はじまり
大幅に改稿しました。
「いい景色じゃないか」
「うん、良いよね。この景色で感動出来る君の思考回路が単純ですっごく良いよ、感心した。君が言っているのは、狭い水槽内の魚が、ガラスの向こうの部屋を『ふむ、いい部屋だな』と言っているようなものだよ。クク、滑稽だよ。君は、きっと長生きするね」
「勝手に言ってろ」
天野森羅は、右手で沈んでいく夕日を遮った。高台にある自宅の屋根から一望出来る第六地区一の市街地は、人差し指と親指の間にすっぽりと収まる程度の大きさだ。
第六地区を示す銀色の隔壁の向こう側には、古い町並みが佇んでいる。
京都の古都を見本に碁盤目状に整った美しい市街地。そこには、景観をそこなう電柱は一本も立ってない。
「気になるの? 行きたいなら行けば良い。命の保証は出来ないけどね」
隔壁の向こう側に人が住む事は許されていない。
僕ら日本人が、調停者に許された生存領域は、六つの街ほどの広さの土地とそれに満たない小規模な二十程の安全地帯だけだ。
1~6までの住める街は、地区と呼ばれていて、ここは六番目の地区。
「気が向いたらな。それよりさ。なぁメル」
森羅は、口先に毒がある少女に問いかけの視線を送る。黙っていればそこそこ可愛いんじゃないかとなんとなしに考えながら返答を待った。
黒髪ショートボブ、毛足は、あごのラインに沿って内巻きで、まんまるな輪郭を形成している。屋根の傾斜にそって足を伸ばして座り、膝の上にはノートパソコンを載せている。
忙しそうにキーボードを叩きつつも右手をひらひらと泳がせて、目まで見通せない瓶底メガネが輝き、森羅に向けられた。上下青色の作業服を着て、軍手をはめたまま姫川メルは面倒くさそうにメガネを直した。
「少し待って、すぐに済むよ」
「わざわざ屋根に登ってまでそれか」
赤いトタン屋根は熱を蓄えて足の裏を焼いている。
空は飛べないから、皮膚の厚いかかとを交互にトタン屋根に、そっと付けて体を支える。こいつ熱くないのか? と盗み見ると上履きを履いていた。
「さぁ、もう少し、もう少しだよ、森羅君。あと十秒――」
うらめし気な視線を少しも気に留めることもなく。メルの視線はノートパソコンから腕時計へ、そして、空へと旅立った。
釣られて上を向く。
なんの事は無い。青い、蒼い空、雲一つ無い空が広がっていた。]
「近い! 何かに掴まって!」
「え? ぐ……つぅ、なんだよ、これ。ぐあぁ」
突然の耳鳴り、反射的に両耳を塞いで体を丸めた森羅は、次に襲いかかった地鳴りで顔を上げた。
「屋根から落ちちゃうよ! 早く捕まって!」
「くぅ、な、なんなんだよ! う、うわぁぁあぁぁ――」
「ひゃああぁぁぁあぁぁぁ」
パニックに成りながらも窓枠にしがみ付いた。間一髪で突風が二人を襲う。
森羅は、風で木の葉の如く空に跳ね上がる屋根の一部を視線で追いかけ、上空を通り過ぎる影の正体を両目に焼き付ける。
一秒にも満たないコンマ
数秒の世界で田園地帯を飛び越えて視界から消えるが、目のいい森羅には、全て見えていた。
一機の飛行機。引き絞った胴体、驚異的な速度、運動性能から答えを出した。
「なんで戦闘機が第六地区内を飛んでいる!? そんな事すれば調停者が襲ってくる――。そんなこと小学生でもわかっている。軍がわからないはずがない」
「そのままね」
メルは、カメラを構えた。
「いい表情! もっと、もっと苦しそうにしてみて! へ? 見えていたの? 君には極稀に驚かされる。ちょっと待ってて――」
メルは、嬉々として、顔を歪める森羅をカメラに収めると、思い出したようにパソコンのキーを叩きはじめた。
森羅は、画面に表示された数機の戦闘機から一つを迷いなく、即、指差した。
「うそ、ほんとに?」
それをじっと見つめ、目を細めたメルは、堰を切ったようにフルオートで言葉をうちだす。
「国産戦闘機不死鳥。プロトタイプは、調停者に破壊されたと聞いたけど量産化に成功ていたのね! さすがにラムジェットエンジンは無理だったようだけど。フレームは、すごいのよね。素晴らしい空力といわずにはいられないよっ!」
興奮を隠せない様子で鼻息を荒くしながら見えない誰かに話している。そんなことよりも、底部に取り付けられた剥き出しのミサイルを思い出して、めまいがした。
「あの戦闘機、なにをしにいったんだ?」
「ククク、戦闘機が何しに向かうって? 愚問だよ、戦闘機は戦う為にある。例外はない。戦闘機不死鳥は、戦いに向かったの」
森羅は、生唾を飲み込んだが、渇きは和らがなかった。震える右腕を左腕で抑える。だが、左腕も震えているから意味がない。震える唇でゆっくりと言葉を紡ぐ。
「どこで、何と、戦いに行った?」
「ククク、決まってるでしょ。待って、資料を出す。この天才が説明しても君は信じないからね」
ノートパソコンの画面がこっちを向いた。
「自分で読んでみて」
画面内を覗き込み森羅は息を呑む。そこには文書があった。正確にはパソコンに読み込んだであろう重要な書類。その文書には機密文書、持ち出し禁止と二種類の朱印が押されている。
「クク、攻撃命令が出ている。ターゲットは、調停者ムルグ。字は読めるよね?」
「……」
顔だけが引きつった笑いを浮かべているのがわかる。
「せっかくここまで逃げられたのに、なんでだ。ここには調停者が来ない! 大人しくしていたらもう傷つかなくても良いんだ!」
「それは負け犬の思考。残念ね」
メルは、帰り支度をはじめた。開く鞄、鞄の中に見えた銀の装飾銃に息を呑む。
「5年前に人間は負けた。もう戦う必要は無いんだ」
メルだけに言ったんじゃない。自分にも言い聞かせる。僅かだけど、そんな意味も含まれていた。
「またね」
「あぁ、また」
窓が開く音、その音の方向へ視線が向かう。メルが屋根から室内へ入っていく。窓枠を跨ぐ、その様子をじっと見ていた。そうしたい訳じゃなく只、何もすることが無いから見ていた。
室内に降りたメルは顔を上げた。そして、顔を歪める。その表情は怒り、に見えた。
「君と僕がはじめて会った日、覚えてる?」
「ああ、覚えてる」
「ククク、いい記憶力だね。随分前だと言うのに。どこであったのか覚えてる?」
視線を逸らして、考える。確か話し始めたのは雪下ろしの時、だけどきっとその前に学校で会っている。
「学校でだ……」
「そう――君は双子の弟がいると言っていたね。名前は確か、天野新理。彼はどうやって死んだの?」
森羅はメルと目を合わせて睨み付けた。運命の日起こった事を質問するのはここでは最大のタブーとされている。メルが弟の死に方を知りたがっている。それだけで弟が侮蔑された。そう感じた。
「例え見ていても説明する気は無い。それだけか?」
「ハハッ、十分だよっ」
そう嘲り、カメラを構える。そして、シャッターを切った。
姫川メルはいつも僕の顔を撮る。苦痛や怒りで歪んだ顔を好む、変人だ。