殿下は内緒話がお好きですのね
...駄目ですわ。きっともう駄目なのですわ。
王太子の婚約者であるマリエラ・リュジェンヌは扇子の中で溜め息を吐いた。
目の前には顔を赤くする王太子殿下。
そしてその耳元に何やら囁きながらこちらをちらちらと見て微笑むのは、リリア・フェリシス男爵令嬢。
ここは、王立魔法学園。
この学園には魔力を有する王族や貴族の子女が通うものの、学園内においては自由な交友関係を築けるようにと身分制度が廃されている。
その理由は広い視点と価値観を身につけられるようにだとか、平等な勉学において隔たりがあってはいけないだとか言われている。——が、実際のところは身分差を超えた恋愛関係が横行している始末である。
そして、おそらくは王太子殿下とリリア嬢も、その男女のひと組であることは明らかだった。
リリア嬢の髪はふわふわと柔らかな亜麻色で、瞳はすみれ色の宝石のように潤んで可憐。白金の髪と氷のように透き通った青の瞳を持つサイラス殿下と並べば、まるで絵画のように美しかった。
「...ったら...なんて、...ねえ?」
「......」
ざわざわと学生が行き交う廊下では、二人が何を話しているのかまではわからない。
しかし明らかにリリア嬢はこちらをちらちらと見やって、くすくすと笑みを浮かべるのだ。サイラス殿下はというとどんどん頬を赤く染めながら、彼女につつかれるのを許している。
...やっぱり、駄目ですわ。
殿下はきっとあの令嬢へ、ご執心に違いありませんもの...。
マリエラは小さく溜め息をついて扇子を閉じる。
...正直、気分は良くはありませんわ。
どうせわたくしの重苦しい黒髪や灰色の燻んだ瞳を揶揄したり、低くて可愛げのない声を嗤っているのでしょう。
マリエラはもう一つため息をつくと、胸の内に収めた教本へ視線を落とした。
何度も同じ事をされた中で、聞こえた単語もありますもの。「あの髪」、「あの声」。にやにやとわざとらしく瞳を細めるリリア嬢には、きっとわたくしは酷く醜く見えるのでしょうね。
そう、何度もこれは繰り返されているのだ。
毎度マリエラが王太子と共にいる時ばかり、リリア嬢はやって来る。殿下をつついたり軽く肩を叩いたりして、こそこそとこちらに聞こえぬように囁くのだ。
狙ったように現れてそんな態度を取られれば、マリエラとて嫌気がさしてしまう。その内にリリア嬢そのものまで嫌になってしまうというもので。
そんなマリエラは彼女に関わらないようにさっと目を逸らすものの、彼女は決まって内緒話が終わるとこちらに歩み寄って来るのだった。
「マリエラ様、ご機嫌よう!本日もお美しいですね!」
「...リリア嬢、ご機嫌よう」
ああ、来たわ...。わたくしにわざわざ話しかけて、一体何がしたいのでしょう。
苦手な相手に話す事も全く思い浮かびませんから、近づかれても困りますのに。
マリエラは落ち切った感情のまま、さらに床へと視線を落とした。
だがリリア嬢はにこにこと笑顔を向けるばかり。
「サイラス様って本当に不器用なところがあるでしょう?」
「はあ」
「照れているのに怒っているみたいだし、誘いたいのに命令するみたいだったり。本当に素直じゃないって言いますか」
「そうですのね」
「でも誤解しないで頂きたいんです!この人って本当に色々ぶっきらぼうだけど、本当は優しいところもあって」
「リリア様はよくご存知でいらっしゃるのね」
「はい、それほどでも!」
皮肉も通じませんから、きっともう駄目なのでしょう。わたくしには敵わない純真さ。こういったところに、殿下は惹かれているのでしょうね。
自分とは違った価値観と反応を返す彼女に、疎ましいと同時に羨ましいとも感じてしまう。
