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揺籃の森。前編

一話完結型といいつつ、二話続けて、前後編になってしまいました。

すみません。




 丁度、解熱薬の調合をしている時のことだった。

 その日は激しい雷雨で、普段なら賑やかなはずの森もただ猛り狂う嵐に身を任せて靡いていた。

 だから、こんな日に来客があるとは思わずとても驚いたのを覚えている。




***



「嫌ぁね。びっしょ濡れだわ」


 突然聞こえた声に驚いて振り返った。


「ア、アーシャ!? お、お前こんな嵐の日に何をやってるんだ!?」


 全身に大量の雨を纏わせて戸口に立つアーシャをシンは慌てて中へと引き入れた。


「……ほら。拭けよ」


 湿った髪を絞るアーシャにタオルを差し出した。


「うん。ありがとう」


 アーシャはニッコリと微笑んでタオルを受け取ると、すぐに身体を拭き始めた。

 シンは、一枚では足りないだろうと数枚をテーブルに置いて、アーシャの湿った飴色の髪を拭いてやることにした。


「お前、こんな嵐の日に何やってんだ。風邪引くだろ?」


 口調に少なからず怒りの響きが混じるのは、身体の弱いアーシャの身を本当に案じているがゆえのこと。


「うん。ごめんね。だけど……会いたかったの」


 アーシャは、自らの髪を拭くシンの手を取り、そっと自分の頬にあてがった。

 アーシャの冷えた身体には、その仄かな温もりが心地良かったらしく、ほっと小さく息を吐いた。


「……別に、他の日でも良かったんじゃないのか」


 あまり強く言い返せないのは、単純にとても嬉しかったからだ。

 気がつくと後ろからそっとアーシャを抱きしめていた。


「うん。でも、それでも会いたかったの」


 もう一度、アーシャはそう言った。

 アーシャは身体があまり強くない。

 よく笑いよく話す快活なこの少女は、一見して健康そうに見えるし、普段生活していく分にはさほど支障がないように思える。

 しかし、アーシャの身体は現在では治すことの出来ない病魔に蝕まれており、それは日に日に悪化の一途を辿っている。

 今のところ、かろうじてシンの調合した薬で経過を遅らせてはいる。

 しかし、それももう時間の問題だった。


「ねぇ」

「うん?」


 冷えたアーシャの身体を包み込むように抱いて、アーシャのお腹のあたりで手を組んだ。その手に、下からアーシャが自らの手を重ねる。


「女がこんなに会いたかった、って言ってるのよ? 普通なら、『ああ。俺も会いたかったよ』とか言うものなんじゃないの?」


 唇を尖らせて言うアーシャがあまりにも愛らしくて、思わずそのこめかみに口付けていた。


「……俺も会いたかった」


 耳元で囁くように言ってやると、アーシャの耳がみるみるうちに赤く染まっていくのが分かった。


「……心が籠ってないわ」


 耳まで真っ赤に染めているくせに、何の意地かアーシャは再び口を尖らせてそう言った。

 その様子があんまりにも可愛らしくて、ついついあらぬ方向へと働きそうになる自らの思考を戒めた。

 代わりにアーシャの細くて白い肩をきつく抱きしめる。


「俺も」


 アーシャの雨に濡れた髪から、ほんの少し白檀の香りがした。


「会いたかったよ」


 触れている肌と肌からこの思いの丈が残らず伝わるように、どんどん線の細くなりつつあるアーシャが消えてしまわぬように、きつくきつく抱きしめて囁いた。

 アーシャはゆっくりと柔らかな微笑を浮かべてくるりと反転し、シンの顔をじっと見つめながらその首にするりと手を回した。


「本当にそう思ってる?」


 何故か不敵な笑みを浮かべたアーシャが、片方の眉を吊り上げて言った。

 自分の頭はとうの昔におかしくなってしまったのだろうなと思う。

 アーシャの髪、アーシャの唇、アーシャの瞳、アーシャの声。

 その全てが愛しくてしょうがなかった。


「ああ。思ってるよ」


 苦笑を湛えつつ言うシンに、アーシャは照れたように少しだけ目を伏せて言った。


「じゃあ……キスして」


 伏し目がちのアーシャの頬に手を添えて、輪郭をなぞるように撫でた。

 そのまま顎を掴んで、つい、と上を向かせる。

 同時にアーシャが瞳をゆっくりと閉じた。


「仰せのままに。お姫さま」


 アーシャの小さくてほんのりと赤い唇に自らのそれを重ねた。

 そっと触れてすぐに離れると、アーシャの唇から甘い吐息が零れた。

 抑えきれず再び唇を重ねる。

 今度は深く。さらに深く。

 互いに息も出来ぬほどに。


「んっ……」


 アーシャから小さく息を漏らす声が聞こえたところで、シンはようやくアーシャを解放してやることにした。

 この少女をいつからこんなにも愛しいと思うようになったのかは分からない。

 もしかしたら、出会ったときからすでにその芯の強い爛々とした瞳の輝きに心を奪われていたのかもしれない。

 とにかく、この少女と一秒でも長く一緒に居たかった。この時のシンは、ただそれだけしか考えてはいなかった。




***



 翌日、アーシャは意識を保つのも危ういほどのひどい高熱を出して倒れた。

 けれど、こんなふうにアーシャが倒れたのはこれが初めてのことではなく、シンはいつものように作り置きの解熱薬を用意して、アーシャが眠っているはずの寝台に足を向けた。


「アーシャ。薬持ってきたからちゃんと飲……ア、アーシャ!?」


 つい今しがたまでアーシャが寝ていたはずの寝台は、もぬけの殻となっていた。

 慌てて駆け寄り手を当てると、僅かに温もりが残っている。

 まず、こんな森の奥のこの家にはめったに人は来ない。ならば、アーシャがふらりと外へ出かけたということなのだろう。


「あんっの馬鹿が。あんな身体でどこに行ったっていうんだっ」


 ひやりと胸をよぎる嫌な予感を振り払い、シンは急いでアーシャの後を追った。





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