第二話
「美果、待たせてごめんね!」
放課後、部活終わりのすみれが、扉をガラリと開けて、美果のいる教室に飛び込んでくる。教室の中には、西日を浴びて赤く染まった美果が、たった一人でぽつんと席について、雑誌を読んでいる。
「おつかれー、すみれ」
美果は、読みふけっていた雑誌から顔を上げて、すみれにニッコリと笑いかけた。
美果の元に歩み寄ったすみれは、美果が手にしている雑誌の表を見ながら言った。
「美果、また声優グランプリ読んでるの?本当に声優になりたいんだねー」
間髪おかず、美果は答える。
「うん、なりたい!もう今すぐなりたい!」
そして、ため息をつきながら、続けた。
「でもお母さんが、高校卒業してからじゃないと、声優の専門学校行かせてくれないって言ってるんだよね…」
「そうなんだ、良いお母さんじゃん」
美果の焦りを知らないすみれが、あっけらかんと答える。そんなすみれに対し、美果はちょっとむっとした表情をしながら、雑誌の表紙に載っている女の子を指さして言った。
「でも、この声優なんて私と同い年なんだよ!?同い年でもうこんな活躍してるのに、私はまだ何もしてない…。焦っちゃうんだよ」
美果の真剣な表情を見て、適当に答えた事を後悔したすみれは、今度は気持ちを込めて答えた。
「そうなんだ。美果、大変だねえ…」
「ほんと、もうやんなっちゃうよ」
すみれの答えに満足した美果は雑誌を閉じて、カバンの中に押し込みながら立ち上がる。そして、すみれの顔を見て、ニコリと笑って言った。
「よし、じゃあすみれ、帰ろうか」
「うん!」
すみれもうれしそうに笑った。
夕日の差す通学路を、遠回りしてゆっくり帰るのが、美香とすみれの中学生時代からの習慣だった。二人はこの帰宅までの長い時間を使って、互いの悩みや、今日あった出来事を報告しあっていた。
使い古してボロボロに錆びた自転車を押したすみれが、美果に話しかける。
「美果、この前の小テストの結果どうだった?」
「もちろん、満点だったよ」
几帳面で努力家の美果にとって、満点を取る事は当たり前の事だった。すみれは目を丸くしながら答える。
「あんなに難しいテストだったのに、また満点だったの!?美果は凄いね…」
「そりゃそうだよ、だって大学の推薦取れなくなっちゃうじゃん。たとえ小テストだったとしても、細かく点数を重ねて、内申点をあげとかないとフリになっちゃう」
そんな美果の返答に、すみれは少し戸惑うような顔を見せる。
「大学じゃなくって、声優学校に行きたいんじゃないの?」
「ううん、大学には行くつもり。声優学校は夜間の通うつもりなの。両親には勉強頑張るから、今から夜間に通わせてくれって言ってるんだけど、高校生のうちは夜遅くなったら心配だからって反対されてて…」
自分と違って、しっかりと自分の将来の道を考えている美果に、すみれは尊敬の眼差しを向けた。
「そうなんだ…。美果はすごいね」
そう言ってから、すみれは突然何かを思い出したかのように、道の真ん中で立ち止まった。見かも思わず足を止める。
「…あのさ、美果。本当に声優になりたい?」
何を今更、と思いながら、美果は答える。
「うん、そうだよ。もちろん」
「そうだよね…」
すみれはそう言って押し黙り、何かを考え始めた。
「どうしたの、すみれ」
「うん…。ちょっと、言おうか迷ってたんだけどさ…」
すみれは立ち止まって、カバンの中から一冊の小冊子を取り出して、美果に手渡した。その表紙には、見覚えのある女性が載っていた。
「なにこれ?声優の雑誌じゃん」
「うん、この表紙の人知ってる?」
「なんとなくは知ってるよ。林檎あかりでしょ」
美果はもう一度表紙をよく眺めてみる。ロリータ服をきてメガネをかけたこの女性は、間違いなく林檎あかりだ。インターネットにおける知名度は抜群なので、一応知ってはいるが、実際のところ、代表作はなんなのか、何故こんなに人気があるのかは、よく知らなかった。
「さすが美果、正解。でも、この人が一体どんな人なのか、知ってる?」
「ううん、全然知らない…」
美果の答えに満足そうに頷いて、すみれは説明をし始めた。
