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禍福はあざなえる縄の如し。



 糸のように細く白い下弦の月が、黒く輝く夜空にひっそりと浮かんでいた。

 冷たくか細い風が吹き抜ける度に、木々が音を立てて小枝を揺らす。

 静寂という名の檻に囚われた森がひどく陰鬱で、隠れていたはずの心の声までもが溢れ出てしまいそうな寂しい夜だった。

 

 パチリ。

 シンが見つめる先で小さな炎がゆらゆらと翳る。



 ――要するに、私とデートしたいのね。



 にっこりと微笑んで言ったアルマの言葉を思い出し、シンは苦笑を漏らした。

 アルマはどこからどう見ても文句のつけようのない完璧な美人だった。

 絶世の美女、とは本人が口にしていた言葉だが間違いではないと思う。

 美しい、ただその一言に尽きる美貌の持ち主。

 

 パチリ。

 小さな炎が再び爆ぜる。


 俺は、どうしてアルマに声をかけたのだったか。

 美人だったからか?

 違う。

 では、剣士だったから?

 いや、それも違う。

 ならば、寂しかったからだろうか。

 いいや、違う。たぶん、そんなことじゃない。

 

 シンは、ふるりと頭を振って夜空を仰いだ。

 視界に映るのは、昏く輝く美しい青。

 ちらちらと色とりどりの輝きを明滅させながら星々が瞬く。

 ああそうか。


 パチリ。

 シンは、再び小さな火の粉を散らす朱色の篝火へと視線を戻した。

 

 瞳だ。

 アーシャと同じ瞳の色だったんだ。

 仄かに緑色を帯びた淡い青。美しい浅葱色の瞳。

 その瞳の中に、自身と同じ色を見出してしまったから。

 あらゆる思いを閉じ込めて、一歩、身を引いて世界を見つめていたあの瞳が何だかとても苦しそうで切なかったから。

 だから、気がついた時にはもう、声をかけてしまっていたんだろうな。


「……どうかしていた」


 本当にそう思う。

 もう二度と誰かを苦しめ自らも傷を負う、あんな苦い感情に浸かりたくなかった。

 だというのに、なんて様だろうか。


「馬鹿か、俺は……」


 シンは、きゅうと喉を鳴らしながら自嘲気味に吐き捨てた。


「……そんなこともないと思うがね」

「アルマ!?」


 独り言に答えが返ってきたため、驚いて顔を上げた。

 が、そこに立っていたのはアルマとは似ても似つかぬ男だった。


「……すまないね、私だよ」


 男が申し訳なさそうに、帽子を脱ぎながらそう言った。


「……悪い」


 声も口調も違うのだ。

 アルマと間違えるなんてどうかしている。


「いや」


 恥ずかしいやら情けないやら、顔を背けて俯いたシンに、男は気にしなくていいと囁いて腰を降ろした。


「……どうやらこの森の手前までは確かに村人と共に逃げていたようだね」


 耳にすっと溶け込むような妙に落ち着いた声でそう言った男に、シンはそうか、とだけ返して再び火を見つめた。


「ところがどういった訳か、彼女は途中で急遽進路を変えた」


 パチリ、と音を立てて炎が爆ぜる。


「何処に」


 行ったのか、と尋ねるシンに、男は困ったような顔をして肩を竦めて見せた。


「さあ、何とも。……確か、東の方角へ向かった、と村人の一人が言っていたかな」


 東。

 それはアルマと共に歩んできた道、アーシャと出会った森のある方角。

 アルマは何を思い何のために東へ向かったのだろうか。


「どうするのかね?」


 ゆっくりと背を撫でながら尋ねる男に、シンは数度瞬きをしてから応えた。


「行く」


 結局は全て自己満足なのだと思う。

 俺はいつだってそうだった。

 アーシャの時も病に苦しむ彼女を気遣っているふりをして、自らの気持ちや考えを押し付けていただけなのだろう。

 そして今。

 アルマを探そうとしているこの気持ちも、判然としないあやふやな状態に耐えることが出来ないから、ケリをつけたくてけじめをつけたくて追うのではないだろうか。結局、俺はいつだって身勝手で傲慢な嫌な男なのだろうな。


「今日はもう遅い。日が昇るのを待って向かうとしようじゃないか」

「……ああ」


 男の言葉に頷き、満天の夜空へと視線を移す。

 


 アルマ、お前は今、何処にいる? 何をしている?

 泣いてはいないだろうか。悲しい思いをしてはいないだろうか。

 お前はいつも表情には出さないけれど、人一倍優しくて人一倍傷つきやすいから。

 誰も気づきはしないけれど、いつも自分以外の者のことですぐに心を痛め、己の責任のように感じてしまうところがあるから。

 いつも何もしていないふりをしながら人知れず手を差し伸べているんだ。

 救われた本人さえも気がつかないほど自然に。

 アルマ、俺はお前に会うまで、もう自分というものを諦めていた。

 これは報いなのだと、罰を受けたのだと、そう思うことにしていた。

 大事な人を守ることが出来なかった愚かで卑劣な自分に科せられた罰なのだと思っていたんだ。

 けれど、俺はお前に出会ってしまった。

 一緒に、いろんなところを旅したよな。

 幻想の町とか移動要塞とか宝石の降る町とかさ。

 だけど、どんなに魔術師を捜し歩いてみても結局呪いの解き方なんて一つも見つかりはしなかった。

 覚えているか、アルマ?

 お前はね。その度に、次がある、って。そう言ってくれたんだ。

 だから俺もがんばろうって、諦めないでもっと探し続けようって、そう思えた。

 アルマ。俺はさ……俺は……

 ……いや。

 俺は、誰よりもお前の幸せを願うよ。

 だからどうか、一人で泣くようなことだけはしないで欲しい。

 アルマ、俺はお前に嫌われてもいいんだ。

 もう二度とお前に会えなくなるとしても構わないよ。

 ただ一度だけ。

 一度だけ、どうしてもお前に会いたい。

 会いたいんだ。

 アルマ。お前は今、何処にいる?何をしている?

 どうか一人きりで泣いたりしないでくれ。

 すぐに見つけるから。追いつくから。

 だからどうか出来ることなら待っていて欲しい、なぁんて思うのは欲が深すぎるかな。



 パチパチと音を立てる炎を瞼の裏に焼き付けて、シンはゆっくりと瞳を閉じた。






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