謎の男
ヴィオラが王都を訪れるのはほとんどの場合図書館が目当てなので、それ以外の場所については全く知識がないといっても過言ではない。
しかし、その中でも唯一ヴィオラが知っているのが大通りにある書店だった。
そこへは一度本を買いに訪れたことがあるので場所を覚えていたのだ。
使用人に頼んで書店から少し離れた広場に馬車を止めてもらうと、一緒についてこようとする使用人に一言断りを入れて一人で書店へと向かった。
(私だってたまには一人の時間が必要なんだもん)
久しぶりの一人でのお出かけに、るんるん気分で街を歩く。
中・上流階級の人々が集うこの通りはたくさんの人間でにぎわっている。
どこからか漂ってくる甘い香りにお腹の虫がぐぅと声を上げた。
(そういえばこの世界に来てカフェとか行ったことないなぁ。お家やお茶会でおいしいお菓子が出てくるからあまり機会がないのかも)
今度両親を誘ってみようかな、と心に決めながら歩いていると目的の書店に着いた。
笑顔で歩くヴィオラの姿を、にやりと嫌らしい笑みを浮かべながら見つめる男たちに気づかないまま、ヴィオラは書店のドアを開いた。
チリン、とドアに取り付けられたベルが軽い音を立てて来客を知らせる。
奥のテーブルでなにやら作業をしていた眼鏡の老人は視線だけを客人であるヴィオラに向けたのち、素っ気なく「いらっしゃい」とだけ声をかけた。
「こんにちは」
最低限の挨拶をすれば興味をなくしたのか店主は自身の作業を再び始めてしまった。
大通りにある他のきらびやかな店と比べると、ずいぶんこじんまりとして少々古めかしいこの書店には、今の貴族社会にあまり本を読む習慣がないこともあいまって客はヴィオラ一人しかいなかった。
(お店はそれほど広くないけどなかなか品揃えいいんだよな、ここ)
店内に所狭しと並べられた本は丁寧に整頓されており、本の状態の良さからも店主の本への思いや几帳面さが伺える。
様々な種類の専門書が立ち並ぶ中、魔術書が収められている本棚を見つけ背表紙にかかれたタイトルを一つ一つ確認していく。
(基礎魔術学の本、思ったよりもたくさんある。どれにしよう)
タイトルから気になった本を取り出してみてはパラパラと中を簡単に確認する。
何冊か比べた後、よさそうな一冊を手に取り店主のもとへと向かった。
「お願いします」
そう言って代金を出すと、銀貨の数を数えたのち本を袋に入れてこちらに渡してくれた。
「ありがとうございます」
お礼を言って立ち去ろうとすると「お嬢ちゃん」と声をかけられる。
「お嬢ちゃん、本はよく読むのかい」
「はい、毎日読んでいます」
「今は魔術の勉強を?」
「ええ、といってもまだ勉強し始めたばかりですが...」
恥ずかしそうにそう言うと「ちょっと待っとれ」と言いながら立ち上がった店主は、先ほどヴィオラが見ていた魔術本の本棚の前まで行くと一冊の本を取り出して、ヴィオラの手にある購入した本の入った袋に入れた。
「え?これ...」
「基礎魔術学の勉強をするならその本が役に立つ。まけてやる、持っていけ」
「あ、ありがとうございます!」
「また来ますね!」と言いながらドアを開ければ、店主はふん、と息だけで返事をした。
ヴィオラはほっこりとした暖かい気持ちになりながら店を出る。
(今日はプレゼントしてもらってばっかりだな)
心の中で感謝しつつ、さて馬車のあるところまで戻らなければと踵を返したところでふと違和感を覚える。
(誰かに見られてる?)
