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 雪が降る音を、初めて聞いた。

 意識した事がなかったからなのか。こんなにも静かな夜が、初めてだからだろうか。

 さらさらと、薄い紙に粉をかけるような音がする。

 啜り泣く声と一緒に、また、雪が積もる音がした。


 *


 伊野のじいちゃんが死んだのは、(くだん)の橋だった。通夜に集まったじいちゃんの親戚達が、ひそひそと噂をしていたのは、じいちゃんが自殺をしたという話だった。

 橋の欄干から身を乗り出して、そのまま落ちていくのを目撃した者が居たという事だが、俺は違うと思った。

 故障した車を、街で預けて、取りに行く約束までしていたというのを、要から聞いたからだった。

 自殺するような人間が、先の約束をするとは思えないし、そもそも、じいちゃんは自殺をするような人じゃない。

 じいちゃんは、あの男の子に魅入られたのだ。


「……翔、要ちゃん見てないかい?」


 大勢の弔問客に紛れていた俺に、喪服姿のばあちゃんが耳打ちをした。そう言えば、要の姿が見えない。


「伊野さん、一人だったろ? 親戚の人達が家を使うだろうから、要ちゃんをこっちで引き取るって話になったんだけど」


 伊野のじいちゃんは、早くに奥さんを亡くして、今は一人で暮らしていた。二人の子供は、都会に出ていたらしく、兄妹は家族を連れて帰って来ていた。とても良い人達で、帰って来るなり要の事を労ってくれていたのを、俺も見ていた。


「ごめんね、こんな事になっちゃって……ありがとうね」


 妹の方が、要に頭を下げていた。妹とは言っても、俺たちの母親程の歳の女性で、彼女は泣くのを堪えて、要に微笑みかけた。

 警察からの電話を取ったのは、要だった。

 あの日、ばあちゃんの家に駆け込んで来た要と、遠くにいる親族の代わりに、病院に駆けつけて、じいちゃんの身元を確認した。

 要は、その頃には落ち着いていて、じいちゃんの家を探って、方々に電話を掛けていた。じいちゃんの、親戚達に、要が連絡をしたのだ。


「さすがに、大勢の中で一人は……ね?」


 ばあちゃんが、そう言ったところで、俺の意識が戻る。


「探してくるよ」


 探すまでもなく、要はすぐに見つかった。

 炊事場で、慌ただしく働く女の人達に混じって、通夜振る舞いの料理の支度を手伝っていたのだ。

 呼ぶと、要はじいちゃんの娘さんに一言声を掛けてから、俺の方に近寄ってきた。


「何してんの?」


「お手伝い、かな」


 そう言って笑った要の顔を見た瞬間、俺は彼の腕を取って走り出していた。人気の無いところを探し出して、辿り着いたのは、じいちゃんの家の裏だった。自慢の松の木も、雪に埋れている。


「どうしたの、翔」


「……わかんねーけど! なんか、要、辛そうだ」


 辛いのは当たり前なのだが、余りにも痛々しい。笑っていないのだ。笑顔を見せてはいるけど、要の目が、ずっと笑っていない。

 それが、俺には辛い。


「……ありがと、翔」


「うん」


「僕……僕が、街に行きたいなんて言わなければ。じいちゃんと一緒に戻ってれば」


「うん」


 後悔しかないんだ、と要が顔を歪めた。

 両手で顔を覆って、膝をついた彼の肩は、小さく震えていた。

 俺はその時初めて、雪が降る音を聞いた。

 ひとしきり泣き終えた要が、台所に戻ると言うので、俺達はじいちゃんの家の中に入った。


「……てか、要、台所で何してんの?」


「伊野家は、通夜振る舞いに故人の好物を出すんだって。最近のじいちゃんを良く知ってるのは、僕だからって、お手伝いを頼まれて」


「へぇ、じいちゃんの好物って、なんだったの?」


「ロールキャベツ。コンソメのやつ」


 思いの他、若者寄りだったのだろう。要の答えに、俺はずっこけるフリをした。


「なんだ、それ」


「じいちゃん、洋食好きだったんだよ。お年寄りと侮っちゃダメだね」


 要が、楽しそうに笑った。やっと笑った彼の顔を見て、俺は安堵する。


「あ、台所は男子禁制だから」


「……いや、じゃあ、お前……」


「ばあちゃんにも、通夜振る舞い食べてってって伝えといて。じゃ、また後で」


 要が、廊下を駆けていく背中を見つめて、俺は言いかけたツッコミの続きを、一人で呟いた。


「いや、お前も男だろーが」


 *


 その夜、要と俺は布団を並べて敷いて、眠った。ばあちゃんが、何故か渋い顔をして、何かを言いたげにしていたが、結局何も言ってこなかった。

 せっかくだし、一緒に風呂に入りたかったのだが、それはばあちゃんに睨まれて、言い出す事すら出来なかった。


「翔、寝た?」


 電気を消して、ぼんやりと天井を眺めていると、要が囁いた。


「いや……どうした?」


「……あの子、まだあそこにいるのかな」


 橋の下の子供の事を言っているのだろう。


「さあ、どうだろ。なんで?」


 何故、そんな事を聞くのか。そう問いかけたつもりだった。返事がなかったので、思いつくままに話を続けてみる。


「この先も、じいちゃんみたいに、あの子に呼ばれる人が出てくるかもしれないんだよな」


 要が、息を殺す気配がした。

 それから、大きく息を吸う音。


「僕は……」


「え?」


「あの子を、成仏させる」


 要が、吐き出すように言った言葉は、俺の耳を通り抜けていった。実際に見た俺でも、現実味のない話だ。それを、成仏させるなんて、更に現実味がない。


「お前、バカ? そんなの、どうやって……」


「不本意ながら、実家の力を借りる」


「実家?」


 尋ねたが、また返事が返ってこなかった。

 代わりに、衣擦れの音が聞こえた。どうやら寝返りを打ったらしい。


「眠くなっちゃった。また明日、話すよ」


「な、こら、要」


 規則正しい寝息が聞こえて、俺は何度目かのずっこけをやってのけた。

 不思議なヤツだと思う。

 仲良くは、なれているんだと思う。だが、肝心な事は話してくれない。隠してる様子は無いから、聞けば答えてくれるんだろうが、そもそも何を話してくれていないのかがわからないので、尋ねようがない。


「……変だな」


 要の事が気になる。その気持ちに、違和感を感じる。まるで、これでは……


「いやいやいやいや、ないから! 目を覚ませ、俺!」


 これではまるで、男に恋をしているようではないか。俺は布団を頭から被って、無いから、と心の中で叫び続けた。

※ネタバレ注意

























BLではありません。健全です。

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