異世界皇帝青鬼二世の記憶「賭け」
「陛下…、宜しかったので……」
日本から突然やってきた若者に謁見中、終始、無言で私の傍で控えていた宰相が問いかけてきた。
いまはその若者、東極夏彦もとい、東郷夏彦は帝城の客室に下がらせている。
「ああ、良いのだ…。我々が選択できる最善の道は、もうあの若者に賭けるしか無いのだから…」
「そうですな…」
「それに、あの青年の魔素蓄積量はかなりのものだったぞ…、全盛期の父には遠く及ばぬが、恐らく今の父や私と同等か、それ以上の魔素蓄積量を持っているだろうな…」
「なっなんと!それほどまでの…。では、あの青年が我らを裏切った場合には、逆に我らが窮地に立たされるのでは…」
「ああ、もしも裏切られた場合は、我らには手の施しようが無くなるだろうな…。だが、心配は無用だ。なぜだかは分からぬが、あの青年、かなり本気で我らに肩入れする気でいるようだぞ。あの青年の魔素の流れが私にそれを示しているから間違いない」
「恐れながら申し上げますが、その肩入れは今のところ…と考えたほうがよろしいのでは…?」
「そうだな宰相、その方の言う通りだろう…。だがな、私はあの青年が途中で我らを裏切ろうとも、それはそれで良いと考えている…。その結果がどうであれ、人事を尽くした末の天命だと…そう割り切ろうと考えているのだ」
「確かに…、先ほど陛下が仰った通り、我々が選べる最善の道はあの青年に賭けること…、そもそも賭け事のようなものでしたからな、賭けに負けることもありましょうぞ…」
「そうだな…、私の本心を言うと、本当は地球への侵略などしたくは無かったのだ…。だが、どうしても、この異世界の国民達が滅びていく様を黙って見てはおれなかった。地球の民と異世界の民、比べるも無く異世界の民の方が大事だからな…。だからもしも賭けに負けることがあっても、それで地球の民が救われたのだ…と思うことにしようと考えているのだ」
「そうですな…、私も陛下と同じ気持ちで運命を受け入れようと考えますぞ…」
今、私が皇帝を務めるこの異世界は滅亡への危機に瀕していた。
地球でいうところの酸素にあたる「魔素」が著しく減少しているのだ。地球上の生物が生命活動に酸素が不可欠であるのと同様に、この異世界のすべての生物は、例外なく生命活動を維持するためには魔素を必要としている。その魔素の減少が数十年前から見られるようなっていたのだが、ここ最近になって急にその減少は著しいものとなり、慌てて調査した結果、後十数年で尽きてしまうことが判明する。
そう、この異世界は現在進行形で、死の星へと変貌していっているのだ。
魔素の産出は植物によってもたらされることまでは分かったが、魔素減少の原因そのものは未だ解明できず、ある者は科学力が我々の数百年は先をいく、地球の科学者達に助力を求めてはと進言してきたが、そもそも地球人達は魔素の存在すら認識していない、魔素そのものを認識することから始めなくてはならないため、魔素が尽きてしまう十数年までに解決できるとは到底思えないため、その進言は断念される。
それならばと、ある者は異世界の民達を地球側に受け入れてもらっては、と進言する。地球には魔素が豊富にあることがわかっている。地球上の植物もこの異世界と同様に魔素を生成するが、異世界の生物とは違い、地球上の生物は魔素を全く必要としなかったため、太古の昔から手付かずのまま大量に残っていたからだ。
異世界の民達はおよそ60億。そんな大多数の民を地球側が受け入れるとは到底思えず、仮に受け入れられたとしても、次にやって来るのは食料問題だ。60億も増えた人口を養う食糧を地球上で調達することは、どう考えて無理だろう。
それでは異世界の民達と入れ代わりに、地球人たちに異世界に移住してもらうなどの意見も出されたが、地球人たちがそれに同意することは絶対に無いだろう。
中にはゲートを利用して、異世界と地球上を結び、そこから地球の魔素を異世界側に送るようにしては、との進言もあったが、そもそもゲートを発現できるのは、私と父しか存在しなかった。しかもゲートは一人につき一つしか発現できない、大規模なゲートを作るとしても限度がある。父と私で発現した、たった二つのゲートでは、異世界全体に魔素を送り届けることは不可能だ。
