花盗人と万能の秘薬。
どうしてこんなことになっちゃったのかなー。
というか、だんだん慣れてきた気がするのは気のせいか。
「姐さん。これもどうっすか?」
「あら、ありがとう。頂くわ」
先日、とある町で仕入れた情報をもとにカーライルという町を目指していた。
その町には、何年か前から魔法使いと名乗る人物が住みついているらしいのだ。
ほんの数時間前まで、シンたちは真っ直ぐ東に向かってその町を目指していた。
はずだったんだけどな。
「姐さん。これなんかも結構いけますぜ」
「あら、ホント。口にした瞬間に広がるこの何とも言えない甘い香りがとっても素敵!」
二人は、というか正確に言うと自称世界ランク一位の美女、アルマは、街道の途中で運悪く盗賊たちに襲われてしまった。
しかし、どういうわけか、気がつけば襲い掛かってきたはずの盗賊連中に、姐さん呼ばわりされて、これ以上ないくらいにもてなされてしまっていた。
現在、二人は盗賊たちのアジトと思しき廃屋にいる。
なんだかなあ。
シンはお皿に並々と注がれたきついお酒を少しずつペロペロと舐めながら、窓の外に遠い目を向けた。
その横では盗賊たちが、崇拝するアルマをもてなすためにどんちゃん騒ぎをしている。
皆、アルマの視線が気になるようで何をするにもちらちらとアルマのほうを見ていた。
きっと微妙な乙男心というやつだろう。
ふと、目の前にある扉に視線を向けた。
そこには、どうやらこの盗賊たちの頭目がいるらしいのだが、先程からいっこうに出てくる気配がなかった。
「頭は万能の秘薬にご執心なのさ」
万能の秘薬?
見上げると、盗賊の一人が、シンの背を撫でながら苦笑を浮かべていた。
しゃべる猫とばれたのかと思ったが違うようだ。
一点を見つめる猫に興味湧いたのだろうか。
「先日どっかの町で手に入れたらしくてな。何でも黄金の価値のある花って触れ込みらしいぜ。まあ、もっとも? 頭以外誰もその花を見てねぇからどんな花かは答えようがねえけど。なんか、どんな病気や怪我も治せる、すんげぇ花らしいぜ」
仲間に呼ばれて酒瓶片手に離れていく男の背中をちらりと一瞬眺めやった後、シンは再び目の前の扉に視線を戻した。
「どうかしたの?」
気がつくと、いつの間にやらすぐ側にアルマが座り込んでいた。
「なあ、アルマ。呪いってさー。病気の内に入ると思うか?」
「うん?」
アルマが席を離れたことに誰も気づいていないようだ。
最早、部屋は当初の目的そっちのけで内輪の酒飲み大会と化していた。
周りの騒がしさのおかげでシンがしゃべっていることに誰も気がついていない。
「もしかしたらって思っちまったんだけどさ」
「テメエら、もう少し静かに騒ぎやがれ!!」
突然、目の前の扉から無精髭を生やした厳つい男が出てきて、理不尽な内容のことを怒鳴った。
水を打ったように静まり返る室内。
どうやらこの髭男がこいつらの頭目のようだった。
頭目が、それだけ告げて再び部屋へと戻りその扉が閉まると同時に、このどんちゃん騒ぎはお開きとなった。
そうして、皆、仕方ないな、とでも言うようにお互いに顔を見合わせて、しずしずとそれぞれの仕事をしに出かけて行った。
***
「いや、そりゃ、ちょっと見てみたいとは言ったけどさ」
「なあに? 今更怖気づいちゃったの? そんなんじゃモテないわよ」
「余計なお世話だ。というかだな、やっぱり盗むっつーのは道徳的にどうかなーとか思うわけよ」
「もともと盗んだものでしょう? それに、相手は盗賊だもの。どっこいどっこいでしょ」
「うわ。全然フォローになってねぇのな!」
深夜を待って、シンたちは万能の秘薬と呼ばれる花を盗むため、頭目の部屋へと侵入していた。
案外と広い部屋で部屋の奥にもさらに扉がいくつかあった。
どうやらこの盗賊のアジトである廃屋は奥行きがとても深いらしい。
と、アルマが横に三つ並んだ扉の一番左端を開けようとしたとき、ふいに中から扉が開いた。
「「!?」」
中から現れたのは、とても儚げな印象の少女だった。
手も足もほんの少しの風ですぐに折れてしまいそうなくらいに細い。
「こんばんは」
少女が真ん丸い大きな瞳を見開く。
「ええと、こんなに可愛らしい女の子がここにいるなんて、とっても意外なのだけれど、私の名前はアルマよ。よろしくね」
と、少しも動じない素振りでアルマがニッコリと微笑んだ。
「???」
少女は完全にパニックに陥っているようだ。
当然と言えば当然。
目の前に怪しい女と猫がいきなり現れたのだから。
いや、猫は眼中に入ってないかも。
と、扉の前に立つ少女の奥の部屋に、あるものを見つけ、瞠目した。
ピクピク、と耳が反応する。
が、すぐにひどく落胆した気持ちが込み上げてきて、ピンとたっていた耳がしおしおと垂れ下がる。
不審に思ったアルマがどうしたのかと聞いてくる。
シンは、扉の奥、テーブルの中央に置かれた、菫色の花瓶に生けられている青い小さな花を鼻先で指し示した。
「たぶん、例の秘薬とやらはあれのことだと思う。けど。けどなぁ。あれ、万能の秘薬なんかじゃねぇんだよなぁ」
