第29話 ベアーテの本心
ベアーテの本心を聞いたのは、二度目の面会のときだった。
出自の話をした最初の面会から一週間。今度は、わたしひとりで会いに行った。
「ひとりで来たの? 監査官は」
「今日はわたし個人の用です。記録も取りません」
ベアーテが少し驚いた顔をして、それから穏やかに微笑んだ。
「何が聞きたいの」
「あなたの本心です。なぜわたしに近づいたのか。公爵家への忠義だけでは説明がつかない」
「……鋭いわね。相変わらず」
「十年間、書類の裏を読む訓練をしてきましたから」
ベアーテが椅子の背に身を預けた。
目を閉じて、しばらく黙っている。
「二十年前。あなたのお母様を公爵家に匿ったとき——わたしは家令として、すべての手配をしたわ」
「お母様は……今はどこに」
「亡くなったわ。あなたを産んで二年後に、病で」
胸が、きゅっと締まった。
知らなかった母のことを、他人から聞いている。
「お母様は、あなたを手放すとき、わたしに言ったの。『この子を頼む。いつか、この子が自分の足で立てるようになるまで』と」
「あなたが——匿名の寄付者?」
「ええ。公爵家の金を使って、あなたの養育費を払っていた。公爵にはそれを『慈善事業』として報告していたわ」
「公爵は知らなかったんですか」
「最初は知らなかった。でも途中で気づいた。気づいて——利用し始めた」
「利用?」
「王族の隠し子の存在を、政治的な道具として。侍従長に伝え、レンツ局長を通じて宮廷の内部工作に使った」
すべてが繋がった。
わたしが宮廷に奉公に出されたのは、偶然ではなかった。公爵家が、王族の隠し子を宮廷の中に「配置」したのだ。
「わたしは——駒だった」
「最初はそうだった。でも、あなたは駒を超えた。自分の力で這い上がり、宮廷の中核を担う存在になった。それは公爵にも侍従長にも想定外だったわ」
「だから——排除しようとした」
「ええ。あなたが有能すぎて、不正に気づく危険が増した。婚約破棄は、その最終手段だった」
ベアーテの目が、潤んでいる。
「わたしがあなたに近づいたのは、公爵家の命令だった。でも——あなたを見ているうちに、お母様の姿が重なって」
「……」
「賢くて、頑固で、自分の足で立つことにこだわる。そっくりだったわ」
「お母様のことを——もっと教えてもらえますか」
「いくらでも。でもそれは、ここを出てからにしましょう。牢の中で語る話じゃないわ」
ベアーテが微笑んだ。
今度の微笑みは、文具店で見たどの笑顔よりも温かかった。
◇
面会室を出ると、廊下にノルベルトが立っていた。
「……来ないって言ったのに」
「来ていません。偶然通りかかっただけです」
「嘘が下手ですね」
「自覚はあります」
二人で廊下を歩く。
「ベアーテさんの話、聞きましたか」
「壁が薄いので、多少は」
「多少ではなく全部でしょう」
「……すみません」
「いいです。あとで怒りますから」
「また怒りの予約ですか。溜まる一方ですね」
「利息もつけますよ」
ノルベルトが小さく笑った。
その笑顔を見て、胸の奥が温かくなる。
面会室を出て、宮廷の中庭を歩いた。
秋の花が咲いている。
ゲオルク爺さんの葬儀に手向けた白い花と同じ種類のものが、花壇の隅に控えめに咲いていた。
「ノルベルトさん。ゲオルク爺さんは、最初からわたしの出自を知っていたんでしょうか」
「副本の中に孤児院の記録を隠していた。知っていた可能性は高い」
「知っていて——何も言わなかった」
「言えば、あなたが危険になる。ベアーテ氏と同じ判断ですね」
「みんなが黙っていた。わたしを守るために。でも——」
「でも?」
「守られることと、知らされないことは違う。わたしは——知りたかった。自分が何者なのか」
「今は、知っている」
「ええ。エレオノーラの娘。王家の末裔。そして——十年間、この宮廷で働いてきた女」
「どの肩書きが一番しっくりきますか」
「どれでもないわ。わたしは——定時に帰る女。それが一番しっくりくる」
ノルベルトが笑った。
声を出して笑うのを聞いたのは、初めてかもしれない。
「それでは、定時に帰る女のために。明日の段取りを確認しましょう」
「大広間での公式発表ですね」
「ええ。ヨアヒム殿下と打ち合わせ済みです。殿下が勅令を読み上げ、あなたが新局長として就任演説を行う」
「就任演説……何を言えばいいんでしょう」
「あなたらしいことを言えば十分です」
「あなたらしいこと」
「『定時に帰ります』で十分でしょう」
「……それ、就任演説として成立しますか」
「あなたが言えば、成立します」
「もうひとつ。お母様のペンダントを取りに行きたいのですが」
「孤児院にですか」
「ええ。局長の権限で保管庫を開けられるはず。ベアーテさんが場所を教えてくれました」
「では、明日の発表のあとに。わたしも同行します」
「監査官が孤児院に?」
「業務上の同行です」
「また業務ですか」
「……半分は」
「残りの半分は?」
「あなたのお母様の形見を受け取る瞬間に、隣にいたいと思いました」
不意打ちだった。
この人は時々、予告なしに心の奥を刺してくる。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
廊下の窓から、夕焼けが見えた。
明日。大広間で勅令が読み上げられ、わたしは新局長として立つ。
そしてその後——お母様のペンダントを手にする。
二十年間の空白が、ようやく形を持とうとしている。
「ノルベルトさん」
「はい」
「定時です」
「ええ。帰りましょう」
二人で門に向かう。
夕暮れの廊下に、影が二つ並んでいる。
もうすぐ、この影の距離が変わる。
そんな予感がした。
わたしの過去は、想像以上に複雑だった。
王族の隠し子。公爵家の駒。孤児院の少女。社畜令嬢。
でも今のわたしは、そのどれでもない。
定時に帰り、自分の頭で考え、自分の意思で戦う女だ。
——残る謎はひとつ。わたしの出自が明らかになった今、ヨアヒムはどう動くのか。王太子としての決断が、この物語の転換点になる。




