お茶会の招待
太陽の光に自然と意識が浮上した。
しばらくベッドの上でまどろんで、コンコンというメイドの軽いノックの音で起き上がる。
いつも通りの朝だ。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、アリア。今日もよろしくね」
「かしこまりました」
アリアはメイドの中でもヴィオラのそばにいることがとても長い。
おそらく父がヴィオラ付きのメイドとして任命したのだろう。
リスタはいつものようにヴィオラの着替えを手伝い、髪を結んでくれる。
(中身18歳としては人にやってもらうのは恥ずかしいけど、これが貴族の普通なんだよね)
鏡の中に映る自分は前世の平々凡々な結とは全く違う。
光を反射してキラキラと光るシルバーの髪、アメジストのように輝く紫色の瞳。
これがゲームだったら絶対にネームドキャラだよな、なんてことを考えていると髪を結び終えたアリアが「そういえば」と鏡に映るヴィオラの顔を見た。
「お嬢様にお茶会への招待状が届いておりました」
「お茶会?」
「はい。以前より親交のあったアイドーヌ公爵令嬢様からでございます」
アイドーヌといえばヴェールウィリデの真北にある領地だ。
本で学んだ知識によるとここ数十年はアポフィライト家が治めている。
アイドーヌ公爵令嬢ということは、そのアポフィライト家の娘。
名前は確か、
(フリージア・アポフィライト)
ヴィオラの記憶の中の彼女はそれはもう眉目秀麗な才女であった。
しかし性格はかなりきつく、前世でいうところのスクールカースト最上位にいる女の子というイメージだ。
前世で人づきあいをめんどくさがり、アニメのクールキャラに惹かれ孤高のクール系女子を気取っていたせいでいつの間にか本当のぼっちになっていたヴィオラに、彼女のようなきらきら女子の相手をしろというのは大変精神的に苦しいものがあった。
それにしても、いくら領地が隣同士とはいえこんなに幼い年齢から他家の令嬢と交流があるのは驚きだ。
ヴィオラの記憶によるとフリージアとは5歳の頃からお茶会と称して互いの家に招待しあっている。
「ねぇアリア、変な質問をしてもいい?」
「はい、私に答えられることでしたら何なりと」
「どうしてアポフィライト様とは昔から交流があるの?社交界デビューは12歳だよね?」
「そのとおりでございます。社交界へのデビューは12歳でございますが、領地が近隣でしたり、もともと交流のある家のご令嬢やご令息は幼いころからこうしてお茶会などを通して交流を深めていらっしゃるのでございます」
なるほど、要はミニ社交界というわけだ。
こんな幼い年齢から腹の探り合い、媚売り合戦が始まっている、しかも今日から自分もそんな貴族社会を生き抜かなければいけない、そう考えると自然と重いため息が出てしまう。
きっと嫌だと言えば両親は心優しくヴィオラの決断を受け入れ、アポフィライト家に断りの手紙を出すだろう。
しかし相手は公爵家であることに加えて領地は隣同士。
アリアの言葉から察するにこうしてお茶会に招かれるということは、シルヴァ家とはなにかしらの関りがあるということ。
それを自分が嫌だからという理由で壊していいものなのか。
それに、ここでアポフィライト家との関係を放棄してしまっては今までのヴィオラが将来のために築いてきた物を無下にしてしまう。
公爵家と関係があるというのは将来きっと役に立つ。
(ここは一つ将来の利益と処世術を学ぶために利用させてもらおう)
「わかった、出席の返事を出しておいてくれる?」
「かしこまりました」
まずは先生にお茶会の作法についてもう一度詳しく教えてもらわないと、と心に決めたシルヴァはお茶会までの数日間、立ち居振る舞いを徹底的に教わったのだった。
***
馬車に揺られながら過ぎ行く景色を眺める。
ヴィオラは外出をあまりしてこなかったためどんな景色も新鮮に映った。
窓の外を流れる美しい景色たちはこれから行われるお茶会への不安を紛らわせてくれる。
(あぁ、お茶会なんてしてる時間があるなら王都に言って図書館にこもりたい...)