「どういうこと?」
あら。すぐに見つかって良かったわね、と言おうとしていた矢先に、出鼻をくじかれ驚くアルマに、シンは苦笑を浮かべて首を振った。
「あれはフォリアという名の花だ。ここ一、二年前まで不治の病と言われていた十日熱を治すことの出来る奇跡の、それも唯一の薬草なんだよ。まあ、要するに、どんな病気でも治せる万能の秘薬じゃあ、ない」
自然と、声に翳りが落ちる。
落胆の色を隠せないアルマとシンに、少女が不思議そうに小首を傾げて言った。
「あの、確かにあれは万能の秘薬ではありません。というか、そう言われているのは、あの花ではなくて私のことですから。万能薬をお探しなのですか?」
「「!?」」
驚くシンとアルマの視線が少女のそれと交差する。
「それって、どういう意」
「出て行け」
どういう意味なのか問いただそうとした時、背後から唐突に声がかかった。
振り向くと、しかめ面をした頭目が扉にもたれ、腕組みをして佇んでいた。
「お前は俺の部下が連れ込んだ客人だ。だが、お前が万能の秘薬を求めているというのなら話は別。万能の秘薬なんてものはここにはないし、そもそもが存在しねぇ。それを求めていると言うのならさっさと出て行ってもらおう」
「ちょっと! そういう言い方は良くないわ。……ごめんなさい、悪い人じゃないんです。あの、よろしければ何故万能の秘薬を求めていらっしゃるのかを教え」
「駄目だ!!」
少女の言葉を遮るように頭目が怒鳴った。
怒りに空気がビリビリと震える。
「お前、分かっているのか!?」
「でも……目の前に困っている人がいるのなら、私、放っておく事なんてできな」
「ふざけんな!! お前はっ」
「ちょっと!!」
こちらを置いてけぼりにヒートアップしていく二人に、アルマがストップをかけた。
「とりあえず、どういうことか説明して頂ける? 話の方向が良く分からないのだけれど」
心なしか少女は目に涙を浮かべている。
互いに何かを必死に訴えているようではあるのだが、いかんせん二人が何についてそんなに白熱しているのかが分からない。
頭目は煩わしげに舌打ちをしてアルマを睨んでから、不機嫌そうに話し出した。
「……コイツはな。確かにどんな怪我や病も治すことのできる不思議な能力を持っている。コイツのことを聖女とか女神とか呼ぶやつがいるくらいには、だ」
そう言えば、以前どこかで聞いたことがある。
どこかの町にただ手を翳すだけで怪我や病を治すことのできる聖女がいる、と。
だが、その噂もほんの少ししたらすぐに消えてしまった。
だからというわけではないが、てっきり作り話だとばかり思っていた。
「コイツが診た怪我人や病人で治らなかったものはいねぇ」
それが真実なら、とんでもない話だ。
この世に薬師も医師もいらない。
「ただし、それは全てコイツの命と引き換えに、だがな」
「……命と、引き換えに?」
物騒な言葉に、アルマは眉を顰めた。
「ああ。つまり、コイツの力の源は自分の命なのさ。人を癒せば癒すだけ自分の命数が縮んでいく。そいうカラクリだ。それでもコイツにその力を使え、とそう言えるのか、アンタは」
シンの喉元からきゅう、と唸り声が漏れる。
シンとアルマは互いに顔を見合わせぎこちなく視線をはずしてからそっと瞳を伏せた。
「俺は、はじめはコイツを盗んで儲けるつもりだったのさ。だが、だがな。はじめてコイツを見た時に、その、人を癒す度に衰弱していく様子に耐えられなくなっちまった。だから……俺は、コイツを攫ったのさ。……もう、二度と、コイツにその能力を使わせねぇために」
この頭目、もしかすると、少女に対して同情以上の感情を抱いているのかもしれない。
でなければ、ただの同情だけで少女を攫って、さらにその世話までしたりはしないだろう。
おそらくは、自分を攫った相手に何の不快感も抱いていない様子のこの少女も。
「大事にしろよ」
この頭目と少女。
どうやら今の今まで猫がしゃべっていた、という奇怪な現象に気がついていなかったらしい。
いや、そんなことさえ疑問に思わないほど別のことに意識が向いていた、というべきか。
片目を瞑ってにやりと笑んだシンを二人そろって凝視した。
自然と頬がゆるむ。
けれど、何だかいろいろなことが無性に切なくて可笑しくて、思わず泣いてしまいそうだった。
シンは瞳を細めてこの微笑ましげな二人を見つめた。
そのうち、アルマが微かな溜息を零して、シンをそっと肩の上に乗せ、まだ驚いたままの二人に会釈をしてからこの盗賊のアジトを出て行った。
***
結局、またもや空振り。
世の中そううまくは出来てないってことか。
落胆するシンの喉元をアルマがゴロゴロと撫でた。
とても失敬な猫扱いぶりに、ちょっと腹が立たないでもなかったが、今日のところは許してやる。
「次、行きましょうか」
涼やかな声音で言うアルマに、シンは目を閉じて是と応じた。
次がある。
言外にそう告げられているような気がしたのだ。
見上げた先のアルマの笑顔につられてシンも微笑む。
外には明るい満月の光が優しく包み込むように辺りを照らし出していた。