「もういいだろう、リリア」
歩み寄った王太子は赤い顔を隠しながらも、睦まじげにリリア嬢を下の名で呼ぶ。
「それで。リュジェンヌ公爵令嬢、次は魔法薬学の授業だったな」
婚約者であるマリエラには、あくまで“令嬢”と立場を明確にしておきながら。
「...ええ、左様にございます」
明確な線引きに傷つく心を見せぬよう、微笑むこと以外できようか。
けれどもリリア嬢はそんな殿下の肩をぽん!と気軽に叩いて、「私も行かなくちゃ!また後で!」なんて笑うと、ぱたぱたとした軽い音を立てて去って行く。
彼が「ああ」と答えるのを隣で聞きながら、マリエラは落ち込む気持ちをそっと隠して前を向いた。
...わたくしが、もっと可愛げのある女性だったなら。
そうしたら殿下は“マリエラ”と呼んで、笑顔を向ける事もあったのでしょうか。
俯くマリエラにも王太子は声すら掛けはしない。
ただ、段差に差し掛かるとそっと手を差し出すので、それが婚約者としての儀礼であってもマリエラは手を取ってしまうのだった。
...けれど、殿下は放課後になれば逢引きに出かけるのでしょう。
しばしの体温を感じたマリエラは、その温もりが自分のものでは無いことを噛み締める。
そう、王太子は毎日、放課後になるとリリア嬢とどこかへ消えるのだ。
追いかけた事がないから、どこに行くかはわからない。けれど、彼らはいつも待ち合わせては、二人で姿を消してしまう。
リリア嬢は庶民から男爵家に迎えられたご令嬢であるそうだから、きっと庶民の知る店があるのだろう。
そこでどんな会話が交わされるのか、どんな触れ合いがあるのか、想像ですら考えたくもない。
けれどマリエラには、考えないこともまた耐え難かった。どうしたって想像は膨らんでしまう。
こちらにはとうに気のないだろう王太子でも、彼女にとっては“特別な婚約者”だったから。
初めて出会った王城の庭園。
王太子はマリエラを見るなり、青い目を大きく見開いた。
彼は今と変わらず言葉少なでぶっきらぼうだったが、庭園の薔薇を一輪摘んで「君に」と差し出した。そして、真っ赤になって俯いたのだ。
マリエラはそんな彼が愛おしかった。
それは、その赤い頬も、赤い薔薇も、自らに向けた恋情だと思えていたから。彼は喋るのがあまり得意ではないようだけれど、誠実な人だと思えたから。
———けれど、それは思い違いだったらしい。
殿方は移り気だと耳にした事があるから、殿下もそういう事だったのでしょう。やはりもう、わたくしではきっと駄目なのですわ。
...だって今殿下が赤くなるのは、リリア様に囁かれる時ばかり。
———殿下はわたくしよりも、彼女との内緒話がお好きですのね...。
そんなことを考えながら、淡々と授業を終わらせ、言葉少なに王太子と別れて寮へと戻る時だった。
ふと、彼と消えるリリア嬢の後ろ姿が目に入った。
あれは庭園の奥の、薔薇の温室の裏。
そこに二人は身を隠した。
あっ、と声を上げた時には背を追いかけていた。
何故か追い掛けずにいられなかった。
あの王城の庭園を思い出してしまったからだろうか、温室に薔薇が植っているのが目に入ったからだろうか。
これほど自分が未練がましく、嫉妬深い女だったなんて。追い掛けてどうするというの。頭の中にそんな声が響きながらも、角を曲がった———その瞬間。
「だぁからお前は、なんであんなに不器用なんだ!!」
鈴を転がすような少女の声で、聞いた事もない怒声が飛び込んで来た。
「こっちがせっかくアドバイスしてやってんのに行動のコの字もしねえ。それでもお前は俺の息子か!」
スパン!とリリア嬢に引っ叩かれたのはなんと、あの王太子の頭。
マリエラが口元を抑えた瞬間、聞き覚えのある声が大きく怒鳴り返した。