内心で涙を流しつつ、後戻りできないと自分を鼓舞しているうちにどうやらアポフィライトのお屋敷についたようだった。
大きな庭園を抜けて荘厳な造りの玄関の前に馬車は止まった。
エスコートされながら馬車を降りると、齢6歳にしてこの世のどんな宝石よりも美しいと思える程の美女がこちらを見つめ佇んでいた。
風に揺れる金の髪に空のように澄んだ水色の瞳、なるほど、この世界が物語の中ならば彼女が主人公だろうと、どこか浮ついた気持ちでそう考えた。
「お久しゅうございます、ヴィオラ様。本日は我が家の茶会にご足労頂きありがとうございます」
「こちらこそ、アポフィライト様。本日はご招待いただきありがとうございます」
金髪の美女_フリージアがその美しい顔に微笑を携えながら定型文のような挨拶をするのに倣って、こちらも定型文の挨拶をする。
するとフリージアは一瞬驚いたような顔をした。
(え、私何か変なことした!?)
確かに緊張で少し棒読みだったかもなどと内心冷や汗をかく。
しかし先ほどの驚きの表情もどこへやらいつもの微笑みを取り戻していたフリージアがヴィオラを庭園に促した。
「こんなところで立ち話もなんです、お茶会の会場へ案内しますわ。他のご令嬢はもういらっしゃってましてよ」
そう、このお茶会に招待されたのはヴィオラだけではない。
アイドーヌの周りに位置する領地の伯爵や子爵のご令嬢も数人お呼ばれしているそうだ。
名前は全員ヴィオラの記憶にあったがいまいち顔や性格は思い出せない。
きれいに舗装された道を歩いていくと見事なバラ園の真ん中に美しいテラスが建てられていた。
そこにはすでに数人の令嬢が座っており、お茶を飲みながら楽しそうに歓談している。
ひとりの令嬢がこちらの存在に気付いたようでうれしそうに声をあげる。
「フリージア様!おかえりなさいませ!」
「もう、急に席を立ってしまわれるのですから心配しましたわ!」
「ささ、お席についてくださいな。わたくし、フリージア様のために最高級の茶葉を用意しましたの!」
わざとらしくヴィオラの存在を無視して行われるやり取りに内心腹がたった。
だれもヴィオラの存在に興味などないのだ。
ここでの権力者は公爵令嬢であるフリージア。
みんな彼女に気に入られようと必死なのだ。
どうきりだそうかと考えているうちに令嬢の一人がこちらに冷たい視線を向けた。
「それで、あなたはどちら様ですの?」
嫌らしく人を見定めるような何対もの瞳が一斉にこちらを凝視する。
(なるほど、これが貴族社会。おそろしや)
しかしこちとら中身は18歳。
そこそこの修羅場も経験したのでこれぐらいはどうってことない。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。ヴィオラ・シルヴァと申します。以後お見知りおきを」
先生に習った動作でうやうやしくお辞儀をする。
すると先ほどまでの品定めするような空気から一転、令嬢たちも間にどよめきが走った。
小声で行われるやり取りはうまく聞き取ることが出来なかったが「あのヴィオラ様」「こんな様子では」などという言葉の端々から察するに、ヴィオラの立ち居振る舞いに疑問が生まれたのだろう。
なぜそんなことを言われるのか疑問に思いながらも、異常な空気に戸惑っていると。
_パンッ
「皆様お静かに、ごめんなさいねヴィオラ様。どうぞおかけになって」
その一言で令嬢たちは落ち着きを取り戻したようで、先ほどまでのざわめきはなくなっていた。
さすが公爵令嬢、6歳とは思えないほどの落ち着きと凛々しさを持ち合わせている。
ヴィオラはフリージアに促されるまま彼女の隣の席に腰を下ろした。
お茶会はミニ社交界だ、という決めつけでかなり緊張していたが思ったよりもそこに広がる空気は柔らかなものだった。
考えてみればそうだ、いくら令嬢たちの交流の場といっても年齢は6歳やそこら。
友達とお話しするのが楽しくてしょうがない時期でもある彼女たちにとって、お茶会とはその言葉の通り『お茶会』なのだろう。
実際フリージアに気に入られようという下心で彼女に積極的に話しかけているものもいるが、隣に座る者同士で気楽に話をしているものがほとんどだ。
フリージアの使用人が淹れてくれた紅茶を一口口に入れながら観察をしていると、隣に座っている令嬢が話しかけてきた。
「そのお紅茶いかがですか?」
「え、えぇ。とてもおいしいです」
「それはよかった!実はそちらはわたくしが用意した茶葉で___」
そこから彼女は紅茶について語ってくれたが、ヴィオラは全く理解できなかった。
というのもヴィオラは最低限の礼儀作法についてやこの国について、そのほか興味のある知識は学んだが、お茶会のような席で話す内容、いわゆるその時期の流行や趣味については全くと言ってよいほど知識がないのだ。
「それで、ヴィオラ様はどのような紅茶がお好みですか?」
(ああああどうしよう、紅茶の種類とか全く分からないよ!でもなにか返事しないと、なにか...)
