それぞれの思惑
夜のあいだに見張りをして交代したばかりの守備隊の中の一人がまだ起きていたので、協力してもらうことにした。長い黒髪を編み込みにして、彫りの深い顔で華奢な体つきの女性だった。
「メイカです。英雄さん、こんにちは。それで何をすればいいのでしょうか?」
メイカさんといえばダナイ老人の孫で、デニさんが俺のハーレムの候補として名前を挙げた人である。この人もなかなかきれいだが、振る舞いはきびきびしていて勇ましい感じを受ける。さすがダナイ老人の孫ということだろうか。
リュダさんが指示を出す。
「その筒を岩のほうを向けて構えてくれ。それで、小さな穴に小石を入れると筒から小石が飛び出すからな。岩に描いた的に当てるんだ」
百メートルほど離れた岩には、先ほど塗料で二重丸を描いておいた。メイカさんが座って例のさやを手に取った。さやのそばには小石を五十個置いてある。
「わかりました」
メイカさんが小石を一つつまんで穴に入れた。破裂音がして的の端に小石がめり込む。
「その小石を全部撃ち尽くすまでやってくれ」
「はい」
メイカさんは怪訝な顔になりながら射撃を始めた。俺たちが見守る中、黙々と弾を撃つ。初めの数回でメイカさんは射撃に慣れたようで、中央への命中を連発する。
数分で全弾を打ち尽くした。
「終わりました」
「メイカ、気分はどうだ? 疲れなどは感じないか?」
リュダさんの問いかけにメイカさんは首を振る。
「特には。徹夜明けですのでそういう疲れはありますけれど」
「この射撃で体力を消耗したりはしていないのだな?」
「はい」
「成功のようだね」
カシェさんがうなずいた。
「あの、何なのですか?」
メイカさんが戸惑いの色を浮かべて尋ねる。リュダさんが説明した。
「これは銃という武器の試作品だ。魔力で小石を飛ばして敵を倒す。ただ、どれくらいのものかわからなかったので、お前に試してもらったのだ」
「そうなのですか」
「おかげで使えそうな目途がついた。お前が目を覚ますころには完成品が出来上がっているはずだ。そうしたら、お前にもそれを持って戦ってもらうことになる。十分に休養をとってくれ」
「わかりました」
「じゃあ、また後で」
「はい。また」
メイカさんは徹夜明けとは思えない元気な足取りで自分の家に戻っていった。
「リュダ。あいつが起きるまでに完成品ができるなんて無茶を言うなよ」
カシェさんがぼやく。
「いや。それくらいのペースでやってもらわなくては困る」リュダさんが厳しい声で答えた。「外に集結している魔物たちがいつ攻め込んでくるかわからないからな。いや、六時間後までに完成品が十セットはほしいな」
「鬼のようなことをいうなあ。まあ、頑張ってみるよ」
カシェさんはそう言うと手を振りながら工房へと戻っていった。
「さて、戸田山君。君にはもう一働きしてもらいたいのだが」
「もちろんです」
リュダさんの言葉に俺は間髪入れずに答えた。
「ありがたい。では、こっちに来てくれ」
リュダさんは坂を下りて、診療所跡から二軒おいた先のドアをノックした。
「はい。ああ、村長代理」
ドアを開けて顔を出したのは、金髪のショートヘアの女性だった。
「やあ、アイサさん。いよいよ二人の出番だ」
「待っていたよ。メリダもここにいる」
中から金髪がもう一人あらわれた。ロングヘアの女性だ。
「戸田山君。二人のことは覚えているね」
リュダさんが言うのに俺はうなずいた。あの美貌の未亡人コンビだ。
「はい。一昨日の晩に偵察に行ったかたですね」
「そういうことだ。今回は二人に王都まで行ってもらおうと思っている」
「よろしく頼む」
「よろしく」
「はい。よろしくお願いします」
俺は二人と手のひらを触れ合った。
「早速だが、私の家に来てくれ。そこで戸田山君にエンチャントをしてもらおう」
「わかった。正装をする。先に行って待っていてくれ」
二人は家の中に入っていった。俺はリュダさんと坂を下りた。
「正装ですか?」
「ああ、王に謁見を賜ることになるかもしれないからな」
リュダさんの家で待っていると白と銀のドレスに着替えた二人が現れた。手に黒いコートを持っている。一昨日紹介された時にモデルのようだと思ったが、こうして見ると二人とも立ち姿が美しく、本当に雑誌から抜け出てきたようだ。
