婚約
「遅くなりましたが、夕食にしましょう」
とメアがいうので、俺たちは食堂に移動した。だだっ広い部屋に細長いテーブルが置かれている。メアが長いテーブルの端に座り、俺とエルがメアに近いほうに、テノとセノが遠いほうに座った。侍従長はすでに食事を済ませていたということで、メアのそばに立っている。席につくとすぐにスープが出た。
「メ、いや、トリア女王陛下」
俺は呼びかけてみた。近いといってもお互いの席が結構離れているので少し声を張らなくては届かない。
「メアでかまいませんよ」
メアが落ち着いた声で言う。俺は尋ねた。
「メア陛下。ずいぶんと滑らかに話をするようになられましたね」
「頭の中に不透明で凝り固まった部分があって、ずっと私は話をするのが苦手でした。私にかけられていた魔法の影響だったようです。でも、ティアラをつけ、魔法が消えうせたことで急に私の頭の中が晴れあがり言葉がつながるようになりました」
「そうだったのですか。でも、なぜお母様は陛下に魔法を?」
「それは私が説明しましょう」
メベイン侍従長が重々しく言った。「トリア様のお父君がお亡くなりになったとき、トリア様はまだご幼少であられ、女王に立つことはお出来になれませんでした。王に立たれるのは十四歳以上と決まっております。そこでお父君の従弟であるゼルトルド様が仮の王に立たれました。トリア様は十四になられるまでお母君のもとでお育ちになることとなったのです」
「しかし、母は病に倒れました」
メアは悲しそうに言う。
「はい。そして、宮中にはよくない噂が流れていました」
侍従長は首を振った。「ゼルトルド様を本当の王にしようという一派が、トリア様を亡き者にしようとしているというのです。お母君は病床にあるご自分がトリア様を守り切れないことを恐れられたのだと存じます」
「それで、母は私に魔法をかけカイルに預けたのです」
「お母君はトリア様が姿を消してすぐにお亡くなりになりました。そして、ゼルトルド様は一昨年、正式の王になられたのです。無冠の王でしたが」
「無冠の王とはなんですか?」
俺の質問に、侍従長は少し考えるようにして答えた。
「即位しても冠をつけることができなかった王のことです。王家の方がお生まれになるとご両親のご指示で将来王になられるときに備えた冠を作ります。冠には幾重にも魔法がかけられ、その方ご本人にしか開けられないように魔法のかかった箱にしまわれるのです。そして、前の王がお亡くなりになり継承権第一位の方が立たれたとき、冠は自ら主を王と認めて頭に装着されるのです」
俺はメアの頭の上のティアラを見た。箱が勝手に開き、ティアラがメアの頭にはまったのはそういう意味があったのか。あの瞬間に侍従長が女王が立ったと宣言したのは、ティアラがメアを女王と認めたという意味だったのだ。
侍従長は続けた。
「しかし、ゼルトルド様の頭に王冠は乗りませんでした。だから、無冠の王なのです。歴史的にはよくあることではあります。学者は、他に王にふさわしいものがいるときに無冠の王が現れる、などと申しますが、ゼルトルド様の場合、トリア様がおられたので冠が装着されなかったのでしょう」
えーと、待てよ。ということは。
「さっきの人がゼルトルド様ということですよね。メア陛下が命を狙われて隠れなくてはならなくなったのはあの人のせいなんですか?」
「ゼルトルド様が何かをなさったというわけではありません」
侍従長は否定する。「ゼルトルド様が王位につかれると得をする者が一定数宮殿内にいたということです」
俺は前王の隣に並んでいたローブの男たちを思い出した。もしかしたらあの中の誰かかもしれない。王の側近になれば大きな力が手に入るだろう。
二品目が来た。大きな皿がそれぞれの前に置かれる。皿にはパイのようなものと野菜が乗っていた。パイはナイフで切ってみると中にひき肉が詰まっている。一口食べてみた。肉汁がジューシーでスパイスが効いていて美味しい。
「陛下」エルが気楽な調子で呼びかけた。「トウク地方はなぜこんなひどい目に遭うことになったのでしょうか?」
メアが沈痛な表情になった。メベイン侍従長を見る。
「それは私も知りたいことです。説明してもらえますか?」
侍従長はうなずいた。
