2
『パパに本当のことなんて言えないわよね。』
この女は魔女だ。だってその唇から毒を紡ぐ。
『あなただけが……なんだって。』
そんなことない。嘘だ。聞きたくない。
要らない子。
私の頭をつかんで、窒息してしまうくらい強く抱きすくめて、魔女は耳元でささやく。
『あんただけ幸せに生きてるなんて絶対許さないからね。要らない子の癖に。』
その後は、どうなったんだっけ。
久しぶりに、あの夢を見た。
あれは現実の遠い記憶だ。胸がきしむ。
私は小さくため息をついて身を起こした。どうやらあのまま寝てしまったらしい。
枕元の時計を見て確認すると、一時間ちょっと経っていた。
嫌な汗をかいていて、全身がべとつく。顔があたっていた部分の布団が鼻水と涙でぬれているのに気がつき、私は顔をしかめた。
……恥ずかしい。
良く考えてみなくても、弟の前で盛大に泣いてしまった。小学生以来かも。
しかも、大したことないことで。
テスト終わったハイテンションで帰宅した後、弟の部屋に乱入して机に向かう弟に後ろから抱きついて「だーれだ」をしたら、本気でウザがられちょっと脅されたってだけで号泣、って……。
ううう。冷静に思い出すとバカ過ぎだろ、私。かなり落ち込むわー。
『要らない子の癖に。』
あの女の言葉をまた思い出して、私は唇を引き締めた。
そんなことない。
私はもうあのときの小さな私とは違う。
……頑張ろう、そんなつまらない女の悪意に飲み込まれないように。
机の上のティッシュをとって鼻をかんだ。
立ち上がるとドロリと血が流れるのがわかり、気持ち悪くなる。……ナプキン、取替えないと。
ノブを回しドアを開けようとすると、何かがつっかえて開かない。
力を込めて押すと、不機嫌そうな声が聞こえた。
「ってーな、ガサツ。今どくからちょっと待てよ」
隆哉だ。
そりゃ、あんな感じで部屋に篭られたら困るよねぇ。
どうやら出てこない私に閉口して、ドアの前で読書か何かしてたみたいだ。
「……落ち着いた?」
ドアから顔を出すと、ドア前から横にずれた様子の隆哉と目が合った。
壁に背を付けて胡坐をかいて座っていた。
もしや、私が寝てる間ずっとドアの前にいたのだろうか。まさか、ね。
「うん……急にゴメン。最近ちょっと寝不足で……」
恥ずかしさに声が小さくなる。視線を落とすと、数学Aの参考書が目についた。
「勉強してたの?」
「……今日でテスト終わったお前とは違って、オレは明日までなの。」
むすっとした表情でそう言うと、隆哉は腰を上げた。
「あんま勉強の邪魔すんな」
言うなり、私の頭に手を伸ばす。小突かれることを予想して思わず目をつむったけど、予想に反してその手は私の頭を撫でただけだった。
「……嫌いじゃないから」
ぶっきらぼうな隆哉の言葉に、私は目を開く。
「むしろ……だから、その正反対」
弟はそう言うなり、不機嫌そうに自分の部屋に戻っていった。
廊下に取り残されたのは、私一人。
背はとっくに抜かれて声も低くなり、少年から青年に移りつつある反抗期真っ只中の彼だが。
「……カワイイなぁ」
思わぬところで胸がきゅんとした。
やっぱり隆哉、大好きだ。