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 ばあちゃんは、俺の事を寝ずに待ってくれていた。

 敷地内に入ってきたトラックのライトに気がついたのか、俺が荷物を持って降りると、ばあちゃんが家から出てきた。


「翔、いらっしゃい。あれ、伊野さんじゃねぇか」


「おう、ついでだ」


 伊野のじいちゃんが手を上げる。ばあちゃんが、丁寧に頭を下げた。


「悪いねぇ。ありがとよ」


 じいちゃんがトラックを切り替えして、出て行く時、助手席側のパワーウインドウを開けて、要が手を降ってきた。俺も、手を振り返す。


「暇があったら、遊ぼうね」


「ああ、また連絡する。ってか隣だし」


 要がはにかむように笑う。トラックは夜の道を走り去っていった。隣家と言っても、田舎の家だ。少しばかり離れた所に、伊野のじいちゃんの家はある。


「今の子、友達かい?」


「高速バスで知り合った。気が合うんだ」


 へええ、とばあちゃんが面白そうに笑う。

 伊野のじいちゃんといい、ばあちゃんといい、珍しい物でも見るように、俺の事を見るけど、そんなに不思議なのだろうか。俺が、要と仲良くなるのは。


「疲れただろ。さ、入りなよ」


 ばあちゃんに促されて、俺は素直に頷いた。

 ばあちゃんの家は、入ってすぐに土間がある、昔ながらの作りをしている。正面から入って左手に、上がり框があって、その奥へと家が続いている。框を上がってすぐの部屋を居間として使っていて、食卓とテレビが置いてある。俺は、荷物を隅に置いて、とりあえずとばかりに座り込んだ。


「……あー、疲れた」


「はいはい、お疲れさん」


 ばあちゃんが、熱いお茶を淹れてくれる。

 それから、俺がテレビを見ている間に、簡単な物だけど、と夜食を用意してくれた。ばあちゃんお得意の、五目うどんだ。薄い色の出汁に、刻んだ揚げと、人参、椎茸、竹の子、ほうれん草が入っている。


「やった!」


 はしゃぎながらうどんを啜ると、ばあちゃんが嬉しそうに笑う。


「翔は昔から、かやくうどんが好きだねぇ」


「かやく? 五目じゃねーの?」


「関西じゃ、かやくうどんって言うんだよ」


「……ばあちゃん、大阪から富山に来たんだって? さっき伊野のじいちゃんから聞いた」


 ばあちゃんが、呆れたような顔をした。


「今更、何言ってんだか」


「知らなかったんだよ」


 少しむくれて言うと、ばあちゃんが首を振った。


「翔は、家族に興味ないからねぇ」


「そんな事、ないけど……」


「あるんだよ。意識はしてないみたいだけどねぇ」


 その話は、そこで終わった。

 夜食を食べて、適当に話をしてから、風呂に入れと言われた。風呂から上がると、ばあちゃんの姿は居間には無かったので、俺は荷物を持って、いつも使っている客間に向かった。客間には、布団が用意されている。ばあちゃんは、布団を出してから、寝たのだろう。

 風呂に入ったからか、俺は急激に眠気に襲われて、そのまま布団に潜り込んだ。


 *


 やけに寒いな。

 寒さから逃れるように布団を深く被った。

 途端に鼻腔をつく、慣れない匂いに驚いて飛び起きる。少し線香臭いが、日中干されていた布団の匂いだ。


「あ、そっか……俺」


 昨夜、ばあちゃんの家に来た事を忘れていた。

 身支度を済ませて、居間に行くと、ばあちゃんがテレビを観ていた。


「やっと起きたんかい」


「今何時?」


 テレビの左上に表示される時計が、間も無く正午をお知らせしようとしている。


「うわー……寝すぎた」


「疲れてたんだろう。今日は特別。明日からは、ばあちゃんと同じ時間に起きなよ」


「げー、マジで?」


 ばあちゃんは、毎朝日が登る前に起きる。それから、リフォームして使い易くしてある土間で、たっぷりの朝食を作るのだ。ばあちゃんのご飯は、朝から夜にかけて、ボリュームが減っていく。

 年寄りだからね。そう、幼い頃に聞かされた事がある。歳を取ると、夜に余り食べられなくなるものなのだろう。


「お昼にしようか」


 ばあちゃんが、にっと笑った。

 少し野菜が多めの昼食の後、俺はする事もなく居間にいた。ばあちゃんの家は、俺が来る前の日に、伊野のじいちゃんが雪を掻いてくれたらしく、次に積もるまでは俺がする仕事はなかった。