「ここ数年、アーシアは国境を越えることを繰り返していました。そのたびに黒騎士隊などの力で押し返していたのですが、王であったゼルトルド様はそれをひどく気に病んでおられたようです。そこに昨年の始め、魔王を名乗る男レドラが現れたのです。なんでも、誰かに召喚されてこの世界に来たとかで、見たこともない魔法を操りました。ゼルトルド様はその男とお会いになってお変わりになったのです。側近の数人だけで政治をされるようになり、魔王レドラにトウク地方を任せるとお決めになりました。そして、トウク地方への人の行き来を制限されたのです」
「そして、魔王の手によって悲劇が引き起こされたのですね」
「はい、陛下。我々も詳しくは知らされなかったことですが、恐らくはそういうことかと」
「ゼルトルドは魔王に何をさせようとしたのでしょう?」
「漏れ聞くことによれば、魔王の力をもってして、アーシアを滅ぼそうと考えていたとのことです。それがドラゴンや魔物を使うことだと知った時には私も大変驚きました。あわてて、諫言を申し上げたのですが、お聞きなられませんで、逆に部屋にこもっているようにお言いつけを受けました」
「国民を生贄にして隣国を滅ぼそうなどと、愚かしいことです」
「ゼルトルド様は全国民六百七十万に比べれば一地方の十二万人など取るに足りないとおっしゃって……」
「もうけっこう。聞きたくありません」
メアが険しい顔で遮る。俺は尋ねてみた。
「メア陛下。ゼルトルドという人を捕えて罰しないのですか?」
メアは首を静かに横に振った。
「出来ません。王族は自らの身は自らで律し、他人がそれを責めることはできないのです。ゼルトルドは自分で答えを出すでしょう」
そこに一人の男が入ってきた。メベイン侍従長に耳打ちをする。侍従長は男にうなずくと、メアに言った。
「陛下。ゼルトルド様がお亡くなりになったそうです」
「なっ」
俺は思わず立ち上がった。メアが悲しそうに言う。
「これがゼルトルドの出した答えのようです」
パンが運ばれてきたが、俺はそれ以上食べることができなかった。
遅い夕食のあと、エルたち三人はイシュガルに戻っていった。
俺はメアに残っているように言われて、客間に通された。やたらと広い部屋で、部屋の真ん中に天蓋つきのベッドがあって、暖炉の前にソファが置かれている。すでに遅い時間ではあったが、昼間に十分寝たこともあって俺はちっとも眠くならなかった。
用意されていた寝間着に着替えてソファに横になり、豪華な模様の施された天井を見上げながら、この宮殿に来てからのわずかな時間に起きた色々な事を思い出す。メアが本当はトリア王女で、そして女王になって、人々に謝ると言い、そして前の王が自ら命を絶った。あまりに目まぐるしい展開だ。
「よろしいでしょうか?」
いきなり声がして、俺は飛び起きた。白いゆったりとしたドレスを着たメアが立っている。
「え、どこから?」
ドアが開いた気配はなかった。驚く俺にメアは笑った。
「この王宮には秘密の通路がいくつもあるのですよ。そこから失礼しました」
「でも、どうして?」
「お話がしたくて参りました。実は残っていただいたのも二人きりになるための私のわがままです」
「二人きり……」
その言葉に急に、夜に部屋で美しい銀髪の少女と二人きりであることが意識された。
「な、なんでしょう?」
つい言葉が震える。
「二人きりなのです。丁寧語はいりません」
「でも、メア陛下も丁寧語です」
「そうでした」メアがくすりと笑う。「でも、『陛下』はやめてください」
「わかりました。じゃあ、メア?」
「はい。タカ様」
「話というのは何でしょう?」
「私と結婚していただきたいのです」
「えっ?」
女王の堂々とした申し込みに俺は呆然とした。
「私はもともとタカ様のハーレムの一番手です。少し状況が変わってしまいましたが私を妻にしていただくのは当然のことではないでしょうか」
「それは、私に王になれということでしょうか?」
働かない頭を回して言ってみる。
「いえ。女王と結婚しても王にはなれません。あくまで女王の夫です」
メアはにっこり笑って否定した。なるほど、イギリスのエリザベス女王の夫のようなものなわけだ。
「しかし、俺なんかがそんな……」
「タカ様は私の命の恩人です。そして知恵があり勇気があってお優しい。もう私はタカ様としか結婚したくありません。それにドラゴンを倒したエクスの再来なのです。反対するものはないでしょう」
「嬉しいですけど」