「この人は、元々はネットアイドルをやっていた人なの。ライブ活動とかも色々して、それでネットで有名になって、今、声優としてやってる人なんだよ」
「へー、知らなかった!」
美果は驚きの声を上げた。声優までの道のりに、専門学校に行く以外の、そんな別ルートがあったなんて、気づきもしなかった。
しかし美果はふと思った。なんで声優に興味がないすみれが、こんな事を知っているのだろうか? 美果は、思った通りの質問を、そのまますみれにぶつける。
「すみれ、なんでそんな事知ってるの?」
すると、すみれは面食らったような顔をして、答えた。
「えっ?だって、美果、声優になりたいんでしょ?でも、専門学校に行くまでまだまだ時間かかりそうだから、嫌なんでしょ?」
「うん、そうだけど…」
「だから、専門学校に行かなくても、声優になれる道が他にないか、探してきただけなんだけど…」
当たり前のようにそう言うすみれに、美果は感激した。
「すみれ、悩んでる私の為に、一生懸命調べてきてくれたの!?」
美果は、その場ですみれの手を固く握った。すみれも、少し戸惑いながらも、固く握り返してくる。美果は誓った。
「ありがとうすみれ!私、絶対に声優になってみせるから!」
その言葉を聞いたすみれは、にっこり笑いながら言った。
「役に立ててよかった!私、美果の事、ずっと応援してるから!絶対声優になってね!」
****
次の日の放課後。いつものように、美果が一人待つ教室に、息を切らせたすみれが飛び込んでくる。
「待たせてごめんね美果!かえろう!」
「うん」
美果はにっこり笑いながら雑誌を閉じた。
誰もいない下駄箱にたどり着いたところで、美果は口を開いた。
「…ねえすみれ、私考えたんだけど」
「んー?」
一列向こう側の下駄箱から、すみれの声が飛んでくる。
「私、昨日すみれが教えてくれたように、まずはネットアイドルとかから、始めてみようと思うんだ」
脱いだ上履きをしまいながら、美果は言った。
「専門学校に行くまで、私待てないんだもん。もし、それが声優に直結する道じゃなかったとしても、今からでも名前を売りたい。何かしないと、落ち着かなくって…」
すみれが下駄箱をぱたんとしめた音が聞こえる。すのこの上を、裸足で歩く音がする。美果が音の方向を向くと、そこには両手にスニーカーを持ったすみれが、笑いながら立っていた。
「私、大賛成!」
「ホント?ありがとう」
美果は軽く飛び跳ねながら喜んだ。声優に直結するわけではないとはわかっていたが、それでもやっぱり、何か一つ、前に進めたことで、とても気持ちが楽になった気がした。
そんな中、すみれは、両手に持った靴をぶらぶらさせながら、不思議そうな声を出した。
「…でも、美果、ネットアイドルってどんな事する人たちなの?」
「えっ!すみれ、私に勧めて来たくせに、自分では知らなかったの?」
「うん…実はなんにも知らないんだよねー」
「うーん、そうだなあ。多分、ホームページ作って、写真とか載せたりするんだと思うよ」
「そうなんだ…。あっ、じゃあ、この写真載せようよ!」
すみれは、靴を床にトタンと落とした。そして、斜めがけにされた通学カバンの中から、何かを取り出す。
「これ、載せようよ!この美果、すっごく可愛く撮れてるから!」
それは、美果とすみれが二人で、つい最近ゲームセンターで撮ったばかりのプリクラだった。確かに、目元に補正がかかって、美果の面影を残しつつ、実際よりかなり可愛く写っていた。
「うん、これいいね!」
美果はプリクラを手にして、にんまりと笑う。
「でもすみれ。このプリクラ載せるんだったら、すみれも一緒に載っちゃうけど、いいの?」
「うん、別にいいよー」
特に何も考えず、気軽に許可を出すすみれ。美果は少し、考え込んだ。
「…じゃあさ、すみれ。良かったら、二人でネットアイドルやらない?」
「えっ?」
その言葉を聞いて、すみれは驚きの表情を浮かべた。丸くて大きな目を、更に丸くする。
「だって、私、一人だとやっぱり寂しいし…。すみれが一緒にやってくれるんだったら、私も、すごく嬉しいんだけど」
「そうなんだ…」
