死神、白姫雪華:前
市街地に入ると校舎が見えてきた。三階建ての高校、日本第六特区第三高校。
森羅は、校舎に足早に近づき、校門を潜った。
影の中はやっぱり涼しい。それでも、暖められたアスファルトは、桜野公園の土の上と比べると暑く、その場に留まる気にはならない。
階段を這いのぼり教室の前まで来た。森羅は違和感で手を止めた。
引き戸に手をかけたまま聞き耳をたてるが、何も聞こえない。
静まり返っている教室は、すごく不自然。まず、クラス担任からして騒がしい。静かなのは、テスト中くらいでうるさくて当たり前だった。
「もしかして抜き打ちテスト? はぁ……テストはどうにも成らなくても涼めれば良い、や」
再びドアに指をかけ、音をたてないように開いていく。『入っては駄目』そう言われないように教室に入らなければならない。
「え?」
ドアを開けた森羅は、教室内から一斉に向けられた視線に怯んだ。
「え――な、なにが!?」
厚手のカーテンが光を制限しているほの暗い教室。目が慣れてきた森羅は、黒板前で向き合う二人を確認した。その手には拳銃が妖しく光っている。
「し、失礼しました!」
「動くな! 動いたら、こいつを撃って君を撃つ」
「……」
銃を向け合っている二人、その片方が威圧的に言い放つ。凛とした物言いだが男にしては、ややキーは高い。
やはり女子生徒、セーラー服から伸びる白い手足には見覚えがあった。良く見るとゴーグルのベルト部分がストレートの黒髪の上に掛かっている。
メルが朝言っていた、空軍のパイロットでアイドルの白姫雪華、本人だった。
そして、残念ながら、その向かいで銃を構えているのはメルで間違いない。
「あっ、森羅くん――」
「――」
「貴様も仲間か、手を上げろ! 三秒以内に上げなければ撃つ!」
あの、馬鹿……、と思いながらもパッと手を上げる。
珍しくメルも舌を出して少し悪かったという顔をした。そのやりとりはさらに軍人である白姫雪華を警戒させてしまったようだ。
「聞こえてるな死神、今すぐ私の銃とリンクしろ――発砲を許可する」
白姫は、引き金から右人差し指を離した。
なんでこうなった。そう思って森羅は、答えを探して、辺りを見渡す。
「早く言え、貴様はなぜ私のゴーグルを外そうとした!」
メルは黙っている。『早く言えよ』とそんな呟きクラスのどこかから聞こえた。それでもメルは答えない。涼しい顔で静かに笑む。邪悪な笑み。
僕にはわかる、この顔は、悪巧みをしている……
「白姫雪華! 最強の矛、死神。君が駆る、戦闘機死神は、どこにあるの?」
「質問に質問で答えるな!」
怒号が飛ぶが、メルは、どこ吹く風といった様子で天井を仰ぐ。
「クク、そうか、そうか、わかったよ。上かっ――」
「なぜわかる!?」
顔色を変えた白姫を前に、メルはさらに挑発を重ねた。
「ククク、この、お馬鹿良しめ。おばかよしとは、僕が作った言葉。お馬鹿でお人好しってことだよ。自分からバラしてくれるとはな。これだから単細胞はやめられない」
『馬鹿はお前だ!』と森羅は、心の中でだけつっこんでおいた。メルの後先考えなさを馬鹿と言わずして、何を馬鹿と言えるのだ。
「単細胞でも銃口は向けられる。これが、最終通告――お前は、《アマテラスシステム》で監視されている。引き金を弾こうとすれば、風通しが良くなるのは、お前だよ。筋肉の硬直さえ見透かす天照との早打ち勝負、試してみたらどうだ?」
「……」
「……」
どっちか話せ、言葉が途切れると意識と視線は銃口に集約していく。背筋が寒くなっていく。それに反して、火花散らす二人の視線はさらに熱気をましていく。もういい加減にしてくれ。
森羅は、心と瞳を閉じた。
途端、森羅の顔は、色を失う。ほんの数秒前までは苛立ちを浮かばせていた顔は、無に変わった。直にこれをみた人間は、何を考えているかわからないと感じて、気持ち悪いと距離を取るだろう。それは、機械のリセットに近い。
