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1号の記憶「井上裕太」

「ハハッ…母さん…どうやら俺ダメみたいだよ……ごめんよ…本当にごめんよ…おかあさ……………」


最後にそうつぶいやいて、井上裕太は静かに息を引き取った。

俺の傍にいる2号は井上裕太の死に様を黙って見続けていた。

井上裕太の17年という短い生涯の後半は、決して幸福なものではなかったが、生涯の全てが不幸だったわけでは無い。


俺は裕太のこれまでの人生を振り返る……。


2号が俺のところまで辿り着き、失った過去を取り戻した日を境に、俺たちの悠太を見る目線が変わった。


それまでは母親の目線で裕太を見ていたのだが、今は母親から離れ、宙に浮いているような場所から俯瞰で裕太の様子を見るようになった。なんだか裕太に取り憑く幽霊になったようで、落ち着かなかったことを思い出す。時間の流れ方も変わり、裕太の人となりがわかる出来事や、人生の節目となる出来事に出くわすように、時間がジャンプするようになった。


俺たちふたりで見た、初めて出来事は裕太の小学校入学式当日だった。


裕太とその両親の3人は朝からとてもソワソワした様子で、母親は裕太と自分の身なりを何度も見直し、父親はビデオカメラに不備はないかと、何度もチェックしていた。3人とも緊張した表情をしているが、時折3人で顔を見合わせては満面の笑顔を浮かべた。その3人の笑顔に裕太の入学式を心待ちにしていたことが一目で分かる。


親子の滑稽とも見えるその朝の風景がとても微笑ましくて、俺までソワソワした気分になった。

俺が見ている風景は、おそらく一般的には普通の家族の姿なのだろう。だけど俺たちが育った環境とはあまりにも違い過ぎた。

2号もそのことに気づいているだろうが、俺に何も言ってこない。俺も2号が何を考え、思っているのかを聞くつもりはなかった。


入学式を済ませ、待望としていた裕太の小学生生活はとても楽しそうに見えた。

元来明るい性格で、社交的な裕太は何人もの友達をつくり、クラスでは人気者で通っていた。勉強の方もかなりできる方だったが、残念ながら運動の方は苦手のようだったが…。


学校では常に何人かの友達に囲まれ毎日楽しそうに過ごしていた裕太だったが、小学5年生の時に、思わぬ不幸が降りかかることとなる。

裕太の良き理解者であった父親が交通事故に巻き込まれ、帰らぬ人となったのだ。

その事故が起きたのは、裕太の父が仕事中、得意先をまわるための外出先での出来事で、裕太の父親は青信号で横断歩道を歩行中、信号無視をして突っ込んできた車にはねられたということだった。


車を運転していたのは未成年で、運転免許も所持しておらず、しかもその車は盗難車で、パトカーに追跡されていたところに運悪く遭遇したものだった。

盗難車ということで自動車保険は適用されず、また加害者の少年の家も貧困に喘いでおり、賠償金については実質泣き寝入りするしかない状況だったが、生前裕太の父親が加入していた生命保険が満額で支払われ、母親がフルタイムで働くことにはなるが、裕太が大学を卒業するまでの生活費と学費はなんとか確保できた。


裕太は死してまで自分たちのことを考えてくれていた父親に心から感謝して、今まで以上に勉学に励むこととなる。

難関私立中学でも合格間違いなしと太鼓判を押されるほど、裕太の成績はよかったが、高額な授業料が必要とのことで、私立中学は断念し、一般の市立中学校に進学することになる。


『一般の市立中学校を悪くいうつもりではないけど、成績優秀者が高水準の教育を受けられないのは悲劇だよね…』

その時の2号はつぶやいていた。勉強だけかもしれないが、少なくとも裕太のことを認めた2号の発言に俺は少し嬉しくなった。どうやら2号は良い方向に向かっているようだ。


中学時代も裕太は小学校時代と同様に勉学に励み、社交的な性格で友人関係も良好に広げていった。中学の三年間は常にトップの成績をキープし続け、順風満帆と言っていいほど充実した中学校生活を過ごした。

そして、高校受験は名門の私立高校を志望した。

なぜならその私立高校には特待生枠があったからで、その特待生枠を通過すると授業料免除等の様々な恩恵を受けられるからだ。


裕太はその狭き門を受験するも見事合格する。

その高校は自宅から、かなり遠くの県外にあったため、自宅からの通学ができず、母親から離れて寮暮らしとなる。


裕太が受けた特待生枠は入学金や授業料はもちろん寮の家賃や制服代、教科書代など様々な費用が免除される、高水準の教育を受けられて、さらに家計に大きく役立つ結果となり、母親と共に諸手をあげて喜びあった。