「うるっせえよクソ親父!目の前ではアドバイスすんなっつってんだろうが!!」
「男気を見せないお前が悪い!あんなに可愛い子に暗い顔させやがって、“君は美しい”“愛してる”の一言くらい言ってみろ!」
「いいいい言えるかそんな小っ恥ずかしいクサい台詞!!俺は王子様なんて向いてないんだよ!!」
「泣き言言うな!事実もう王子様なんだから!俺なんかもう三人攻略対象を落としたぞ!父親を見習え!」
「親父とイケメンの恋愛とか聞きたくねえええ」
一体何の話をしているのか、さっぱりわからない。
しかし衝撃のあまりマリエラは、手に持っていた教本を気が付けば手放してしまっていた。
ドサドサバサッと音を立てる重たい教本。
ああ、と声を上げて拾おうとした瞬間、振り向いた二人と目が合った。
「「やっべ」」
いったいどこの言葉だろうか。
よくわからない合言葉のようなものを同時に放って、二人は硬直してしまう。
「あ、あの...今の会話はいったいどう言うことなのでしょう...その、父親だとか、コウリャク...?だとか...」
マリエラが恐る恐る聞けば、「終わった...」とサイラス王太子は顔面を両手で押さえる。同時に麗しきリリア嬢は「こりゃどうしようもねえな」なんてガシガシと頭を掻く。
そして頭に掻いていた片手を添えたまま、彼女は腰を落としてこちらに苦笑いを向けた。
「えーと、すみません!俺はこの王太子サイラスの前世の父親です!生まれ変わったらなんか女の子になっちまいましたけど!」
「ぜんせの、ちちおや...」
目を点にしてマリエラが呟けば、王太子は「あ“あ"あ"あ"最悪」なんて低く呻き声を上げる。
「車で事故ったら二人してこの世界に来てまして!そしたらうちの息子があんまり奥手で不器用なもんで見てらんなくて!」
「じこ...、むすこ...?」
ますます目を点にするマリエラに、頭を抱えて唸っていた王太子が苛立ったように顔を上げた。
「いやそれで通じるわけないだろ、馬鹿なのかよ本当に」
「父親に向かって馬鹿とはなんだ!お父さんはそんな子に育てたつもりはありません!」
「うぜえ」
「うざくない!!」
「本当にうぜえ、なんで父親が美少女なんだよ、最悪でしかねえ...」
「おっさんが美少女になったら嬉しいだろうが!俺は嬉しい!」
「どこの需要の話してんのまじで」
ひたすら「???」と疑問符を頭に浮かべるマリエラの目の前で、ぎゃんぎゃんとうるさく言い合う二人を待って30分ほど。
「...ええと、別の世界の親子だったお二人が、こちらに転生というものをされたら、殿下とリリア嬢だった、と言うことですのね...?」
「そういう事です!流石はマリエラちゃん!」
「公爵令嬢をちゃん呼びすんな」
何故か自慢気に胸を張るリリア嬢と、そこに突っ込んで呆れる王太子。
そしていつになく雑な動きで頭をがしがしと掻いた王太子は「あーーー...その...」となんとも言えない声を漏らして、マリエラに向き合った。
「...王子様の振る舞いが難しくて...、あと、女の子への接し方とか、その、前世であんまなくて...」
目を逸らしながら赤くなって行く彼に、リリア嬢が肘で思い切り小突いて前に出る。
「どうしたらいい?って相談されたんで、実践の仕方を目の前でアドバイスしてたんすよ!あの髪とか目の色とか声とかいっぱい褒めるとこあるだろ?そこを攻めてけ!って感じで!」
「!...そ、そうでしたの...」
マリエラは思わず頬を両手で押さえて赤くなってしまう。まさか揶揄されていると思っていた内容が、自分への褒め言葉の実践として話されていたなんて。