森羅自身、自分でも切り替えが早いのが利点だと思っている。その実は、なにに対しても中途半端で真剣に向きあおうとせず、どうでも良いと思っているからこそ出来ることである。
再起動した頭で森羅は、辺りをうかがう。
「そういえば先生はどこだろう」
小森先生にこの場をおさめられるとは思えない。それでもどこかにいるはず。今は、授業中、授業大好きなあの先生が居ないはずがない。
――もしかして、森羅は、嫌な想像をして、頬辺りの造形を崩して二人の銃を一瞥する。
「本物、だよな……先生、無事でいてくれ」
いた。教壇の下、最前列の生徒の足元に小柄な小森先生は転がっていた。幸せそうな表情で。下が冷たい床じゃなかったら寝かしておきたい所だ。いや、根本から違う。
今、起きたら、それはそれで問題。小森先生が床に寝転んでいる原因はだいたいわかる。先生は大の怖がりだから、大方、メルと白姫のやりとりでオロオロあたふたした挙句、思考回路がオーバーヒートして気絶したんだろう。
考えこむ森羅、と、同じように小森先生を覗きこむ小柄な女子生徒と不意に目が合う。おとなしい女子生徒は、大粒の真珠大の涙をため、嗚咽をこらえながら、涙交じりの鼻声でつぶやく。
かろうじて聞き取れる程度の小さな声だったけど教室内は静かで、よく通った。
「先生、さっきから息して無いの……」
「へ?」
「なんだと?」と白姫は、聞き直し、「えっ?」とメルは、間の抜けた素の声でこっちを向いた。
うろたえる男子生徒、金切り声をあげる女子生徒、反応はそれぞれ。
森羅はメルの目をまっすぐ見つめ続けた。きっと、この状況でも白姫雪華は折れない。メルに先に銃口を下ろさせなければ、助けるにも助けられない。
それを察したのか、珍しく真面目っぽい顔でコクリと頷く。
森羅の祈りは通じた。メルは、ネジが跳んだやつだが、俺と同じように『運命の日』に家族を失っている。当たり前の話かもしれないが、人の生き死には敏感だ。
「一時休戦だ。僕が悪かった。理由は君の事が気になっているからだよ。良くあるよね、小学生が気に成っている女の子にイタズラする。女同士だが、そんな感じ」
「貴様! 何を言っている! ふざけるな!」
強気な口調は変わらずだが、連続する出来事に動揺が見える。
カチャン、恐らく安全装置を入れた音がして、メルは銃口を下げた。
「僕は、至って真面目だよ。早くしないと僕らは人殺しに成ってしまう――一般人を殺したのでは君の華やかな経歴に傷がつくよっ。クク、慈悲の無い死神としては箔がつくだろうけどね」
メルは、そう言うや否、右手の親指と人差し指の先端を付け、輪を作ると口笛を吹いた。いや、吹こうとした。
「ヒューーーと」空気が抜ける、すきま風みたいな音がした。吹けてない。
そんな場合じゃないのに呆気にとられたクラス中の視線が集約する。なんとも言えない空気だが、メルは謎に得意気だ。
「なにしてるんだよ!」
森羅が、動き出そうとした瞬間。クラスの後ろの方で悲鳴があがる。
メルの席、近辺から上がった女子生徒の悲鳴を掻き消し、小さな獣は、躰を仰け反らせて高らかに咆哮をあげる。
「オートマトンだと――!?」
白姫は、叫び、銃口を向ける。その先には白い機械の犬が鎮座していた。僕は何回かメルが鞄に入れているのを見た覚えがある。ただのぬいぐるみだと思っていたが、今は動いている。
「ポーンにAEDを持ってこさせる。死神、君は心肺蘇生。レサコなら、はい、ここにっ」
「いや、しかし――」
「ポーン! 職員室前のAEDを持って来い!」
主人の命令にポーンは、短く吠えると、即座にかがんで四肢に力をため込む。
光沢がある卓上をすべると判断したようだ。剥きだした爪を机の木目に食い込ませた。
次の瞬間、机が爆ぜた。速い、目で追うのがやっと。クラス上空を矢の如く横断したポーンは、ついにドアのガラス部分を突き破って廊下に飛び出して行った。
白銀の機械犬が去った教室に時間差で悲鳴があがる。通過した机の持ち主が皆、女の子なのは、果たして偶然なのだろうか……
「君は何者だ――」
