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One Night

作者: ヤマダマヤ

「もういいっ! あたし―……。帰るわ」

 クリスマス間近の渋谷の街。夜も10時を過ぎると、明日を気にする通行人の脚は早い。その脚は、ヒステリックに叫ぶあたしの声に、一瞬止まった。そして、なーんだと言う顔付きで、再び足早に通り過ぎて行く。

 あたしには、そんな周りの雑踏は聞こえない。早送りで通り過ぎる歩行者達は、あたしの目には入らない。今映るのは、あたしが吐いた白い息と、その向こうの青白いLED。それと、街路樹の満開のイルミネーションの中に、ぼんやりと浮き立つ彼の姿。

「あのなぁ、好きにしていいって言ったのはそっちだろ?」

「だから好きにしていいって言ってるっしょっ! あたしだって好きにするから……。じゃっ」

 あたしは、呆気に取られる彼にくるっと背を向け、駅に向かってずんずん歩き出した。

 あたしの背中で、又かよ、と、彼の溜め息が聞こえた気がした。涙が出そうになって、唇を噛んだ。

 別にいいよ、わかってる……。あなたはあたしを、追ってはこない。


 彼と会うのは、1ヶ月ぶりだった。1ヶ月ぶりって言っても、全然遠距離恋愛なんかじゃない。あたしと彼の家は、夜中でも走って会いに行ける程近いはず。なのに、遠い。時間も心も凄く遠くて、擦れ違ってばかりいる。

「忙しくて……、時間が合わなくて……」

 実際ホントそうなんだけど、マジでお互い忙しいんだけど、それでもそれは、……言い訳だよね。

 でももう、限界だよ。あたしは、彼に時間を合わせて無理矢理都合付けた。それが、今夜だった。

 思えば最初から、携帯もメールもするのはいつもあたしだった。デートの企画もあたしだった。アイスクリーム食べるのも、買い物するのも、全部あたしだった。

 彼の言葉に“今度”、“又”はあっても“○日○時”は、一度もなかった。

 時間無いのは分かっている。けど、たまには返してくれたっていいじゃん、メール。来るワケないって思ってても、あたしはベッドで、ケータイ握って待ってるんだよ。

 そりゃ、告ったのはあたし。一方的に好きになったのはあたし。だから“彼女”って言うこんな状況、今でも信じられない。

 だって彼は、少しだけ目立つ、少しだけモテタイプで、いつも女子に騒がれてたから。競争率、ハンパなかったし。

 でもモテタイプって言ったって、ただ他の男子よりちょっと背が高くて、ちょっと脚が長くて、ちょっと小顔でスベスベ肌で、二重ふたえで睫毛長くて鼻筋通ってて、はにかむ笑顔が可愛くて、サラサラヘアで声が澄んでて……。あ、それって普通に、イケメン、とかゆー……。

 でもあたしが好きになったのは、そんな見掛けじゃないんだけどな。

 イジイジモヤモヤした自分にケリ付けたくて、顔も見ずに勢いに任せて告った。言うだけ言って、即行逃げ出した。でも“オッケー”って大声で即答してくれた。“嘘!”って連発するあたしに、“マジ!”って何度も答えてくれた。

 あれって、気まぐれ? それとも同情? だとしても、あたしは今、一応彼女なんだよね? 違くないよね? ……。あたしひとりが、そう思ってるだけ?


 毎日の帰り道、居ないって分かってても、必ず遠回りしてあなたの家の前を通る。

「あたし、今帰りだよー。おやすみなさーい」

 いつもの事だけど、真っ暗な部屋の窓に、変化はない。こんなに傍にいるのに、凄く遠い。織姫と彦星より、あたしとあなたとの距離は永い。

 窓の向こうにあなたの姿を思い浮かべて、手を振るあたしの微笑みは、下がる腕と共に溜め息に変わる。


 そんな事をあれこれ思い浮かべながら、あたしは唇をぎゅっと噛み締め、更に足早に駅に向かった。

 ビルや街路樹は、色鮮やかなイルミネーションをまとい、お洒落な店が並ぶ通りには、気取ったクリスマスツリーや、剽軽ひょうきんな雪だるまが、通行人を誘惑している。

 あたしの吐く白い息が、視界にフィルターを掛けているんだろうか。街の光はだんだんぼやけて、毒々しいネオンサインは徐々にひしゃげていく。横を走るタクシーのライトは、露光時間シャッタータイムを無理矢理引き伸ばした写真の様に、あたしの視界に線を引く。

 目の前の渋谷駅……。あたしは無意識に、駅舎の前を通り過ぎた。そのままゆっくりと、駅前の通りに沿って歩く。

 頬に当る風が、チクチクする。そっと頬に触れると、オブラートの様な薄い氷が、貼り付いているみたいだ。今頃になって、涙に気付く自分の鈍臭さに、笑えた。きっと、あたしの鼻は真っ赤だ。