「このコートにエンチャントしてくれるか?」
「お願いする」
「わかりました」
二人からコートを受け取った。袋から石を取り出してエンチャントを始める。
「二人とも王都では十分に注意してくれ」
リュダさんが深刻そうな声で言う。
「わかっている。礼法なら心得ているよ」
「いや。そちらの心配はしていないんだが。心配なのは王都の情勢なんだ」
「魔物が王都にもいるというのか?」
「それもありえるが、もっと良くないことも考えられる」
「どういうことだ?」
「聞いてないか?」
「なにを?」
「黒騎士隊が魔物の味方をしている」
「なんだと!」
アイサさんが険しい顔になった。いままで知らなかったらしい。
「残念ながら、事実だ。この戸田山君もメオーダからの避難民も黒騎士隊が魔物の手助けをしているところを見ている。黒騎士隊は軍のエリートだ。それが魔物を支援しているということは国のかなり上層に私たちを襲わせた人物がいる可能性が高い」
「救助が来ないわけだ」
「そうだ。だから、誰が敵かわからない。十分に状況に注意してくれ」
「わかった。心しておく」
俺は二人にコートを差し出した。
「エンチャント、終わりました。飛び方は分かりますか?」
「ありがとう。カシェに聞いた。手を出したほうに飛ぶのだろう?」
カシェさんはちゃんと伝えていないようだ。
「右手を出したほうに移動します。ですから、コートを着たまま迂闊に右手を上げないでください。空に上がってしまいます」
「なるほどな」
「それから、魔物やドラゴンは高くまでは上がってこれません。ですから、なるべく高いところ飛んでください」
「了解した。じゃあ行くよ」
二人が戸口に向かった。リュダさんが二人を追う。
「よろしく頼む」
「任せてくれ。後は頼む」
「はい」
外に出ると二人はコートを羽織った。右手を高く上げる。瞬間、二人の姿が消えた。見上げると青い空のはるか上に小さくなった二つの点が見える。
そのうちその点も見えなくなった。どちらかに移動したのかと思って見回したが、二重太陽がまぶしくて、確認できない。
「大丈夫でしょうか」
「わからん」リュダさんはなぜだか少し、にがにがしげに答えた。「今は二人が無事に戻ってくるのを祈るだけだ。その前にこっちがやられないように気をつけなくてはならないが」
「はい」
俺は何と言っていいかわからずに、短く返事をした。
昼になった。
リュダさんは「仮眠をとる」といって家に帰った。昨日からほとんど寝ていないらしい。たしかにドラゴンに襲われたり村を包囲されたりという状況だ。見張りを置いているとはいえ、村の代表としては落ち着いて寝ることもできないだろう。
俺は洞窟に戻った。今の俺には昼ご飯を食べられるあてはここしかない。
デニさんは変わらない笑顔で俺にスープとパンとチーズを渡してくれた。何か一言をと思うのだが、考えがまとまらない。で、すごすごと皿を両手に朝ご飯を食べたテーブルに移動する。
「おー、タカ様」テノが奥から現れた。「待っててー。私も食事にするから一緒に食べよー」
そう言って駆けていく。
椅子に座っているとテノがスープ皿とチーズの乗ったパンを持って戻ってきた。
「さー、食べよー」
俺の隣に腰を下ろす。
「いただきます」
スープを飲みながら聞いてみた。
「昨日は俺を運んでくれたんだって?」
「そだね」
テノも食べながら答える。
「ありがとうな」
「大したことないよー。魔法のおかげで重たくもなかったし」
「ドラゴンを倒す手伝いもしたんだってな?」
「んー。私は見てただけ。ドラゴンの目をつぶして力尽きたメアを受け止めただけだよー。メアを抱える私のそばにエルが来て、メアがドラゴンの弱点を話して、エルが剣を受け取ってドラゴンの口の中に一撃を打ち込んで倒したの。私は何もしてないよー」
「いや、テノがいなければ、俺もメアも危なかったじゃないか。それにエルにつなげることもできなかっただろうし」
「そかなー」
「そのあとの村の人への説明とかも全部テノがしたんだろう。テノがいなかったらリュダさんたちだって、わけがわからなくて大変だったはずだ」
「今でも、大変みたいだよ」