俺は言葉を濁した。元の世界のことを思い出す。テレビもインターネットも、電気すらこの世界にはないが、それはどうでもいい。俺は育ててくれた祖母を思った。
「帰らなくてはなりませんか?」
メアが俺の目を見て言う。
「はい」
「私を置いてでもですか?」
「祖母が、俺を育ててくれた人が重い病気で入院していますから」
「それは、帰るべきですね」
メアががっくりとうなだれた。その落ち込みように俺は申し訳なく思った。
「すみません」
「いえ、タカ様らしいと思います」
メアは顔を上げて言った。そして続ける。
「でも、お願いです」
急に抱きついてきた。俺の胸に顔をうずめる。「せめて抱きしめてください。今だけ私を妻だと思って。私に妻の気分を味わわせてください」
薄い布を通してメアの体の感触が伝わってくる。暖かくやわらかい。そして、二つの大きな胸のふくらみが主張している。考えてみれば、俺はこの服の下のすべてを見たことがある。その姿を思い出した。そして、そばにいて俺に笑ってくれた健気な姿が思い出される。猛然と愛しさがこみ上げてきた。
俺はメアの細い体を抱きしめた。
「メア」
「はい」
「好きだ」
「嬉しい。私もです」
「愛している」
「はい。愛しています」
メアが顔を上げる。顔が近い。自然と唇が重なった。
俺たちは長いキスをした。一所に立っていられなくて右に左にと抱き合ったままふらつく。大体はメアが後ずさるようにして、俺が追うのだ。
「あ」
メアが何かにぶつかった。唇が離れる。
ベッドだった。俺たちは抱き合ったまま倒れこんだ。
「メア」
抱き寄せようとする俺の顔の前にメアが手を差し込んだ。
「ごめんなさい。ここまでです」
「メア?」
「私これ以上すると、タカ様を帰したくなくなってしまいます」
そしていたずらっぽく笑う。「それにタユが鳴かなくなってしまいますから」
「何だい、タユって?」
俺はいつの間にか女王に敬語を使っていなかった。それでいいという気がする。
「王家で飼われている白い鳥です。即位の式のときに一斉に鳴くのですが、女王の場合男性と通じた経験があると鳴かないといわれているのです」
俺は気が抜けて笑った。
「そんなことがあるのか?」
「多分、ただの言い伝えです。でも、王家の女性は気にするんです」
「おかしな話だな」
「はい」
二人してくすくす笑う。
俺は決心した。
「俺は帰る。でも、またこの世界に帰ってくる。テノにそうしてくれるように頼む」
「でも、タカ様、そうすると」
「ああ、二度と元の世界には戻れないのだろう。それでいい。メア、それまで待っていてくれるか?」
「はい」メアは嬉しそうに笑った。「どのみち私はまだ結婚可能な年齢になりませんし、タカ様だってまだのはずです」
「みなし成人規定というのがあるらしいが」
「明日にでもタカ様の書類が整うはずです。もうその規定は使えませんよ」
「ということは俺が結婚できるようになるのは二年後か。そのころにかえって来ようか?」
「二年でも五年でも構いません。きっと帰っておいでになるなら待っています。でも、タカ様?」
「なんだ?」
「そちらの世界でまたハーレムを作るのは、なしですよ」
「俺はそこまで器用じゃないよ。ここでこんなことになったのは全部偶然だ」
「だといいのですけど」
「疑うのか?」
「はい」
「ひどいな」
「うそです。信じています。でも、約束してください。私を忘れないと」
「約束する」
「はい。待っています」
見つめ合った俺たちは再びキスをした。短いが熱いキスだった。
翌朝、女官に起こされた俺は青い立派な服に着替えさせられ、メアと一緒に朝食をとった。赤いドレスを着たメアは昨日の晩のことを忘れたかのように女王然とした澄ました顔で、落ち着いて食事をしている。
食事が済んだところで、メベイン侍従長が食堂に入って来た。
「女王陛下。よろしいでしょうか?」
「かまいません。なんです?」
「トウク地方の者たちが百人ほど王宮に来ております。陛下のご即位に祝意を述べたいそうです。陛下のご友人がたも一緒です」
メアが立ち上がった。
「すぐに謁見の間に通してください。会います」
侍従長が出ていった。メアは俺に言った。
「タカ様は先に行っていてください。私は着替えます」
「わかりました、陛下」
俺の答えを聞いてメアは食堂を出ていく。その後姿を見送ってから、俺は女官の案内で長い廊下を謁見の間に向かった。
