第15話 最後の処方箋
毒と薬は、紙一重だとアーデルハイトは言った。
その言葉の重みを本当に理解したのは、監査局長が倒れた知らせを聞いたときだった。
アーデルハイトの容態は安定していた。
微量だったのが幸いし、薬務官としての知識で自ら解毒処置を指示できた。
「ノルベルトさん、顔色が悪いです」
出仕三日目の昼。ノルベルトがいつもと違う空気を纏っていた。
「……局長が倒れました」
「監査局長が?」
「今朝、自室で意識を失っているところを発見されました。症状はアーデルハイト氏と酷似しています」
血の気が引いた。
「毒……」
「トリカブト系の毒物です。ただし量が違う。アーデルハイト氏のように微量ではなかった」
「局長の容態は」
「……重篤です」
ノルベルトの声が、かすかに震えていた。
「局長は……わたしを監査局に引き上げてくれた人です。父の件で不遇をかこっていたわたしに、声をかけてくれた」
「あなたのせいではありません」
「でも——」
「あなたのせいではありません。犯人のせいです」
ノルベルトが顔を上げた。
目が赤い。でも涙は流していない。
午後。監査局長の容態はさらに悪化した。
夕方近く、ノルベルトが会議室に戻ってきた。
その顔を見た瞬間、わたしはすべてを悟った。
「局長が——」
「先ほど、息を引き取りました」
静寂が落ちた。
ノルベルトの手が、テーブルの上で震えていた。
わたしは何も言わず、その手の近くに自分の手を置いた。
「局長は——『不正を見つけたら、迷わず動け。正義を遅らせることは、不正に加担するのと同じだ』と言いました」
「その教えどおりに動いた結果です。あなたは間違っていない」
「でも、もっと早く動いていれば——」
「早く動いていたら、証拠が揃わないまま潰されていた。タイミングは正しかったんです」
ノルベルトが、わたしの目を見た。
赤い目の奥に、決意が宿っている。
「犯人を見つけましょう」
「……ええ」
「茶を差し入れた人物を特定します。厨房の管理台帳はわたしが設計した書式です。追跡できます」
記憶の中の管理台帳を辿り始めた。
「あった。ゲオルク爺さんが亡くなる三日前から、保管室に『差し入れの茶』が毎日届けられています。担当者は——臨時の調理補助」
「レンツ局長が手配した人間ですね」
「ええ。数日間にわたって微量の毒を茶に混ぜていた。ゲオルク爺さんの毒殺も、これで立証できます」
◇
午後五時。定時退勤。
ベアーテの文具店に向かった。
「ベアーテさん。厨房の臨時職員について、何か聞いていませんか」
「先週、レンツ局長が休暇前に手配した調理補助が入ったそうよ」
「名前、わかりますか」
「一時間待って」
一時間後。
ベアーテがもたらした名前は、三年前に事務局を去った元職員だった。
「レンツ局長に解雇された人間を、手先に使った……」
「恨みを利用したのね。周到な男だわ」
「ベアーテさん、ありがとうございます」
「気をつけてね。もう犠牲者は出させないわよ」
——犯人の名前が判明した。犯人の身柄確保と、レンツ局長の追跡。二つの作戦が同時に動き出す。