「情報がなかったらもっと大変だったっていう話だよ。よくやったよ」
「へへへ。ありがと。褒めてくれて」
テノが食べかけのパンを置いて頭をかいた。「私、実は異世界の人間を召還したのって、タカ様が初めてなんだ。これまではうまくいかなくてさ。動物とかが来ちゃって。それでも周りには最初からそれを召喚するつもりだったとか言ってさ。ごまかしてた。だからあの状況で、タカ様を召喚できたときはすっごく嬉しかったんだ。タカ様にとっては迷惑だったよね。いきなり呼んで。しかもこないだは帰さないなんて言ったりして、ごめん。来てくれたのが嬉しくて帰したくなかったんだ」
「そうだったのか」
テノがテノらしくない話し方をするので俺も真剣な顔で応じた。
「タカ様は帰りたい?」
「わからない。でも、村の人たちが安全になるまではここを離れられないな」
「それは責任感?」
「どうだろう。でも、ここまで来たら見届けるのが自分の役目だという気がする」
「お人よしだね。でも、帰ったらみんな悲しむよ」
「そんなこと。エンチャントの力の出番がなくなれば俺がいる必要もなくなって、誰も俺のこと気にしなくなるんじゃないか?」
「それは違うよ。エルもメアもタカ様を気に入ってる。セノだって。だから、ね」
俺の顔を見つめる。「ハーレム、本当に作ってしまったら? みんなそれを望んでると私は思うよ」
「ハーレムなんて、そんなとんでもない……」
「うん。私も初めは冗談で言ってたよ」テノが笑う。
あれは冗談だったのか。無邪気な顔で言っていたからわからなかったぞ。
テノは続けた。
「でもね。みんなの様子を見ていてそれが一番落ち着くやり方なんじゃないかって思うようになった。私たち四人はいつも一緒だったし、つきあうのも一緒に同じ人がいいのかも、って。まして相手となるタカ様はエクスの再来の英雄さんだからどこからも文句は出ないってね」
「いや、でも」
俺は戸惑った。「俺は異世界の人間だから。いつか、いなくなるわけだし……」
「帰るときに捨てていくようなことはできない?」
「そうだな」
「ほんとにお人よしだね。そんなこと気にしないでいいのに」
「そうはいっても……」
いきなりテノが俺の手をつかんだ。両手で包み込むようにして撫でる。
「これが私の気持ち」
そう言ってほほ笑む。ここでは異性の手を握ることは交際の申し込みになるという。これはそういう意味だろうか。
「あ、ああ」
なにか言わないといけないとおもうが、頭がうまく働かない。
「だからね。帰りたくなったらいつでも言って。別にこの村のことは気にしないでいいから。私が何としてでも帰してあげる。でも、もしよかったらずっとここにいて。少なくとも私は、あなたにここにいてほしい」
「テノ、……」
しばらく、見つめ合う。と、テノが手を離した。
「あはは。らしくない話をしちゃったよー。ま、考えておいて」
元のテノに戻ったテノはへらへらと笑う。俺はそのギャップに戸惑いながら思いついたことを言った。
「なあ、一度元の世界に戻ってから、またこっちに来ることはできないのか?」
「それは私の召喚の腕次第かなー。それに、タカ様」テノが上目づかいになる。
「なんだ?」
「二度目はもう帰れないんだよー」
「帰れない?」
「そう。記録によれば同じ人を二回召喚してしまうと、呼ばれた人は二度と元の世界には戻れないという話なんだ」
「それは困るな」
「でしょー? だから、帰るときにはしっかり悔いのないようにねー」
テノはそう言うと、残りのパンをつまんで自分の小さな口に押し込んだ。
食事が終わると、俺はテノの分もまとめて食器を持った。
「そんなこと私がするのにー」とテノは言うが、なんだかそうしたくなったのだ。しかも片づけ方が自分のことながら手馴れていると思う。もしかすると日本では食卓の片づけをいつもやっていたのかもしれない。
食器を持って洞窟の出口わきの臨時の厨房に行くと、デニさんは小さな椅子に座って、パンをかじっていた。
「おや、裸足のエクスさんが片付けかい?」
立ち上がって食器を受け取り、水を張った桶に入れる。
「その呼び名はやめてください」
「いい呼び名だと思うけどね。まあいいさ。しかし、ドラゴンを倒した英雄さんが片づけをしなくてもいいじゃないか。テノにでもさせればいいのにさ」
