サウナー、犬をととのえる
サウナ小屋の扉を開けた瞬間、俺は眉をひそめた。
いつもの薬草と木の香りではない。なにか、湿った毛皮と土が混じったような、野生の匂いが充満している。
「……なんだ?」
中を覗くと、そこには――
「わ、犬だ!」
「また勝手に入り込んで……!」
村人が慌てて指を差した。
ベンチの下段、一番暖かい場所にでーんと横たわっていたのは、村のはずれに住み着いている一匹の大きな野良犬だった。いつもはボサボサの毛で薄汚れているそいつが、ぐったりと目を細め、だらしなく舌を出して寝そべっている。
「し、死んでるんじゃないか!?」
「熱気にやられてしまったんだ!」
村人が大騒ぎするなか、俺だけはまったく別のことに驚いていた。
(……って、ちょっと待て。この世界にも普通に犬がいるのかよ! まさか、犬も異世界転移してきたとか? それとも、異世界にもちゃんと独自の生態系が…? 猫とかもいるのか?)
俺は犬にそっと近づいて、その首元に手を当てた。
「心配するな、生きてる。心臓もちゃんと動いてる。ただ――」
その瞬間、犬は「くぅ〜……ふぁ〜あ」と気の抜けた声で大きな欠伸をすると、ごろりと寝返りを打ってお腹を見せた。目はとろりと蕩け、全身の力が抜けきっている。完全にリラックスしきった、幸せな顔だ。
「……ととのってるだけだな、これ」
思わず苦笑する俺に、村人たちは「ととのってる……?」「犬が……?」とキョトンと目を丸くする。
犬はそのまましばらく動かず、やがて満足そうにのそっと立ち上がった。
すると、村人たちから驚きの声が上がる。
「すごい……毛並みがふわふわになってる!」
「泥汚れも落ちて、まるで洗いたてのようだ!」
確かに、さっきまでボサボサだった毛並みはつやつやになり、顔つきもなんだかスッキリと若返ったように見える。
犬は嬉しそうに尻尾をぶんぶん振りながら、水桶のほうへ歩いていった。
そして、興味津々に鼻先でつんと水を突く。その冷たさに「!?」と驚いて一度は後ずさったものの、意を決して前足からじゃぼん!と浸かった瞬間――。
「ひゃんっ!!」
全身の毛を逆立て、脱兎のごとく樽から飛び出した。どうやら水風呂はまだ早かったらしい。犬はそのまま、風のように外へ駆けていった。
「……なるほどな。気持ちいいもんは、動物だって分かるわけか」
俺は腕を組みながら妙に感心してしまった。
ただ、村人たちの感動の方向性は少し違った。
「犬まで癒やしてしまうとは……やはりこのサウナは、精霊様が宿る神の贈り物なんだ!」
「これはいけるぞ! うちの牛をサウナに入れたら、極上の牛乳が出るかもしれん!」
「うちの鶏なら、金の卵を産むやもしれんぞ!」
「いや、だからやめとけって! 牛が入ったらこの小屋が物理的に壊れるわ!」
俺は慌てて釘を刺す。
とはいえ、犬の劇的なビフォーアフターを見てしまった村人たちは、半信半疑ながらも目をキラキラさせていた。
「師匠! 新しいお客さんですね!」
アリーが嬉しそうに言う。
「……客っていうか、まあ…」
俺はため息をつきつつ、犬が残した濡れた足跡を見つめた。
(勝手に入ってきただけだが、まあ、可愛かったから良しとするか)
その日以来、その犬は村人たちから畏敬の念を込めて「サウナのヌシ」と呼ばれるようになり、時々ふらりと現れては、気持ちよさそうにととのっていくのだった。
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