謁見の間は小さな体育館くらいの広さがあった。太い柱が左右に並んでいて、兵士が各所に立っている。奥が一段高くなっているのは王の間と同じで、その奥に玉座があった。
見回しているとドアが開き、兵士の案内で人々が入ってきた。エルたちやリュダさん、カシェさん、ミーネさんなどの姿も見える。女性が多いが男性の姿もある。半分以上は初めて見る顔だ。
「タカ様。おはよう、おはよう」
エルが駆け寄ってきて挨拶をする。エルたちは水色のワンピース姿だ。
「おはよう、エル。みんなも。これはどうしたんだ?」
「昨日の晩、村に帰って報告したらねー。女王陛下がおいでになるのを待たずにこちらから参上しようってことになって、代表団をつくって飛んできたのー」
テノが説明する後ろにリュダさんがやってきた。リュダさんは淡い緑色のドレスを着ている。
「戸田山君の働きだな。おかげで戦いをせずにすみそうなので、トウク地方の主だった人々に集まってもらって、陛下のお言葉を頂きに来たのだ」
「そんな、俺は何もしてませんよ」
「いや、このようなことになったのも君の存在が大きかった。君のおかげなんだよ。まったく君にはどうやってお礼を返したものか」
「お礼なんて」
「受けておきたまえ」
カシェさんが隣に立った。青いドレスを着ている。「トウク地方の人々は君のおかげで全滅せずにすんだんだ」
「あ、はい」
「女王陛下が勲章をタカ様に下さるそうですけど、きっと最高位のドメトロウド勲章に違いありませんね」
セノが解説をいれてくる。
「戸田山さん。陛下の今朝のご様子はいかがですか?」
ミーネさんが心配そうに尋ねてきた。ミーネさんはいつもの白衣のままだ。
思えばミーネさんはずっとメアのことを第一に考えて行動しているようだった。ハーレムの話を聞いて怒った時も、メアを案じて自分が代わりになると言ったにちがいない。いままでずっと、メアが王女であるという事実を一人で抱え込んで心を配ってきたのだろう。そのメアと俺が結婚の約束をしたと知ったら、ミーネさんはどうするのだろう。
「落ち着いておいででした」
俺は無難な答えを返した。余計なことは言わないほうがいいだろう。
ドンドンという音が響いた。入り口近くの兵士が杖で床を叩いたのだった。
「皆様。トリア・ドイエ・ラメイ・エストワード陛下です!」
高らかに告げる。一同が、中央に道を開けて頭を下げる。俺もそれに倣った。
ドアが開いてメアが入ってきた。メアは漆黒のシンプルなドレスをまとっていた。人々の間にざわめきが広がる。
「黒衣だ」「女王陛下が黒衣だぞ」
人々は驚きの顔で目の前を歩くメアを見ている。
「あの、黒衣とはなんですか?」
俺は近くのカシェさんに尋ねた。カシェさんは小声で答えてくれた。
「黒衣というのは王族がもっとも自分をへりくだるときにつける衣装だ。最近では前の王の葬儀くらいでしか使われることがない」
「メアがそれを着たということは?」
「謁見の相手である私たちに最大限の敬意を示したということになるね」
メアが段を上がり、玉座の前にこちらを向いて立った。声を発する。
「皆様、よくおいでになられました。このたびは皆様に対して多大で深刻な辛苦をおかけしまして誠に申し訳ありません。王として衷心よりお詫び申し上げます」
メアが頭を下げた。長い銀髪がゆれる。
人々は声にならない声をもらした。顔を覆って泣いている人もいる。
「トリア陛下!」
ミーネさんが叫んだ。
「ミーネ」女王が顔だけをそちらに向けてつぶやく。
「陛下。そして、皆様。申し訳ございません。陛下が十四におなりになった時、私が陛下を王宮にお連れしていれば、このようなことにはならなかったのです。でも、私は陛下の御身に何か起きるかも知れないと思うと思いきることができませんでした」
ミーネさんはそう言って崩れるようにその場に平伏した。
「よいのです、ミーネ。私はあなたに感謝こそすれ、責める気持ちは微塵もありません」
メアが優しい声で告げた。その声に重苦しい空気が緩む。
リュダさんが前に進み出た。
「女王陛下。お顔をお上げください。私たちは陛下のご即位をお祝い申し上げるために参ったのです」
「しかし、皆様に申し訳なくて」
「私たちはそのお言葉だけで十分です」
リュダさんの言葉に人々の間から賛同の声が上がった。
