サウナー、王都の喧騒に目を見張る
関所を越えてから数日、俺たちの馬車は整備された街道を順調に進んだ。
そしてついに、地平線の先に、巨大な城壁が見えてきた。
「……あれが、王都……!」
アリーが、馬車の窓から身を乗り出すようにして、息をのむ。
近づくにつれて、その圧倒的なスケールが明らかになる。
村の柵とは比べ物にならない、天を突くかのような石造りの城壁。その上には無数の旗がはためき、城壁の内側からは、天守閣や教会の尖塔らしきものがいくつも顔をのぞかせている。
俺たちが巨大な城門をくぐり抜けた瞬間、世界は一変した。
耳をつんざくような喧騒、行き交う人々の熱気、そして、ありとあらゆるものが混じり合った匂い。
「うわぁ……! 人がいっぱいです! 師匠!」
アリーは、初めて見る人の波に目を白黒させている。
石畳の道を、豪華な装飾の馬車と、汗だくの労働者が引く荷車がすれ違う。
きらびやかな鎧をまとった騎士が馬で駆け抜け、その横では物乞いの子供がうずくまっている。
建ち並ぶ店の軒先からは、焼きたてのパンの香りや、高価な香水の匂い、そして生活の隅々に溜まった淀んだ匂いが、渾然一体となって漂っていた。
「……空気が悪い。これでは病が流行るのも時間の問題だな」
セイルは、顔をしかめてハンカチで口元を覆っている。
だが、この喧騒に唯一動じていない男がいた。商人エリアスだ。
彼は、まるで我が家へ帰ってきたかのように、巧みな手綱さばきで人混みを抜け、馬車を進めていく。
「ようこそ、皆様。ここが我が国で最も豊かで、最も疲れている街、王都です」
俺は、エリアスの言葉の意味をすぐに理解した。
行き交う人々の顔。そのほとんどに、深い疲労の色が浮かんでいるのだ。
重い荷物を運ぶ労働者も、店先で客を呼び込む商人も、華やかな服を着て歩く貴婦人までもが、どこか追われるように、険しい顔で歩いている。
(……同じだ)
日本の、朝の通勤ラッシュの光景が、俺の脳裏に蘇る。
誰もが疲れ、すり減り、癒やしを求めることすら忘れてしまっている。
エリアスが手配してくれた宿屋の一室で、俺たちはようやく一息ついた。
窓の外からは、夜になっても街の喧騒が絶えることなく聞こえてくる。
「さて、サウナー殿」
エリアスが、テーブルに王都の地図を広げた。
「明日から、早速デモンストレーションの場所探しを始めます。ただサウナを建てればいいわけではない。客層を絞る必要があります」
「客層?」
「ええ。我々が最初に“ととのわせる”べきは、この街の富裕層、そして影響力を持つ人々です。騎士団の幹部、大商会の会頭、疲れ切った役人たち……彼らが我々のサウナの価値を認めれば、噂は一気に広まるでしょう」
エリアスの目は、すでに次の商戦を見据えている。
彼の言うことは、合理的で、正しい。
だが、俺の心には、別の想いが灯っていた。
俺は窓の外に目をやった。
きらびやかな大通りから一本外れた路地裏で、一日の仕事を終えたであろう人々が、疲れ切った足取りで家路についているのが見える。
(あの人たちだ)
俺が本当にこのサウナを届けたいのは、あの人たちだ。
かつての俺のように、日々の生活にすり減り、心の温かさを忘れかけている、名もなき人々。
「エリアス。あんたのやり方は分かった。協力しよう」
俺は、地図を睨む商人に向き直った。
「だが、俺のやり方でやらせてもらう。最高の場所で、最高のサウナを披露してやる。金持ちも、貧乏人も関係ない。この街で一番疲れてるやつらを、根こそぎ“ととのえて”やるんだ」
俺の言葉に、エリアスは一瞬驚いた顔をしたが、やがて面白そうに口の端を上げた。
「……ますます気に入りましたよ、サウナー殿。ええ、乗りかかった船です。あなたの“やり方”とやら、とくと拝見させてもらいましょう」
アリーとセイルも、俺の隣で力強く頷いている。
俺たちの、この巨大な都市を相手にした、新しい挑戦が始まろうとしていた。
俺は、まだ見ぬ王都のサウナーたちの顔を思い浮かべ、静かに笑みを浮かべた。
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