「ほんとこいつってばマリエラちゃんにゾッコンラブなくせに、不器用っていうかなんつうか...、すみませんね、うちの馬鹿息子が!」
ガハハ、と美少女に笑われて、王太子が「やめろよ親父、もういいだろ」と慌てたような顔をする。
マリエラにはその“ゾッコンラブ”がなんなのかわからないものの、悪くない言葉のような気がした。
「では、王太子殿下とリリア嬢は男女の関係ではなかったわけですのね...?」
「やめて本当に、吐きそうなんで」
王太子にぞっと青い顔をされて、マリエラは「まあ...」と感嘆する。すると途端になぜだか目元がかあっと熱くなって、瞳が潤んできてしまう。
「そうでしたの...、わたくし、てっきり...」
ほろ、と目尻から雫が落ちる。
その瞬間に王太子は大きく目を見開き、ばっと近寄るとあわあわとポケットからハンカチを差し出した。
「わ、悪い、俺、そんな誤解させてるって知らなくて...あの、ごめん、...本当に、本当にごめん」
目の前に差し出されたのは小さな薔薇の刺繍のハンカチと、王太子とは思えない不器用すぎる謝罪。
「...俺、こんなんで、...最低だな。好きな子一人、ちゃんと優しい言葉もかけらんなくて...ごめん、拭くけど、嫌かな...」
王太子はハンカチでそっとマリエラの頬を抑えながら、「あー...、だから」とか「えーと...」なんて挟みつつ言葉を続ける。
「つまり、君を...大事にしたかったんだ。なんとかして、うまく接せられるようになりたかった。だから放課後に親父に相談して、練習したりして...結局不安にさせちまって...」
彼はそう言ってマリエラの泣き顔をじっと見つめる。
「...っ、なんていうか、......ごめん...」
呟いた彼の言葉は震えて、頬から離れたハンカチに力が込められた。手の中で皺が寄り、くしゃ、と薔薇の刺繍が歪む。
言葉少なだった彼の、纏まらない本音の言葉。
それはちっとも綺麗でなくて、全くと言って良いほどに王太子らしい言葉ではなかった。
だがマリエラはあまりに不器用すぎる彼の言葉が、落とした一筋の涙が、どうしようもなく愛おしかった。
彼はちっとも変わっていない。
あの庭園での、薔薇を差し出したあの日の彼と。
「...許しませんわ。わたくし、内緒話は嫌いですもの」
マリエラは涙を浮かべたまま、彼に微笑む。
「ちゃんとお話して下さい。これからはわたくしを見て、お言葉遣いの練習をしてください。じゃないと、ぜったいに許しませんわ」
彼の手の中でぐしゃぐしゃに歪んだ薔薇の刺繍ごと、彼女は両手で包み込んだ。
整った顔を歪ませた王太子はずっ、と鼻を啜った。
「...リュジェンヌ公爵令じょっ」
「マリエラです」
言いかけた呼び名を人差し指で塞がれて、王太子は目を見開く。
「どうか、これからはマリエラと。いいですか?」
だって、リリア嬢ばかりずるいもの。
濡れた睫毛でにっこりと微笑んだ彼女と、こくこくと必死に頷く王太子。
「...ま、まりえら...」
なんとか呼んだ名前は震えきって、王太子は耳まで真っ赤に染まってしまう。
...ああ、駄目ですわ。こんなに名前を呼ばれることが嬉しいなんて、わたくし知らなかったもの。
「はい、サイラス殿下」
微笑みを浮かべた彼女は、お返しとばかりに彼の耳元にそっと名前を囁き返す。
その途端に王太子はぼわっ!!とますます赤くなって、「う、あ...」なんて妙な声を口から漏らした。
そして、そんな二人を見つめる背後。
「マリエラちゃんは、やっぱお前にはもったいねえよ...」
頷きながら目から滝のような涙を流すリリア嬢が、ブーッ!と大きな音を立てて鼻を噛んだ。
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