三
ばあちゃんの家に滞在するようになってから一週間。
俺の一日は、決められた時間割のように過ぎていく。
まず、日が登る前にばあちゃんに起こされる。それから、たっぷりの朝食を摂って、家の手伝いをする。九時ごろに、要が迎えに来て、一旦ボランティアに出掛ける。正午に一度家に帰って、ばあちゃんと要と昼食を食べる。そしてまたボランティア。五時に要を連れて帰って、離れに篭る。七時に、要を伊野家に送って、家に戻る頃にばあちゃんが夕食を用意してくれる。
そもそも、毎日要を送る必要があるのかわからないんだが、要を一人で帰らしたら、伊野のじいちゃんがものすごく怒る。怒涛の勢いで、怒る。だから送る。
「はぁー、いいお湯だった」
風呂から上がると、ばあちゃんが居間でうたた寝をしていた。
「ばあちゃん、風邪ひくぞ。もう部屋で寝な」
「……ああ、そうだね」
はっと起き出して、ばあちゃんがはにかんだ。
居間に残された俺は、なんとなくテレビを観ていた。特に、面白い番組もないし、寝ようかな。そう思って時計を見ると、まだ夜の九時だ。
「って、どんなけ健康的な暮らしだよ」
自分で突っ込みを入れる。
東京にいた時とは正反対の暮らしだな、と思う。携帯を見る事も、あまりないし、現代っ子としてどうかと思う。けど、すごく心地いい気がする。
「……ダメだったな、俺」
東京にいた頃、母さんが生きていた頃、俺は、荒れていたんだ。今なら、そんな俺を客観的に見れる。すごく、ダメなヤツだったと。
そんな事を考えていると、スマートフォンから着信音が流れた。
「もしもし、要?」
「ごめんね、夜遅くに」
「ああ……ってそんな遅くないけどな」
電話越しに、要がきゃらきゃらと笑った。
「確かにー。あのね、明日なんだけど、ボランティアがお休みだからさ、遊びに行けないかなーって」
「休みとかあるんだ。いいよ、どこ行く? って言っても、なんもないけどな、この辺」
「駅の方とか? 名物らしい物なにもたべてないんだよね、僕」
「いいねぇ、名物料理巡りでもするか」
「じゃあ、決まり! 遅めに、迎えに行くから」
「りょーかい。また明日」
電話を切る時、俺は思わず笑っていた。
気の合う友達と、富山観光か。名物って何があったかな。そんな事を考えながら、スマホを弄っているうちに、夜は更けていった。
*
富山駅までは、伊野のじいちゃんが車で送ってくれた。市役所に行く用事があるので、夕方にまた迎えにくると言い残して、トラックは走り去った。
「とりあえず、ラーメンでも行くか」
要の肩に肘を置いて、提案する。今更ながら、要が俺よりも小さい事に気がついた。バスケをしている割に、背は伸びていないんだな。そう思ったが、口にしない事にした。気にしているかもしれないからだ。
「富山まで来て、ラーメン?」
「富山ブラック、知らねーの?」
駅前のビルの二階にある、ラーメン店に入ると、昼時で賑わう店内には、油と醤油の香ばしい香りがした。スープが極端に黒い、味の濃いラーメンを食べて、要は微笑んだ。
「……濃い」
「白飯と一緒に食うんだって」
そう言って、俺は白飯を二人分頼んだ。麺類と米を一緒に、なんて邪道な気もするが、これがまた美味かった。要も気に入ったようだが、勘定をする段階になって、カウンターを見やると、白飯が少し残されていた。
「要、少食だよな」
店を出てから、そう言うと、彼は首を傾げる。
「そうかな?」
「そうだよ。そんなんじゃ、腕っ節強くなんねーぞ」
「別に、何かと戦うわけでもないし」
要が、くすりと笑う。一緒に過ごす時間が増えて気がついたが、彼は少しなよなよしい所がある。まるで、女の子のようだ。女の子にしては、少しばかり大雑把だが。
富山市内を観光して、夕食は白海老の掻揚げ丼を食べた。駅でじいちゃんが迎えに来るのを待っていると、要の携帯が鳴った。
「もしもし。……うん、食べたよ。ん? あ、そうなの? わかった」
電話を切って、要が困ったように笑う。
