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燎原の火。後編




「ではその魔法使い殿は今はもういらっしゃらない、と?」

「……はい」


 シンは、とても気まずい思いで尻尾をパタパタと所在無げに振った。

 自分の過去について語る、というのは何とも恥ずかしく、また事情が事情なだけにとても切ないものだ。

 しかしその経緯を知らずして呪いの解き方を探るのは難しいらしく、シンは羞恥と悲愁に瞳をきょろきょろさせながらも賢者の質問に慎重に答えていた。


「ふむ。では呪いをかけた本人が死んでも解けなかった、ということになりますな」


 賢者殿の言葉に、無意識のうちにピクリと片耳が動いた。

 そう。そうなのだ。この呪いは彼女が死んだ今も消えずに残っている。

 それだけ自分を恨む想いが強かった、ということなのだろうか。


「ふむ。では少し調べて参りましょう」


 そう言って、賢者殿は立ち上がって奥の部屋へと入って行った。

 どうやらこの賢者殿、自身も魔術師、というわけではないらしい。

 もともとは東国で軍医をしていたらしく、また易学や天文学、占星術など様々な分野に精通している事から人々に賢者、と呼ばれているらしい。

 しかしだからと言って魔術について何も知らないというわけではなく、昔、知り合いの魔術師に呪いを解くための解毒薬の作り方を教わった事があるらしいのだ。

 ただ一口に呪いと言ってもその数は様々で、そのため解毒薬も呪いによって少しずつ違うそうだ。

 賢者殿は元医者だと言うし、何だか呪いというものが一種の病のように感じられて、シンは妙に居心地の悪い思いを味わっていた。


「ありました。これです」


 しばらくして、賢者殿が奥の部屋から戻ってきた。その腕には大量の本を抱えている。解毒薬の処方箋か何かだろうか。


「読まれてみて下さい。この中に必ず呪いを解くヒントがあるはずですぞ」


 賢者殿はニッコリと笑んでそう言うと、抱えていた本をテーブルの上にドサリと置いた。


「……」


 並べられたそれらを見て、シンの表情が固まる。


「……えと、すいません」

「どうされましたかな?」

「俺の気のせいじゃなければ、これ…………絵本、ですよね?」


 絵本、童話、御伽噺。言い方は様々だろう。

 それらは誰がどう見ても子どもに言い聞かせるような仄々とした寓話ばかりだった。何故、賢者殿はこんな馬鹿げたものを持ち出してくるのか。解毒薬の処方箋ではなかったのか。


