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金の花 黒の花。




 パキリ。


 湿った小枝を踏みしめ、シンは彼女の眠る場所に立っていた。

 吹き抜ける風がカサカサと音を立てて枯葉を散らす。

 本当はずっと、ここに来ることを避けていた。

 怖かったから。

 アーシャに何と言えばいいのかどんな顔をすればいいのか分からなくて、ここに来ることがどうしても出来なかった。

 けれどどうしても伝えなければ言わなければいけないことがあった。


「…………」


 なのに、頭の中を駆け巡るこの想いを上手く言葉に出来ずにいた。

 気持ちだけが先走る。

 と、ふと墓前に小さな花束が添えられていることに気がついた。

 花の状態を察するにまだ新しいようだ。

 その花の隣に自分がくわえていた花を並べて置き、いったい誰が来たのだろうかと首を傾げた。



「シン、ちゃん」



 はじめは空耳だと思った。

 自身の願望が白昼夢となって現れたのだと。

 ずっと会いたかったから。

 けれどこんな場所にいるはずがないと自身の逸る心を戒める。

 夢でなければいいような、けれど夢であって欲しいとも思ってしまうような。

 揺れる心の声に惑いつつおそるおそる振り向くと、濡れたように光る浅葱色の瞳がこちらを見つめていた。


「アルマ……」


 そう呟く声はひどくざらついて掠れていた。

 言いたいこと伝えたいことがたくさんあったはずなのに、その全てがまるで始めから存在していなかったかのように頭の中から消えている。

 駆け出して抱きしめてしまいたい衝動に駆られた。

 けれど、駆け出してみたところでアルマを抱きしめられる胸も腕もない。

 なんてもどかしく厭わしい。


「何をしているの」


 ふいに、アルマがきつい口調でそう言った。


「……は、墓参り……を……」


 だんだんと尻すぼみになるのは、過去に対する罪悪感や後悔が胸をよぎったから。


「誰の」


 何だろう。

 すごく悪いことを見咎められて怒られているような、そんな錯覚に陥る。


「誰に何をしているですって」

「む、昔のこ、恋人、の」


 何と言って良いのか分からずとりあえずそう口にしたとたん、アルマの表情がみるみるうちに凍りついた。


「恋人……?」

「あ、い、いや。確かに一緒に過ごした期間は短かったし、もしかしたら俺が一方的にそう思っていただけであいつは何とも思っていなくて、ただの男友達の一人くらいにしか思われてなくて……って、うわ。それはきついな。ああ、じゃくて。何言ってるんだ、俺は……。だからつまり、そ、その恋人というか、あああの、その、そういうアレではなくてだな……」


 などと何か検討違いの言い訳をし始めたシンに、アルマはいっそう眉間にしわを寄せて鼻先で哂った。


「恋人ですって? 貴方が? アーシャと?」

「い、いやだから恋人というか、その……え?」


 今、アルマは何て……?


「貴方がアーシャを殺したくせに、墓参りなんてよく言えるわね」


 全身がドクリと脈打った。

 悪い夢でも見ているような気がする。


「アル、マ?」

「ふん。なぁに、その顔? だって本当のことでしょう。貴方が殺したのよね、私の大事な妹を」


 カチリ、と音がする。

 どこかで何かがつながり、同時に何かとても大切なものが手のひらからするりと零れ落ちた。


「…………妹?」


 怖い。聞いてはいけない。

 何かがおかしい。

 今日のアルマはどこか違う。怖い。


「ねぇ、どうして死なせたの? アーシャを殺したいほど嫌いになったの? それとも病を抱えた女を看病していくのが煩わしくなった?」

「ち、違う!! 俺はっ! 俺は断じてアーシャを嫌ったりなどしていない!! それに看病だなんてことは思っちゃいな」

「じゃあ」


 白い翼の鳥が、数羽、羽ばたいていった。

 無音の森に烏の歪な鳴き声が不気味に響く。


「じゃあ、どうしてアーシャがここに眠っているの」

「……」

「……」

「……」


 全身に冷たい汗がどっと噴き出し、ふいに、雲の上に立っているような奇妙な浮遊感に襲われる。

 

「シンちゃん」


 アルマの声に、心がドクリと軋みはじめた。

 どうして俺は、今になって唐突に墓参りなどしたのだろうか。

 来なければ良かったのだろうか。

 わざわざ今日に、それもこの瞬間にここを訪れる必要などなかったのだから。

 しかし。


「ねぇ」


 アルマの右手がゆっくりと背中に回る。

 烏の声が喧しい。

 喉元に何かひやりと冷たいものがあたった。


「死んでくれる?」


 黒い細身の長剣が、喉元にピタリと突きつけられていた。


「アルマ」

 

 紡ぐ言葉は掠れ、カラカラになった喉から転がるように零れ落ちていく。


「ずっとね。探していたのよ。貴方を。探して探して探して、ようやく見つけたの。ふふっ。まさか、呪いにかかっているなんて思いも寄らなかったけれどね」


 アルマの瞳が嘲るようにシンの姿を捉えた。


「ねぇ。どんな気分なの? 猫になるなんて。ふふ。あはは。いやぁね。惨めなものね。ねぇ、シンちゃん? 今、どんな気分? 苦しい? 悲しい? 死にたい?」

「……アルマ」

「気安く呼ぶんじゃないわよ!!」


 突然の衝撃に一瞬、視界が霞み星が飛んだ。

 数度頭を振って、アルマに剣で殴りつけられたのだと理解した。


「アルマ」

「っだから気安く呼ばないで」


「泣かないでくれ」


「!?」

 

 再び殴られようとした時、アルマの瞳を見つめ、気づけば、そう口にしていた。

 アルマの瞳が、驚きに見開く。

 

「泣くなよ。……お前が泣いてると俺も悲しくなるから」

「……嫌な男。本当にどこまで傲慢なの」

「アルマ」

「黙りなさい。貴方と話したくないのよ。どうして分からないの? 貴方は、私の大事な妹の敵。私は、貴方を殺すために探していた。ずっとずっと探してたのよ」

「アルマ」

「うるさいって言ったわ!!」


 アルマの流した涙が剣に落ち、刃を伝ってシンの喉元を流れた。

 じっとアルマを見つめながら、今までのことを想う。

 これは、きっと巡り合わせなのだ。

 アーシャと出逢い、喪ってから、今日までの。


「……俺を殺したいか?」


 目を合わせたまま、そう問うた。

 喉元に突きつけられていた剣が微かに震える。

 冷ややかな風が吹き、墓前に添えられていた花が空に舞う。


「……ええ。殺したいわ」


 いつの間にか烏の鳴き声が止み、辺りには再び静寂が広がっていた。


「……そうか」


 シンはそれだけ言うと静かに目を閉じた。


「どういうつもり?」


 アルマは、急に何かを諦めたように大人しくなったシンをいぶかしんで睨みつける。


「殺せ」

「な!? 本気で言っているの!?」

「ああ」

「……」


 突きつけれていた剣先がふいに喉元を離れた。


「馬鹿じゃないの?」

「ああ。たぶんな」


 目を閉じたまま笑った。


「馬鹿よ」

「うん」


 今日まで。

 この日、この瞬間の為に生きてきたのかもしれない。

 いや、違う。

 俺はずっと、こんな風に、誰かに断罪されるのを待っていたのかもしれない。

 閉じた瞳の奥に浮かぶのは、とても家族思いでとても不器用な二人の姉妹。

 壊したのは自分だ。

 ならば、せめて。



「……じゃあ、本当に死んでくれる?」





 ヒュッ、という風を切る音と共に首筋を何か生温いものが伝った。






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