二
ばあちゃんは、俺の事を寝ずに待ってくれていた。
敷地内に入ってきたトラックのライトに気がついたのか、俺が荷物を持って降りると、ばあちゃんが家から出てきた。
「翔、いらっしゃい。あれ、伊野さんじゃねぇか」
「おう、ついでだ」
伊野のじいちゃんが手を上げる。ばあちゃんが、丁寧に頭を下げた。
「悪いねぇ。ありがとよ」
じいちゃんがトラックを切り替えして、出て行く時、助手席側のパワーウインドウを開けて、要が手を降ってきた。俺も、手を振り返す。
「暇があったら、遊ぼうね」
「ああ、また連絡する。ってか隣だし」
要がはにかむように笑う。トラックは夜の道を走り去っていった。隣家と言っても、田舎の家だ。少しばかり離れた所に、伊野のじいちゃんの家はある。
「今の子、友達かい?」
「高速バスで知り合った。気が合うんだ」
へええ、とばあちゃんが面白そうに笑う。
伊野のじいちゃんといい、ばあちゃんといい、珍しい物でも見るように、俺の事を見るけど、そんなに不思議なのだろうか。俺が、要と仲良くなるのは。
「疲れただろ。さ、入りなよ」
ばあちゃんに促されて、俺は素直に頷いた。
ばあちゃんの家は、入ってすぐに土間がある、昔ながらの作りをしている。正面から入って左手に、上がり框があって、その奥へと家が続いている。框を上がってすぐの部屋を居間として使っていて、食卓とテレビが置いてある。俺は、荷物を隅に置いて、とりあえずとばかりに座り込んだ。
「……あー、疲れた」
「はいはい、お疲れさん」
ばあちゃんが、熱いお茶を淹れてくれる。
それから、俺がテレビを見ている間に、簡単な物だけど、と夜食を用意してくれた。ばあちゃんお得意の、五目うどんだ。薄い色の出汁に、刻んだ揚げと、人参、椎茸、竹の子、ほうれん草が入っている。
「やった!」
はしゃぎながらうどんを啜ると、ばあちゃんが嬉しそうに笑う。
「翔は昔から、かやくうどんが好きだねぇ」
「かやく? 五目じゃねーの?」
「関西じゃ、かやくうどんって言うんだよ」
「……ばあちゃん、大阪から富山に来たんだって? さっき伊野のじいちゃんから聞いた」
ばあちゃんが、呆れたような顔をした。
「今更、何言ってんだか」
「知らなかったんだよ」
少しむくれて言うと、ばあちゃんが首を振った。
「翔は、家族に興味ないからねぇ」
「そんな事、ないけど……」
「あるんだよ。意識はしてないみたいだけどねぇ」
その話は、そこで終わった。
夜食を食べて、適当に話をしてから、風呂に入れと言われた。風呂から上がると、ばあちゃんの姿は居間には無かったので、俺は荷物を持って、いつも使っている客間に向かった。客間には、布団が用意されている。ばあちゃんは、布団を出してから、寝たのだろう。
風呂に入ったからか、俺は急激に眠気に襲われて、そのまま布団に潜り込んだ。
*
やけに寒いな。
寒さから逃れるように布団を深く被った。
途端に鼻腔をつく、慣れない匂いに驚いて飛び起きる。少し線香臭いが、日中干されていた布団の匂いだ。
「あ、そっか……俺」
昨夜、ばあちゃんの家に来た事を忘れていた。
身支度を済ませて、居間に行くと、ばあちゃんがテレビを観ていた。
「やっと起きたんかい」
「今何時?」
テレビの左上に表示される時計が、間も無く正午をお知らせしようとしている。
「うわー……寝すぎた」
「疲れてたんだろう。今日は特別。明日からは、ばあちゃんと同じ時間に起きなよ」
「げー、マジで?」
ばあちゃんは、毎朝日が登る前に起きる。それから、リフォームして使い易くしてある土間で、たっぷりの朝食を作るのだ。ばあちゃんのご飯は、朝から夜にかけて、ボリュームが減っていく。
年寄りだからね。そう、幼い頃に聞かされた事がある。歳を取ると、夜に余り食べられなくなるものなのだろう。
「お昼にしようか」
ばあちゃんが、にっと笑った。
少し野菜が多めの昼食の後、俺はする事もなく居間にいた。ばあちゃんの家は、俺が来る前の日に、伊野のじいちゃんが雪を掻いてくれたらしく、次に積もるまでは俺がする仕事はなかった。
なんで呼ばれたのかな。そんな事を考える。
「こんにちわー」
玄関から、元気な声が聞こえて、俺は飛び上がった。
「要?!」
急いで土間に降りると、要が手を振ってきた。