裕太は高校生活も順調だった。勉学や友人関係も相変わらず良好で、教師陣の受けもすこぶるよかった。だが、束の間の青春を謳歌していた裕太に、またしても不幸が降りかかる。


今度は母親に癌が見つかったのだ。

裕太が高校2年生に進級したばかりの春のことだった。


その癌は発見が少し遅れたためステージ3まで進行していて、治療のために入院生活を余儀なくされることとなる。

入院費用や治療費は保険に加入していたため、そこから賄えるが、医師の説明では保険適用内の治療では完治が難しいとのことで、完全な回復を望むには先進医療を受けるしかないとのことだったが、母親が加入していた保険はがん特約が含まれておらず、先進医療を受けるには自費でどうにかするしか方法はない。

また、一家の働き手を失い生活費をどうするかも、裕太に大きくのしかかる。いくら特待生で色々な金銭的な恩恵を受けていても、生活費までは面倒は見てくれない。


担任教師からは奨学金制度を利用すればと勧められるが、裕太は母親の完治を目指し、先進医療費の捻出のため働くことを選択した。


学校側はそれを受け、裕太に中途退学ではなく休学を勧めた。

通常の休学期間は最長で3年間だが、理由が理由のため倍の6年間まで休学を認めるという温情まで示した。しかも就職先が決まるまでは寮にいてもいいとのことだ。


裕太はその温情に感謝して休学を受け入れる。その時、学校側に自分が休学して、働き出したことを、母親には出来るだけ内緒にして欲しいとのことも願い出た。

学校側は裕太の母親から連絡が無い限り、母親には何も知らせないと約束してくれ、裕太は一安心して仕事に専念すると決意した。

そこまでは良かった。だが、現実は裕太に優しくはなかった。


裕太は就職のためにハローワークなどに助力を求めるが、学歴が中卒扱いになるのと、当時16歳だった裕太は、労働基準法により就労時間に制限があるため、なかなか希望する賃金がもらえる就職先は見つからなかった。


無為に過ぎていく時間に裕太の心は次第に闇に蝕まれていく。

「なぜだ…なぜ俺と母さんはこんな仕打ちを受けなければならないんだ…」

世を恨む独り言が増えていく裕太に、ようやく希望する賃金が見込める就職先が決まる。

そこは小さな町工場だった。

危険な工作機械なども扱わなければならないため、危険手当などがつき、通常より高い賃金が見込める、ようやく見つかった就職先だった。


裕太は気を取り直し、一心不乱に働いた。

未成年のため遅くまで残業ができない裕太は、そのことで周りに妬まれないように配慮したものだった。


裕太の周りを気遣う姿勢に、他の従業員たちも裕太を認めるようになり、最年少である裕太は次第にみんなから可愛がられるようになる。

仕事はキツく、決して面白いものではなかったが、周りの先輩従業員たちの励ましもあり、一時は落ちかけていた闇から、裕太の本来の姿を取り戻していった。


裕太が入社して2ヶ月ほど経ち、仕事にも慣れて、ひとりで任される仕事も増えていき、それなりにやりがいも見出してきたある日、いつもの時間に会社にたどり着いた裕太は、先に来ていた先輩社員が会社の玄関前で何やら話し込んでいたので、少し不審に思いながらも先輩社員たちに挨拶をする。

「おはようございます!どうしたんですか?玄関前で…」

「ああ…裕太か、おはよう…」

先輩社員のひとりが裕太にそう挨拶を返してくるが、どうも歯切れが悪い。他の先輩社員たちは渋い表情で裕太を見ていたが、裕太に話しかけるのを戸惑っているようだった。

そのうち業を煮やしたひとりの先輩社員が、意を決したように裕太に語りかける。

「裕太…落ち着いて聞いてくれ…。どうやらウチの会社潰れちまったみたいなんだ…。玄関に貼ってあった社長からの伝言で俺たちもたった今、知ったんだ…」


「えっ……………」


そう呟くと、裕太は膝から崩れ落ちる。

周りのみんなは驚いて、裕太を助け起こし励ましの声をかけてくるが、裕太の耳には届いていなかった。

その後、管財人と名乗る男がやってきて、今後どうなるのかを裕太たちに説明した。

呆然としてその説明を聞いていた裕太が、かろうじて覚えていたのは、社長は借金を苦にして自らの命を絶ってもうこの世にいないといううことと、今まで働いた分の未払い賃金は、満額支給は絶望的で、スズメの涙程度しか支給されないだろうとのことだけだった。


