげるんだから、ちゃんと帰ってくるのよ」と言って走って逃げた。隣のメアが驚いた顔をする。これはもしかすると何年か先のハーレム要員にすると言い出すかと思ったが、さすがに周りを気にしてか、そんなことは言い出さなかった。
洞窟についた。テノとセノが魔方陣を描いて待っていた。
「必ず帰って来てください」
メアが俺を抱きしめて言った。
「帰ってくるさ。二年後に呼び戻してくれ」
俺は約束した。
キスをする。
「アーデント伯爵。魔方陣の中央にお進みください」
テノが他人行儀に言う。俺は魔法陣の中央に立った。テノが詠唱を開始する。
「すべての時の流れをつかさどる番人よ。われの声を聞き届けよ。この者、戸田山隆文を、元ありし場所と時間の流れへと戻したまえ」
青い光の渦が巻き起こり呑み込まれる。
「タカ様!」
そう叫ぶ声がしたような気がしたが、もはやだれの声なのか俺には分からなかった。
青い光に包まれた世界に俺はいた。
目の前には黒髪に眼鏡をかけた俺の母そっくりの女性がいる。
「私のことは覚えていますね?」
女性は聞いた。そうだ。俺は覚えている。正確にいえば今思い出した。ここは時空の狭間の世界。この人は時空の番人。俺の母そっくりなのは、この番人が最も相手の心に残っている人の姿かたちを真似るからだ。
「さて、あなたは私の期待をはるかに越える働きをしました。まさかドラゴンと魔物と魔王をすべて排除することに成功するとは思いませんでした。途中で記憶を取り戻してしまったのは減点対象ですが、それを帳消しにしてあまりある成果です」
番人は嬉しそうだ。
「『記憶を保っていくか、力を与えるか』でしたね?」
俺は尋ねた。俺はテノに召喚されたとき、ここでその質問を受けたのだった。よくわからないまま力を選んだ俺は、記憶を封じられてエンチャントの力を得たのだ。あの時、力を選んで本当によかったと思う。
「そうです。帰るときもルールは同じ。どうしますか?」
俺は迷わなかった。
「記憶を選択します」
「わかりました。では戻る前に、元の世界の服に戻しますね」
俺の身に着けていた青い豪華な服が消え、ダークブルーのブレザーの学生服に変わった。手にはスクールバッグを提げている。
「素晴らしい働きをしたあなたには特別に、この狭間の世界の記憶も残してあげましょう。では、さようなら」
番人が唐突に別れを告げた。俺はまた光の渦に呑み込まれた。
気がつくと国道沿いの歩道で俺は倒れていた。
夕暮れ時である。人が俺を避けて歩いていた。
起き上がる。体は問題ない。服も着ているし、怪我もない。頭もはっきりしていた。すべての記憶がしっかりとある。俺は携帯電話を取り出して時刻を確認した。
五月七日、水曜日だ。午後七時十分。
あちらの世界に飛んだのは五月二日だったと思い出した。そうすると、きっちり五日が過ぎている。こちらから夕刻に飛んで向うの午後について、今度は向こうから午後に飛んでこちらの夕刻についた。時差が少しあるということだろうか。
足かけでたった六日間の体験だったのだ。しかし、その体験はこの世界でのどんな経験をも上回る濃密なものだった。圧倒的な魔物の群れ、空を飛ぶ体験、ドラゴン、魔王、そして女王との婚約。ちょっと振り返るだけでもめまいがするほどだ。
誰かに話したいと思ったが、だれが信じてくれるだろうかと思い直す。
とりあえず、どうするべきだろう。
考えてみたが、この時間からできることは何もないと結論が出た。俺は自宅であるマンション三階の2DKに帰った。郵便受けには新聞があふれ、久しぶりの自分の部屋は空気がよどんでいた。
翌朝早く、俺は高校へ行った。教室へは行かずに職員室に直行した。
担任が昨日の無断欠席のことを怒鳴りつけてきたが、俺はそれを遮って高校を辞めたいといった。
この世界に俺はあと二年しかいないのだ。もう高校に通っている場合じゃない。やるべきことはたくさんある。そういう思いだった。もちろん、そんな説明はできないから、俺はただ「学校に通う理由がなくなったから辞めたい」とだけ主張した。
担任は俺を説得しようとして俺が聞かないのを見ると、俺を指導室に連れて行った。事情を聴いた生活指導の教師が凄みのある声で「どうしてやめたいんだ」と尋ねてくる。
今までだったら怖くてたまらない相手だったが、この六日間の体験で俺は変わっていた。全く怖くない。逆らったからと言って俺を殺せるわけじゃないのだ。学校をやめてしまえば、この人たちは無関係な他人でしかない。
担任と生活指導、そして教頭まで加わって二時間くらいかけて俺を翻意させようとしてきたが俺は自分の主張を通した。
話が堂々巡りの様相を呈してきたところで、俺は席を立った。「お世話になりました」と三人に頭を下げて、部屋を出た。もう止める者はなかった。
その足で本屋に行った。戦史物の本を選んでいると昼になった。昼をラーメン屋で済ませて、友人たちの入院している病院へ行った。面会時間である。彼も彼女も起き上がることはできなかったが、話はできた。二人とも同じ病院に想う相手がいるのに会うことができないのを嘆いていた。俺が今まで見舞いに来なかったことを詫びたついでに、冗談めかして「おまえたちがあまりに楽しそうだから『リア充爆発しろ』とか思ったら、ほんとに事故って慌てたよ」と言うと、どちらも笑っていた。
それから、祖母の病院へ行った。祖母はまだ眠ったままだった。巡回してきた医師が「もう目覚めてもいいんですが」と言ったが、眠ったままだった。
俺は自宅に帰った。ノートパソコンの前に座る。ネットに接続した。公開オンライン講座のサイトを検索する。よさそうなところを見つけて、生物学と薬学の講座に登録した。
戦史物の本も薬学も知識をつけるためだ。あの世界に持っていけるのは知識だけである。二年という短い時間で、なるべく多く、そしてできるだけ実用的な知識を選んで集中的に勉強しようと考えたのだ。きっと向こうで役に立つ。
特にオンライン講座はそれにうってつけだ。ビデオを見ながらノートをとる。そして終了後の豆テストに回答する。そんなことを繰り返した。
三本目のビデオを見ていた時だった。突然部屋の中に光があふれた。
光の中心を見ると人の姿が見える。光が収まるのを待って近づくと、一糸まとわぬ女性がうつぶせになって倒れていた。ピンクの長い髪。健康そうな美しい横顔。エルだ。髪型がツインテールではなくなっているのは、髪を結んでいたひもまで時空の番人に回収されてしまったからだろうか。
しかし、どういうことなんだ? どうしたらいいだろう?
