サウナー、旅立ちを決意する
エリアスの真剣な眼差しに、俺はすぐには答えられなかった。
ととのいのガーデンには、心地よい夜風と、村人たちの穏やかな寝息だけが満ちている。
「……無理な話だ」
俺は、静かに首を振った。
「この『ととのいの館』は、この村だからこそ生まれたんだ。この川の水、この森の木、そして何より、ここにいる仲間たちがいたからだ。これを街に持って行って、同じものが作れると本気で思っているのか?」
俺の言葉に、エリアスは臆することなく頷いた。
「もちろん、全く同じものは作れないでしょう。ですが、この“魂”の部分……人々を悩みから解放し、明日への活力を与えるという本質は、どこへ行っても通用するはずです。街で暮らす人々こそ、心の底からこの癒やしを求めている」
彼の言葉には、単なる金儲けではない、確かな信念が宿っていた。
俺は、かつて日本の満員電車に揺られていた頃の、疲れ切っていた自分自身の顔を思い出していた。
翌日、村の広場では緊急の寄り合いが開かれた。
議題はもちろん、「サウナ、都会へ進出計画」についてだ。
村長が、エリアスから受けた提案の内容を皆に説明すると、村人たちの反応は真っ二つに割れた。
「俺たちのサウナを、街の奴らに教えるだと? とんでもねえ!」
バルタが、腕を組んで反対の声を上げる。
「これは俺たちが、サウナーと一緒に汗水流して作り
上げた宝だ。誰にも渡したくねえ!」
その意見に、多くの村人が頷いた。
だが、アリーは敢然と立ち上がった。
「でも、師匠のサウナは、もっとたくさんの人を幸せにできる力があります! それをこの村だけに留めておくのは、もったいないです!」
「私もアリー君に賛成だ」
セイルが、冷静に言葉を続ける。
「私の薬草学も、このサウナと出会って大きく進歩した。この“サウナ医学”が確立されれば、救える命はさらに増えるだろう。研究対象は、多い方がいい」
賛成と反対の意見がぶつかり合い、広場は騒然となる。
やがて、全ての視線が俺に集まった。この物語の最終決定権は、創始者である俺に委ねられたのだ。
俺はゆっくりと立ち上がり、みんなの顔を見渡した。
そして、自分の過去を語り始めた。
「俺も、昔は都会で暮らしていた。毎日、何かに追われるように働いて、心も体も疲れ果てていた。あの頃の俺にとって、週末に訪れるサウナだけが、唯一の救いだったんだ」
俺は、目の前にいる仲間たちの顔を一人一人、目に焼き付けた。
「俺がこの村でサウナを作ったのは、ただ、自分が“ととのい”たかったからだ。でも、みんなと一緒に汗を流すうちに、気づいたんだ。サウナは、一人で楽しむよりも、みんなで分かち合う方が、何倍も気持ちいいってことに」
俺は、商人エリアスに向き直った。
「都会には、昔の俺みたいに、救いを求めている人間がたくさんいるんだろう。だったら……行かないわけにはいかない」
そして、俺は村人たちに深く頭を下げた。
「みんなが手伝ってくれなければ、この館はできなかった。だから、勝手なことは言えない。でも、俺は行きたい。この村のサウナが持つ、本当の素晴らしさを、外の世界に伝えに」
俺の言葉に、広場は水を打ったように静まり返った。
最初に口を開いたのは、頑固なバルタだった。
「……ちくしょう。そんな顔で頼まれたら、反対できるわけねえじゃねえか」
彼は照れくさそうに頭を掻きながら、ニッと笑った。
「行ってこいよ、サウナー! 俺たちのサウナが、世界一だってことを証明してきてくれ!」
その一言を皮切りに、村人たちから「そうだそうだ!」「サウナー、頑張れ!」と、温かい声援が次々と上がった。
その夜。
俺とアリー、セイル、そしてエリアスは、村の地図を囲んでいた。
「いきなり街にサウナを建てるのは難しいでしょう。まずは、この村のサウナの素晴らしさを知ってもらう必要があります」
エリアスが、地図の上で一番大きな街――王都を指差した。
「王都で、期間限定のデモンストレーションを行いましょう。私が場所と客を手配します。あなた方には、そこで最高の“ととのい”を披露していただく」
「面白い。移動式のサウナでも作るか?」
「それです!」
話は、とんとん拍子で進んでいく。
アリーは「私も行きます! 師匠の助手は私しかいません!」と目を輝かせ、セイルは「王都の薬草市場も見ておきたい」と冷静に参加を表明した。
俺たちの、新しい旅が始まろうとしている。
この村で生まれた小さな温かい火を、もっと大きな世界へ届けるための、壮大な旅が。
俺は、工房で移動式サウナの設計を始める仲間たちの姿を見ながら、これから始まる冒険の予感に、胸を高鳴らせるのだった。