管財人の説明が終わると、その場は解散となり、従業員たちはとりあえず自宅に戻ることにした。

裕太の母親の事情を知っている、従業員たちは裕太を心配そうに見やるが、自分たちでは何もできないことがわかっていたので、裕太にかける言葉が見つからずに、ただ裕太の去っていく後ろ姿を見送ることしかできなかったが、その中で、ひとりだけ裕太に声をかける者がいた。

裕太よりひとつ年上の少年で、昔はかなり悪さを働いていたらしいが、今は心を入れ替えて、高校入学のための学費を貯めるために、この町工場で働き出したとのことだった。裕太とは歳が近いこともあってよく話すようになり、次第にその少年は裕太を弟のように可愛がるようになっていた。


「そのぉ…裕太、ちょっと話があるんだけど、時間もらえるか?…」

その時の裕太の心は完全に折れていた。

だが、なんとか生きようと考えられたのは、ただ単に母への思いがあったからで、母の元気な姿さえ取り戻せさえすれば、自分はどうなってもいいと考えていた矢先だった。


「はぁ……なんですか?……」

「いっ、いやぁ…裕太にこの話をするかしないかで随分迷ってたんだけど、お前のお袋さん、そのぉ…余命…やばいんだろ?…」

裕太の母の病状は小康状態をなんとか維持できている状態で、余命宣告まではされていなかったが、裕太はそれには反論せず、黙ってうなずいた。裕太の先輩従業員たちは、癌と聞いただけで、すぐに余命宣告と結びつける者が多く、一人一人に説明するのが面倒になりほっといていた。この時もただ頷いてやり過ごそうと思ったからだ。


「そっそうか…。じゃあシノゴの言っている場合じゃ無いな…。聞いてくれ裕太、実は、いい金になる仕事があるんだ…。」

「えっ!いい金になるっ?」

「バッ、バカっ大きな声を出すんじゃねぇよっ。いいか裕太、金にはなる。このつぶれた会社の給料よりも遥かにいい金にな…。だけどヤバい仕事なんだ…。」

「やりますっ!是非やらせてくださいっ!」

「おっおまえっ俺の話を聞いていたのか?ヤバいんだって、パクられたら間違いなく刑務所行きになる。そんな仕事だぞっ」

「母の元気な顔が見られるなら、刑務所だろうがどこにだって行きます!教えてくださいその仕事!」

「わっ、わかったから、ちょっと落ち着け、お前のお袋さんを思う気持ちはわかったから……。そうだな…ここじゃなんだから歩きながら話そう」

そうして裕太は元不良少年の先輩従業員と一緒に、町の繁華街まで歩き出す。


「いいか裕太、そのヤバい仕事ってのは、ヤクの売人の仕事だ。当然バックにヤバい奴らが大勢いる。今からその売人の隠れ家みたいなところに連れてってやろうと思っているけど、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫です!腹はもう決まってますから」

「そうか……悪いが俺はその場所までしか案内できない。もう足を洗ったからな…。そこに着いたら、川島さんて人を尋ねろ。それで慶太から紹介されて来たといえば話しは通る。だけどいいか!ヤバいと思ったらすぐに逃げんだぞ!」


