八咫烏(やたがらす)
小森コロニー。それがこのクラスにつけられた呼び名だ。
コロニーと聞けば人によって連想するものは違うだろうけど、ここで言うコロニーは、ミツバチの群れのことをさす。一匹の女王を中心にかたときも離れず、周りに護衛の蜂をはびこらせている。護衛は、僕とメルを除いたクラスメイトのほとんどで、羽音がうるさい本物のミツバチと同じ様につねにうるさい。
今日は、嬢王蜂が二人に増えていた。
「良かったんだよな」
二人目の女王は、まだ慣れていないみたいだ。周りから次々と飛んでくる質問にキョロキョロしながら答えている。ゴーグルで表情は見えないけれど動作や弾む声のトーンでここから見ている分には楽しそうに見える。
森羅は、大空に舞い上がった凧を見つめる子供みたいに少しハラハラしながらも
「昨日は、『軍人の私は、みんなと違う。話なんか合うはず無い』とか言ってたのにな。十分、話し出来るじゃないか」とささめく。
特にやる事も無いから暫く様子を眺めていると、頬杖をついて同じ様に眺めているメルに気がつくた。身体を横にそらせて、横顔を覗きこんだ。
メルは、眠たげな虚ろな視線で前を向く。
その姿は、白姫を観察していると言うより考え事をしているようで森羅は、一息ついて椅子に座り直す。
メルは、背伸びしてパソコンに視線を落として軽快なタッチでキーを叩きはじめた。
教卓で寝息を立てる小森先生は、チャイムで飛び起きる。
「はーい、はいはい、寝てる子も遊んでる子もパソコンしてる子もこっち見てー時間無いよー」
蜘蛛の子を散らすかの如く、素早く席に座ったクラスメイト達。
そうしなければ先生が泣き出してしまうからで、このクラスのまとめ方はきっとこの先生にしか出来ない。静まり返ったクラスに誇らしげに無い胸を張った。
「ふふん。じゃぁ、はっじめるよー。講義の時みたいに席並べてねー。よーい、ドンドンッ!」
イマイチ乗りきれない外れた音程の号令からワンテンポ置いて机が動き始めた。次々と手動でクラスの中心に向けられていく。
イスに教材を乗せてクラスの中心へ歩いていく先生の足取りは覚束ない。《はじめてのお使い》を見ているかのようにハラハラする。
「ほっ、ほっ、重いよー」
クラス中の安堵のため息と共に中心にイスを置いて一息ついた先生は背伸びして天井にリモコンを向けた。
天井が開き、金属が擦れる音と共に黒い筒状の物が降りてくる。
黒い外装に覆われた正六十四面体は同じく床から机の高さまでせり上がった円卓に乗ると停止した。
蕾が開くかの如く黒い外装が剥がれ、中から現れたのは、半透明の立体投影装置だった。内部に張り巡らされている電子回路を十二色の色彩が駆けずり回り、回路が正常に機能して虹色に輝くのを確認した先生は頷いた。
「これでよし」
小森先生が腕時計に視線を落とすのに釣られて時計を見上げた。あと数分で昼の一時。
「さぁ! さぁ! 一時からスッゴい発表があるんだからね! 姫っち知ってても言わないでね!」
クラス中の視線が向けられた。だけど、窓の外、空を見ている白姫は気づいていない。
「ククク」
嫌な予感、その予感は的中した。立ち上がったメルは押し殺した不気味な笑いと共に懐から拳銃をとり出す。黒い銃身に息を飲む。
「君の居場所はこんな所じゃない。なぜ、今すぐにでも戦える力がありながら戦わないの?」
それでも動かない。
魂が抜けた人形の如く外を眺める白い姫雪華の意識は、拳銃を目撃した女子生徒の悲鳴で肉体に戻った。振り向く白姫を嘲笑うかの如く、メルは拳銃を机の中に隠して両手を上に挙げて口笛を吹いた。
『なんだよあいつ』、『いい加減にしろよ』、『覚悟しろよ』
冷ややかな視線がメルに集まる中、森羅は白姫を凝視した。それに気づいていない様子で素早く一筋の涙を制服の袖で隠した。
白姫雪華は泣いていた。その理由はわからない。
「メルちゃん玩具はしまって! 姫っちも机向けて! あと十秒しか無いよ! 早く早くー」
「フハハ、八回目の出撃も何の成果も無しだよ。開始三分でムルグに捕らえられてバラバラ、どれだけ無能の集団なの? これから僕の物差しでこれから計らせて貰うけどね」
触らぬ神に祟り無し、クラス中がメルの意味不明な言動を無視する。森羅も例外なくメルの存在を頭の隅っこに追いやり白姫を一瞥してから小森先生に向き直る。
「もー。もう始まっちゃうよー。もー、ポチッ」
小森先生は擬音を発しながらボタンを押し、実像投影装置は動き始めた。
