白昼夢
「曇りそうもないよなぁ……」
遮った右手の平の隙間から溢れる光に顔をしかめてから腕時計。
十時、日差しは十分強いが、正午に架けてもっともっと強くなっていくだろう。
雲ひとつ無い青空にうんざりして辺りを見渡す。なぜか、その景色には見覚えがあった。
「昔、ここに来たことがある」
両側を田んぼに挟まれているこの道を通るのは農家の人と僕ら学生くらいだ。近視感と言い捨てるにはそのイメージはまとまりすぎている。
それは記憶。今では何で忘れていたのか不思議でならない。
遠い記憶をそっと呼び起こす。
その名で呼ぶ事は禁止されているが、日本第六特区と名称を変えたこの土地にも本来の名前があった。母は、この地で生まれ、東京に出て、父さんと結婚した。その後、一年に数回は此処に帰省していたらしいから、この記憶はその内の一回であろう。
家族が居た頃の記憶は時々ふらりと立ち寄っては懐かしむ胸の内側にに染みこんできて、その思い出が暖かければ暖かいほど、がっぽりと心をえぐって去っていく。心の痛みを伴いながらも白黒の曖昧なコマ送りの記憶は、繋がって、ながれはじめた。
セピア色、九歳の頃の記憶をつむぐ。
手を繋ぐ幸せそうな二人の後ろを三人目がとぼとぼと続く。
時折立ち止まり、うらやましそうに二人をちらりと見て、視線を逸らすのだった。
『シンちゃん、手』と、気づいた未来は振り返って、手を出して微笑む。
わかりやすく輝く笑顔、だけど、未来があまりにまぶしくて、手を引っ込めた。
追いついた父と母は手を繫いだ三人に行き先を告げる。
森羅は、自転車を押して、指の指し示す方向へ、そのセピア色の記憶を追いかけた。
T字路にぶち当たったが、記憶に従って右を進む。
「こっちだ――。こんな公園があったなんて」
抜けた先には公園があった。錆びた看板には桜野公園と書いてある。
森羅は、埃をはらって眉をひそめた。どうやら解読にかかっているようだ。
赤錆びて風化しつつある看板には消えかかった文字が並んでいる。由来や、その歴史等ほとんどは読めない。唯一読めたのは最後の一文だけだったようだ。
「桜の木が、百本か。これが桜なのか?」と森羅は、周囲の木々を眺める。
8年後の桜野公園もある程度は管理されている様た。下草は綺麗に刈られている。立ち並ぶ木々の間にはペンキが剥げたシーソーが置いてあった。
「あのシーソー」
思い出した。森羅は、足元に視線を落とす。
記憶の中の幼い3人は目を輝かせてシーソーに駆けていく。それを見送り、看板の前で立ち止まる森羅の横を父さんと母さんが横切っていく。
二人はベンチに腰掛けて寄り添った。シーソーでは、幼い僕らが嬌声をあげて遊んでいる。
「白昼夢……か」
森羅は、我に返り首をブンブンと振った。
やはり公園には森羅一人しかいない。立ち並ぶ木々は黒い樹皮と緑の葉が生い茂っていて、とても桜には見えない。記憶の中では一面の桜が咲いていたはずなのに。
埋められたタイヤはひび割れ、木には変なキノコが生え、支柱からは赤錆びた水がにじみ出ている。
瞳を閉じてつぶやいた。確認するように。
「思い出の中のみんなはこんなに幸せだったのに、なんで今は僕しかいない? なんでだ?」
夢から醒める為に首を振った。余韻を振り切ると重い瞼をゆっくりと開き、膝を落とした。鳴き始めた蝉と桜の木の緑葉は夏を知らせてくれている。
森羅は蝉を恨めしげに、睨みつけて叫ぶ。
「うらやましいよ! 僕は、あと何十年生きれば良い? みんながいなくなって五年、本当に長かった……。嫌だ! もう耐えられない」
下草を毟っている。そして、自分に言い聞かせるように呟いた。
「もう終わった。みんな死んだ。誰もいない、どこにもいない。死んだんだよ! みんな死んだ!」
「ハハ、ハハ、ハーハッハッハ、ハ……ハ」
公園内に響いた笑い声は、蝉の鳴き声よりも単調で砂漠の砂より乾いていた。
雲で太陽が隠れ、涼しい風が通り抜ける。
「どんなに幸せでも、どんなに仲が良くても、何も悪いことしてなくても、みんなは死んだ。父さんや母さんや未来が何をした。なんで僕だけが生きている? 僕とみんなは何が違う? 殺すなら僕も一緒に殺せば良かったのに――」
「なんで殺さなかった!?」
再び顔を出した太陽。日差しが差し込んでくる中。
「真面目に生きても何の意味も無いじゃないか」と呟き、森羅は公園をあとにした。