「クク、ただの電気屋の娘」
「はぁ――。死神、リンク解除。監視は継続せよ」
カチッ、と安全装置が押し込まれる音を聞き、森羅は、腕を下げて先生の元に歩み寄る。クラスメイトも席を立ち、着いた時には人だかりが出来ていた。そこからでは心肺蘇生をする白姫の声しか聞こえない。
敵対していた二人の絶妙な連携。ひやひやしながらも見守る、クラスメイトの不安に反して、先生はあっさり息を吹き返した。
「ねぇねぇ、」
最前列の坊主頭が露骨に視線を逸らす。その動作で突かれたフグみたいに本人は真剣だが、周りからみると滑稽な威嚇を取った。要は、頬を膨らませた。
「むぅ――、ねぇねぇ、ねぇってば!」と教台をバンバン叩く、レディとは程遠い女性。彼女は先生だ。
肩までのショートカットを金色に染めている。染めた理由は、中学生にみられたからだそうだ。髪を染めても中学生に見えることには変わりない。老婆心を持っているファンクラブの面々は、脱色した先生をはじめて見た時、泣いたらしい。それほどまでに145センチの低身長、童顔とずり落ちそうな眼鏡がトレードマークな小森先生は、男女問わず生徒には絶大な人気があるのだ。
さっきまで死に掛けていた小森先生はもう通常営業に戻っていた。それでも一部記憶が欠落しているようで最前列の生徒がその追及を受けている。その真っ最中だ。
「あーあ、何でもうこんな時間なの、これじゃあ何も出来ないよぉ」と机に伸びる。
そこで最初に先生が息して無い事を呟いた女の子が口を開いた。
「先生ずっと居眠りしてたんですよ。余りにスヤスヤ寝てるからみんなで起こすの可愛そうだなって事に成って」
「えー、そこは起こしてよ! やる事いっぱいあったんだからぁ!」
その原因を作った二人はなぜか、隣の席。
窓際最後尾の俺の席、その前に上機嫌なメル。その右隣に白姫が座っている。
「なんで女子生徒同士が隣なんだよ」
納得はいかないが、メルは満足したようでPCに噛りついて何か別の事に注力している。そして、白姫は、表情こそ見えないが、背中がすすけている。
「むぅ、納得行かないけど、はじめるよぉ、白姫さん、教科書の78ページから読んでぇ、教科書まだだったらメルちゃんに見せて貰ってね」
「な、なんだと――」
どよめくクラス、男子生徒は露骨に机を入り口側に移動させ、女子生徒は、小森先生に嘆願の視線を送る。しかし、なぜか小森先生は、胸を張った。
生唾を呑み、直視しないで、伏し目がちに見る。そんなクラスの緊張感をよそにメルは、幸せそうな顔でくすくす笑った。
パソコンに熱中している時は、自分の世界に入り込んで何も聞こえなくなることがある。普段は、問題が大有りだけど、今回は、ずっとそうしていてくれと願いながら、森羅は、問題が起こる前に教科書を貸す事にした。
教科書を手にどう声を掛けようか迷っていると隣の女子生徒が察したようで机を移動させてくっ付けて、境界線に教科書をひろげて置いた。
「……白姫さん、白姫さん……」
「じーかーん! はやく、はやく! 時間ないよぉ」
白姫は振り向いた。オズオズと教科書を受け取り、「ありがとうございます」と言って立ち上がった。
元気が無い。
さっきの事件の原因の根本は隣で鼻歌を歌っているというのに、そう思うと普通の子に見えてきた。それと同時に隣のメルに腹が立った。それでもこれ以上は踏み込まない。
教科書を開く白姫雪華、見るからに意気消沈したその様子にクラスは落ち着きを取り戻していくかに思えた。
「ひぃ――」
小さな悲鳴が上がり、視線は教台に集まるが先生の姿は無い。視線を落とすと教台の影から小さな金色の頭が出ていた。
「ごめんねぇ、良くわからないけど何か反射的に――」
「これは……どうすれば?」
立ち上がっている白姫雪華はどうして良いか、わからない、そんな様子で先生を見た。
「ヒッ」と再び顔が引っ込み、
「ごめんね……」と姿は見えないが、教台の影にいるであろう先生が謝る。