「申し訳ありませんが、私紅茶について詳しくありませんの」
口をついて出た言葉はそんな冷たい言葉だった。
前世でのコミュ障がたたって内心で思っていた言葉がそのままぽろりとこぼれ出てしまったのだ。
このままではもっとぼろを出してしまいそうだ。
そうなる前に一度落ち着きを取り戻す必要がある。
内心の焦りが顔に出ないよう、ポーカーフェイスを保ちながら立ち上がる。
「失礼、少し席を外させて頂きます」
そうしてヴィオラは逃げるようにテラスを後にした。
(あああバカバカバカ!完全にやっちゃった!)
自分の振る舞いを思い出すと全身から一気に血の気が引く。
(どう考えても感じの悪い人だったよなぁ。それに隣にいたご令嬢、せっかく話しかけてくれたのに...)
テラスでの空気を思い出す。
どこかヴィオラに話しかけにくいという空気の中で、隣の彼女はヴィオラに話しかけてくれたのだ。
(悪いことしちゃったなぁ)
美しいバラ園の中でひっそりとため息をつく。
「ヴィオラ様」
凛とした美声が空気を揺らした。
慌てて振り向くとそこにはフリージアが立っていた。
「アポフィライト様?どうしてこちらに」
「あなたが突然テラスを出ていくから追いかけたのよ」
「そうでしたか。ご心配をおかけして申し訳ございません、少ししたら戻りますのでアポフィライト様は先に__」
「その話し方」
「へ?」
「その他人行儀な話し方はなに?」
空色の瞳がヴィオラを鋭くにらむ。
令嬢らしく振舞おうと貫いていたヴィオラのポーカーフェイスがわずかに揺らいだ。
「何をおっしゃっているのか」
「ですから、以前までの馴れ馴れしさはどこに置いてきたのです」
以前まで、という言葉にヴィオラの記憶が呼び覚まされる。
そうだ、前世の記憶を思い出すまでのヴィオラはフリージアに取り入ろうと必死だった。
そのためお茶会に招かれては、
『フリージア様~♡』
という猫なで声でフリージアにすり寄り、なにかと彼女に話しかけ、他にフリージアに気に入られようとするものには牽制をする。
なるほど、自分の事ながらドン引きだ。
あんな両親から生まれたとは思えないほどの性格の曲がりようである。
それはフリージアも周りの令嬢もヴィオラの変わりように驚くわけだ。
「数々の非礼、お詫び申し上げます」
しかし今のシルヴァにとってフリージアに気に入られることはさほど重要なことではない。
それどころかこんなスクールカースト上位のような人間に気に入られて行動を一緒にするなど、権力者の取り巻きのようではないか。
(そんなの、人間関係とか上下関係とか絶対めんどくさすぎる!)
人間関係のめんどくささなど今世ではまっぴらごめんである。
崩れかけたポーカーフェイスを取り戻し謝罪をすると、フリージアは再び顔に驚愕の色を浮かべた。
「やはり、あれから以前と様子が違うという噂は本当なのね...」
「...?今なんと?」
「いえ、なんでもないわ。それより貴方、少し前に倒れたと聞いたわ」
「はい。しばらく高熱が続きましたが今はなんともありません」
「そう、それはよかったわ」
フリージアは手元の扇を開き口元を隠す。
「どうやらその後からあなたの様子がおかしいと聞いたのだけど」
その言葉にどきりとする。
(やっぱり急に態度が変わったら不審に思うよね)
しかしこの手の質問はすでにいろんな人間からされていたので対応は慣れている。
「高熱でうなされている中、自分の今までの行動を白昼夢のように見ました。私は客観的に見た自身の振る舞いを恥じ、心を入れ替えたのでございます」
「へぇ、なるほど...」
まるで本心を見透かすようなフリージアの瞳をまっすぐに見つめ返す。
数秒の間のあと、扇をぱたんと畳んだフリージアの口元には悪役令嬢もびっくりな悪い笑みが浮かべられていた。
「あなた使えるわね。わたくしのお友達になりなさい!」
「え?」
(えええええええ!?)
唐突なお友達宣言にヴィオラは心の中でそれはもう盛大に叫んだ。




