第27話 侍従長の切り札
侍従長が切り札を切ったのは、わたしの出自が明らかになった翌日だった。
取調室から、緊急の伝言が飛んできた。
「侍従長が『王族の隠し子に関する証拠がある』と言い出しました。取引を要求しています」
ノルベルトの声が硬い。
「取引?」
「自分の罪を減じる代わりに、王家のスキャンダルを公にしないと約束しろ、と」
「わたしの出自を盾に取ったんですか」
「ええ。侍従長は最初からあなたの出自を知っていた。それを切り札として温存していた」
怒りが込み上げるかと思った。
だが不思議と、冷静だった。
十年間、わたしは「国のため」という言葉に振り回されてきた。
今度は「王家のため」という言葉で黙らされようとしている。
構造は同じだ。権力者が、都合の悪い人間を押さえつけるための呪文。
「ノルベルトさん。わたしの出自が公になることの、何が問題ですか」
「王族の血を引く人間が、孤児として捨てられ、十年間搾取されていた。それが公になれば——」
「王家の信用が失墜する」
「ええ。そしてそれこそが、侍従長の狙いです。あなたの出自を暴露すると脅して、取引を有利に進めようとしている」
「つまり、わたしが沈黙すれば——侍従長の罪が軽くなる」
「そういうことです」
深呼吸をした。
冷たい空気が肺を満たす。
「お断りします」
ノルベルトが目を見開いた。
「お断り?」
「沈黙は美徳ではない——それがわたしの信条です。侍従長の脅しに屈して黙るつもりはありません」
「しかし、あなたの過去が——」
「わたしの過去は、わたしのものです。他人に脅しの材料にされるくらいなら、自分で公にします」
「自分で?」
「ええ。わたしの口から、わたしの言葉で。王家の隠し子が、孤児院で育ち、社畜令嬢として十年間働き、定時退勤をきっかけに国の不正を暴いた——面白い話じゃないですか」
ノルベルトが、しばらくわたしの顔を見つめていた。
それから、静かに微笑んだ。
「……面白い話ですね。とんでもなく」
「侍従長の切り札は、わたし自身が先に切ります。そうすれば、あの男の手札はなくなる」
「覚悟は決まっていますか」
「定時退勤を始めたときから、覚悟なら決まっています」
「ただし、公にする方法は慎重に選びましょう」
「どうすれば」
「あなたが宮廷大広間で、公式に名乗りを上げる。王太子の立会いのもとで」
「大広間で……」
「あの舞踏会と同じ場所で、今度はあなたが主役になる。婚約破棄された社畜令嬢が、王族の血を引く女として立つ——これ以上の反撃はないでしょう」
「……ノルベルトさん、意外とドラマチックな演出がお好きなんですね」
「業務上の判断です」
「耳が赤いですよ」
「暖房のせいです」
秋だった。暖房は入っていない。
ヨアヒムとの面会は、短かった。
だが、濃い時間だった。
「殿下。明日の勅令の件ですが」
「ああ。準備はできている」
「わたしの局長任命についても——」
「異論は出るだろうが、押し通す。あの大広間で、お前の名前を正式に呼ぶ。十年間、名前すら呼ばなかった俺の——けじめだ」
「けじめ、ですか」
「ああ。婚約破棄のとき、お前の名前を『解消する相手』として読み上げた。今度は——『この国に必要な人間』として呼ぶ」
ヨアヒムの声は静かだが、揺るぎがなかった。
この人は——不器用で、臆病で、でも決めたら動く。そういう人なのだと、ようやくわかった。
「殿下。ありがとうございます」
「礼を言うのは俺の方だ。——イルメラ、お前がいなければ、俺はまだ侍従長の操り人形だった」
「いいえ。殿下が自分で気づいて、自分で動いた。わたしはきっかけに過ぎません」
「……お前は本当に、甘い言葉を言わない女だな」
「甘いものはお茶で十分です」
ヨアヒムが笑った。
穏やかな笑みだ。もう、あの舞踏会の夜のような仮面はない。
◇
ヨアヒムに会いに行った。
王族区画の執務室。護衛がわたしを通してくれたのは、ヨアヒムの指示だろう。
「殿下。お話があります」
「何だ」
「わたしの出自のことです。ベアーテさんから聞きました」
ヨアヒムの顔が、強ばった。
「……知ったのか」
「あなたは——知っていたんですね。わたしが王家の血を引いていることを」
沈黙が長かった。
ヨアヒムが目を逸らし、それから正面を向いた。
「知っていた。婚約破棄の前から」
「なぜ言わなかったのですか」
「言えば——お前がもっと危険になる。王族の隠し子という事実は、政治的な爆弾だ。侍従長がそれを握っている限り、お前の身は安全ではなかった」
「また『守るため』ですか」
「……ああ。また同じ過ちを犯した」
ヨアヒムが、深く頭を下げた。
王太子が、平民の——いや、元平民の女に頭を下げている。
「殿下。頭を上げてください」
「いや。今回は——本当にすまなかった。お前の判断を奪う権利は、俺にはない」
「……それを認められるなら、十分です」
顔を上げたヨアヒムの目が、赤い。
「イルメラ。お前は——俺の従妹にあたる」
「知っています」
「家族だったんだな。七年間も婚約していて——知らなかった」
「知っていたら、婚約しなかったのでは」
「いや——知っていたら、もっと早く守れた」
ヨアヒムの声が震えている。
この人は不器用だ。不器用で、臆病で、でも——根は悪い人間ではないのだと、今はわかる。
「殿下。侍従長がわたしの出自を切り札にしています」
「聞いた。取引を要求している、と」
「わたしは取引に応じるつもりはありません。自分の口で公にします」
「——わかった。俺も、逃げない」
——侍従長の最後の切り札は、わたし自身の手で無効化される。だが、その波紋は宮廷だけでなく、国全体に広がることになる。




