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 ばあちゃんの家に滞在するようになってから一週間。

 俺の一日は、決められた時間割のように過ぎていく。

 まず、日が登る前にばあちゃんに起こされる。それから、たっぷりの朝食を摂って、家の手伝いをする。九時ごろに、要が迎えに来て、一旦ボランティアに出掛ける。正午に一度家に帰って、ばあちゃんと要と昼食を食べる。そしてまたボランティア。五時に要を連れて帰って、離れに篭る。七時に、要を伊野家に送って、家に戻る頃にばあちゃんが夕食を用意してくれる。

 そもそも、毎日要を送る必要があるのかわからないんだが、要を一人で帰らしたら、伊野のじいちゃんがものすごく怒る。怒涛の勢いで、怒る。だから送る。


「はぁー、いいお湯だった」


 風呂から上がると、ばあちゃんが居間でうたた寝をしていた。


「ばあちゃん、風邪ひくぞ。もう部屋で寝な」


「……ああ、そうだね」


 はっと起き出して、ばあちゃんがはにかんだ。

 居間に残された俺は、なんとなくテレビを観ていた。特に、面白い番組もないし、寝ようかな。そう思って時計を見ると、まだ夜の九時だ。


「って、どんなけ健康的な暮らしだよ」


 自分で突っ込みを入れる。

 東京にいた時とは正反対の暮らしだな、と思う。携帯を見る事も、あまりないし、現代っ子としてどうかと思う。けど、すごく心地いい気がする。


「……ダメだったな、俺」


 東京にいた頃、母さんが生きていた頃、俺は、荒れていたんだ。今なら、そんな俺を客観的に見れる。すごく、ダメなヤツだったと。

 そんな事を考えていると、スマートフォンから着信音が流れた。


「もしもし、要?」


「ごめんね、夜遅くに」


「ああ……ってそんな遅くないけどな」


 電話越しに、要がきゃらきゃらと笑った。


「確かにー。あのね、明日なんだけど、ボランティアがお休みだからさ、遊びに行けないかなーって」


「休みとかあるんだ。いいよ、どこ行く? って言っても、なんもないけどな、この辺」


「駅の方とか? 名物らしい物なにもたべてないんだよね、僕」


「いいねぇ、名物料理巡りでもするか」


「じゃあ、決まり! 遅めに、迎えに行くから」


「りょーかい。また明日」


 電話を切る時、俺は思わず笑っていた。

 気の合う友達と、富山観光か。名物って何があったかな。そんな事を考えながら、スマホを弄っているうちに、夜は更けていった。


 *


 富山駅までは、伊野のじいちゃんが車で送ってくれた。市役所に行く用事があるので、夕方にまた迎えにくると言い残して、トラックは走り去った。


「とりあえず、ラーメンでも行くか」


 要の肩に肘を置いて、提案する。今更ながら、要が俺よりも小さい事に気がついた。バスケをしている割に、背は伸びていないんだな。そう思ったが、口にしない事にした。気にしているかもしれないからだ。


「富山まで来て、ラーメン?」


「富山ブラック、知らねーの?」


 駅前のビルの二階にある、ラーメン店に入ると、昼時で賑わう店内には、油と醤油の香ばしい香りがした。スープが極端に黒い、味の濃いラーメンを食べて、要は微笑んだ。


「……濃い」


「白飯と一緒に食うんだって」


 そう言って、俺は白飯を二人分頼んだ。麺類と米を一緒に、なんて邪道な気もするが、これがまた美味かった。要も気に入ったようだが、勘定をする段階になって、カウンターを見やると、白飯が少し残されていた。


