サウナー、タオルを振るう
「師匠! 新しい技を思いつきました!」
朝一番、俺の小屋に元気いっぱいの声で飛び込んできたのは、もちろん弟子のアリーだ。
その両脇には、分厚くて巨大なリネンの布を抱えている。
「……なんだ、それ?」
「村で一番大きな洗濯用のシーツです! 鍛冶場でふいごを使うと火が強くなるみたいに、この布で熱い空気を動かせば、もっとサウナがすごくなるんじゃないかと思いまして!」
……ああ、なるほど。
こいつ、誰に教わるでもなくアウフグースの原理にたどり着いたのか。鍛冶屋の娘ならではの発想、と言うべきか。
アリーは「えいっ」と布を広げて見せる。バサッ!と音を立てて広がったそれは、もはやダブルベッド用のシーツだった。
「ただ、ちょっと大きすぎましたかね?」
「どう見ても布団じゃねえか! サウナ室で振り回せるサイズじゃないだろ!」
その日の夕方。
サウナ小屋の中、俺と村人たちは固唾を飲んで、例の巨大シーツを掲げたアリーを見つめていた。
彼女は使命感に満ちた真剣な顔で宣言する。
「さあ皆さん、覚悟はいいですか! これから“熱波の儀式”を始めます!」
「ぎ、儀式!?」
「待てアリー! サウナは儀式じゃない! 健康法だって何度言えば分かるんだ!?」
しかし、俺の制止はもう遅い。
アリーは渾身の力で、その巨大な布を振り下ろした。
ゴワッ! という鈍い音と共に、熱気の塊が“壁”となって村人たちに襲いかかる。
「ぐぉぉぉっ!?」
「熱い通り越して痛い!」
「顔の皮が剥がれるぅ!」
「これが炎の神の裁きか!」
サウナの中が一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「ちょ、ちょっと待て! やり方が荒すぎるんだよ!」
俺はアリーを止め、巨大シーツを取り上げる。
「いいか。アウフグースってのは、蒸気をただ力任せにぶつけるんじゃない。熱い空気を循環させるように、優しく扇ぐんだ」
俺は柄杓で水を石にかける。立ち上った蒸気を、今度は適正サイズのタオルで柔らかく受け止め、攪拌する。そして、熱い空気が層になるように、ベンチの村人たちへふわり、ふわりと送り届けるように扇いだ。
「……おお?」
「さっきの暴力的な熱とは違う……」
「熱いのに、肌を撫でるような優しい風じゃ……」
村人たちの顔が、先ほどとは打って変わって恍惚の表情に溶けていく。
「これが本当のアウフグースだ」
俺はドヤ顔で胸を張った。
「……師匠、かっこいいです!」
アリーの目が、尊敬の念でキラキラと輝いている。やめろ、そんな純粋な眼差しは、こっちが照れるから。
だが、本当の問題はここからだった。
その日の夜、村の広場では緊急集会が開かれていた。村長が興奮した面持ちで声を張り上げている。
「諸君、聞いたか! 見たか! 今日の“風の儀式”を! あれはまさしく、我らを祝福する神の息吹に違いない!」
「おおっ!」
「熱と風で魂を浄化する……なんと神聖な儀式であろうか!」
「今後は“風の導師”アリー様に、定期的に執り行っていただこうではないか!」
……おいおいおい、話がとんでもない方向に行ってるぞ。
「ちょっと待った!」
俺は慌てて人垣をかき分けて割り込む。
「だから儀式じゃないんですって! 健康法! リラクゼーション! 英語で言うならスパ文化!」
「スパぶんか……? それは、風の神のまた別のお名前かな?」
「違うぅぅぅっ!」
俺の絶叫も虚しく、アリーは満更でもなさそうに頬を赤らめている。
「師匠、私……この村のみんなに、必要とされているんですね……!」
「だからその役目が違うって言ってるんだろ!!」
翌日から、村では本当におかしな習慣が始まってしまった。
サウナに入るとき、皆が厳かに「聖なる風よ、我らを癒したまえ」と祈りを捧げるのだ。
しかも、アリーがタオルを手にサウナ室へ入ると、子どもたちまで「導師様! 導師様!」とキラキラした目で合唱する始末。
俺は頭を抱えた。
(違う、違うんだ……! 俺はただ、フィンランドの伝統的な入浴法を伝えたかっただけなんだ……! なのに、どうして新しい原始宗教が生まれつつあるんだ……!?)
本当にこの世界に、サウナは正しく広まるのだろうか……?
だが、外気浴で満点の星空を見上げている村人たちの笑顔は、確かにここに来た頃よりもずっと豊かになっていた。
それだけは、紛れもない事実だった。
「……まあ、本人が楽しんでるなら、いいか」
そう呟いた俺の横で、アリーが適正サイズのタオルを手に、静かに素振りを繰り返していた。その目は、風の極意を掴まんとする求道者のように、真剣そのものだった。
「次こそ、師匠を“最高の風”でととのわせてみせますから!」
……その言葉に、ほんの少しだけ期待してしまった自分も、確かにいた。