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婚約破棄された社畜令嬢、腹いせに定時退勤したら国が回らなくなりました  作者: 渚月(なづき)
第2章

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第17話 社畜令嬢、定時で国を救う

社畜令嬢が定時で国を救う。それは冗談のように聞こえるかもしれない。


でも、わたしは大真面目だった。


レンツ局長が不在の事務局は、相変わらず混乱していた。副局長が臨時で預かっているが、判断力がない。


「イルメラさん、この予算申請の承認は——」


「副局長にお願いしてください。局長代行の権限です」


「でも副局長は『わからない』って——」


「わからないなら、学んでください。わたしは他人の仕事を引き受けるのをやめました」


厳しい言い方だとわかっている。


でも、ここで折れたら何も変わらない。


モニカが助けに入ってくれた。


「副局長、わたしがお手伝いします。イルメラさんの引き継ぎ資料に手順が書いてあるので」


「モニカさん、ありがとう」


「いえ。イルメラさんに教わりました。やり方を伝えるのが本当の仕事だって」


成長している。この子は、わたしが教えたことを、ちゃんと吸収してくれている。


午前中の業務を片付けながら、頭の片隅では調査のことを考える。


レンツ局長の確保が近い。国境警備隊がアンブロス領の手前で包囲に入っている。


だが、侍従長がまだ宮廷にいる。犯人の口が割れない以上、侍従長を直接追い詰める証拠が不足している。


午後、ノルベルトから緊急の伝令。


午前中は事務局の日常業務に集中した。


レンツ局長がいない事務局は混乱していたが、その混乱こそが「ひとりに依存した組織の脆さ」を証明している。


「イルメラさん、四半期報告の書式がわからないのですが——」


「書庫の棚の右から三番目、青い表紙のファイルに書式が入っています」


「え、そんなところに——」


「ゲオルク爺さんが整理してくれた場所です。探す前に、棚のラベルを読んでくださいね」


同僚たちが少しずつ、自分の足で歩き始めている。


ぎこちないけれど、それでいい。わたしがいなくても回る組織にならなければ、また同じことが起きる。


「イルメラさん。あの……ゲオルク爺さんのことなんですが」


モニカが声を落として近づいてきた。


「ゲオルク爺さんの保管室、今は誰が管理しているんですか」


「臨時で庶務課の職員が入っています。でも、ゲオルク爺さんの分類法を理解している人はまだいない」


「わたし、保管室の整理を手伝いたいです。ゲオルク爺さんの仕事を、誰かが引き継がないと」


胸が、じんと熱くなった。


ゲオルク爺さん。あなたの仕事を継ごうとする子がいますよ。


「ありがとう、モニカ。でも、まずは自分の担当業務を完璧にしてからね」


「はい!」


モニカが走っていく。


この子は、わたしの十年前よりもずっと素直で、ずっと強い。


昼食を食堂で取っていると、見知らぬ若い事務官が近づいてきた。


「あの……イルメラさんですか?」


「はい」


「わたし、庶務課のエマと申します。あの——定時退勤のこと、本当にすごいと思ってて」


「すごくはないわよ。規定どおりに帰っているだけ」


「でも、それを最初にやるのが一番難しいじゃないですか。わたしも毎日残業してるんですけど、帰りたいって言えなくて——」


「帰っていいのよ。規定で認められていることなんだから」


「でも、周りが——」


「周りが帰らないのは、周りの判断。あなたが帰るのは、あなたの判断」


エマの目が少し潤んだ。


「……ありがとうございます。今日から、定時に帰ってみます」


「えらい。応援してるわ」


エマが去ったあと、食堂の隅で何人かの事務官がこちらを見ているのに気づいた。


好奇心か、反感か。あるいは——羨望か。


社畜令嬢の定時退勤は、少しずつ波紋を広げている。


それがいい方向に向かうことを、祈るばかりだ。


「レンツ局長を確保しました。宿場町で投降。抵抗なし。明後日には王都に護送されます」


安堵で椅子の背にもたれた。


「よかった……」


「護送後、すぐに尋問に入ります。局長の証言が取れれば——」


「侍従長の関与が確定する」


「この件の全体像がようやく見えてきます」


「ノルベルトさん。監査局長のこと——仇を取れそうですね」


ノルベルトが少し間を空けた。


「仇という言葉は使いたくありません。わたしたちがやっているのは復讐ではなく正義の執行です」


「そうですね。失礼しました」


「いえ——気持ちは、同じです」


午後五時。定時退勤。


「レンツ局長を確保しました」


「本当ですか」


「宿場町で投降。抵抗はありませんでした。明後日には王都に護送されます」


「よかった……」


安堵で椅子の背にもたれた。


「侍従長の関与が確定する。そしてアンブロス公爵家への資金の流れも」


「この件の全体像が、ようやく見えてきます」


「ノルベルトさん。局長の仇を取れそうですね」


ノルベルトが少し間を空けた。


「仇という言葉は使いたくありません。わたしたちがやっているのは、復讐ではなく正義の執行です」


「そうですね。失礼しました」


午後五時。定時退勤。


門を出ると、夕焼けの中にグレーテ嬢の姿が見えた。


わたしの足が、一瞬止まった。


グレーテ嬢は侍女も連れず、質素な外套を纏ってひとりで立っている。


匿名の手紙の差出人。


ゲオルク爺さんの死に疑問を呈してくれた、わたしたちの見えない味方。


「イルメラさん。お話があるの」


その声が震えていた。


目の縁が赤い。泣いていたのだろう。


「ここでは人目がある。場所を変えましょう」


「中央市場の泉のそば——あの場所でいい?」


「ええ。ノルベルトさんにも連絡を入れます」


市場への道すがら、グレーテ嬢はぽつりぽつりと話し始めた。


「レンツ局長が捕まったことは、父にも伝わったわ」


「お父上の反応は」


「激昂していた。でも——怯えてもいた。次は自分だとわかっている」


「侍従長は」


「今朝、父と密会していたわ。二人で何かを企んでいる」


歩きながら、グレーテ嬢の横顔を見た。


この人は、父親を売ろうとしている。それがどれほどの苦痛か、想像もつかない。


「グレーテ嬢。無理をしなくていいんですよ」


「無理じゃないの。——もう決めたの。黙っていたら、わたしも同罪だから」


その言葉に、ゲオルク爺さんの遺言が重なった。


声を上げることの大切さ。沈黙は美徳ではない。


——レンツ局長は捕まった。だが侍従長が先手を打って動き出した。グレーテ嬢が持つ情報が、次の一手を左右する。門の前で、こちらを待っている。


その声が震えていた。


——レンツ局長は捕まった。だが、侍従長が先手を打って動き出した。そしてグレーテ嬢が持つ情報が、次の一手を左右する。



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