9
連れられた先は外資系チェーンホテルの中にある日本料理店だった。こんなにちゃんとしたホテルの中に入ったことは無かったため、ただひたすら落ち着かない。着慣れないふわふわしたスカートとむき出しになった足が心細さを加速させた。
店員さんに案内されるがまま足を踏み入れたのは、十畳ほどの大きさのテーブル席の個室だった。
「ここなら気兼ね無くおしゃべりできるかと思って。ここの料理、美味しいのよー薄味だけど素材が良くてね」
はしゃいだように玲子さんはこのお店について喋りだした。悪いけれど内容は全然頭に入ってこない。これからの話を思うと鳩尾の辺りが重く感じられて胃がきりきりしてきた。
自分からここに来ると決めたのに、なんだか自分が情けなく感じられた。上目遣いでちらりと玲子さんを見つめたら、焦ったように謝罪の言葉を述べた。
「ごめんなさい、一人でぺらぺら喋って。……あなたとどんな話すればいいかなんて全然わからなくて、実は凄く緊張してる」
玲子さんは眉を寄せながら困ったように微笑んだ。
「……悪い、酷い母親だって散々言われてるかと思ってたけど何も言って無いんだ、あなたのお父さんとお母さん」
まいったなぁと、玲子さんはため息をついた。つい先ほどまで出していた「いかにも仕事が出来そうな大人の女性」のオーラは無くなっている。
「何から話せばベストなのか、なんてわからないけれど」
苦い笑みを浮かべながら玲子さんはいつの間に運ばれてきたのか分らないグラスを手に取って揺らした。透明の液体がゆっくり揺れるのを見つめて、少し沈黙する。
「……言わなければこのままでいられる、なんて思ってたのかな。馬鹿みたい」
馬鹿にしたような内容のことを悲しそうな笑みと共に言われたから、玲子さんを咎める気にはならなかった。
それから綺麗な彩の料理が一気に運ばれてきて、二人使うには広すぎるように感じられるテーブルはあっという間に一杯になった。机の上に料理が乗せられる度に配膳してくれた人がメニューを教えてくれるから一応頷くけれど、食べるどころじゃない心境だ。家族と来ていたら、お母さんがいちいち騒いで、隆哉が不機嫌になって、私はお母さんに相槌をうちながら隆哉にちょっかいをかけて、お父さんは全部を静観しているんじゃないだろうか。そんな想像をしたら、余計寂しくなった。
いつか、家族で来れたらいい。いくら料理が素敵でも、この人と向き合う現在はただひたすら居心地が悪い。
このままのらりくらり時間だけ過ぎてご飯だけ食べて続きはまた次回、なんてことにはなりたくない。焦燥感が急にわいてきて、私はテーブルの下に隠れた両手を膝の上でぎゅっと握った。
「……私と私の家族、血が繋がってないんじゃないですか?」
なるべく自然に聞こえるように、一息に言った。引きつった口元は上手く隠せない。
感情が高ぶらないようお腹の前にあるテーブルの端を見つめて静かに深呼吸する。
かねてからの、疑問。
生まれた直後の写真が無い。家族写真で、私だけ誰にも似ていない。祖父母がいない、喧嘩して疎遠になっているとは聞いているけど。そして記憶にある、この人の言葉。
『あなただけが他人なんだって』。
涙が出ないと確信したので玲子さんに視線を向けたら、彼女は何かを決心した表情で私を見つめていた。
「小学生になったばかりだったかしらね、あの時の庸子ちゃん。私が連れ出した時の事、覚えてる?」
「ぼんやりとは。ただ記憶がうっすらしていて……」
「お葬式だったの」
はっきりと私に視線を合わせて、玲子さんは言った。
「あなたの父親の葬式だったのよ」