勒七と闇鴉の出会い
※幕末の生きる道~苦界されど我は笑ふ~の羅刹を読んでいない方は、そちらを読んでからにして下さい。
賑わう江戸の裏道に、一人の少年と数人の男がいた。しかし、男達は全員倒れていて、少年は男達の懐を漁っている。俗に言う追剥だ。
「おやまあ。子供じゃないか」
己と男達しかいないと思っていた少年は、慌てて声の主に刀を向けた。
「成程ねえ。其の刀で己の身を守ってきたのかい。でも、あっちには只の駄々っ子にしか見えないけどねえ」
其処に居たのは一人の女だった。妖艶な姿に少年は戸惑ったが、ぐっと力を入れ直し、女に斬り掛った。しかし、簡単に取り抑えられてしまう。
「放せ!!」
噛み付かんばかりの勢いで暴れる少年に、女はけらけらと笑った。
「元気な坊やだねえ」
其の言葉に益々暴れる少年を放すと、女は真剣な顔で口を開いた。
「大した坊やだけど……このままだと、何れ死ぬよ」
歯に衣着せぬ物言いだが、少年も理解しているのだろう。口を悔しそうに結んでいる。
「死にたくなければ、家においで。死にたいのなら其処にいれば良い」
女はそう言って裏道の奥へと消えていった。これが、闇鴉と勒七の出逢いである。
「此のまま餓死でもする気かい?」
そう言った闇鴉の目の先には、勒七が食べるはずだった食事。あの後、勒七は闇鴉の家に来たが、一向に食事を口にしないのだ。
「俺が死んでも何も変わらないよ」
そう呟いた勒七に、闇鴉は眉を上げた。
「そうさ。坊や一人が死んだって何等変わりはしない。死にたいのなら勝手に死ねばいい」
闇鴉は刀を投げ渡す。反射的に受け取った勒七だが、その重さに背筋が寒くなった。持つのは初めてではないというのに……。
「死にたいのだろう?あっちが手伝ってやろうか?」
勒七は思わず刀を落としてしまった。がたがたと震える体。
「……死ぬことよりも生きる方が余っ程難しい。覚えておきな、生きている人間には、世の限り生きる義務があるんだ。其れに、坊やが死んだら悲しむ人間が此処に一人はいるんだよ」
そう言って闇鴉は部屋を出ていった。残された勒七は、己の体をぎゅっと抱きしめていた。
ぽろぽろと零れる涙を拭うこともせずに……。
「闇鴉!!」
大声を出しながら部屋に入ってきた勒七に、煙管を投げ付けた闇鴉。
「師匠って呼びな」
痛いと呟く勒七は、初めて会った時とは別人だった。一人称を『わっち』に変え、額髪を伸ばした。そして何より変わったのは、生きようとする意志。初めて会ったあの日から、一ヶ月が経っていた。
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「闇鴉…さん…あの、その……」
あの日、部屋を出ていった闇鴉を追いかけた勒七。
「……ごめんなさい」
「何に対して謝っているんだい?」
間髪を容れずに飛んできた言葉に、勒七は息を張った。
「俺…死んでも良いと思っていた。刀を持つことにも抵抗はなかった。でも、刀を渡されて、自分が其れで死ぬかもしれないと考えたら、刀が冷たくて…重くて……恐かった!!死んでも変わらないなんて言ってごめんなさい!!もう言わないから……だから!!」
「此処に居させて下さい!!」
泣きながらも、決して目を逸らさなかった勒七を、闇鴉はそっと抱き締めた。
「刀はね……誰かを傷付ける道具なんだ。其の事をしっかり覚えておきな。でも恐がる必要はないよ。
刀は……侍の魂でもあるのだから」
「侍の……魂…?」
「これから自分で見付けな。己の魂を、己の道を、刀を持つ意味を。決して輝きを失わない侍の魂を」
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「師匠、どうかしたの?」
どうやらぼうっとしていたようで、勒七に覗きこまれたことにより我に返った。
「何でもないよ」
そう言って勒七の額を軽く小突いた闇鴉の表情は、穏やかだった。
初めて会った時、勒七は子供だった
生きる道を見失った子供だった
小さな小さな子供だった
「師匠、わっちは羅刹の最期を見届けたい」
勒七の声音は真剣で、澄んでいた。
「師匠と呼ぶのは今日で終わりだ。お前は己の生きる道を見付けたのだから。そうだろう?……勒七」
闇鴉の言葉に、勒七は涙を堪えるのに必死だった。走馬灯のように浮ぶ思い出が、何とも懐かしかった。
一人称を闇鴉に近いものに変えた時のこと
闇鴉の真似をして、目に包帯を巻いてみた時のこと
包帯を取り上げられて、代わりに額髪を伸ばそうと決意した時のこと(闇鴉に呆れられたけど)
口調を真似し始めた時のこと
風邪をひいた時のこと
稽古で怪我をした時のこと
川原に迎えに来てくれた時のこと
何時でも闇鴉と一緒だった。けれど今……己は、此処を離れようとしている。涙が止まらなかった。
「だらし無いねえ。しっかり己の道を歩きな。あっちより先に死んだら承知しないよ」
勒七は必死に頷いた。
初めて会った時、勒七は子供だった
生きる道を見失った子供だった
小さな小さな子供だった
そして今は、立派な大人になった
生きる道を見付けた大人になった
大きな大きな大人になった
「いってきます」
また逢う日まで
さようなら