嫌な予感を振り切るように歩くスピードを早めたとき、薄暗い路地から突然出てきた男とぶつかってしまった。
「あ、すみません」
咄嗟にあやまるが、相手の男は人相の悪い顔ににやりと笑みを浮かべた。
「お嬢ちゃん、ちょいと一緒に来てもらおうか」
その言葉に体中の温度が奪われる心地がした。
まずい、と思い逃げようと振り返ると、ヴィオラの後ろには同じくにやにやと悪い笑みを浮かべた男が数人立っている。
目線だけ動かして人数を数える。
(今見えているだけで、4人...これは無理に逃げられないかも)
ちらりと男たちの腰を見ればナイフらしきものがたずさえられている。
抵抗した方が大きな騒ぎになり危ないと判断したヴィオラは、おとなしく目の前の男について行くことにした。
ヴィオラが連れてこられたのは大通りから外れた薄暗い路地。
思った通り男には仲間がいたらしく、先ほどヴィオラの後ろを固めていた男たちも合わせて4人、ヴィオラの周りを囲んでいた。
がたいの良い男たちは薄汚れた衣服を身にまとっていることから、貴族の出ではないだろう。街のごろつきといったところだろうか。
にやにやとこちらを見てくる男たちにヴィオラは毅然とした態度で問うた。
「何が目的でしょうか」
「なんだい嬢ちゃん、話が早いねぇ」
「気のつえぇ女は嫌いじゃねえが、こいつはまだまだがきんちょだなぁ」
「将来はいい女になるぞぉ」
『ガハハハハ』と品のない笑い声に苦虫を嚙み潰したような顔になる。
一通り笑い終わった後、リーダー格であるような男が手を差し出す。
「わかるだろ?金だよ、嬢ちゃんそこそこ良い家のモンだよなぁ」
にやりと笑う男はヴィオラの服や髪の手入れ具合から貴族であることを見抜いたようだ。
使用人がついてくると申し出たのを断ったことを今になって後悔する。
「お金なんて持っていないわ。他を当たって下さいませ」
キッと目の前の男をにらみながらそう言うと、癪に触ったのか男はヴィオラの一つに結われた銀の髪をつかみ上げた。
「あんまり調子乗ってんじゃねぇぞ、ガキが」
「おい」と男が顎で指示すると、他の男たちがヴィオラの体をまさぐり始める。
肩にかけた小さな鞄の中から財布を取り出すも、大した金額を入れていなかったので「んだよ、これっぽっちか」と言いながら再び体を触り始める。
不快感に涙が出そうになるのをこらえながら、ヴィオラは冷静に反撃の隙を伺っていた。
その時。
「お、良いモンもってんじゃん」
ヴィオラのポケットから取り出したそれは、銀色に光るしおり。
「_っ、返して!それから手を離してっ!!」
急に暴れだしたヴィオラにニタリと笑いながら、男たちはそのしおりを品定めする。
「これぁなかなかの上モノですぜ、兄貴」
「あぁ、精巧に掘られた銀細工に、これはおそらくパープルサファイア。なかなか希少な石もついてやがる!」
「これは高く売れるぞぉ」
男たちのやり取りについにヴィオラの我慢が限界を迎えた。
ヴィオラを捕まえる男の腰に下げられたナイフを抜き取ると、自身の髪をバサリと切り裂く。
美しい銀色の髪が路地にさすほのかな日差しを反射してきらきらと光りながら宙を舞う。
驚いてひるんでいる隙に目の前の男の股間を思いっきり蹴り上げると、ヴィオラは一目散に逃げ出した。
後ろで男が苦しそうに「追え!」と叫ぶと同時に、いくつもの足音がこちらに迫って来るのが分かる。
男たちとヴィオラでは歩幅が違う。あと数秒もすれば追いつかれてしまうだろう。
相手が一人ならどうにかなるが、他にあと何人仲間がいるかもわからない。
ここは逃げるのが得策だろう。
大通りまで逃げてしまえば異変に気づいた騎士団が対処してくれるだろう。
(お願い...!間に合って!)
あと少しで大通り、というところで路地の出口に人影が見えた。
目を凝らすとその人間はナイフをこちらに向けて立っている。
(まだ仲間がいたんだ!)
ヴィオラは瞬時に思考を巡らせる。
(前にいる一人だけならどうにかできる、でも対処してる間に追いつかれる...!)