「要、少食だよな」


 店を出てから、そう言うと、彼は首を傾げる。


「そうかな?」


「そうだよ。そんなんじゃ、腕っ節強くなんねーぞ」


「別に、何かと戦うわけでもないし」


 要が、くすりと笑う。一緒に過ごす時間が増えて気がついたが、彼は少しなよなよしい所がある。まるで、女の子のようだ。女の子にしては、少しばかり大雑把だが。

 富山市内を観光して、夕食は白海老の掻揚げ丼を食べた。駅でじいちゃんが迎えに来るのを待っていると、要の携帯が鳴った。


「もしもし。……うん、食べたよ。ん? あ、そうなの? わかった」


 電話を切って、要が困ったように笑う。


「じいちゃん、車が故障したから、帰りはタクシー使えって」


「マジか。しゃあねえよな」


 とっぷり日が暮れた頃になって、駅前でタクシーを捕まえた俺たちは、家路に着いた。その、道中の事だ。山際に向かう途中の河川で、俺は思わず大声を上げた。


「おっちゃん、止めて!」


 タクシーは橋の中腹で路肩に寄せられた。運転手が開けるよりも早くドアを開いて、俺は橋の欄干へと駆け出した。身を乗り出して、河川敷を見つめる。

 やはり、居た。

 あの時に見た子供だ。濃い青色のダウンジャケットを着込んだ、小学生くらいの男の子が、立ち尽くしていた。その顔が、泣き出しそうに歪んでいる。


「翔、どうしたの?」


「あれ、あの子……前にここ通った時にも居たんだ。この前は、夜中だった」


 俺が、男の子を指差すと、要は驚いたように目を開いて、それから欄干から下を見た。何を考えているのか、要はなんとも判別しにくい顔をしている。長い睫毛が、僅かに震える。欄干を握る手は、力を込め過ぎているのか、白くなっている。


「要?」


「この辺の子なんじゃない?」


「それにしたって……危ないだろ」


 こんな時間に一人で、雪の積もる中、川縁にいるだなんて。


「……僕らには関係ないよ」


「お前なぁ」


「お願い、翔、関わらないで」


 それは、懇願に近かったと思う。

 縋るような上目で見つめられると、首を横には振れなかった。


 *


「要、意外と薄情だよな」


 恋愛ドラマを熱心に観るばあちゃんに向かって、俺はそう呟いた。ばあちゃんは、ちらりと俺を見てから、呆れたように息を吐いた。


「要ちゃんに、感謝しないとね」


「はあ? なんでだよ」


 俺は思わず、怒鳴るような声を上げてしまった。


「なんでもなにも、翔一人なら、今頃通夜の用意をしてるところだよ」


「……どういう事?」


「あの川は、毎年人が溺れて死んでるんだよ。真冬の、誰も川なんかに近づきたくないだろうって時分にね」


 それは、この辺りでは有名な話だそうだ。

 昔、と言っても、母さんが子供の頃。真冬に、あの川で小さな男の子の死体が上がった。その子が、何故川に近づいたのかは解らない。とにかく、子供が死んだのだ。彼が身につけていた青いダウンジャケットは、冷たい水を吸って、紺色に染まっていたという。

 その子が、冬になると人を誘うのだ。

 子供の姿を見つけて、親切心から川に近づいた者は、みな川に落ちる。生き残った者がいるからこその証言だが、日も暮れた頃に、子供が一人で河川敷にいるのを見て、危ないぞと声をかけると、彼はざぶざぶと冷たい水の中に進んでいってしまう。慌てて追いかけて捕まえようとすると、急に川底の深くなっているところに落ち込んでしまうのだという。

 子供の身長から見繕って、川はそれ程深くないのだろうと思っていた生存者の男は、そう語ったという。


「要ちゃんが止めなかったら、翔は川に入って行ってたんだろうね」


 ばあちゃんが、力無く笑った。


「そんな事……ってか、そんな話、信じれないし」


「要ちゃん、伊野さんからでも聞いてたのかね」


 俺の呟きを無視して、ばあちゃんがひとりごちた。有名な話だという事だから、要にも注意を促していたのだろうか。

 突然、居間から伸びる廊下に据え置いていた電話が鳴った。

 こんな夜更けにと、ばあちゃんと顔を見合わせる。ばあちゃんが立ち上がって、廊下に出て行く。


「もしもし……え? 上がった?」


 胸騒ぎがした。要だろうか。いや、要の事は、じいちゃんの逆鱗に触れたくないので、家の前まで送ったのだ。

 ばあちゃんが、電話を切って戻ってきた。


「翔、伊野さんが……」


 ばあちゃんが言葉に詰まった時、玄関が激しく叩かれた。


「翔! 翔……!」


「要? どーした?」


 玄関の扉を開けると、要がいた。

 血相を変えるとは、こういう事を言うのだろうか。要は、酷く取り乱していた。目が赤く血走って、潤んでいる。


「じいちゃんが……死んだ」


 要はそれだけ言うと、泣き崩れてしまった。子供のように、しゃくりあげながら泣く彼の背中を、俺は撫でてやる事が出来なかった。

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