「じいちゃん、車が故障したから、帰りはタクシー使えって」
「マジか。しゃあねえよな」
とっぷり日が暮れた頃になって、駅前でタクシーを捕まえた俺たちは、家路に着いた。その、道中の事だ。山際に向かう途中の河川で、俺は思わず大声を上げた。
「おっちゃん、止めて!」
タクシーは橋の中腹で路肩に寄せられた。運転手が開けるよりも早くドアを開いて、俺は橋の欄干へと駆け出した。身を乗り出して、河川敷を見つめる。
やはり、居た。
あの時に見た子供だ。濃い青色のダウンジャケットを着込んだ、小学生くらいの男の子が、立ち尽くしていた。その顔が、泣き出しそうに歪んでいる。
「翔、どうしたの?」
「あれ、あの子……前にここ通った時にも居たんだ。この前は、夜中だった」
俺が、男の子を指差すと、要は驚いたように目を開いて、それから欄干から下を見た。何を考えているのか、要はなんとも判別しにくい顔をしている。長い睫毛が、僅かに震える。欄干を握る手は、力を込め過ぎているのか、白くなっている。
「要?」
「この辺の子なんじゃない?」
「それにしたって……危ないだろ」
こんな時間に一人で、雪の積もる中、川縁にいるだなんて。
「……僕らには関係ないよ」
「お前なぁ」
「お願い、翔、関わらないで」
それは、懇願に近かったと思う。
縋るような上目で見つめられると、首を横には振れなかった。
*
「要、意外と薄情だよな」
恋愛ドラマを熱心に観るばあちゃんに向かって、俺はそう呟いた。ばあちゃんは、ちらりと俺を見てから、呆れたように息を吐いた。
「要ちゃんに、感謝しないとね」
「はあ? なんでだよ」
俺は思わず、怒鳴るような声を上げてしまった。
「なんでもなにも、翔一人なら、今頃通夜の用意をしてるところだよ」
「……どういう事?」
「あの川は、毎年人が溺れて死んでるんだよ。真冬の、誰も川なんかに近づきたくないだろうって時分にね」
それは、この辺りでは有名な話だそうだ。
昔、と言っても、母さんが子供の頃。真冬に、あの川で小さな男の子の死体が上がった。その子が、何故川に近づいたのかは解らない。とにかく、子供が死んだのだ。彼が身につけていた青いダウンジャケットは、冷たい水を吸って、紺色に染まっていたという。
その子が、冬になると人を誘うのだ。
子供の姿を見つけて、親切心から川に近づいた者は、みな川に落ちる。生き残った者がいるからこその証言だが、日も暮れた頃に、子供が一人で河川敷にいるのを見て、危ないぞと声をかけると、彼はざぶざぶと冷たい水の中に進んでいってしまう。慌てて追いかけて捕まえようとすると、急に川底の深くなっているところに落ち込んでしまうのだという。
子供の身長から見繕って、川はそれ程深くないのだろうと思っていた生存者の男は、そう語ったという。
「要ちゃんが止めなかったら、翔は川に入って行ってたんだろうね」
ばあちゃんが、力無く笑った。
「そんな事……ってか、そんな話、信じれないし」
「要ちゃん、伊野さんからでも聞いてたのかね」
俺の呟きを無視して、ばあちゃんがひとりごちた。有名な話だという事だから、要にも注意を促していたのだろうか。
突然、居間から伸びる廊下に据え置いていた電話が鳴った。
こんな夜更けにと、ばあちゃんと顔を見合わせる。ばあちゃんが立ち上がって、廊下に出て行く。
「もしもし……え? 上がった?」
胸騒ぎがした。要だろうか。いや、要の事は、じいちゃんの逆鱗に触れたくないので、家の前まで送ったのだ。
ばあちゃんが、電話を切って戻ってきた。
「翔、伊野さんが……」
ばあちゃんが言葉に詰まった時、玄関が激しく叩かれた。
「翔! 翔……!」
「要? どーした?」
玄関の扉を開けると、要がいた。
血相を変えるとは、こういう事を言うのだろうか。要は、酷く取り乱していた。目が赤く血走って、潤んでいる。
「じいちゃんが……死んだ」
要はそれだけ言うと、泣き崩れてしまった。子供のように、しゃくりあげながら泣く彼の背中を、俺は撫でてやる事が出来なかった。