虹色のイルミネーション。投影装置がミラーボールの様に回転する。その回転速度は加速していく。
「ああ、もうはじまってるー。まぁ良いか」
LIVEの文字が低い天井を掠めながらも教室を一周して、再び中央に戻る。
炎と雷撃のエフェクトを出しながらゆっくりと回り始める。すると、その真下に揺れる水面に映る景色の様にぼんやりと見えていた映像は実像を結んだ。
投影された映像はLIVE映像。つまりリアルタイムにどこかで行なっている映像。
タレント上がりの司会者と女子アナウンサーは緊張した面持ち。その隣に六人のコメンテーターが座り、どの佇まいもどこか癖のある人間を感じさせた。
アップ映像の中で六人が六様の挨拶をしてから司会者が口を開く。
「さぁ! 私もほんの三十分前に知りました。軍部からの緊急告知であります。この放送はライブ映像、皆様とこの興奮を共有出来たら幸いです。告知内容はコレ、です!」
パネルを回す、カメラが寄って文字が踊る。
【対調停者用新型戦闘機まもなく発表!】
『オイ、まじかよっ!』、『本当に倒せるの?』、『お母さん……』、『オオォォォオオ!』
『まだ戦うの?』、
メルは、立ち上がり、信じられないといった様子で呟き、すぐに乱暴に椅子に座りパソコンを開いた。
「そんな馬鹿な。そんな高性能な機体を今の日本で作れるはずが無いよ。あってもすぐに調停者に破壊されるはず……なのに」
それを視認した事から隣の白姫が自動的に目に入る。
結んだ髪を解き、俯いている。長い髪は前に流れて影を差し、口元しか見えない。
口元は真一文字に結んでいた。
さっきの涙といい、何か有った事は確実。だけど、詮索するつもりも関わるつもりも無い。僕はこれからそうやって生きていくんだ。
クラス内は喧騒に満ちていた。期待九割、不安一割。といった所か、そして、興味なし一名。
「静かにして――うう、静かにしてよ。聞こえなくっても知ら無いからね……」
小森先生の声、最後の方が掠れている。
「――」
即座に静かになったクラス内にキーを叩く音とテレビ音声のみが響く。
『では、そろそろ会場につなげてみましょう。会場の相馬さーん!』
『ハイ、会場の相馬です』空軍の制服に身を包んだアナウンサーが敬礼する。
最初は軍人かと思ったが額に左手を掲げて敬礼するさまに、クラス内の何人かが吹き出した。
会場といっても何も無い。アスファルトの広大な敷地がフェンス囲まれている。それを小高い丘の上から会場を見下ろしている人々。周囲のカメラマンが一般の人なのか、報道マンなのかは分からない。
『予定時間まであと三分程ですね。このまま繋げておきましょう』
『へ?』
現場のアナウンサーがあたふたして周りのカメラマンに質問しはじめた所で画面は移り変わり、パイプイスに座る鼓笛隊の演奏でファンファーレが響いた。
『日本国民の全世界で苦しむ人類の希望が遂に遂に、まもなく、その全貌を表します。私たちは反撃の狼煙が挙がる、その瞬間を目撃しているのかもしれません』
クラス中が息を呑む中、何も無いアスファルトにカメラが迫っていく。
『地下に基地があるんですよ』とコメンテーターの元軍人が呟く。
『詳しく教えてくだ――これは!』
アップされた地面は突然沈み始めた。数十メートル規模で陥没していく地面。緩やかに下がっていく様子から元から備わっている機能なんだと理解する。
突然、上空のヘリからの映像に移り変わった。
『近づいてみましょう!』アスファルトに開いた深い穴を上から覗き込もうとするカメラワーク。息を呑んでそれを見守るクラスメイトの何人かが逸る(はやる)気持ちから無意識に身体を傾けて更に奥を覗き込もうとしている。
「ねぇねぇ! 見えた? 見えた?」
先生がぴょんぴょん跳ねるが、何も見えない。上空を通過したヘリからの映像でもその穴の底は見えず、焦らされたクラスメイトが舌を打ち、文句を垂れる。しかし、白姫には見えていたようだ。
「これが、戦闘機八咫烏、しかし――、戦闘機なのか?」
「姫っちー? 何が見えるの? 教えてよ! ねーねー」
ブー垂れる先生と黙り込む白姫。
「綾ちゃん! 綾ちゃん! 何か出てくる! 出てくるよ!」
「これが戦闘機だと? どうやって飛ぶんだ? 反重力スラスター、なのか?」
穴の底から再び地面がせり上がって来る。その上に乗っている戦闘機は丸々としていた。いや、黒く艶やかなボーリングの玉の様な物体がはたして戦闘機と呼べるのだろうか?