「童話を侮ってはいけませんな。そもそもこういった話にはたいてい元になった話、というのがあるものです。ですからその中に何かヒントがあってもおかしくはない」


 シンの心を読み取った賢者殿が黒曜石の瞳を柔らかに細めた。

 穏やかにそう説かれると、そのような気もしてくるというもの。

 けれど、シンにとってはこれは命に関わる問題なのだ。

 馬鹿げた話につきあってなどはいられない。


「賢者殿。猫の寿命というものは人間に比べると総じてとても短いということはもちろん知っておられますよね? だから、俺にとってはこれは死活問題なんです」


 言外にそんなに悠長にしてなどいられないと告げるが、賢者殿は微笑んだまま首を横に振る。


「シン殿。貴方は何故その呪いをかけられたのでしたかな?」

「は?」


 唐突な問いかけに、シンは小首を傾げて賢者殿を見上げた。


「少なくともそこにヒントが隠されているはず。私はそう思いますな」


 そう……なのだろうか。

 呪いをかけられた理由。そもそも猫になる呪いなんて、どのような思いが込められていたのか。


「本当に童話の中に呪いを解くヒントがあるのでしょ……」


 言い終わる前に急に外が明るくなったことに気がついて、窓を見た。


「え……」


 爛々と輝く外の光に、シンは息を飲んだ。

 音もなく赤々と揺らめく、その深紅の輝きに。


「ア、アルマっ」


 目の前に置かれた呪いを解くための絵本のことや真向かいで驚いて声も出ない様子の賢者のことよりも、真っ先にアルマのことが頭に浮かんだ。

 と、同時にシンは窓を蹴破って真っ直ぐにアルマのいる酒場へと駆け出していた。




***



 驚いたことに、村の中はすでに火の海と化していた。

 賢者殿の家は村のはずれともいえる場所にあり、その赤くおぞましい輝きには今の今まで全く気がつかなかったのだ。


「アルマ……」


 焦る心が嫌な想像を膨らませる。

 不安に慄く心を叱咤して、酒場へと真っ直ぐに駆け出した。

 どうやら村人のほとんどはすでに逃げてしまっているらしい。

 途中で、母親とはぐれてしまったらしい幼い子どもが喉も裂けんばかりに泣いているのに出くわした。

 けれど、最早アルマのことしか頭にないシンには、その子を助ける、という考えすら浮かばない。

 目の前に見えてきた酒場の戸を勢い良く跳びあけて雪崩れ込むようにして中に入った。

 この時ほど自分が猫であることに感謝した事はない。

 火の海と化した店内であちこち崩れていく柱や壁を身軽に跳び避けながら、アルマの姿を探す。

 けれど店内に人の気配はなく、それどころか虫の子一匹見つからない。


「アルマ……」


 ちゃんと逃げ切れたのだろうか。

 纏わりついてくる不安を振り払い、さらに奥へと進もうとするシンの身体が突然ふわりと宙に浮かんだ。


「おや。こんな所に猫が。ここはもう危ない。私と共に逃げようではないかね」


 放せ、と抵抗するも虚しくシンは妙な男に首根っこを掴まれたまま、攫われるようにして村を離れた。




***



 猛り狂う火炎の軌跡とは、かくも無残なものなのか。


 シンは多くの村人と共に、焼け野原と化した村を呆然と眺めていた。

 村人の必死の消火活動により火は収まったが、もはや廃墟と呼んでもおかしくはないほどに、あらゆるものが焼け落ちていた。

 何でもこの村のすぐ近くで小国との間で小さな戦争があっていたらしいのだ。

 決着は自軍のほうに有利に働いていた。

 けれど、燦々たる結果に終わってしまった敗走兵の幾人かが腹いせのためにこの村に火を放っていったそうだ。

 その放火犯も今はもう村人に捕まり、散々袋叩きにされた後、大量に血を吐いて死んだ。生き残った一人はいずれ中央から派遣されてくる役人に引き取られるらしい。


「惨いものだな。戦争も人も何もかもが」


 シンを腕に抱えたまま男が呟いた。

 しかし、今のシンには何も耳に入らない。

 アルマは逃げ切れたのだろうか。もしそうならば何故ここにいないのだろう。 怪我はしていないだろうか。ひどい火傷など負ってはいないだろうか。

 後から後から湧いてくる不安に心が締め付けられる。


「そういえばあの黒髪の美しい御婦人の姿が見えないな」

「アルマが何処にいるか知っているのか!?」


 この時のシンには、自分が猫であると言うことは頭になかった。

 突然人語を発した黒灰の猫に、男は一瞬驚いたように瞳を見開いたが、すぐに面白いものを見つけたとでもいうように、すっと目を細めて笑んだ。


「ほう。しゃべる猫とはこれは何とも面白……」

「おい、答えろよ!? アルマは何処にいる!?」


 シンがバタバタと暴れるため、それを宥める男の手は傷だらけになってしまった。


「やれやれ。悪いがね。今何処にいるかは知らんよ。ただ、酒場にいた人々と一緒に村の外へ逃げていく姿は見かけたがね」


 その言葉に、やはり無事に逃げ切れていたのだと安堵する。

 しかし、だとすればいったい何処へ行ったのだろうか。

 安堵したとたんに、アルマに対する怒りとも悲しみとも尽かぬ苛立ちが生まれた。

 何故、俺を置いていったのだろう。そもそも何故俺のところまで言いに来てくれなかったのだろう。何故、俺に一言なかったのだろう。何故……


「何か、思いつめている様子ではあったがね」


 男の言葉に、シンははっとして、つい最近のアルマの様子を思い浮かべた。

 確かに、ここ数日アルマはどこかおかしかった。

 何か悩んでいたに違いない。そしてそれが何なのか訪ねなかったのは自分自身だ。

 もしかして、不甲斐ない自分に愛想を尽かしてしまったのだろうか。


「のっぴきならない事情があるようだねぇ」


 余計なお世話だ、という意味を込めて男を睨みつけた。

 が、男はさして気に留めず、肩をすくめてみせた。


「探すのかい?」


 当然だ、と答えようとしてそこではたと気がついた。

 もともと自分はこの村に、呪いを解くために来ていたのだ。

 しかし今は、呪いの解き方よりもアルマを探すことの方を優先させようとしている。そのことに自分で自分にとても驚いていた。


「おい! 遺体が見つかったぞ」


 村人の一人の挙げた言葉でそちらを向くと、アルマを探す途中で見た子どもと、その子どもを助けようとしていたのだろうか。村のはずれに住んでいた賢者の焼死体が並べられていた。


 急に、自分という存在がとても恐ろしくなった。


 

 浮かぶ言葉はただの一言。

 何故、と。



 何故。何故なのだろうか。

 何も、何も感じない。

 アルマがもし無事でなかったらと想像した時以上の嘆きは。

 アルマが自分を置いていったことに対する以上の悲しみは。

 もしアルマを見殺しにしていたらと考える以上の罪悪感は。


「本当に惨いことだ。戦争は何も生み出さない。傷つけ、壊す。ただそれだけだ。そして何よりも酷いのは、いつも犠牲になるのは何も知らぬ者たちだということだよ」


 子どもの母親らしき女が泣き叫びながら子どもの側へと駆け寄って行った。


「本当に醜い。これを好んで作り出す者たちがいるということが何よりも醜い。人間とはとても愚かで傲慢な生き物だ」


 ふいに、自らの頬を何かが流れ落ちていくのに気がついた。

 シンは、それを拭う事もせずに呆然と近くて遠い目の前をぼんやりと眺めていた。


「俺は……」


 何に対して泣いているのだろうか。

 悲しみでもなく、懺悔でもなく。


「……人はね。時には自身でさえ想像も出来ないほど残酷でそして愚かになれるものなのだよ。それを良いか悪いか判断することは、私には出来ないがね」


 男の言葉に呼応するように生暖かい風が吹き抜けた。

 音もなく、余韻も残さず。

 すぐ近くからパチリ、と炎が爆ぜるような音と共に古木が焦げ落ちていった。

 同時に、自分の中の何かも燃え落ちてしまったように感じた。




 辺りにはただただ、子どもの母親らしき女の悲愴な泣き声だけが木霊していた。






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