 なんで呼ばれたのかな。そんな事を考える。


「こんにちわー」


 玄関から、元気な声が聞こえて、俺は飛び上がった。


「要?!」


 急いで土間に降りると、要が手を振ってきた。

 ばあちゃんも、居間から顔を覗かせる。


「あれ、昨日の……」


「ーー要です。ボランティアで東京から来て、伊野おじぃのとこでお世話になってます」


「そうかぁ。寒いだろう、上がりな」


 ばあちゃんが、要をて招くと、彼は嬉しそうに頷いた。


「おじぃが、今日は雪掻きしないから、翔のとこにでも遊びに行ってこいって」


「そっちもか」


 要が、どうしてうちに来たのかを話すと、ばあちゃんがにこにこと、やけに愛想の良い笑顔で、お茶とお菓子を出してくれた。


「ありがとうございます。おばあちゃん、お使いとか、お手伝いとか、何かあったら言ってください。僕、この辺りの家のお手伝いに来てるので」


「そうかぁ、でも、うちは翔がいるから大丈夫だよ。なんなら、翔もボランティアとやらをすればいいんじゃないかね」


 ばあちゃんは、そう言って俺を見つめた。


「まあ、いいけど……暇だし」


「わあ、本当? 翔と一緒なら、楽しく働けそうだな」


「要、遊ぶわけじゃないんだろ」


「そうでした」


 要が肩を竦める。

 ぽんと、ばあちゃんが手を打った。


「翔、要ちゃんに離れを案内してやりなよ」


「ええ?! いや、でも……」


「何? 離れって」


 身を乗り出した要に、ばあちゃんが微笑んだ。


「うちの離れは、翔の秘密基地なんだよ」


「昔の話だろ」


「今も、離れは触ってないんだよ。昔のまんま、残してある」


 ばあちゃんの言葉で、脳裏に懐かしい光景が浮かんだ。


「……じゃあ、要、特別だからな」


 そう言うと、要は嬉しそうに笑った。


 *


 居間の縁側から庭先に降りて、敷地内を突っ切った所に、小さな離れがある。そこは、じいちゃんが生きていた頃に、俺の為に建ててくれたものだった。

 本当に手をつけていなかったらしく、離れの扉を開けると、少し黴臭い匂いが漏れ出した。


「中の物、干さないとなぁ」


 思わず、そんな言葉が零れた。


「わ、あ……」


 中を覗いた要が、感嘆の声を漏らした。

 高い位置に作られた、明かり取りの窓から差し込む光が、室内の埃で煌めいている。離れの中には、無数のイーゼルが置かれている。壁に沿って取り付けられた棚には、裏の山で拾ってきた枝や木の実で作ったオブジェ。

 離れは、俺のアトリエだった。


「すごーい! これ、全部翔が?」


「ああ……」


 学校が長期休暇に入ると、毎年俺はばあちゃんの家に預けられていた。やる事もなく、周りに友達もいない環境で、夏休みの宿題で、絵を描き始めたのがきっかけだった。次から次へと浮かぶ構想を、どんどん形にしていく中で、母屋での置き場所に困ったじいちゃんが、この離れを作ったのだ。


「懐かしいな、これなんか、小学生の時に描いたやつだ」


 複雑な、極彩色のキャンバスを指して、俺は笑う。

 俺は昔から、写実的な絵よりも、印象的な絵を好んでいた。


「へー、意外だな。翔が、芸術肌なんて」


「だろ。俺もそう思う。高校生になってからは、あんまりばあちゃん家に来なかったから……久々に、なんか描こうかな」


「いいね、僕にも教えてよ」


 要が、にっと笑う。


「ねえ、翔、これなんだろ?」


 離れの中を検めていると、要が棚と壁の隙間に、何かを見つけた。引っ張り出してみると、それは小さなキャンバスだった。外に描きに出掛ける時に使っていたサイズだ。


「……女の子?」


 そこに描かれていたのは、空色のワンピース姿の少女だった。

 いつ描いたのか、俺には思い出せない。思い出せない絵なんか無いはずなのに。


「ばあちゃんに聞いてみよう」


 俺たちは、絵を持って母屋に戻った。

 居間でサスペンスドラマを見ていたばあちゃんに、絵を見せたが、ばあちゃんも首を捻るだけだった。


「おかしいねぇ、翔が描いたやつは、全部見た事あるはずなのに」


「だよなー、俺も、描くたびにばあちゃんに見せてたもんな」


 たまたま、見せるのを忘れたのだろうか。

 いや、どうだろう。忘れたというよりは。


「あえて、見せなかったとかは?」


 要が呟いた。

 そうだ、ばあちゃんに見せなかった絵が一枚だけある。でも、何故見せなかったのか、何を描いたのか、それを思い出せない。


「……この子は、だれなんだろう」


 パステル調の、薄い色合いで描かれた少女。

 とても俺らしくないタッチだ。

 その少女の笑みが、やけに引っ掛かった。

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