「これが戦闘機?」
森羅は、首を傾げてクラス中を見渡した。誰も答えない。
メルと白姫の二人以外は口をポカンと開けて画面を食い入るように観ている。
微妙な空気はスタジオも同じ、苦し紛れに各コメンテーターに発言を求めるも誰も彼も発言に困っている。『どうやって飛ぶんですかね?』と質問された元軍人は汗をかいた挙句。ゴルフクラブで上空に打ち上げると受けを狙いに行くがとてもそんな空気では無く撃沈した。
それをアナウンサーがまとめる。
『この形状。専門家の先生方の知識をもってしても新戦闘機の性能は計り知れない。それが現状です。裏を返せば世界中のどの国も勝てなかった調停者達。彼らを倒す為には私達が持ち合わせている戦闘機の常識では足りないのでしょう。性能は軍の発表を待ちましょう。さて、お次はコレです!』
パネルが裏返る。アップで映された文字にクラスが沸いた。
「戦闘機パイロット! 待ってました!」
「姫っち何か知らないのー? 男の子? 女の子?」
「知りません、なにも」
『パイロットと言えば! 彼女でしょう! サイズオブ・デス、戦闘機死神を駆るパイロットでもあり人々に勇気と元気を与えるアイドルでも有る人類反撃への旗印。日本のジャンヌダルクと言っても過言ではありません!』
アナウンサーの合図で立体投影装置は動き始めた。
森羅は、思わず顔をしかめる。電柱にぶつかった原因、脳を溶かす電波ソングと共に立体で投影された白姫が歌って踊る。十二色のイルミネーションが今日一番働いている。
『そう――皆さんご存知の白姫雪華軍曹、私も大ファンです。それではスタジオのコメンテーターの皆様に今回発表された新戦闘機のパイロット像を予想して頂きましょう』
『……』、『……』、『……』コメンテーターの予想は、喧騒で聞こえない。
「姫ちゃんも可愛いけど男子だけズルイ。守られるなら男の人が良いよね」
「そうそう。イケメン、イケボで高身長なら良いよねー。そんな人に守られたらワタシ――」
「キャーッ」
「次はロリが良いね。ようじょなら強いから調停者も倒せるっしょ! それかカーチャン」
「きもっ、さすがにその妄想は、キモイんですけど」
「お前らも変わらねえよ。何だよイケメンイケボで高身長って俺と同じ妄想乙じゃねぇか」
そんな衝突がクラスのそこかしらで起きている。
「うるさい。先生は……なにしてるんだ?」と小森先生を探す。
「ハイハイ! 私のりたい! 乗りたい!」とイスの上に立つ小森先生を見つけてしまった。
「――」と画面へと視線を移す。
ポップウィンドウで《まもなくパイロット発表》と文字が飛び出す。
「ククク。さて、どんな奴だろうね?」
「どうだろうな」
艶やかな漆黒の球体にカメラが寄って行く。どうやら中にいるようだ。
出入り口の痕跡すら見えない球体。一体どこから出てくるのだろう。その疑問はすぐに解けた。上部からサラサラと風に溶けるように黒い外装が消えていく。どうやら卵の殻の様に外側を覆っていた様だ。卵型のチョコの中に玩具が入っているお菓子を思い出した。あんな感じだ。上部が風に溶けると中にはキャピノーで覆われたコクピットが現れる。
怪物が口を開けるように開いたキャピノー。
その中から最初に細い手足、次に控えめな胸のラインが分かるパイロットスーツが現れるとクラス内の男連中からは歓喜の声が上がった。女子からの残念な声も小さくあがる。
『つ、ついに現れました。彼女が新パイロットです。私、特別にインタビューする許可を頂いております!』
会場のアナウンサーのは、興奮気味で声が聞き取りにくい。
フラッシュの光を浴びるパイロットに近づいていくと彼女はヘルメットを脱いでこっちを向いた。
『はじめまして! 今この映像は全世界に放送されております! 聞きたいことは山ほどありますが、時間も限られておりますので自己紹介をして頂いてもよろしいでしょうか?』
「……はじめまして、戦闘機八咫烏のパイロット、神野未来です」
「未来!」
森羅は、立ち上がる。
間違いようも無い。僕の幼馴染、神野未来。彼女が新戦闘機のパイロット?
