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何度も頭の中で練習した台詞だったから、続く言葉は驚く程冷静に言えた。特徴や志望理由を、まるで面接で聞かれたかのようにすらすらと。
「……そうか」
私の言葉が終わって、お父さんが言った言葉はそれだけ。
沈黙に耐えられず、私はなおも口を開いた。
「もちろん合格するかはわからないし私立は家から通えそうな学校だけ受験する。受かった場合はアルバイトとか奨学金とかも考えてるし」
「お金のことは気にしなくていい。ただ、何ていうか……」
私の言葉を優しく遮ったお父さんは、ぽんと優しく頭の上に掌を乗せた。そのまま軽く、何度か前後に撫でられる。
「少しびっくりして」
大きな少し骨ばった手の平から暖かさを感じて、私は胸の奥がきゅっとした。
もっとずっと小さな頃は、お父さんの親指を握って歩いていた。一番古い記憶は、多分それ。三歳くらいの時の記憶。
私は頬の内側をじわりとかんだ。
「お母さんには?」
お父さんにそう聞かれ、わざとらしく渋い顔を作り答えた。
「……まだ言ってない」
多分、絶対お父さんのようにあっさりいかない予感がする。保育園の小さい子どもの真似をしてイヤイヤをするお母さんを想像して笑みがこぼれた。きっと結果的には笑顔で送り出してくれるはずだ。
「隆哉にも?」
弟の名前を出され、どきりとした。
「言ってない」
ぶっきらぼうにそれだけ返す。
「そうか。……庸子の選んだ進路にお父さんは口を出すつもりはない。応援してる」
お母さんにもなるべく早く自分の口から伝えるようにと言って、お父さんは部屋から出て行った。
新幹線だけで三時間。下宿じゃなきゃ通えない学校を第一志望にすることを決めたのは、割と最近のこと。でも、ぼんやりとではあるが家から出ることを頭の中に思い描いたのは、随分前からだった。
隆哉からの告白も、生みの母親との再会もそれには関係ない。
さっきお父さんに頭をなでられて感じたのは、腕にすがりついてしまいたいと同時に、その手を叩き落としたいという相反した思いだった。
私はもう子どもじゃない。一人で歩いて行ける。
大丈夫、だいじょうぶ。言い聞かせる。
自分の手を見たら、思い切りこわばっていて笑えた。両手を合わせて握り、口元にあてて息をつく。指の間が汗ばんでいて、気持ち悪さを感じる。
お父さんの反応が怖かった。出ていくのを喜ばれても、下宿になることを批判されても。
これ以上ないってくらい優しい言葉に、私は心から安心した。
ゆっくり机に近づき、椅子を引いて座った。赤い背表紙の分厚い過去問題集を手に取る。
そもそも合格するかわからない。日本屈指の難関大学の一つだし。
ぱらぱらとそれをめくりながら、隆哉のことを考える。
隆哉からの視線に妙な違和感を感じるまで、ソファーに座って嫌がる隆哉の頭を膝の上に抱え込んでその髪をなでるのが好きだった。
お父さんにそっくりな真っ黒でつややかな短髪。お母さんにそっくりな黒目がちでちょっと切れ長の二重。大好きで妬ましいその容姿を眺め、触れることが好きだった。
彼のことが好きかと問われれば、確かに好きだと答えるだろう。
でも、純粋な好きだけではないことに私は気が付いている。
好きで、その存在が支えでありつつも、妬ましいし鈍感さが憎い。
親がいなくて姉弟だけで過ごすことが多かったから、たまたま一番近くにいたから。
そんなことを理由付けて、私は隆哉への好意に蓋をしよう。
過去問題集を音を立てて閉じ、問題集とノートを用意する。
ペンケースのチャックを開ける音がひどく乾いたものに聞こえた。