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婚約破棄された社畜令嬢、腹いせに定時退勤したら国が回らなくなりました  作者: 渚月(なづき)
第3章

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第24話 ノルベルトが隠していたもの

ノルベルトが何かを隠している。そう気づいたのは、ベアーテとの面会の前日だった。


あの人の「業務上の無表情」の下に、いつもと違う緊張が走っている。


「ノルベルトさん。何か気になることがあるなら、先に言ってください。約束でしょう」


「……ええ。約束です」


監査局の会議室で、ノルベルトが一枚の書類を差し出した。


「レンツ局長の供述の裏取りをしている最中に、見つかりました」


「何ですか」


「孤児院の記録です。二十年前の——あなたが入院した時期の」


手が震えそうになるのを、意志で押さえた。


「孤児院の記録が、なぜ監査局に」


「孤児院は宮廷の管轄施設です。運営記録は財務関連書類として保管されている。ゲオルク氏の保管室に——」


「あった」


「ええ。副本の中に紛れていました。ゲオルク氏が意図的に分類を変えて隠していた形跡がある」


ゲオルク爺さん。あの人は、わたしの出自についても何かを知っていたのか。


「読みますか」


「……読みます」


ノルベルトが書類を手渡した。


黄ばんだ紙。インクが薄くなっているが、読める。


「収容児記録。名前:不明。推定年齢:五歳前後。収容日:××年×月×日。身元引受人:なし。備考——西区の修道院前に放置されていた。衣服は上質な絹。首に銀のペンダントあり(没収・保管)」


「上質な絹の衣服……」


「平民の子供が着るものではありません」


「銀のペンダント。没収されたと書いてあります。今もあるんですか」


「孤児院の保管庫を調べる必要があります。ただ——」


ノルベルトが言い淀んだ。


「ただ?」


「もうひとつ、気になる記録があります」


二枚目の書類。


こちらはもっと古い——孤児院の運営報告書の一部だ。


「上記の収容児について、匿名の寄付者から高額の養育費が毎年支払われている。寄付者の名前は非公開とする」


「匿名の寄付者……」


「孤児を匿名で支援する貴族は珍しくありません。しかし、高額の養育費を毎年というのは——」


「親、ですか」


「可能性はあります」


頭が回転する。


上質な絹の衣服を着た五歳児。匿名の高額寄付。


これは——捨て子ではない。


預けられたのだ。何らかの理由で、身を隠す必要があった子供を。


「ノルベルトさん。この寄付者を特定できますか」


「時間がかかりますが、財務記録を辿れば——」


「お願いします。そして——明日のベアーテとの面会で、この件も聞きます」


ノルベルトが頷いた。


「イルメラさん」


「はい」


「何が出てきても——」


「わたしはわたし、ですね。さっきも聞きました」


「何度でも言います」





宿舎に戻って、窓辺に座った。


五歳以前の記憶がない。


でも、身体が覚えていることがある。


ペンの持ち方。子供の頃から、妙に綺麗だと院長に言われた。


読み書きの速さ。教わる前から、文字を知っていた気がする。


そして——数の扱い。計算が、呼吸をするように自然にできた。


それらは、平民の孤児が持つには不自然な能力だ。


誰かに教わっていた。五歳以前に。


記憶はないが、身体に刻まれた教育の痕跡がある。


わたしは——誰の子なのだろう。


眠れない夜は、ペンを握ることにしている。


記憶の整理を兼ねて、今日の出来事を書き出す。


孤児院の記録。上質な絹の衣服。銀のペンダント。匿名の高額寄付。


そしてノルベルトの言葉——「何が出てきても、あなたはあなたです」。


ペンを置いて、自分の手を見た。


この手でペンを握り、書類を処理し、十年間働いてきた。


血筋がどうであれ、この手が積み上げたものは本物だ。


それだけは、誰にも奪えない。


「……よし」


立ち上がって、窓を開けた。


夜風が頬を撫でる。明日はベアーテに会う。


窓から見える夜空に、星がひとつ光っている。


ゲオルク爺さんの葬儀の日を思い出した。


あの日、ノルベルトの外套の襟元に白い花が挿してあった。あの小さな優しさに、わたしは初めて「この人は信頼できるかもしれない」と思った。


あれから何度、この人に助けられただろう。


業務記録の再現。停職処分の無効。保管室の副本。中央記録院への提出。


そして今回も、孤児院の記録を見つけてくれた。


わたしが知らなかった過去の断片を、丁寧に拾い集めてくれている。


「ノルベルトさん」


誰もいない部屋で、名前を呟いた。


「明日もよろしくお願いします」


返事はない。当たり前だ。


でも、明日の面会室にはこの人がいてくれる。それだけで、怖さが半分になる。


ペンを手に取り、面会で聞きたいことを箇条書きにした。


お母様の名前。わたしが孤児院に来た経緯。銀のペンダントの意味。匿名の寄付者の正体。


四つの問い。


明日、ベアーテがどこまで答えてくれるかはわからない。でも聞く。


知る権利は、わたしにある。


怖い。


正直に言えば、怖い。


でも、逃げたら何も変わらない。


定時退勤を始めたあの日から、わたしは逃げることをやめたのだ。


窓の外で、月が雲に隠れた。


——明日。ベアーテが語る真実が、二十年間の空白を埋める。

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