「陛下」カシェさんが歩み出た。「私たちの受けた苦しみは言葉にかえがたいものがあります。犠牲は大きく、今も苦しんでいる人が大勢います。しかし、私たちはもはや陛下をお恨み申し上げることはしません。陛下のお気持ちは私たちの胸に届きました。私たちはトウク地方をよくご存じの陛下が玉座におつきになるお姿を、今、心の底からうれしく待ち遠しく思っているのです」
「ありがとうございます。皆様のお気持ちお受けします」
メアが顔を上げた。玉座に座る。「女王陛下万歳」の声が巻き起こった。
リュダさんが泣き声をもらすミーネさんを助け起こした。
メアが座ったまま言葉を発する。
「ありがとうございます。このたびご迷惑をおかけした方々にはお詫びをお配りしたく思っていますが、王族の過ちですので国庫から支出できません。王家の資産からということになりますが、手元に十分な資金がありませんのでしばらくお待ちいただくことになるかと思います」
リュダさんがミーネさんを抱えるようにしながら言う。
「そのようなこと。お言葉だけで十分ですのに」
俺は、はたと気がつくことがあって進み出た。
「女王陛下。私はドラゴンを倒した際、ドラゴンが体の中に大量の宝物を持っているのを見ました。あれは使えないでしょうか?」
「ドラゴンの宝物ですか?」
メアが脇に控えていたメベイン侍従長を見た。侍従長が答える。
「狩りをして得た肉は最後の一撃を与えた者に所有権があります。ドラゴンの宝はドラゴンを倒した方のものです。タカ殿が王家に献上なさるのであれば、王家が使えます」
俺は言った。
「王家に献上いたします。お使いください」
「私も献上します」
エルが俺の隣で声を上げる。
「ありがとうございます」
メアは軽く頭を下げた。
「では、さっそく手配させます」
侍従長はそう言うと、近くの男に何か耳打ちした。男は急ぎ足で部屋を出ていった。
メアが侍従長に目で合図をした。侍従長がうなずき一歩進み出て言った。
「この場をお借りして、今のお話にもありましたドラゴンを倒した英雄、戸田山殿への勲章の授与を行いたいと存じます」
ざわめきが起きた。みんなが俺のほうを見る。侍従長は続けた。
「本来であれば、告知をし盛大に執り行うべきことですが、戸田山殿はご存知の通り別の世界の方です。元の世界に急いで帰らなくてはならない事情がおありとのことですので、急遽行なうことにいたしました。戸田山殿、前にお進みください」
「え、え?」
驚き戸惑う俺の背中をテノが叩く。
「ほらー、いっといでー」
俺はメアの前に進み出た。
メアが立ち上がって段のあるところまで歩いてくる。段差のおかげでちょうどメアと俺の目の高さが合う。
「あ、あの、これは?」
「落ち着いてください」
メアが小さく笑った。そして言う。
「戸田山隆文殿、貴方は倒すことは不可能と言われた悪しき魔獣を二度まで倒し、この国を厄災から救ってくれました。国民を代表して最大限の敬意と謝意を表し、その殊勲をたたえます」
「戸田山殿にはドメトロウド勲章とアーデント伯爵の爵位が授けられます」
侍従長の言葉を受ける形で、女王は女官のささげ持つ板の上から金色の勲章を取り、自分の手で俺の胸につけてくれた。「おお」という言葉が人々の口から漏れる。
顔を上げたメアが突然俺にキスをした。
何が起きたのかと呆然とする俺を人々の歓声がつつむ。
「さあ、アーデント伯。こちらに」
俺はメアの促すままに段を上がった。メアは俺を人々のほうを向かせて腕をつかむ。
「皆様にご報告いたします。私、トリア・ドイエ・ラメイ・エストワードはこちらのアーデント伯と婚約いたしました。アーデント伯はいったん元の世界にお帰りになりますが、数年後にこちらにお戻りになり私と結婚なさるとお約束くださいました。ご承知おきください」
え、いや、それをここでいうの? と思うが、約束したのは事実だから仕方ない。
段上から見る人々はほとんどが笑顔で祝福してくれているが、数人の例外がいる。エルは何か怒ったような感じで見ていて、テノは何を察したのかにやりと笑っている。セノは愕然とした顔だった。メアを大事にしてきたミーネさんはと見ると、こちらは涙を流して感激している風だ。
侍従長が兵士のほうを見る。兵士が高らかに告げた。
「女王陛下がご退席なります」
人々が道を開け、頭を下げる。メアは俺の腕をつかんだまま歩き出した。俺はまるで結婚式の新郎のようにメアとともに人々の間を抜けて部屋を出たのだった。