言葉で理解しても、画面に映る未来が本物だという確信があっても混乱する心がエラーを連発している。
目を閉じて炎に包まれた機内、傾いていく旅客機、窓から僕を見ている未来を思い出した。
傾いて墜落していく旅客機。その中に未来が居たのは間違いない。何で生きている?
目で視た事を信じよう。心を鎮めて目を見開き未来を良く見る。身長が伸びた。直視するのは恥ずかしいけど胸も大きく成っている。
十七歳にしては幼い。瞳に写る未来は幽霊では無い。白昼夢でも無い。
確実に成長した十七歳の神野未来が存在している。その事実はジワジワと心を開放していく。
飛び上がり、叫びたい衝動を飲み込んで息継ぎをした。
「メル! あの会場はどこにある?」
声をはりあげた森羅に怪訝そうな視線が集まる。
「一体どうした? 何を興奮している? そんなにパイロットが気に入ったのか?」
「そうだ。あの会場がどこにあるか教えてくれ」
「ククク、面白いけど教えた所で到達は難しいよ。あれは中部基地、一般人が行くには高速道路を歩いていくしかない。道自体は一本道だが調停者の領域。度重なる戦闘で外に出ればすぐ近くにいるはずだしね」
「くっ、軍に入れば行けるのか?」
「うーん、軍に入った所ですぐに異動は無いだろうね。よっぽと優秀でも半年は掛かるだろう。それに優秀な奴ほど希望地には行けない組織とはそいゆうものだよ。しかも、天照のナノマシン偽装を受けなければリスク無しの移動は不可能だよ。新兵レベルで受けられるかどうか」
「半年――そんなに待っていられない!」
森羅は、拳を握りしめた。
せっかく生きていたのに今にでも調停者と戦って死んでしまうかもしれない。あの喪失感は二度と味わいたくない。
今すぐにでも止め無ければ成らない。未来に戦わせる位なら僕が戦う。それで死んだとしても未来を守って死ぬのなら本望だ。
「決めた! 僕は中部基地に行く。メル、さよならだ。今までありがとう」
「ふえ? いまなんて?」
タイピング音が止まり、メルと目が合った。
口をあんぐり開けて間抜けな表情で僕を見ている。
メルのこんな表情は初めてみた。笑いを隠せない、森羅は、机の脇を抜けてから頬を緩めた。変な奴だったけど僕はメルといるのが嫌いじゃなかった。
一方的にかもしれないけど親友だと思っている。親友にだけは真実を告げよう。
「神野未来は、僕の幼馴染なんだ。僕は未来の為に戦う」
背後から声をかけられた。
「死ぬよ」
「僕は未来を守って死ぬ。それで良いんだ」
「ククク、まだ死なせはしない。まだその時では無い」
最後まで意味不明な奴だった。
只、最後だと思うとうざったい意味不明な発言すら名残惜しいと感じでしまうのが感慨深い。
足音を殺して薄暗い教室を忍び歩いて行く。ドアに手を伸ばした所で小森先生が気づいた。
「森羅ちゃん? どうしたの?」
「生きる目的を見つけました」
森羅は、走りはじめる。足を止めて決して振り返らずに、ドアを一気に開いて光の中に飛び出した。