尾の生えた伯爵。
「尻尾の生えた伯爵?」
少々早めの朝食を済ませた二人は早々に宿を発って、次の町へと向かった。
「ああ。詳しい経緯は知らねぇけど、その尻尾はもともと生えてたものじゃなくて、呪いでそうなってしまったんだと」
シンはアルマの肩の上に乗って、気持ち良さげに自分の尻尾をパタパタと振った。
長距離を移動するんだからこの方が楽でしょ、と言うアルマに無理やり肩の上に乗せられてしまったのだ。
猫扱いするのはやめてもらいたい。
「ふうん。だけど私が言いたいのはね。どうしてその伯爵さんって人に会いに行かなきゃいけないのか、っていうことなの。真っ直ぐ塔に向かえばいいじゃない」
眉間に皺を寄せながらもパタパタと楽しげに振っていた尻尾の動きがぎこちなく止まり、ゆっくりと、よりぎこちなく上下し始めた。
「あ。えと、その……そう、そうだ。だから、も、もしその伯爵が呪いをかけた魔法使いの居場所を知ってたりしたらさ。わざわざ塔まで行く必要はないだろう?」
確かに尻尾だけとはいえ人を動物に変えることのできるような魔法使いなら、猫にされた人間の呪いの解き方も知っているかもしれない。
と、突然ひょい、と猫でも掴むように首根っこをつまみ上げられた。
まあ、何というか事実猫なのだけれども。
「……何か、隠してるでしょう?」
片眉を吊り上げて微笑むアルマの顔の真正面まで摘み上げられており、目を逸らすことも出来そうにない。だらだらと冷や汗が大量に流れ始めた。
「シンちゃん?」
朝日よりも輝かしい笑顔を浮かべている割に、その声にはとても迫力があった。
「じ、実は」
自然と声が裏返る。
「実は?」
笑顔ですごむ自称世界一大美女の一人の鋭い眼光に身が竦む。
ごくり、と息を飲む音が聞こえた。もちろんアルマからではなく、軽々と持ち上げられてぶらんぶらん振り回されている自身の喉元からだ。
「実は……狭間の塔が具体的にどこにあるか、知らないんだ。……な、なんちゃって☆」
ピシリ、と空気の軋む音が聞こえた気がした。
***
「まあ!本当に可愛らしい尻尾ですのね。触らせて頂いてもよろしいかしら?」
「ああ、もちろん構わないよ!!」
伯爵の館は、貴族の館の割にはとても質素だった。
全てモノトーンの家具で配されており、一見して生活感と言うものがまるで感じられない。
そういう意味では貴族らしい家、と言えるのかもしれないのだが。
「この触り心地、癖になりそうですね」
だが、それはぱっと見の話。
よくよく見れば、結構ハイセンスな家具が多い。
シックな配色に拘った豪奢な造り、と言ってもいい。
いいな、こういう家の造り、なんて現実逃避に一生懸命専念した。
「そうだろう、そうだろう! さあ、触りたまえ! もっともっと触りたまえ!
そして私の全てに惚れ抜くがいいよ!」
尻尾のある伯爵なんて、実際に合うまでただの噂だと思っていた。
だって、貴族なんて名誉ある地位にいる人間にそんなモノが生えていて、しかも呪いかもしれないなんて噂、普通は噂そのものにならないだろうから。
力ある立場にある人間は、いつだってそういうものを隠すのが上手い。
金と権力を使って、忌避されるような事実など簡単に揉み消してしまうだろう。
だが、噂がある。
だから、ただの噂だと思った。
理由になっていないかもしれないが、そう思っていた。
この伯爵に会うまでは。
「ふふふ。今日も私の尻尾は美しい。この滑らかな毛並みは清純な乙女のように柔らかく気高い。ああ、なんたること。なんたる罪! どうして私はこんなにも人々を魅了してやまないのか!! ああ、私のこの美しさの何と罪深いことか!!」
うぜぇ。
と、口にしそうになって、慌てて口元を肉球で塞ぐ。
危ない危ない。
自分に尻尾があることを他人に自慢して回るような変人伯爵のことだ。
しゃべる猫なんてきっと大好物に違いない。
変態の愛玩動物にも実験体にもなりたくないから黙っていないと。
つか、いつ本題に切り出せるんだろうな。
何だよ、清純な乙女のように柔らかく気高い毛並みって。
何ソレ、美味しいの?