そんな八方塞がりの中、前の皇帝である父は状況を解決するために植物以外で魔素の産出はできないだろうかと模索していたが、私は父とは違う案を提案していた。それは地球への侵攻であった。
父は「自らが生き残るためとはいえ、なんの罪もない地球の民を害することは決して許されない」と私の提案を一蹴した。
反対されることはわかっていた。
だから私は準備していた。帝国の宰相をはじめとする多くの大臣たちの賛同を予め取り付けてあって、もし父からの反対を受けた場合は即座に父に皇帝の座から降りてもらうための準備をしていたのだ。そしてそれは現実のものとなる。
私は前皇帝で父でもある青鬼帝を更迭し、現在この異世界の皇帝の座にいる。
父は更迭を告げる私たちを悲しげな目で見まわし「そうか」と一言告げ、野に下っていった。父の考えも尤もだと思うが、この時点で動かなければ、間に合うか、間に合わないか、という瀬戸際まで来ていたので強硬手段に踏み切ったのだ。
父が野に下ったことがわかり、父と志を同じくする、一部の帝国の重鎮たちも後を追うように野に下って行った。その中には「異世界では武力で右に出るもは無し」と謳われた英雄もいた。それにより、異世界軍の戦力は著しく低下することは目に見えていた。ただでさえ無謀であると承知している地球の侵略にその英雄を失うことは大きな痛手となった。
これはあまり知られてはいないが、父はこの異世界を創造した神であった。その英雄は父が神であったことを知る数少ない者の一人であり、父のことを崇拝していた。非常に残念ではあるが、きっとその英雄を引き止めることは叶わなかっただろう…。
神であった父には私の伯母でもある姉がおり、伯母は地球を創造した神であった。最初に伯母が地球を創造し、それをそばで見ていた父は、自分でも新たな世界を創造してみたくなり伯母を真似てこの異世界を創造した。
伯母は私たちの世界を「異世界」とよんだ。地球とは異なる世界だからということらしい。そして地球でいう「人間」に対し、異世界に住む民たちを「魔物」とよんだ。人間と違い魔物は「酸素」ではなく「魔素」を摂取して生きているからだそうだ。
父は自分が創造した世界なのに、伯母が勝手に名をつけても何も言わなかったらしい。父と伯母の力関係が見えてくるようだ…。
神であった父と伯母はそれぞれの世界で生活を営む「人間」と「魔物」をこよなく愛した。そして人間と魔物がそれぞれの文明を築き上げた時点で、父は「魔物」として伯母は「人間」として、永遠の命を捨てそれぞれが愛する知的生物へとその身を変えた。
人間へと生まれ変わった伯母は、人間の文明にほとんど口出しすることなく普通の人として生きたと聞いている、そして人間としての天寿を全うしてもうこの世にはいない。だが、元神だけあって脅威的な長寿ではあったが…。
父も魔物の文明に干渉するつもりはなかったのだが、文明が発展すると比例して魔物同士の争いも増えていき戦争までに発展する様を見て憂い、戦争被害に遭う魔物を救済しているうちに担ぎ上げられ、自分でも思ってもみなかった大小様々な国々をまとめる皇帝として君臨することとなる。
全盛期の父であれば、この魔素減少問題を解決できたかもしれない…。
だが、亡くなってしまった叔母と同様、父の寿命もあと幾ばくかとなり、あれほど膨大にあった、魔素蓄積量も今では私と同等程度まで落ちてしまっていた。
その父を更迭した私は早々に地球への侵攻の準備に取り掛かる。
地球への侵攻にはゲートと呼ばれる異空間を利用したトンネルが必要となる。それを作るためには大量の魔素と複雑な魔術式が必要となるのだが。そのゲートを作れるものは前述した通り、父と私しかいなかった。父ならば一日数万の軍隊が通過できる大型のゲートでも1日もあれば作り出すことができるが、私はどうにもゲートの発現が苦手で、一日、数千がやっとの小規模なゲートを作るのにも数年もの時がかかってしまう。ゆえに父から反対されるのが目に見えていたから政変を急いだのだ。
政変以降、私は政を宰相らに任せ、毎日時間のほどんどをゲートの魔術式の組み立てに費やしていた。