俺は慌てた。とりあえず、毛布をとってきてエルの体にかける。
しばらく見ているとエルが目を開けた。きょろきょろとあたりを見回して、俺と目が合う。
「あなた誰なの、誰?」
と言った後で自分が裸なのに気が付いて「きゃっ」と毛布をかき寄せた。
「俺はタカだよ、エル」
どうやら何かの力と引き換えに記憶を封じられたらしいと俺は見当をつけた。でも、どんな力だろう。この世界で魔法というわけにもいかないだろうし、と考えたところで俺はエルと普通に話せていることに気が付いた。この世界に戻ってきたときに俺は、向こうでの服と一緒に魔法の首飾りを取り上げられた。今の俺は向こうの言葉が話せないはずだ。それなのに話が通じるということは、エルがたぶん、この世界に適応するための力を授かったにちがいない。
「あたしはエル。なぜあなたは知っているの? タカ? タカ、……タカ様!」
メアが何かに思い当たったように叫んだ。
「あたしの目的の人だ。そうよ、そう。あたしあなたに会いに来たの。誰かに言われたの。好きになってもつきあったらダメって。そして、二年後に様子を知らせに帰るって」
「誰に言われたんだ? メアか? テノか? セノか?」
「名前、思い出せない。偉い人よ、偉い人」
偉い人といえば一人しかいない。
「メアだな。トリア女王陛下だろ?」
「そうかも。うーん、わからない」
決まりだ。メアが何かを思いついてエルを送り込んできたんだ。そしてその答えはすでにエルが話している。
「二年後に俺の様子を報告に戻るんだな。きっと、俺が帰れる状態になったかどうかを知らせるためにエルをここに送ったんだ」
「うーん。そうだったかもしれない」と言った後で、はたと気が付いた顔をした。「思い出したわ。監視よ、監視。タカ様の浮気の監視」
「監視?」
やれやれと俺は思った。あの女王様、まったく俺を信用していないらしい。
「あれ?」エルが紙をつまみあげた。
見ると住民票だ。氏名に『石狩える』と書かれていて、住所がこの部屋になっている。あの時空の番人、こんな手の込んだことまでするのか。あれ、この生年月日って、俺より歳上だ。
「お前、この部屋に引っ越してきたことになっているぞ。ていうか、お前の年齢が二十歳になってる!」
「二十歳? あたしは十五歳よ」
きっと時空の番人の操作だろう。あの番人、何のサービスのつもりだ?
「とりあえず服を貸してやるから、それから話をしよう」
俺は比較的きれいな長袖長ズボンを貸してやった。キッチンに出てエルが服を着るのを待つ。
「出来たよ」
エルが出てきた。服はぶかぶかだ。美少女が男物の服を着て袖を余らせているのはなかなか可愛くていいが、まあ、後で一緒にスーパーに行って服を買ってやろう。
「で、どうする? ここで一緒に暮らすか」
「タカ様はいや?」
「いやじゃないが、そのうち祖母が退院してくるかもしれないからなあ」
祖母に何と説明したらいいものか。それに人数が増えれば生活費もかさむ。高校を退学したから少し金銭的に余裕はできるだろうが、祖母の入院費もある。収入は今のところ、祖母の年金が頼りだ。バイトをすればいいだろうが、せっかく高校を辞めてまで作り出したエストワードのための勉強時間を、バイトにとられてしまうのは嫌だ。
悩む俺をよそに、エルはあっけらかんと言った。
「大丈夫よ。それまでに近くに部屋を借りるから。そっちに移る。引っ越しよ、引っ越し。隣とか空いているかな」
「隣はだいぶ長いこと入居者募集になっているけど、ここの家賃、月四万五千円だぞ。払えるのか?」
「あ、お金ね、お金。大丈夫。仕事するから」
「仕事って、この世界の仕事をできるのか?」
「大丈夫。なんとなくわかるから」
まさか時空の番人。そこまでレクチャーしてくれたのか。それともこれが適応する力というものだろうか。
翌日、エルはメイド喫茶のバイトを決めてきた。ピンクの髪もコスプレ用に染めたものと話したら、すんなり受け入れられたらしい。
こうして、エストワードへ帰るための二年間が、エルの監視付きで始まったのだが、この先は別の話になる。ひとまず、この話はここで終わりだ。