すみれは、今度は少し考えるような表情を浮かべた。しかし、すぐに結論を出した。
「お母さんに怒られるかもしれないけど…。でも、バレなきゃ大丈夫だよね、きっと!いいよ、一緒にやろ!」
「やったあ!」
美果は手を叩いて喜んだ。美果の頭の中は、アイドル声優ユニットとして、ステージの上で歌う二人の姿が、すでに思い浮かんでいた。
そうして、二人がホームページを立ち上げてから、三ヶ月後。
二人は、精力的にプリクラを撮って、ホームページにアップロードし続けたが、まるで反応がなかった。BBSには、未だ一度もまともな書き込みはなく、出会い系業者の書き込みで埋まっていた。
「…全然うまく行かないねー。何でだろ…」
二人は、図書館に置かれたパソコンの前で、自分たちのサイトを開きながら唸っていた。
「ランキングに入るどころか、一日2アクセスくらいしかないんだけど!なんで?」
美果の問に、すみれが首をひねりながら答える。
「全然わかんない…。ランキングに入っている子たち、全然可愛くないのに…。うちら、一体何が悪いんだろう…」
「だよねー…。全然わからない…」
美果は深い溜息をつきながら、マウスを動かす。
どうせ何も書き込みが無いだろうが、一応、設置されたBBSをクリックしてみる。
「また、出会い系ばっかり!」
スクロールさせながら、美果は声を荒らげた。
そんな中、すみれが、急に身を乗り出して、モニターを見始めた。
「美果、ストップして!」
「なに?」
「出会い系じゃない書き込みがある!」
「えっ!?どこどこ!?」
美果は、スクロールしすぎた画面を、急いで上に戻す。
「これこれ!この『米田』って人!」
すみれが、一つの書き込みを指さした。
「ホントだ…」
二人は、モニターにかじりついて、その書き込み内容を見た。
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名前:米田 タイトル:はじめまして
お初です。米田と言います。
今回初めての書き込みなんですが、実は私、このページは、一ヶ月位前から、毎日欠かさず見ていました。スーちゃんもミーちゃんも、とっても可愛くて、大好きです!これからも見てますので、よろしくお願いします!
P.S. 掲載されてる写真は、プリクラを、デジカメで撮ったものですよね?他の一般的なネットアイドルのページより、画質がちょっと落ちるので(苦笑)気になってしまいました…
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読み終わった二人は、感嘆の吐息を漏らした。そして、何度も何度も、この文章を読み続ける。
「うちらがプリクラをデジカメで撮ってる事、すぐにバレちゃったね…。この人、凄い人だね…」
「うん、そうだね…」
「っていうか、美果!今すぐ返事書いちゃおうよ!」
「あっ!そうだね!!」
美果は、急いでカーソルを空欄に合わせて、キー入力を始めた。
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名前:ミー&スー タイトル:Re:はじめまして
はじめまして米田さん!ミーとスーです。書き込み有り難うございました。大好きって言ってもらえて、とっても嬉しいです!これからもよろしくお願いします!!!!
P.S. はい、プリクラはデジカメで撮ったやつです。よくわかりましたね、凄いです!
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「すみれ、これでいい?」
「うん、投稿しちゃえー!」
すみれに促されて、美果は投稿ボタンを押す。
すると、画面がパッと切り替わって、赤文字で「投稿しました」という表示が現れた。
「よかったね美果、ついに書きこんでくれる人が出てきて!」
笑いながらすみれが美果の顔を覗き込んだ。
「うん、よかった!超良かった!!見てくれてる人がいたなんて!嬉しい!」
美果は、すみれの目を見て、嬉しそうに笑った。その顔を見て、すみれも思わず、笑みを浮かべて言った。
「美果の夢が、一歩近づいたね!早く返信来るといいなー!」