流星の夜
それは少女にとってただの気まぐれであった。
少女に星空を眺める趣味はない。星座なんて知らないし、興味もない。空に浮かぶただの光を見る事の何が楽しいのか理解できなかった。
そんなことをしてもお腹はいっぱいにならないし、富も名声も得られない。そんな行為にいったいなんの意味があると言うのか。
だからこそ、その行動にこれといった意味はなかった。
ただなんとなく今夜は星が流れるのだという使用人の話を思い出し、なんとなく窓の外に広がる深い藍色の空を見つめた。
少女の目にうつったのは数え切れないほどの星。
そして、宝石箱をひっくり返したかのような空を流れる一筋の光だった。
____ドクン
とたん大きな音を立てて震える心臓。
高鳴る鼓動は激しさを増しながら耳元まで迫り上がってくる。
眩しさに目を瞑ったと言うのに、星空を切り裂く鮮烈な光が瞼の裏に焼き付いて離れない。
極めつけのように体内に流れ込む記憶、記憶、記憶の濁流。
喉まででかかった悲鳴は弱々しく掠れた音となって口から漏れ出る。
知らない誰かに自分の形を、魂の形を無理矢理変えられているかのような不快な感覚。
もはや痛いのか苦しいのかも分からない。
ただひたすらにこの感覚を遠ざけたくて、胸を掻きむしる。
(出ていけ!出ていけっ!わたくしの中から出ていけ!!!)
しかし心の叫びも虚しく、記憶という情報の津波はより一層の激しさを増して少女に押し寄せる。
不快感は確かな息苦しさに変わり、少女はとうとう息の仕方も分からなくなってしまった。
(あ、息が、できない、)
生理的に溢れ出た涙がまろい頬をつたう。
酸欠でだんだんと遠のいていく意識の中、少女は最後の力を振り絞り重いまぶたを上げた。
ぼんやりとした世界に幾千もの光の軌跡が描かれる。
まるで空から溢れ出たような星くずは、今にも少女のもとに降りかかってきそうで。
少女の瞳に映った最後の景色はそれほどに神秘的で、不気味なほど美しかった。
***
まるで水面に浮上するかのように、少女の意識は浮かび上がった。
最初に耳に入ったのは誰かの足音。次に鼻腔をくすぐる甘い花の香り。
それと同時に全身に襲いくる重力。いつもより体が重く、体を押さえつけられているかのようで手足がびくとも動かない。しかし、肌に感じる感覚はとても心地よく上質な布に包まれているかのようだった。
ここまで来ればまだぼんやりとした頭でも自分の状況を理解できる。おそらくベッドの上で寝ているのだろう。
こんなにも体がだるいのは、風邪をひいているから。近くで鳴る足音もきっと少女の母親のものだと予想がついた。
そこまで考えてふと違和感に気付く。
(母親?母上が世話をするはずがない。私のお世話をするのはメイドたちの仕事…ちょっと待って、メイドって何、普通の家にそんな人いるはずが、ってもうなんなの!!!なんかすごい混乱してきた!!!!)
まるで自分の中で2人の自分が喧嘩しているようだ。
(2人の私?何を言って、私の名前は杉本結で、って違う。私はヴィオラ、ヴィオラ・シルヴァ…はい???)
「なんで名前が二個もあるんじゃいっ!!!」
瞼の重さもどこへやら、カッと目を見開いて叫んだ少女の声に続き、甲高い女性の叫び声が屋敷中に響き渡った。
数秒の沈黙の後、限界まで見開かれた視界に1人の女性がうつった。
「お、お嬢様!お目覚めになられたのですね!!」
女性は黒のワンピースにフリルのついた白いエプロンを組み合わせた服を着用し、頭には同じく白いフリルのカチューシャをつけている。
その姿は紛れもなくメイドであった。
しかし、少女の耳にメイドの言葉は届いていない。
今自身の脳内を支配するのは目下たった一つにして最大の謎である。
(なんか、記憶が二つあるんですけど!?)
そう、少女の脳内には2人分の記憶が存在していた。情報量が多すぎて簡単にはまとめられないが、大まかに名前だけで区別すると『杉本結』の記憶と『ヴィオラ・シルヴァ』の記憶が同時に脳内に居座っているのだ。
(ど、どういうこと?どっちが本当の私なの??)
遠くでメイドがお嬢様と呼ぶ声をBGMに、少女は頭を捻って思考を凝らすが、考えても考えても二つの記憶が複雑に絡み合っていくだけで何も分からない。
だんだんと頭が熱くなっていき目がぐるぐると回り出したところで、バンッと盛大な音と共に大人の男女が自身の視界に飛び出した。
「「ヴィオラ〜〜〜〜〜!!!」」
「うわっぷ」
男女は推定自分の名前を叫びながら勢いよく飛びついてきた。
それだけではなく少女の小さな体に抱きついたまま、涙で濡れた頬でこれでもかというほど頬ずりをしながら、壊れたおもちゃのようにヴィオラの名前を呼び続けている。
なるほど、自分より取り乱した者を見るとかえって自分は冷静になるというのは本当のことらしい。
オーバーヒートしかけていた脳の熱が冷めてきたところで、一旦深呼吸をして落ち着いて周りを観察してみる。
心配そうにこちらの様子を伺う数人のメイドたち、その向こうにはいかにも洋風のお屋敷といった上質な部屋が広がっていた。
冷静になって考えればここはヴィオラにとっては見慣れた自室であるようだ。
「あのぅ….」
遠慮がちに声をかけてみるが、おそらくヴィオラの両親である男女はこちらの話を聞くどころか、泣き止みさえもしない。
いい年した大人のそんな姿に若干引きつつも、少しまとまった思考で状況を整理してみる。
まず、自分の名前はヴィオラであるだろう。体にくっついて泣き喚くくっつき虫たちが呼ぶ名前からもそこに間違いはないと思われる。
そこで問題となるのが杉本結の記憶だ。
先ほどまでは2人分の記憶が互いの優先度を主張しあっていたが、今となってはこの体の持ち主がヴィオラであることは納得できる。
しかし、少女がこの部屋で目覚める前までの記憶はどう考えても杉本結のものであるのだ。
(うーん謎は多いけど、とりあえず今の状況をなんとかしないと)
泣き喚く両親になんの反応も示さない少女。メイドたちがどうすれば良いかとオロオロしているのがわかる。
戸惑う彼女たちを助けるべく、少女__ヴィオラはメイドに声をかけた。
「ごめん、とりあえずお水もらってもいい?」
完全自分の趣味です。
矛盾、誤字脱字誤植、読みにくさなどあると思いますが、よろしくお願いします。