白姫のことを怖がっているように見える。恐らく、記憶は戻って無いとしても、意識を失う前の出来事がトラウマとして潜在的に心に刻まれているのであろう。
森羅が、漠然とそんなことを考えていると男子生徒が立ち上がった。
「謝る事無いよ! そいつが悪いんだ!」
「そうだそうだ!」
軍への遺恨の念は、皆少なからず持っている。心に深い傷を負いながらもようやくこの土地に馴染み、心を癒しはじめた矢先に調停者への攻撃をはじめた軍部への積もりに積もった不満から次々と立ち上がり口火を切っていく。
「もう帰ってよ! 戦争なら他所でやって!」
「そうだ! 帰れ!」
「疫病神! 何一つ守れなかったくせに偉そうな顔しやがって! 帰れよ!」
「どうせ勝てないのに何で戦おうとするんだよ!」
「死ぬなら勝手にどっかで死ねよ! 巻き込まれるのはもう沢山だ!」
「お前が悪い」
「父さんが死んだのはお前が悪い」
「ママ……、何で、何でママが死んであなたが生きてんのよ!」
口々に声を上げる。僕も同意見なのがチラホラと有った。
「東京に帰れよ!」
「そうだ! そうだ!」
「帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ!」
「ちょ、ちょっと、止めてよ! 白姫さんも生徒よ!」
次々と同調の声が沸きあがり、帰れコールが始まった。先生の声も届かない。
メルは、わざと音を立ててパソコンを閉じて舌打ちしてクラスメイトをにらみつけている。
森羅は、止めるつもりもなく、すべてを傍観していた。
「帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ! 帰れ!」
その間も帰れコールは続き、『パパ、ママ……』と呟き隣の席の大人しい子も立ち上がった。これで座っているのは僕とメカオと白姫だけに成った。
突然、白姫は立ち上がった。クラス中を見渡し、森羅を含めて目を逸らした。しかし、目が合ってしまった生徒もいたようで――精一杯去勢を張った。あいつは、たしか須藤。
「な、なんだよ! も、もんくあるのか?」
数に頼っているだけで僕も含めて個々の生徒は、調停者の恐怖に怯える一人の高校生だ。ひとたび、軍に属して調停者と戦い続けている白姫雪華に睨まれれば日和るしかない。
緊張が走り、一瞬で静まり返る教室。
「あれだけまとまってみんなで白姫さんを罵倒していたのに、いざ、一人が睨まれると誰も助けようとしないのだね。人間って醜いよね」
メルのささめきに白姫は、小さく首を振る。
そのまま白姫は反論もせず、反撃もしないまま須藤に頭を下げて教室から駆け出していく。
閉められたドア。一呼吸おいてクラスは、沸き立った。
「しゃあぁ、見ろよ! 俺の一言で尻尾巻いて逃げやがった!」
「須藤君! すごい! すごいよ!」
メルは、ペンをへし折った。
先生は席を立たなかった僕らの元に来た。足取りはおぼつかない。
「ごめんね、先生失格だ。私が怖がらなければ……もう死にたい」
充血した目、いつもは簡単に泣くのに今日は違う。必死にこらえている。
「みんなに説明する事があるの。立ち上がった生徒には絶対に説明しなくちゃならない。そうしなきゃ天国に行って会わせる顔が無い人がいるの、だから、二人で白姫雪華ちゃんを連れ戻してくれない?」
「いや――絶対にいや! 守ってくれなかったから家族が死んだのはお前が悪いって? そんな事を言い出す馬鹿の為に動くつもりはない! 白姫さんも白姫さんで、こんな腰抜け連中、さっきみたいに銃で脅せば良いのに、自分一人が良ければ外で何千万人が死のうがどうでも良い、そんな連中。もっとも、自分に守る価値が無いとアピールしてくれるのは助かるよ!」
先生の頬を伝う一筋の涙に森羅の表情が動く。必要以上に人と関わったら駄目だ。と警告音がブレーキをかけたが、森羅は、立ち上がった。
「いってきます」
「宛てはあるの?」
振り返るメルの顔はなぜか笑っていた。僕が首を振ると
「屋上にいるかもしれないよ」と言って再びパソコンに噛り付いた。