そんなある日、宰相からの報告で地球人と思しき人間が前触れもなく突然姿を現したことを聞く。しかもその人間は「日本」からやって来たと念話で語ったという。
「そんなバカな…。異世界から地球へ行くことは可能だが、地球からは不可能なはず……。宰相その者と即刻話がしたい。すぐに使いを出しその者を連行するのだ。それから、その者が現れた付近にゲートが出現しているかもしれん、その調査も同時におこなってもらいたい。どちらも大至急だ」
「はっ直ちに!」
そう宰相に指示を出したのは、今日、東郷夏彦と出会う数日前の出来事だった。
異世界の各王国からは、健康被害を訴えるものが日に日に増大していると報告を受けていた。恐らく魔素の減少による悪影響であることは目に見えていた。
そのため、一刻も早くゲートを発現させたかった私は、東郷夏彦という若者の登場によって、ゲート発現に私では数ヶ月かかるところ、数日へと大幅に短縮できる可能性が見出せたことになる。
東郷夏彦は異世界にとって吉と出るのか、凶と出るのか…。
そんな期待と不安が入り混じる心を封じて、早速明日から始める東郷夏彦の教授のための、ゲート発現の術式資料の収集に私は慌ただしく動き始めた……。
翌早朝、私は東郷夏彦を叩き起こし、ゲート発現のためのレクチャーを始めた。
目まぐるしく変わる自分の置かれた状況に、東郷夏彦は疲れの様子を見せていて少々気の毒に思ったが、我らには時間がない、心を鬼にしてレクチャーを始めたが、思いの外東郷夏彦は真摯に私の授業を熱心に聞き入ってくれている。
《…でっできました!》
驚いたことに、東郷夏彦は私のたった一回のレクチャーで、ゲートの発現をものにしてしまった。
《なんと!たった一度教えただけで、もう発現できたのか》
《はいっ!陛下のご教授の賜物です》
《ハハッ、では、もう少しゲートの距離を伸ばすとするか…、この謁見の間より、そこの窓から見える、中庭にゲートを発現できるかやってみよ》
私の注文を東郷夏彦は易々とこなしてみせ、中庭にはオーク一人がやっと通れるほどのゲートが出現している。
やはり、私の見立て通り、この少年には凄まじい魔術のセンスと才能がある。
この少年さえ、我らに手を貸してくれるのであれば、無謀に思えた地球侵略が、グッと現実味を帯びてくることを確信する。
《陛下、少しお伺いしてもよろしいでしょうか?》
《うむ、申してみよ》
《先ほどから、発現させているゲートですが、陛下は「オーク一人が通れるほどのゲートを発現せよ、それ以上は望まない。」と仰っているのは何故でしょう?より大きなゲートの方がより多くの兵をより早く地球へと送り込むことができると思うのですが…》
《其方の言うことは尤もだが、それには理由がある。その理由の一つは魔素の消費を出来るだけ抑えたいというもの、昨日話したがゲートは発現させた後、何もしなければ、その場にあり続けるのだが、その間も発現させた場所から、魔素を消費し続けることとなるのだ、しかもそのゲートが大きければ大きほどその消費量も大きくなる》
《なるほど、魔素の節約なのですね。ですが、それなら一旦、異世界から日本側へゲートで渡り、異世界側で発現したゲートを消滅させて、日本側から再度ゲートを発現させれば、それ以降の魔素の消費は日本側の魔素を使用するので、異世界側の魔素は気にしなくては良いのでは?》
《その質問についても其方が疑問に思うのは尤もだな、だがそれをしないのは訳がある、ゲートを発現させる際に発現させた側では大きな光の渦が発生することになる。つまり日本側でゲートを発現すると、日本側で大きな光の渦が発生してしまうということだ。》
《そう言えば、僕がトラックに跳ねられそうになった時もその光が現れました…。ですがその巨大な光の渦がなにかの弊害になるのですか?》
《その大きな光の渦は、昼間でさえ広範囲で視認できるほどの巨大なものになる、日本側は当然、突然現れた不可解な光の渦の調査に乗り出すことになるであろう? そうなればゲートの存在や魔物の存在を知られてしまう危険性が高くなる。だから魔物側の潜伏期間中にはそれが行えないのだ。》
《なるほど…、確かにそれはできませんね…》
《そういうことだな、では早々にゲートの術式も覚えたことだし、日本の侵攻計画についてもっと詳しく話を聞かせることにしよう》