「いえ、俺がやりたかったんで」
「そうかい? まあ、偉ぶらないのはあんたのいいところだね」
さっきは言いそびれたが、ここはなにか励ましの言葉を言っておくべきだろう。それにデニさんの家が壊されたことでは、ドラゴンを止められなかった俺にも責任があるような気がする。
「デニさん。おうち見ました。何と言っていいか……」
「ああ、見たのかい? 一瞬であれだよ。とんでもない相手だね。あんたたちよくあんなのと戦ったよ。すぐに消火してもらったんだけど、全部燃えてしまってね」
「すいません。俺がもっとちゃんとしていたら……」
「よしとくれ。たらればの話をしても仕方ないよ。起きてしまったことは起きたんだ。なに、ちょうどよかったんだよ。夫と子供がいなくなって独り身だろ。家が大きくて持て余してたからね。この騒動に片が付いたら、村のみんなにもう少し小さな家を建ててもらうさ」
「でも、持ち物とか思い出の品とかあったんじゃ……」
デニさんは豪快に笑った。
「物なんて何とかなるもんさ。思い出っていうのはこの村全体が思い出みたいなものだからね。村がちゃんとあるんだから別にいいんだよ」
「そんな……」
「あんたはあんたに出来ることをやって、村を守ってくれた。それで十分だよ」
俺の肩をばんばんと叩く。
「いえ、俺は何も……」
「何を言うんだい。これまで十分すぎる働きをしている。でも、いいかい。あんたはここでは客だ。帰るところのある身なんだ。村のために頑張ってくれるのはうれしいけど、あまり無茶をするんじゃないよ」
「あ、はい」
なんだろう。一言何か励ましになることでもと思って話しかけたのに、逆に励まされている。
「そういえばハーレムの話はどうなった?」
「いえ、それはまだ」
「今なら、選り取り見取りだよ。なんせエクスの再来だからね。あたしだって、もう少し歳が若けりゃ立候補していたよ」
そう言ってカラカラと笑う。
俺はすっかり毒気を抜かれて、洞窟の中に戻った。
テーブルのところに戻るとテノがいない。どこに行ったのだろうと見まわしていると、エルたちの寝ている臨時診療所の、カーテンがわりの布の間からテノが顔を出した。
「あ、タカ様」
「テノ。エルたちになにかあったのか?」
「みんな起きられるようになったよー」
俺はほっとした。無事に回復できたのなら、なによりだ。
「それはよかった」
テノのそばに歩み寄る。
「会いたいー?」
「それはもちろん」
テノがニッと笑った。
「じゃ、どうぞー」
布を引っ張る。仕切っていた布がはらりと落ちた。三人の姿が見えた。
いや、見えすぎた。
寝間着を脱いだばかりの三人の隠れるところのない清らかな素肌が見えた。
「きゃああああああああ!」
「いやあああああああ!」
エルとセノが胸と下腹部を隠してうずくまる。一人、メアだけは姿勢よく立ったまま、こちらに向けて手を挙げた。
「おはよ」
「お、おはよ」
つい、返事を返す。
「なに、挨拶してるの! メアちゃん、前を隠しなさいよ!」
「信じられない! 姉さん、何をするんですか! タカ様、あっち行って!」
「えー、いいじゃない。どうせハーレム入るんだしー。先に見せても」
「よくありません!」
俺はとりあえず逃走した。何も悪いことはしてないはずだが、ここは逃げるところだろう。
え、感想? うーん。美少女は体も綺麗なんだな、とか。あとは大きさではやはりセノだけど、形はメアだな、とか。エルは、まあ、うん、頑張れ。
慌てていたので、洞窟の奥へと走ってしまった。ここまで来ると外からの明かりが届かなくて、ところどころに置かれているロウソクの火が頼りだ。誰かが追ってくるわけでもないわけで、俺は岩陰に腰を下ろした。
「あ、裸足のエクスさん」
岩陰には先客がいた。赤い髪の小さな影だ。目を凝らすとエルの従妹のメルだった。
「メルちゃんか。俺はエクスなんかじゃないよ。タカっていうんだ」
「そうだっけ? みんなお兄さんのことをエクスの再来って言ってるわ」
「それはあだ名だよ。俺はタカなんだ」
「わかったわ。タカ兄さま」
「兄さま?」
「だって、エル姉さまのお友達でしょ。だから兄さま」