って感じだな。おい。
アルマの隣、ふかふかのソファの上でシンはニコニコニコニコしながら伯爵の話に相槌を打っているアルマに、尊敬の眼差しを送った。
伯爵、という肩書き上、ある程度落ち着いた年齢の人物かと思っていたのだが、目の前の伯爵様はどうみても二十代半ばくらいにしか見えない。随分年若い当主様のようだが。
よく、こんな変人に付き合えるな。
なんて身勝手なことは、自分の代わりに嫌な顔一つせずに話を聞いてくれているアルマには決して言えないが。
「さあ、君も僕の虜になり給え!!」
完全に頭がイカれてしまっている伯爵の熱烈なラブコールは、突然アルマに抱え上げられたシンのキュートな唇によって塞がれた。
「「!!」」
驚いたのは男とオスがそれぞれ一人と一匹。
互いにこれ以上ないくらいの至近距離で目を見開いて驚愕する。
シンは思わず伯爵の顔をバリバリと引っ掻いていた。
「あら。もう、ダメでしょ。シンちゃん。」
もう、困ったさんね、そう言ってアルマはシンを伯爵から離して自分の膝の上に乗せた。
「もう、うちのシンちゃんがごめんなさいね?」
アルマは本気で心配そうな顔して、伯爵の無残な引っかき傷をそっとなぞった。
気持ち悪い。
何か軟らかかった。
「う、うむ。まあ事故というのはどこにでよくあることだ」
寛容だな、伯爵!
つか、アルマのやつ、後で覚えとけよ。
絶対に痛い目に遭わせてやるからな!
「寛大なお心に感謝いたします」
なんて殊勝な言葉を返しているアルマを恨みがましい目で見つめた。
あ。
馬鹿。
喉を撫でるな。
くっ。
「ところで伯爵」
アルマに喉を撫でられる度、ゴロゴロと音が鳴る。
「何かね?」
若干くぐもった声でそう返してきたのは、胸ポケットに入れていた白いハンカチをさっと取り出し、口元をごしごしと拭っているからだろう。
俺だって口を拭いたいっつーか、洗いたいのに。
「その尻尾の呪いをかけた魔法使いって、どんな方なのですか?」
「ま、魔法使いかい? ええと、何と説明すればよいのやら」
「?」
小首を傾げるアルマに、伯爵は困ったように微笑んで告げた。
「実は、僕にこの呪いをかけたのは僕の母上なのだよ」
シンの鼻先が一瞬、ヒクリ、と動いた。
「最も、今はもういないがね」
「と、言いますと?」
「うむ。胸に病を患っていてね。四年程前に他界したよ」
あんびりーばぼう。
いきなりの衝撃告白にシンはアルマの膝の上でぐったりと項垂れた。それを励ますようにアルマがシンの喉元をゴロゴロとさする。
馬鹿、やめろ。気持ちい…悪いから!
