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帰宅後部屋着に着替えてもいつ鳴るのかと思ったら落ち着かなくて、ずっとズボンのポケットに携帯電話を入れていた。意識しないように努めていたけど、なかなか難しい。
産みの親のことを、なんと呼べばいいのだろう。母という呼称は全くしっくりこないし、何となく彼女もそれを好まないような気がする。
渡された名刺には『高浜玲子』という名前が記載されていた。高浜玲子税理士事務所なるものを都内に開いているらしい。
彼女のことなんて名前ですらこれまで知らなかったわけで、これからどんな関係を自分と彼女が望んでるかなんて全然わからない。でも、とりあえず事実だけは知りたいと思っている。なぜ自分が生まれて、この暖かな家庭で育つことになったのか。
「……ちゃん」
「わっ」
呼びかけられた声に驚いて、思わず叫んでしまった。
「……さっきから呼んでたけど、驚かせたならごめんね」
首を傾げてソファーに座る私を見下ろしたのはお母さんだった。今日は五時上がりで、キッチンで夕食を作っていたはず。手伝いはいいと言われた私は何か指示されるまではと、ソファーに座ってテレビを見ながら携帯をいじくっていた。思索に思い切り沈んでいたらしい。
「悪いんだけど、盛り付けだけお願いしてもいい? お母さん、お皿洗っちゃうから」
「うん、わかった。ちょっとぼーっとしてた」
元気良くそう言って立ち上がったら、この時間には珍しいことにダイニングテーブルに座っている隆哉と目が合った。
いつから居たのか、部屋に入ってきたことにも全然気がつかなかった。
「帰って来てたんだ」
「ついさっき」
部活帰りらしくいかにも運動部といった雰囲気のジャージのまま、麦茶をグラスに注いでごくごく飲んでいる。
「もうご飯にするよー! 隆哉もお風呂は後にして先にご飯食べちゃいなさい。お父さんももう少しで帰ってくるって」
「わかったよ」
お母さんの言葉にしぶしぶうなずきながら立ち上がる隆哉の横を通り過ぎて、私はキッチンに入っていった。
夕食も片付けも終わったが、まだ携帯に連絡は無い。
まだ半日。そもそも連絡なんて来るかもわかんないし。
自分の部屋に戻りたくない気分だった私は、夕食の片づけが終わった後ソファーにもたれかかりテレビをぼんやり見ていた。隆哉も両親も二階へとうに上がっている。
映っているバラエティ番組は毎週見ていないため、全然笑いどころがわからない。
はぁ。小さくため息をついた私の横で、声がした。
「またため息」
隆哉だ。言うなりソファーの横にどすんと腰を下ろし、その衝撃で私の体も揺れた。
「何かあったの、今日」
横目でちらりと私を見る。
「え、別に何も無いけど」
言いながら携帯をポケットにしまった私に鋭い視線を向けて、隆哉もため息をついた。
……何か私、した?
「無いなら、いいけど」
機嫌の悪さをにじませながら隆哉は立ち上がった。
「うん」
私はそう答えるしかない。
「良かったら、何か飲み物いれよっか。紅茶とか」
「うん」
私の提案に頷いてくれた隆哉にほっとする。
悪いけど今はまだ誰にも相談する気になれない、こんな何もわからない状況では。
テレビを消して私は立ち上り、先に台所に入った隆哉を追いかけた。