ふたりは話しながらなんの変哲のないオフィス街を歩く。しばらくして先輩従業員が顎をしゃくって、ある雑居ビルの2階を指し示した。

「ほら、あのビルの2階にパルフェルト商事ってあるだろ。そこに川島さんはいる………」

「はい、ありがとうございます。じゃ俺行ってきますね」

裕太は先輩従業員と別れ、パルフェルト商事に向かうため、雑居ビルの中に入っていった。


「こんにちは、田島と申しますが川島さんいらっしゃいますでしょうか」

裕太は偽名を使い川島を呼び出す。

対応してくれたのは女性社員で、川島は事務所内にいるらしくすぐに呼びに言ってくれた。


事務所内はどこにでも見かける普通の会社と全く変わらず、強面の男ばかりがいる暴力団組事務所を想像していた裕太は拍子抜けした。

「私が川島ですが、君は…」

現れた川島と名乗る男も一見普通のサラリーマンという風体で、これもまた裕太の想像と全く違った出で立ちをしていた。

「あの…、慶太さんからの紹介でやってきました…田島博之と申します」

その挨拶で川島の今までの雰囲気がガラリと変わり、眼光が鋭くなる。

「ほう、慶太くんの紹介…。それじゃ奥の応接室で話しましょうか」

「はい」

奥の応接室に入り、お茶を入れてくれた女性社員が退室すると、川島はそれまでの態度を豹変させて裕太に話し出した。


「お前、慶太からの紹介ってことは、仕事の内容わかっているんだろうな?」

「はい、危険な薬品等の売買の手伝いと聞いています」

「へー、お前なかなか頭もキレるようだな、いいんだぞ、ここには俺とお前しかいない。言葉を選ばずヤクの売人って言っていいんだぞ」

「はあ、恐らく表にいる従業員の方はこの仕事に関わっていないようだったので…」

「そうか、そこまで勘付いていたか…。慶太の野郎いい人材を紹介してくれたもんだな…。気に入ったぜ、それに折角こっちの世界から足を洗えた、あの慶太が自分もヤバくなるかもしれないのに、紹介するくらいだ、お前、相当深刻な事情があるんだろう?」


川島に問われた裕太は今までの自分の経緯を正直に話した。

「なるほどお袋さんの病気か…。ふん、どうやら嘘は言っていないようだな…。だが、お前が名乗った名前…ありゃ偽名だろ…。いや、いいんだ、そのままその偽名を続けてくれ。こっちも、もしもお前がパクられた時に、サツはお前の本名で捜査するだろうから、こっちは知らぬ存ぜぬを貫けるしな…」

川島は上機嫌に語ると、具体的な仕事の内容を説明し出した。

まず、裕太はこれからこのパルフェルト商事には一切近づかないこと。

そして、決められたSNSを使用して、そのSNSで指定された場所でヤクを受け取り、買い手の待つ、指定された場所まで運んで、そこにいる買い手にヤクを渡す。その時買い手から手数料として一回につき三千円を受け取る。その三千円が裕太の取り分となる。


仕事の内容は至極単純なものであったが、ひとつだけ裕太を悩ませることがあった。

それは裕太自身が薬物に手を染めないといけないことだった。

組織としては、折角つかんだ売人を逃さないために、廃人にならない程度に定期的に薬物を摂取させて薬漬けにするという意図があった。


一瞬だけ裕太は躊躇したが母親の元気だった頃の笑顔を思い出し、すぐに了承した。

なにせ、一回の取引だけで三千円が手に入る、1日10回取引しただけで三万円の手取りとなる。うまくいけば早々に母親の治療費を捻出することも夢ではなかった。

その裕太の判断が、自らの寿命を極端に縮めることになるとは知らずに………。


それからの裕太は一心に売人の仕事にのめり込んだ。自分のためになるようなものには一切目を向けず、ただひたすらに薬物を売り捌き、稼いだ金はすぐさま貯蓄に回していった。

裕太は嬉しかった。日に日に増えていく貯蓄額。預金通帳を見る度に、母親の元気だった頃の笑顔に近づいているようで、それだけが裕太の生き甲斐だった。

だが、定期的に摂取を強要される薬物が、徐々に裕太を蝕んでいく。初めの頃はイヤイヤ受け入れていた薬物だったが、今では裕太の数少ない楽しみへと変わっていった。


そして、運命の9月23日。

2号の手によって開発された、危険薬物の摂取の2回目。

1回目の摂取の際に、裕太はその危険薬物の虜になっていた。

2回目を入手した際は、自宅まで帰るのを待てず、閑静な住宅街にある公園の片隅にあるベンチで、その危険薬物を口にすることになる。


摂取した直後、1回目と同じような多幸感に包まれたが、しばらくすると全身に異変が現れる。身体中に蕁麻疹ができたように赤く腫れ上がり、猛烈な痒みを伴った。

そして、次に裕太を襲ったのは、激しい腹痛。

裕太はヤクの売人で、しかも今は、違法な薬物を摂取しているので、助けを呼ぶこともできず、ひとりベンチの上でもがき苦しんだ。

そのうち呼吸困難な状態になって、声も上げられなくなり、意識が朦朧としていった。


「ハハッ…母さん…どうやら俺ダメみたいだよ……ごめんよ…本当にごめんよ…おかあさ……………」

最後にようやく声を出せた呟きは、愚かな自分を蔑むような失笑と、母親に対する心からの謝罪の言葉だった……。

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