足音はもうすぐそこまで迫ってきている。考えている時間はない。
目の前に立ちはだかる男がヴィオラに向かって突進してくる。手にはナイフ、強行突破は難しい。後ろに戻ることもできない。
(どうしよう、どうしよう!)
パニックになりかけた、その時。
ヴィオラのすぐ目の前に人影が現れた。
_否、落ちてきた。
「ぐわっ!」
突進してきた男のナイフを蹴り上げると、そのままの勢いでみぞおちに強烈な蹴りを入れる。
突然の乱入者に後ろから追いかけてきた男たちの足が止まった。
その隙を逃さずに、人影はヴィオラの横をすり抜け、追手を次々と蹴り倒していく。
敵の急所を的確に狙う鮮やかな身のこなしは、それがただ者ではないと感じ取るのに十分なほど洗礼されていた。
最後の一人が地面にひれ伏したところでヴィオラは正気に戻る。
それと同時に手に握ったままだったナイフを人影へとむけて警戒態勢をとった。
「助けてくれてありがとう」
「まさか刃物を向けられながら感謝の言葉を言われる日が来るとは思わなかったよ」
聞こえてきたのは少し低めの男性の声。
人影がゆっくりとこちらを振り返る。
それは全身黒い服に覆われた男だった。
身長は180cm以上、黒い髪はあちこちにはねたくせっけだ。
彼がいつまでたっても影のように見えたのは真っ黒な服に真っ黒な髪を持っているからのようだった。
この世界には様々な髪の色の人間が存在するが、真っ黒というのはなかなか珍しい。
しかし、それ以上に目を惹かれたのは彼の瞳。
まるで血液を凝縮させたかのような紅い瞳は、男の白い肌とのコントラストで爛々ときらめいて見えた。
まるでこの世ならざる者に魅了されるようにヴィオラがじっと男を見つめていると、男の紅い目がこちらをとらえた。
その鋭い目つきは、しかしてすぐに愉快そうに細められる。
「くくく、面白そうな人間がいると思って様子を観察していれば、くはっ、股間を、蹴り上げて、」
そういいながら男は路地の壁を叩きながら爆笑している。
その様子にすっかり毒気を抜かれてしまったヴィオラは構えていたナイフをおろしてその場に捨てる。
「失礼な態度をとってごめんなさい。改めて、助けてくれてありがとう。お礼は何がいいでしょうか」
「はぁ、はぁ、真面目な人間だな。9歳のガキに誰がお礼なんてせびるかよ。だがまぁ...」
そう言うとヴィオラを路地の壁に追いやり、トンと壁に手をついた。
よく見ると整った男の顔がヴィオラを正面からまじまじと観察している。
頭のてっぺんから乱雑に切られたシルバーの髪の先、段々と下がっていった目線は胸のあたりでぴたりと止まる。
しばらくそこをじっと見つめた後、にやりと笑ったかと思えば、ヴィオラの顎をくいと持ち上げた。
「うん、やっぱりお前、おもしろいな。それにその目。良い目をしている」
男の瞳にヴィオラの困惑した顔が映りこむ。
「ゆっくり話でもしたいところだが、タイムリミットだ。また近いうちに挨拶に行くから、いい子で待ってろよ」
そう言ってヴィオラの頭をくしゃりとなでた後、キザったらしくウィンクをした男は路地の奥へと消えていった。
「ちょっと、なにを言って...」
「いたぞ!」
「大丈夫か!!」
大通りからぞろぞろとやってきたのは騎士団。
どうやらヴィオラを路地へと連れていく男たちを見て不審に思った人間が通報してくれたようだ。
ヴィオラは騎士団に連れられて馬車へと戻った。地面に伸びている男たちは騎士団が捕縛してくれるようだ。
その後馬車の中で簡単な事情聴取を受けた後、すぐに解放され無事帰路に就いた。
なかなか戻ってこないヴィオラに使用人はたいそう心配したようで、馬車の中では半泣きでお説教された。
もちろん、家に帰った後事の顛末を聞いた過保護な両親は大泣きしながらヴィオラを叱り、数日間の外出禁止を言い渡した。