 期待して、わざとしてこなかった手袋。真っ赤になった手は、かじかんで指が動かない。感覚の無い両手に、はぁ~っと、命を吹きかけた。

 あたし……。何してるんだろう。どこに行くんだろう。想いが言葉に繋がらない。心が身体からだを支配出来ない。勝手に暴言、勝手に暴走。……勝手に撃沈。

 うつむいて髪をいじると、ポタリと涙が舗道に落ちた。


「痛っ」

 履き慣れない、踵の高い卸し立てのブーツ。マンホールのちょっとしたくぼみで、足首をひねった。普段だったらこんなの、捻った事さえ気付かないのに、今は凄く痛い。

 今日、髪をほんの少し切った。コロンも変えた。下着までもがこの日の為にあつらえて、思い切ってイメージチェンジしてみた、今日のファッション。

 エロカワを狙ってみましたぁ!……。なんて、ね。

 彼、あたしと逢うの1ヶ月ぶりだから、しょうがないってわかってる。でも……、ちょっと位、気付いてくれたっていいじゃん。

 あたしは、短くなった前髪を抓まんだ。


 今日、彼と駅で待ち合わせして、あたしが見たかった恋愛映画を一緒に観た。友達とじゃなくて、どうしてもあなたと見たかった。でも予想通り、あなたはあたしの隣で爆睡。感想は……。聞かなかった。

 その後あたしが下調べした、評判のカフェレストランに誘った。

 あたしだって忙しい。でも、そのお店で過ごす数十分の為に、あたしは奔走した。口コミやランキングや、検索サイトグルメ雑誌を懸命に調べた。その内の何軒かは、実際に行ってみた。

 大変? ううん、楽しかったよ。だって、彼のリアクションを想像しながら、ひとりであれこれ調べるのは、デートの楽しいオプションだもん。その店での、ほんの少しのおしゃべりは、ふたりだけの大切な時間だし。宝石の様な一瞬の笑顔の為に、苦労して作ったケーキ、みたいな。


「イタメシ? 悪い。俺今、濃いのムリ。脂っ濃いのはどーも。胃が受け付けなくてさ。うどんかそばじゃだめ?」

 結局、いつものファストフード。あたしと一緒にいるのに、彼は寝てるかずっとケータイを弄っている。

 やっとぎ付けた彼とのデートだったのに。忙しい中強引に捻じ込んだ、1ヶ月ぶりのデートだったのに。その前会ったのって、2ヶ月前だよ。

「いつでもいいよ。好きにして」

“いつでも”っていつよ? “いいよ”じゃなくて“ダメだよ”の間違いでしょ?

 でもそれが彼の口癖だ。その上その口調は、まるであたしに何の関心もないみたいな、棒読み。どーでもいい、面倒臭いって聞こえる。

「忙しいから、今はごめん。後で電話する」

 どーしても声が聞きたくて、昼休みを狙って掛けた電話。だけどいつもそう言って、その後返って来た例しがない。

 やっぱり、そうなのかな……。


 街は人が多くて、灯りはまぶしくて、でも寒くて暗くて……。爪先が冷たくなったあたしの脚は、だんだん重くなる。合わせてこうべも下がる。

 ここは、あたしがよく来るよく知る渋谷の街。なのに、今どこを歩いているのか、わからない。目の前の光景は、まるで知らない街だ。あたしは、お母さんとはぐれた幼児の様に、宛てもなく道に沿って、とぼとぼ歩いた。あたしの心も、行く宛てのない迷子だ。

 アベックが通り過ぎ、酔っ払いに声を掛けられ、学生達が横切り、OLやサラリーマンに追い越されていく。この街には、こんなに大勢の人がいるのに、あたしは今、この世界にひとりぼっち。