「うーん、そっか」まあ、兄さまくらいは我慢するか。俺は聞いてみた。「で、ここで何をしているんだい?」
「お母さんに怒られたの」
「どうしたんだい?」
「私、エノネが食べられないの」
「エノネって?」
「野菜スープに入っている。オレンジ色のあれよ」
ああ、ニンジンに見た目が似ているやつか。ちょっとエグ味がある。
「ちょっと苦いよね」
「そう。だから残したの。そしたら怒られた」
「そっかあ。それは難儀だな」
俺は昔ピーマンが食べられなくて外に出されたことを思い出した。でも、俺を怒ったのは母だったのだろうか。それが思い出せない。風が冷たい晩にマンションの通路で向かいのアパートの灯りを涙を浮かべて見ていたことだけがはっきりと思いうかぶ。
「タカ兄さまは、どうしたの?」
「ああ、ちょっとエルたちと顔が合せられなくてね」
「喧嘩したの?」
「うーん、似たようなものかな」
俺はごまかした。正直に話してしまうとこの少女に嫌われるかもしれない。子供というのは潔癖なものだから。
「そうなんだ」
メルはいったん言葉を切ると何か一人でうなずきながらそばに寄ってきた。「あのね。兄さまがエル姉さまに振られてもあたしがいるからね」
「え、どういうことだい?」
俺はあっけにとられて聞き返した。
「だから、あたしが結婚してあげるっていうことよ」
おいおい。こんな小さな子にまでプロポーズされてしまったよ。しかし、いったい結婚を何だと思っているんだ? そんなこと言われると、お兄さん、本気にしちゃうぞ。
とは口に出しては言えなくて。
「気持ちは嬉しいけど、お兄さん。別の世界の人間だから帰らないといけないんだよね」
と、ハードルを設けて冷静な話し合いの道を探る。
が、相手はその上を越えてきた。
「あら、いいわ。あたし、その世界についていくから」
「えええ? あの、お母さんを置いていくと悲しむよ」
「いいの。エノネのことであんなに怒るお母さんなんていらない」
困った。話が通じそうにない。
と、そこに助け舟が現れた。
「あ、タカ様いた。探したよ。捜索、捜索」
エルである。長袖長ズボンを着ていた。村は依然臨戦態勢だから、当然の服装だろう。
「えーと。エル。怒ってないのか?」
「タカ様に怒ってもしかたないじゃない」
そう言う言葉の端々に怒りの感情が感じられるんだけど。
と、俺とエルの間にメルが立ちふさがった。
「エル姉さま。タカ兄さまを怒らないで。タカ兄さまはあたしのものなんだから」
いつから俺がお前のものになったって? というか、似たような光景を前にも見たような。いきなりの展開に俺があっけにとられる一方で、ロウソクの灯りではっきりとしないながら、エルの顔が険しくなったようである。
「タカ兄さま? あたしのもの?」
おーい、エル。明らかに言葉がとげとげしくなっているぞ。「タカ様。いったい何を言ったの?」
「い、いや。俺は何も」
「タカ兄さまは関係ない。あたしが決めたの。あたし、タカ兄さまと結婚する」
俺はすっかり蚊帳の外だ。俺のことなのに。
「何言っているのよ。あんたまだ、九つじゃない」
「エル姉さまと六つしか違わないもん」
「六つって、あんたの人生の三分の二よ。十分大きな違いじゃない」
「でも、男の人は若い女を選ぶっていうもん」
「私が若くないといいたいの」
二人がにらみ合う。
「おい、二人ともやめろよ」と、間に立とうとするが、
「黙ってて!」
と口をそろえる。打つ手なしだ。
そこに、ようやく、ちゃんとした助け舟が現れた。
「これは何の騒ぎだい?」
赤い髪の女性が奥から現れた。メルの母親のカナルさんである。
「叔母さん。これはその、ちょっと」
エルが瞬時に、いつもの人当たりの良い表情に変わる。この辺はさすがだ。一方のメルはまだエルをにらんでいる。
カナルさんはメルとエルを見比べると、自分の娘の腕をつかんだ。
「なんだか世話をかけたみたいだね。ほら、メル。行くよ」
「いやだ、行かない」
メルは抵抗したが、母親の力にはかなわず、引きずられて行った。
「やれやれ、まいったよ」
と、エルのほうを振り向くと、エルはピンクのツインテールを逆立たせ、目を三角にしている。
「たーかーさーまー?」
「待て、エル。話せばわかる」
俺は平身低頭して事情を説明したのだった。