第24話 ノルベルトが隠していたもの
ノルベルトが何かを隠している。そう気づいたのは、ベアーテとの面会の前日だった。
あの人の「業務上の無表情」の下に、いつもと違う緊張が走っている。
「ノルベルトさん。何か気になることがあるなら、先に言ってください。約束でしょう」
「……ええ。約束です」
監査局の会議室で、ノルベルトが一枚の書類を差し出した。
「レンツ局長の供述の裏取りをしている最中に、見つかりました」
「何ですか」
「孤児院の記録です。二十年前の——あなたが入院した時期の」
手が震えそうになるのを、意志で押さえた。
「孤児院の記録が、なぜ監査局に」
「孤児院は宮廷の管轄施設です。運営記録は財務関連書類として保管されている。ゲオルク氏の保管室に——」
「あった」
「ええ。副本の中に紛れていました。ゲオルク氏が意図的に分類を変えて隠していた形跡がある」
ゲオルク爺さん。あの人は、わたしの出自についても何かを知っていたのか。
「読みますか」
「……読みます」
ノルベルトが書類を手渡した。
黄ばんだ紙。インクが薄くなっているが、読める。
「収容児記録。名前:不明。推定年齢:五歳前後。収容日:××年×月×日。身元引受人:なし。備考——西区の修道院前に放置されていた。衣服は上質な絹。首に銀のペンダントあり(没収・保管)」
「上質な絹の衣服……」
「平民の子供が着るものではありません」
「銀のペンダント。没収されたと書いてあります。今もあるんですか」
「孤児院の保管庫を調べる必要があります。ただ——」
ノルベルトが言い淀んだ。
「ただ?」
「もうひとつ、気になる記録があります」
二枚目の書類。
こちらはもっと古い——孤児院の運営報告書の一部だ。
「上記の収容児について、匿名の寄付者から高額の養育費が毎年支払われている。寄付者の名前は非公開とする」
「匿名の寄付者……」
「孤児を匿名で支援する貴族は珍しくありません。しかし、高額の養育費を毎年というのは——」
「親、ですか」
「可能性はあります」
頭が回転する。
上質な絹の衣服を着た五歳児。匿名の高額寄付。
これは——捨て子ではない。
預けられたのだ。何らかの理由で、身を隠す必要があった子供を。
「ノルベルトさん。この寄付者を特定できますか」
「時間がかかりますが、財務記録を辿れば——」
「お願いします。そして——明日のベアーテとの面会で、この件も聞きます」
ノルベルトが頷いた。
「イルメラさん」
「はい」
「何が出てきても——」
「わたしはわたし、ですね。さっきも聞きました」
「何度でも言います」
◇
宿舎に戻って、窓辺に座った。
五歳以前の記憶がない。
でも、身体が覚えていることがある。
ペンの持ち方。子供の頃から、妙に綺麗だと院長に言われた。
読み書きの速さ。教わる前から、文字を知っていた気がする。
そして——数の扱い。計算が、呼吸をするように自然にできた。
それらは、平民の孤児が持つには不自然な能力だ。
誰かに教わっていた。五歳以前に。
記憶はないが、身体に刻まれた教育の痕跡がある。
わたしは——誰の子なのだろう。
眠れない夜は、ペンを握ることにしている。
記憶の整理を兼ねて、今日の出来事を書き出す。
孤児院の記録。上質な絹の衣服。銀のペンダント。匿名の高額寄付。
そしてノルベルトの言葉——「何が出てきても、あなたはあなたです」。
ペンを置いて、自分の手を見た。
この手でペンを握り、書類を処理し、十年間働いてきた。
血筋がどうであれ、この手が積み上げたものは本物だ。
それだけは、誰にも奪えない。
「……よし」
立ち上がって、窓を開けた。
夜風が頬を撫でる。明日はベアーテに会う。
窓から見える夜空に、星がひとつ光っている。
ゲオルク爺さんの葬儀の日を思い出した。
あの日、ノルベルトの外套の襟元に白い花が挿してあった。あの小さな優しさに、わたしは初めて「この人は信頼できるかもしれない」と思った。
あれから何度、この人に助けられただろう。
業務記録の再現。停職処分の無効。保管室の副本。中央記録院への提出。
そして今回も、孤児院の記録を見つけてくれた。
わたしが知らなかった過去の断片を、丁寧に拾い集めてくれている。
「ノルベルトさん」
誰もいない部屋で、名前を呟いた。
「明日もよろしくお願いします」
返事はない。当たり前だ。
でも、明日の面会室にはこの人がいてくれる。それだけで、怖さが半分になる。
ペンを手に取り、面会で聞きたいことを箇条書きにした。
お母様の名前。わたしが孤児院に来た経緯。銀のペンダントの意味。匿名の寄付者の正体。
四つの問い。
明日、ベアーテがどこまで答えてくれるかはわからない。でも聞く。
知る権利は、わたしにある。
怖い。
正直に言えば、怖い。
でも、逃げたら何も変わらない。
定時退勤を始めたあの日から、わたしは逃げることをやめたのだ。
窓の外で、月が雲に隠れた。
——明日。ベアーテが語る真実が、二十年間の空白を埋める。