 あたしって、バカだ。何やってんだろ。あんなに楽しみにしてたのに。自分からぶち壊して。この髪もこの服もあたし自身も、全部この時間の為に用意したのに……。

 わかってる。キレたのはあたしで、手を振り解いたのはあたしで、逃げ出したのはあたしだって。でも結局、取り残されたのはあたしで、置いてけ堀食らったのもあたし。


 かたつむりの様にゆっくりだった、あたしの脚が止まった。

「すき……。あなたがすき。あなたがすき。あなたがすき……すき……」

 唇が、勝手に動く。言葉になると、もれなく涙の“おまけ”が付いてくる。

「すき……」

 意地悪な涙が、呼吸を妨げる。時々しゃくりあげて、肩が上がってしまう。

 あたしの涙に気付いたのか、あたしが突然しゃくりあげたのに驚いてか、通行人が声を掛けたそうな目で、あたしの横を通り過ぎる。でも今は、他人の親切は要らない。


 ボ―…ン。どこかの時計が、静かに、凍りつきそうな声で、午前0時を告げた。

「あ、……」

 顔を上げると、信号機の向こうに駅舎が見える。どこをどう歩いたのか、あたしはいつの間にか駅に戻っていた。

 街のイルミネーションは、午前零時を境に、少しずつ薄れていく。通りの店舗のクリスマスツリーも、静かに眠りに就いて、次の夜を待っている。

 あたしも、意味も無く光るのをやめて、次の夜を待った方がいいのかな……。いくら待っても振り向いてくれない、たった一人の為に光ってるのって、エコじゃないよね。

 あーあ。午前零時、過ぎちゃった。あたしのシンデレラタイム、終わりかな。ちっとも楽しくなかったけど。

 それで、多分きっと絶対、……。次はない……。


 スクランブル交差点に立つあたし。合図と共に、あたしは誰かに肩を押されて、駅に向かう流れに乗せられた。

 あたしは、力尽きて枝から川面かわもに落ちた葉っぱだ。終電を気にする人の流れに、あらがえない。

 刻む時と共に、近付く最終電車。それに乗ってしまったら、あたしの恋も最終になってしまいそうで、怖くて脚が進まない。とっくに諦めてるはずなのに。

「でもやっぱり、イヤ……。だってあなたがすきだもん……」

 あたしは、小岩に引っ掛かった葉っぱの様に、交差点の真ん中で立ちすくんでしまった。


 帰路を急ぐ人達を、次々飲み込んでいく巨大駅。その中で、あたしだけが止まっている、映画のワンシーン。

 あたしは何かを感じて、ふっと顔をあげた。

 はかない光に、人も建物も滲んでいる光景は変わらない。でもその中に、動かないはっきりとした輪郭を見つけた。交差点の先に立つ人影……。離れていても、あたしには分かる。

 これは夢? あたしが見たいと願った幻? あたしは何度も目をこすった。そっと顔を上げるたびに、夢がうつつに変わる。

 本物だ! あたしは力が抜けて、持っていたバッグを落とした。


 彼は、ばーか、と言いた気に笑って、あたしに両手を差し出している。おいで、と。

 周りの人込みが雪になった。消えたイルミネーションの代わりに、星がまたたきだした。

 あなたがすき。あなたがすき。……だいすき。

 必死で我慢してたのに、涙のたがが外れた。凍りついた頬が、新しい涙で緩む。くじいた足はなんともない。踵の高いブーツが、横断歩道を勢い良く駆け抜ける。迷わず、あなたの腕に飛び込む。

 ただいま!


「ばーか。勝手にどっか行くなって。心配するだろーが。俺、ずっと後ろ着いてたのに、おまえ一度も振り返らないんだもんな」

 暖かい彼の腕の中、あたしは小さくうなずくだけで精一杯だ。

 抱き寄せられて、頭撫でられて、凍り付いていた心も緩む。夢じゃないよね。何度も何度も、彼の胸に顔を押し当てて、体温と匂いを確認した。

 ずっとずっと呟き続けた言葉が、無意識に漏れた。

「あなたが、すき……」

「……わかってる」

 彼が、あたしの髪をワシャワシャと掻き回した。あたしは、心の声が聞こえたのかと、驚いて顔を上げた。

「でも、俺の方がもっとずーっと、おまえをすきだから」

「……ばか」

 錯覚だってわかってる。けど、あたしと彼を取り巻く凍て付く青白い空気が、ほんの少し温かくなって、ほんの少しピンクになった。振り返る通行人の目も、温かい。あたしが落としたバッグを、スーツにコート姿のおじさんが、笑って手渡してくれた。

 あたし、抱きついたまま意味不明な愚痴を連発してる。自分でも何を言ってるのか分からない。彼の、半ば呆れながらも、優しく返してくれる言葉だって、理解できない。

 あたしからのメールや電話がホントは凄く嬉しかった、とか、忙しいあたしに遠慮して会いたい気持ち押し込んでた、とか、自分は照れ屋で口下手で物凄ーく嫉妬深いから、あたしに不快な思いをさせたくなかった、とか……。

 ごめん。嬉しい言葉なのに、あたし聞き取れない。今は、しがみ付くあなたの胸から、聖歌の様な鼓動だけが、届く。

 錯覚だと思っていた雪が、本当に雪になった。この冬初めての雪は、桜の花弁はなびらの様にふわふわと、遠慮がちに髪に留まる。気が付いて、二人揃って夜空を見上げた。

 残った街の灯りが、舞い降りる雪を照らし、星に変える。それは静かに二人に降り注いで、まるで二人の為のイルミネーションだ。

 幻想的な真夜中の光景に、顔を見合わせてクスっと笑った。


 え? あなたの顔が、そっと近付いて来る。

 あ……。人目を気にしない、交差点のキス……。照れ屋じゃなかったの?

 神様……。この時間は、少し気の早い天使の、クリスマスプレゼント、ですか?


 あなたとの終着駅は、あたしにはまだ見えない。でもそんな事、今はどうでもいい、だって……。

 今だけの、ほんの一瞬が、今だけは、ずっと永遠だから……。


 ―― メリークリスマス ――

ありがとうございました。

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