「それはお気の毒に」
いえ、おかいまなく、とでも言うように伯爵は軽く手を上げた。
「でも、そうなるとその尻尾の呪いは……」
言いにくそうに言い淀むアルマに伯爵はにこやかに微笑みかけた。
「まあ、もともとこの呪いはとある魔法の失敗でね」
「失敗、ですか?」
アルマにゴロゴロされながら、うっとりと目を細めていたシンも伯爵を見上げる。
「何かの秘薬を作っていた途中で、失敗して弾けた魔法が僕に降りかかってしまったのさ。それでこなんことになってしまったのだが」
伯爵は苦笑しながら自慢の尻尾を撫でた。
犬のようなというか狼のようなというか、とても手触りの良さそうな尻尾であることは間違いない。
「ああ、言っておくが、別に恨んだりはしておらんよ。母も母なりに一生懸命この呪いを解く方法を探してくれていたからね。……もっとも、そのせいで胸を患ってしまったのだがね」
そう言って、伯爵は寂しげに微笑んだ。
伯爵が、自身が負った呪いを卑下しない理由が分かった気がする。
案外、この伯爵、善いやつなのかもしれない。
変人伯爵と名高いこの男の真実の一端を垣間見た気がして、少しだけ見直した。
「だから、存分に触り給え!」
なんて、見直した言葉をすぐに撤回したくなるような変人ではあるが。
何にせよ、これでシンの呪いを解く方法がひとつ、消えた。
がっくりと項垂れるシンをアルマは労わるように撫でた。それから、伯爵に丁寧に礼を述べて屋敷を辞した。
***
「結局、振り出しに戻る、だな」
自嘲気味に呟いたシンの頭をアルマは軽く小突いた。
「そうでもないでしょ。伯爵のお母様は呪いを解く方法を探している最中に亡くなられた、って言ってたじゃない? ということは、その呪いを解く方法自体はある可能性がある、ってことだもの。それが分かっただけでもたいした進歩だと思わない?」
沈みかける夕日を背中にして微笑むアルマをシンは不覚にもうっとりと見惚れてしまった。
「そうかな」
「そうよ」
背後で美しく射しこむ茜色の光が、背を押して励ましてくれているような気がした。
と、ふいにアルマの名を呼ぶ声が聞こえた。
振り向けば、少々息を弾ませながらこちらに向かってくる伯爵の姿が視界に映った。
「まあ。そんなに慌ててどうされたんですか?」
「……ああ……ハアハア……ちょっと、ハア。思い出してね」
「?」
「ここから少し東に行ったところに、カーライルと言う町があるのだが、その町にはちょっとした噂があってね」
伯爵の屋敷からここまでは結構な距離があったはず。
よっぽど慌てて出てきたのか、伯爵は、馬や馬車でなくわざわざ走ってここまで駆けてきたようだった。
「詳しくは知らんが、その町のはずれの森に何年か前から魔法使いと名乗る人物が住み着いている、と聞いたことがある。もっとも風の噂で聞いたに過ぎぬ故、たいした確証はないがね」
シンとアルマは魔法使い、という言葉に反応して互いに目を合わせた。
「まあ! では、わざわざそのことを伝えにいらして下さったのですね」
またしても伯爵を見直した。
伯爵の親切な態度に敬意を込めた眼差しで向けると、伯爵は歓喜に打ち震えるように身を悶えさせて、両手を広げ、口に一本の赤いバラを咥えた
「はははは! いいんだよ、いいんだよ。僕の話を聞いてくれた貴重な友人だからね。教えて差し上げようと思っただけさ。だからね。そんなに気を遣わなくてもいいんだよ。お礼なんてもってのほかさ。だけど、そうだな。そんなに言うのなら、しょうがないなぁ。僕は普段、こんなこと滅多に言わないし、人に気を遣わせるのもあまり好きではないのだが、そこまで言うのなら仕方がないだろう。だから、一回だけデートしてあげてもい」
「それでは、さっそくそのカーライルと言う町に言ってみますわ。貴重な情報をどうもありがとうございました」
ペコリと伯爵にお辞儀をして、二人はその場を去った。
後には、静止画のようになってしまった伯爵だけが残される。
どうでもいいけど、俺は茜色から藍色に変わる瞬間の空が一番好きだなあ。
なんて、伯爵の背後に広がる美しい夕焼け空を眺めながら、しみじみと感嘆のため息をこぼしたのだった。
改稿していたら、伯爵の性格が大幅に変わってしまいましたw
以前はモジモジくんでアルマにメロメロな性格だったのに、
うっかり変人になってしまった。
ごめんね。
としか言えないw