とにかく時間が惜しい。私はゲートの術式を早々に覚えた東郷夏彦を会議室へ連れて行き、私と異世界の重鎮たちが練り上げた日本侵攻の作戦を話すことにした。
《まず異世界側の戦力と日本側の戦力を分析した結果、異世界側の魔物たちの個々の力や能力は、人間たちの個々の力や能力よりも数段上だということ、さらに「戦いの丸薬」と言われる薬物を服用することで、一時的だが、驚異的な力を発揮することができ、日本の自衛隊員が束になっても、魔物たちには歯が立たないだろう》
《戦いの丸薬ですか……》
私の話に出てきた、「戦いの丸薬」という言葉に、一瞬、東郷夏彦の魔素の流れが「嫌悪」と「羨望」が入り混じるような、なんとも言いようのないものになったが、ほんの一瞬だったので、私は気にせず話を続けた。
《しかしだ、魔物と人間の能力の差は、あくまでも個人的な肉弾戦を想定した話であって、圧倒的な火力と精度を誇る近代兵器を所持し、隊列を組んだ自衛隊相手では、話はまったく別物となり、そのような状態の自衛隊に、まともに正面からぶつかるのは自殺行為であることを異世界側では理解している》
《ではどのようにして、近代兵器を所持した自衛隊に戦いを挑むのですか?》
《奇襲が主体となるゲリラ戦で戦いを挑む》
《なるほど…、ですがゲリラ戦となりますと、敵に気づかれずに近辺に潜伏しておく必要が出てきますね》
《そうだ、日本国内にある約160箇所ある自衛隊基地と約1200箇所にのぼる警察機構それぞれの近辺に潜伏しておく必要がある》
《そんな大規模な部隊、時間をかけず一斉に、しかも秘密裏に配置するのは、誰がどう考えても不可能ですよね》
《そうだ、それで出した答えが、ごく小規模なゲートを誰も訪れない日本の山岳地帯の奥地に展開させ、時間をかけて確実に日本全国に配置していくという方式が採用されることとなったのだ》
《なるほど!理解できました。それなら今まで僕が思っていたすべての疑問の辻褄が合います》
その後、東郷夏彦はいくつかの質問を私にし終えると、その作戦なら自分は十分役に立てると私に告げてきた。
《自分で言うのもなんですが、日本にいた頃の僕は、日本でも屈指の超難関高校に在籍していました、日本の地理なんて、全て頭の中に入っています。日本全国の山岳地帯の特徴や、形状、気候、地盤の構造など、ありとあらゆる情報が僕の頭の中には詰まっているのです》
《ふむ…、あながち其方の言うことに嘘は無いようだな…其方の魔素が私にそう告げている…。それで?》
《その潜伏期間中の指揮、僕に取らせてもらえないでしょうか?日本国内の潜伏をかなりスムーズに進行させる自信があります!どうか!》
《其方、本気で言っておるのか? 其方が言っていることは、日本侵攻に進んで手を貸すということなのだぞ?》
《はい、そのことは承知しております、ですが僕が協力しようがしまいが、異世界側は日本の侵攻を決行するおつもりでしょ?》
《ああ、日本侵攻は必ず決行する》
《ならば、日本人である僕がやらなければならないのは、異世界の民を救い、かつ日本人の被害を最小限にとどめる。これに尽きると思ったのです》
《…なるほどあいわかった。其方が今言ったことは、私の心情と合致しておる、私とてなんの罪の無い日本人を無慈悲に殺害することはあってはならないと思っておる…。そうか、やってくれるか…だがそのためには、其方は鍛錬を積み、ある課題をこなさなくてはならないが…》
《鍛錬を積み、ある課題をこなす…それはいったい…》
《私の持てる全ての魔術をマスターし、模擬戦において魔物軍を打ち負かすことだ》
《そっそんなこと、僕にできるのでしょうか?》
《できると思うたから、そう言っておる》
《そうですか…、わかりました!やらせてください!》
こうして、奇妙な縁で日本から来た、なにひとつ素性のわからぬひとりの少年に、私はこの異世界の命運を任せるとこととなる。
宰相が言った通り、これは私の賭けだ、吉と出るか凶と出るかは今の時点ではわからない、だがそんな危うい賭けに出るほど、この異世界は切羽詰まっているのだ。
私は一縷の希望を抱いて、この日本から来た少年、東郷夏彦に私の全てを授け、託すことにした。