第18話 グレーテの涙
グレーテ・アンブロス嬢が泣くところを、わたしは初めて見た。
市場の泉のそば。人目を避けるように、夕暮れの時刻を選んで。
「レンツ局長が捕まったそうね」
「ええ。明後日、王都に護送されます」
「それで……動き出すの。父が」
「アンブロス公爵が?」
「父は今朝、侍従長と密会していたわ。証拠の隠滅を急いでいる」
やはり。侍従長は無関係ではなかった。
「グレーテ嬢。侍従長は偽造を知っていたのですか」
「知っていたと思う。少なくとも、お金の流れは把握していたはず」
「あなたのお父上も?」
グレーテ嬢が目を伏せた。
「父は……最初は知らなかったと思う。でも途中で気づいて……止められなかった」
グレーテ嬢の目から、涙がこぼれた。
「わたしは父を愛しています。でも、父がやったことは許されない」
「あなたは、それでもわたしに手紙を書いてくれた」
「黙っていたらわたしも共犯だと思ったの」
「グレーテ嬢。あなたは共犯ではありません。あなたの手紙がすべてのきっかけになった」
グレーテ嬢が両手で顔を覆った。
肩が震えている。
しばらくして、顔を上げた。目は赤いが、決意がある。
「イルメラさん。わたしにできることがあるなら、何でもする」
「では——侍従長とお父上の密会の内容を教えてください」
「父たちは、宮廷の金庫の原本を処分しようとしているわ。鍵は侍従長が持っている」
「いつ」
「明後日の夜よ」
「間に合わせます」
「ヨアヒム殿下は、この不正をどこまで知っていたのですか」
グレーテ嬢が少し考えた。
「殿下は侍従長に操られていた部分が大きい。でも、まったく知らなかったとは言えない。利用されていたことに気づかなかった責任はある」
「……正直ですね」
「嘘をつくのは、もうやめたの」
「イルメラさん。あなたとヨアヒム殿下は——もう元には戻らないの?」
「……わかりません。今はそれを考える余裕がない」
「殿下は変わろうとしているわ。それだけは、近くにいてわかる」
グレーテ嬢の手を握った。
冷たいけれど、握り返す力は強い。
「グレーテ嬢。あなたは勇気のある人です」
「そんなことない。怖くてずっと震えてる」
「震えながら行動できる人のことを、勇気がある人と呼ぶんです」
◇
グレーテ嬢と別れたあと、ノルベルトと合流した。
「聞いていましたか」
「ええ。すべて」
「明後日の夜。金庫の原本が処分される」
「先回りしましょう。侍従長を押さえます」
「ヨアヒム殿下の協力が必要です。金庫のある区画は王族の権限がなければ立ち入れない」
「殿下に連絡を取ります」
「わたしからも。三人で同時に動く必要がある」
「……気をつけてください」
「あなたこそ」
——わたしたちが見落としていたことがある。侍従長の隣には、もうひとりの影がいた。その影の正体を知ったとき、わたしは膝から崩れ落ちることになる。