ばあちゃんも、居間から顔を覗かせる。
「あれ、昨日の……」
「ーー要です。ボランティアで東京から来て、伊野おじぃのとこでお世話になってます」
「そうかぁ。寒いだろう、上がりな」
ばあちゃんが、要をて招くと、彼は嬉しそうに頷いた。
「おじぃが、今日は雪掻きしないから、翔のとこにでも遊びに行ってこいって」
「そっちもか」
要が、どうしてうちに来たのかを話すと、ばあちゃんがにこにこと、やけに愛想の良い笑顔で、お茶とお菓子を出してくれた。
「ありがとうございます。おばあちゃん、お使いとか、お手伝いとか、何かあったら言ってください。僕、この辺りの家のお手伝いに来てるので」
「そうかぁ、でも、うちは翔がいるから大丈夫だよ。なんなら、翔もボランティアとやらをすればいいんじゃないかね」
ばあちゃんは、そう言って俺を見つめた。
「まあ、いいけど……暇だし」
「わあ、本当? 翔と一緒なら、楽しく働けそうだな」
「要、遊ぶわけじゃないんだろ」
「そうでした」
要が肩を竦める。
ぽんと、ばあちゃんが手を打った。
「翔、要ちゃんに離れを案内してやりなよ」
「ええ?! いや、でも……」
「何? 離れって」
身を乗り出した要に、ばあちゃんが微笑んだ。
「うちの離れは、翔の秘密基地なんだよ」
「昔の話だろ」
「今も、離れは触ってないんだよ。昔のまんま、残してある」
ばあちゃんの言葉で、脳裏に懐かしい光景が浮かんだ。
「……じゃあ、要、特別だからな」
そう言うと、要は嬉しそうに笑った。
*
居間の縁側から庭先に降りて、敷地内を突っ切った所に、小さな離れがある。そこは、じいちゃんが生きていた頃に、俺の為に建ててくれたものだった。
本当に手をつけていなかったらしく、離れの扉を開けると、少し黴臭い匂いが漏れ出した。
「中の物、干さないとなぁ」
思わず、そんな言葉が零れた。
「わ、あ……」
中を覗いた要が、感嘆の声を漏らした。
高い位置に作られた、明かり取りの窓から差し込む光が、室内の埃で煌めいている。離れの中には、無数のイーゼルが置かれている。壁に沿って取り付けられた棚には、裏の山で拾ってきた枝や木の実で作ったオブジェ。
離れは、俺のアトリエだった。
「すごーい! これ、全部翔が?」
「ああ……」
学校が長期休暇に入ると、毎年俺はばあちゃんの家に預けられていた。やる事もなく、周りに友達もいない環境で、夏休みの宿題で、絵を描き始めたのがきっかけだった。次から次へと浮かぶ構想を、どんどん形にしていく中で、母屋での置き場所に困ったじいちゃんが、この離れを作ったのだ。
「懐かしいな、これなんか、小学生の時に描いたやつだ」
複雑な、極彩色のキャンバスを指して、俺は笑う。
俺は昔から、写実的な絵よりも、印象的な絵を好んでいた。
「へー、意外だな。翔が、芸術肌なんて」
「だろ。俺もそう思う。高校生になってからは、あんまりばあちゃん家に来なかったから……久々に、なんか描こうかな」
「いいね、僕にも教えてよ」
要が、にっと笑う。
「ねえ、翔、これなんだろ?」
離れの中を検めていると、要が棚と壁の隙間に、何かを見つけた。引っ張り出してみると、それは小さなキャンバスだった。外に描きに出掛ける時に使っていたサイズだ。
「……女の子?」
そこに描かれていたのは、空色のワンピース姿の少女だった。
いつ描いたのか、俺には思い出せない。思い出せない絵なんか無いはずなのに。
「ばあちゃんに聞いてみよう」
俺たちは、絵を持って母屋に戻った。
居間でサスペンスドラマを見ていたばあちゃんに、絵を見せたが、ばあちゃんも首を捻るだけだった。
「おかしいねぇ、翔が描いたやつは、全部見た事あるはずなのに」
「だよなー、俺も、描くたびにばあちゃんに見せてたもんな」
たまたま、見せるのを忘れたのだろうか。
いや、どうだろう。忘れたというよりは。
「あえて、見せなかったとかは?」
要が呟いた。
そうだ、ばあちゃんに見せなかった絵が一枚だけある。でも、何故見せなかったのか、何を描いたのか、それを思い出せない。
「……この子は、だれなんだろう」
パステル調の、薄い色合いで描かれた少女。
とても俺らしくないタッチだ。
その少女の笑みが、やけに引っ掛かった。




